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趙雲って正史だとたいした事ないってホント?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:00:20
ショックです><

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:03:15
字は子龍。常山郡真定の人。

はじめ公孫?に仕え、やはり同僚であった劉備と親交を結んだ。
青州刺史田楷が袁紹の攻撃を受けると劉備とともに救援に赴く。
兄が死んだため公孫?のもとを辞去、劉備とも離ればなれになった。
のちに曹操に敗れた劉備が袁紹を頼ると、?で劉備に再会して部下となる。ともに劉表を頼って荊州に下った。

夏侯惇が博望に進軍して劉備を攻めたとき夏侯蘭を捕虜とした。
趙雲の同郷の人だったので劉備に彼の助命を嘆願し、
また法律に明るいことを述べて軍正に推挙したが、
あらぬ疑いを避けるため夏侯蘭とは積極的に付き合わなかった。
劉表が死ぬと曹操軍が南進し、当陽県の長阪に至って劉備軍を追撃した。
劉備は妻子を棄てて敗走したが、趙雲は阿斗(劉備の子。のちの劉禅)と甘夫人(劉備の夫人)を護り抜いた。
このとき趙雲が曹操に降ったという者がいたが、
劉備は彼を戟で打って趙雲への信頼を失わず、やがて趙雲が到着した。牙門将軍に任じられる。

劉備が荊州南四郡平定の軍を起こすと、従軍して偏将軍・桂陽太守に任じられた。
前太守趙範から兄嫁樊氏を娶るよう勧められたが、本心を疑って固辞、のち趙範が逃亡したが連座しなかった。
劉備の益州入りのとき留営司馬に任じられて荊州に残る。
劉備不在をついて孫権が荊州に入り、劉備に嫁いだ妹を奪い返そうとしたが、
趙雲は張飛とともに長江を遮って劉禅が連れ去られることから守った。
益州進軍中の劉備から諸葛亮らに援軍要請があり、趙雲は諸葛亮・張飛とともに長江を西上、
江州で分かれて江陽方面を攻略した。平定後、翊軍将軍に任じられる。

漢中が劉備の領有となると曹操が漢中奪還のため押し寄せてきた。
黄忠は敵の兵糧を奪取するため進んだが、彼が帰って来ないので趙雲は数十騎を率いて迎えに行った。
そこで敵の大軍に出くわした。趙雲は勇敢に戦いながら本陣に帰ったが、
将軍張著が負傷して敵に囲まれていたので再び馬を駆って彼を救出する。
さらに本陣まで敵軍が追ってくると「空城の計」で凌ぎ、敵は伏兵を恐れて撤退した。
翌日駆け付けた劉備は「趙雲は満身が胆だ」と感嘆する。

のち劉備は関羽を殺した孫権を討つため東征を図ったが、趙雲は魏を討つべき事を主張して反対した。
しかし劉備は聞かず、陸遜に敗れて白帝城に崩じた。
建興元年(二二三)に劉禅が二代皇帝に即位すると中護軍・征南将軍・永昌亭侯となり、まもなく鎮東将軍に昇進した。

同五年、諸葛亮に従って漢中に駐屯。
翌年に北征が開始されると囮部隊としてケ芝とともに箕谷で曹真と交戦、兵力差のため劣勢となり、
また先鋒の馬謖も敗れたため撤退。鎮軍将軍に降格される。

同七年に逝去、のちに順平侯と諡される。

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:05:08
いや、蜀書の伝ぐらい読めよ

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:05:57
キレイごとを言って謙遜して降格を願い出たが、それをホントに実行されたのがショックで憤死したんだな。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:07:25
ホント、たいした事ないな。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:08:57
>>劉備は彼を戟で打って趙雲への信頼を失わず

これって劉備はそいつを殺したってこと?
やっぱ劉備ってDQNなんだな・・

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:10:55
曹操と同じことを劉備がすると10倍悪く言われるよな。

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:13:17
曹操は別におかまいなしに自分のやりたい事やってたけど
劉備は偽善者だからじゃね?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:15:17
趙雲スレいくつもいらね

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:18:57
いや、曹操の方が十分偽善だろ。自称漢の忠臣だろあいつ。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:20:32
>>10
歴史を語る時に善悪を論じるのは無意味

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:20:43
善から偽善を全て取り払うと「へたれ」が残るという。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:21:59
>>10
それって偽善とかじゃなくて単なる建前じゃん

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:25:12
>>11 >>13
魏厨乙


15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:25:17
劉備=なにもしなくても支持率が落ちていく期待の星な総理大臣じゃありません

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:34:43
>>10
それを言うなら、劉備も自称漢忠臣だろ。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:37:12
>>14
蜀厨乙

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:41:22
演義で美化されているのはむしろ曹操。劉備は演義の被害者である。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:43:37
>>14
残念ながら俺は呉厨だ

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 21:55:42
オレは蛮厨

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:05:44
俺はVの顔グラの馬忠

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:09:02
正史だと張飛、王平あたりのが名将

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:15:25
「わが王朝が転覆し、呉は唇と歯のような密接な関係なのに、わが国の危難に同情することもなく、利を求めている。わしはどうして降虜になどなれようか!」
趙雲さんカッコ良過ぎ
まあいくら呉がセコいだけの悪党と言えども圧倒的な戦力差の前には踏みつぶされるのが歴史のリアリズムだが
それをひっくり返したのが三国志通の心を掴んでるんだろうね

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:16:38
ひっくり返した?

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:25:35
趙雲〜それは〜君が見た光〜僕が見た希望〜 趙雲〜それは〜ふれあいの心〜幸せの趙い雲〜

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:37:28
>>2
万の兵を率いた将軍というより、
少数部隊で突破口を開く切り込み隊長的な印象。
個人での戦闘力は相当高かったのかも知れない。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:49:00
ふと思ったんだが、正史で夏侯淵の個人的武勇が優れているという記述は無いんだな。
もしかしたら、夏侯淵は統率力は高い貧弱君だったのかもしれないなw
なんで夏侯淵かというと、特に理由はない。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:51:14
それ夏侯惇じゃね?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:52:16
>>27
弓術なめんな

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:52:56
>>28
夏侯惇は個人的武勇に優れた統率力が無い人だろw

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:53:02
>>29
黄忠乙

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:54:30
>>29
おっと、記述あったか。マジごめん。
んじゃあ、呂布とかは?

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 22:59:50
趙雲伝

 趙雲は字を子龍といい、常山郡真定県の人である。もと公孫サンの配下であったが、
公孫サンが劉備を派遣して田木皆を助けて袁紹を防がせたとき、趙雲は随行することとなり、
劉備の主騎になった。劉備が曹操によって当陽県の長阪まで追撃され、妻子を棄てて南方へ
逃走したとき、趙雲は身に幼子を抱いた。即ち劉禅である。甘夫人を保護した。即ち劉禅の母である。
どちらも危難を免れることができた。牙門将軍に昇進した。劉備が蜀に入国すると、趙雲は荊州に留まった。
 劉備はカボウから引き返して、劉王章を攻撃し、諸葛亮を召し寄せた。諸葛亮は趙雲や張飛らを率いて
ともに長江をさかのぼって西上し、郡県を平定した。江州に到着すると、趙雲に別の川を通って江陽に上り、
諸葛亮と成都でおち合うことを命じた。成都が平定されたのち、趙雲を立羽軍将軍に任じた。
223年、中護軍・征南将軍になり、永昌亭侯に封じられた。昇進して鎮東将軍になった。
227年、諸葛亮に従って漢中に駐留した。228年、諸葛亮は出兵し、斜谷街道を通ると宣伝した。
曹真は大軍を派遣してこれにあたらせた。諸葛亮は趙雲とケ芝に命じて曹真の相手をさせておき、
自身は示β山を攻撃した。趙雲とケ芝の軍が弱小なのに対して敵は強力だったので、キコクで敗北したが、
しかし軍兵をとりまとめて守りを固め、大敗にはいたらなかった。軍が撤退すると、鎮軍将軍に位を下げられた。
229年、逝去し、(261年に)順平侯のシゴウを追贈された。
 それより前、劉備の時代には、ただ法正だけがシゴウを贈られた。
劉禅の時代になって、諸葛亮は世をおおう功績・徳義を立て、ショウエンとヒイは国家の重責を荷ったために、
またシゴウを受けた。陳祇は寵愛されて、特に格別のご沙汰を受け、夏侯覇は遠方より国家に帰順し、
そのためにやはりシゴウをおくられた。このとき(260-261年)になって、関羽・張飛・馬超・黄忠および趙雲が
はじめてシゴウを追贈された。当時の世論は名誉としてもてはやした。趙雲の子の趙統があとを継ぎ、官は
虎ホン中郎・督行領軍にまで昇った。次男の趙広は牙門将となり、姜維に随行して沓中に行き、前線で死亡(262年?)した。

以上、正史の記述全文。



34 :アンジェ ζ ◆YI1yrpC6Lo :2009/03/13(金) 23:03:56
>>32
布、弓馬に便れ、膂力人に過ぐ。号して飛将となす。

布、拳捷にして

布、門候をして営門中に一隻の戟を挙げしむ。
布、言う、「諸君、布の戟の小支を射るを観よ。一発にして中らば、諸君、解きて去るべし。
中らざれば留まりて闘いを決せよ」。布、弓を挙げて戟を射、正しく小支に中る。
諸将みな驚きて言う、「将軍は天威なり」。

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 23:15:11
呂布は正史でも一騎討ちしてるとこが凄いだろ
相手のカクシも凄いが

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 23:20:45
>>22
馬忠、張嶷あたりも名将だね

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 23:40:24
王平伝

  王平は字を子均といい、巴西郡トウキョ県の人である。もと母方の家の何氏に養われたが、後に王姓に戻った。
杜コ・朴胡について洛陽に行き、校尉の官を与えられ、曹操の漢中征伐に従った。そのとき劉備に降伏して、牙門将・ヒ将軍に任じられた。
228年、参軍馬謖の先鋒隊に所属した。馬謖は水路を捨てて山に上って陣を構え、指示する措置は煩雑をきわめた。
王平は何度も馬謖を諌めたけれど、馬謖はとりあげず、街亭で大敗を喫することになった。
軍兵はことごとく四散したが、ただ王平指揮下の1000人だけは、陣太鼓を打ち鳴らして踏みこたえたので、
魏の大将張合βは伏兵がいるのではないかと怪しんで、近づこうとしなかった。
そこで王平は徐々に諸営の残留兵を収容し、将兵を率いて帰還した。丞相諸葛亮は馬謖と将軍の張休・李盛を処刑し、
将軍黄襲らの配下の兵を取り上げたのち、王平だけには特別に敬意をはらい、参軍の官を加えてやり、
五部の兵を統率させるとともに、軍営の仕事にあたらせ、討寇将軍に位をあげ、亭侯に封じた。
231年、諸葛亮が示βを包囲した際、王平は別に南の軍営を守った。魏の大将軍司馬イが諸葛亮を攻撃し、張合βが王平を攻撃したが、
王平は守りを固めて動かず、張合βは勝利を得ることができなかった。
234年、諸葛亮が武功で没し、軍は撤退したが、魏延が反乱をおこしたとき、一度の戦いで打ち破ったのは王平の手柄である。
後典軍・安漢将軍に昇進し、車騎将軍呉イの副将として漢中に留まり、また漢中太守を兼任した。
237年、安漢侯に爵位をあげられ、呉イに代わって漢中の総指揮官となった。
238年、大将軍のショウエンがベンヨウに駐留した際、王平はあらためて前護軍となり、ショウエンの幕府の事務を司った。
243年、ショウエンが帰途につきフに滞留したとき、王平を前監軍・鎮北将軍に任命し、漢中の指揮をとらせた。
244年、春、魏の大将曹爽が歩兵・騎兵合わせて10余万を率いて漢川に向かい、先鋒は早くもラクコクにおしよせた。
そのとき、漢中の守備兵は3万に満たなかったため、諸将はひじょうにあわてた。あるものが、「現在の力では敵を防ぐのに不充分です。
敵の進むのにまかせて、漢・楽の二城を固守すべきかと存じます。たとえ賊軍を侵入させても、そうこうしている間に、フにいる本隊は
充分関城を救援できましょう」といったところ、王平は、「それはちがう。漢中はフから千里近い距離にある。賊軍がもし関城を手に入れる
ようなことになれば、それこそ禍いの種となるであろう。今はまず護軍の劉敏と参軍の杜キを派遣して興勢山にたてこもらせ、私が
後方の備えに当たるがよかろう。もし賊軍が兵を分けて黄金谷に向って来るなら、私が1000人を率いて下り、みずからこれに当たろう。
そうこうしている間に、フの本隊もそろそろ到着するであろう。これこそ上計である」といった。
ただ護軍の劉敏だけが王平と同じ意見をもち、即刻行動に移った。フの諸軍と大将軍のヒイが成都よりあいついで到着し、
魏軍は引きあげていったが、王平の建てた計略どおりであった。このとき、ケ芝が東方(江州)に、馬忠が南方(漢寧)に王平が北境に存在し、
いずれもすぐれた功績をあげた。
 王平は戦陣の中で成長したため、字が書けず、知っているのは十字足らずであったので、口述で文書を作成したが、すべて筋が通っていた。
人に『史記』『漢書』の本紀・列伝を読ませ、それを聞いて、全体的な話の筋は充分知っており、ときどき二書について論評したが、本質から
はずれていなかった。法律・規則を遵守して、冗談の類はいっさい口にせず、朝から晩まで一日じゅうきちんと坐り、まるで武将の感じはしなかった。
しかしながら性質が偏狭で疑い深く、軽はずみな人がらで、それが欠点となっていた。
248年になくなり子の王訓が後を継いだ。
 その昔、王平と同じ郡の出身である漢昌の句扶は、忠誠にして武勇があり、寛大な人がらであった。
たびたび戦功をたて、王平に次ぐ巧名・爵位を得、官位は左将軍にまでのぼりトウキョ侯に封じられた。

以上、正史の記述全文

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 00:06:36
王平伝を解釈してみる。

228年、処刑された馬謖に代わって参軍になる。
231年、張合βの攻撃を防ぎきる。
234年、魏延を打ち破り呉イの副将となる。
237年、呉イに代わって漢中の総司令官となる。
238年、大将軍ショウエンが漢中で幕府を開いたので、指揮下に入る。
243年、大司馬ショウエンがフに滞留すると、成都の命令で漢中の総司令官となる。
244年、曹爽が漢中進軍への対応で意見が割れ、護軍の劉敏と王平は漢中諸軍にあって孤立した。
247年、姜維が大司馬ショウエンの後を継ぎ録尚書事となり漢中軍を掌握。
248年、王平死亡。



39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 00:08:22
陳到の方が上

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 00:34:00
趙雲に限らず蜀初期の人物の記述は少なく
記述の多い後期の人物と単純な比較は出来ない

趙雲は関張黄馬という天下に名を知られ建国の礎となった人達と並べて伝が立てられている
たいしたことがないとはとても言えない

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 01:36:50
顔良
文醜
許仲康

と被る

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 01:56:10
誰か俺に質問ある?

43 :匿名:2009/03/14(土) 06:03:31
阿斗を助けた趙雲よりあのビ夫人だっけ?(足でまといになるからって井戸に飛び込んだ人)のが凄いんじゃないかなと思う今日この頃

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 07:16:50
井戸に隠れておこう!って思って飛び込んだビ夫人なのに、壁を壊してフタをしたシリョウ

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 07:33:31
これじゃ俺の手柄になんないじゃんって夫人から子供を奪い取ったシリョウ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 18:51:04
シリョウに襲われると勘違いして井戸に飛び込んだ夫人

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 19:21:37
高覧って正史じゃ大したこと無いってホント?

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 19:44:09
虞翻って正史だとキチガイってホント?

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 20:34:57
曹操は正史だとチビってホント?

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 20:41:35
>>49
短足だったり異民族の使者が来たときにデカい椰子を自分と思わせてたりしてた辺りで
ちびでさえない落合みたいな顔だったと予想されている

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/14(土) 22:12:38
曹操は呂布に「貧相だなw」って嘲笑されたらしい。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 01:43:15
羅貫中が同郷のよしみで趙雲をカッコ良く書いたんだよ。確か。

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 02:02:01
陳寿も蜀だしなあ
魏って一番文学に比重を置いてる感があるけど、そういうのないのかな

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 13:55:50
>>53
いわゆる三曹が建安文学の中心にいたのは確かだ
特に詩歌の分野では曹操が現れるまでは、極々狭い範囲でしか知られてなかった

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 17:48:22
>>52
三国志の注に趙雲外伝ってのがあって、演義のエピソードは多くがそれに基づいてるんだが、それも羅貫中が作ったのか?

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 21:08:18
趙雲外伝なんて無いだろ
趙雲別伝ならあるけどあれって著者が趙雲本人との説が濃厚だから信憑性は怪しいもんだ

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 21:16:42
>>56
初めて聞いた
誰が言ってるのそれ

別伝では趙雲のおくりなの事も書いてるのに、本人が未来予知してたのか?

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 21:31:36
>>56
本人はないだろ…

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 22:45:13
>著者が趙雲本人との説が濃厚
本人説を唱えてる資料くれ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/15(日) 22:45:23
黄忠も記述が少ないよね

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 11:00:52
ちょwww趙雲本人が書いたのかよwwwww空城の計とかいくら何でもふざけ過ぎだろwwwwwww

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 15:28:30
逆に趙雲ならくそ真面目に書きそうだから改竄とかあまりなさそうだがw

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 16:29:13
260年に姜維が関羽、張飛、馬超、黄忠におくりなを追贈するように上奏して、
261年になってから趙雲にもおくりなが追贈されている。
当時、趙雲の次男の趙廣が姜維の牙門将だったので彼が働きかけたのだろうか?
ちなみに262年に趙廣は死んでいる。文官だった兄の趙統の
可能性もあるkなあ。

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 16:52:03
姜維…なぜ趙雲は最初のおくりな贈呈メンバーに入ってないのだ
かなり貢献しただろうが

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 16:53:57
>>64
関羽、張飛、馬超、黄忠は同じ将軍位
趙雲はその2ランク下だった

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 16:57:58
あっ位はそうだったな…
馬超って蜀に貢献したか?

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 17:00:40
>>66
馬超の声望は羌や関中への威圧に有用だった
演義ではほとんど触れられないけど、三国志における(というかどの時代でも)
名士を傘下に加える意義はかなり大きい

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 18:13:09
下にも置かない待遇みたいな事書いてあったよな?
厚遇しすぎじゃね?>馬超

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 18:29:53
ちょっとしたセレブとは言えそう思うわw
猛将とか言われてたお前はどうしたんだってくらい蜀に来て
からはおとなしかった気がする

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 19:42:08
投降・帰順した名士や軍閥が破格に近い待遇ってのはどの陣営でも
やってる事ではあるけど

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 20:00:42
馬超の場合、すでに馬騰亡き後の馬一族筆頭としての立場があるし
それを考慮した上での位置づけだろうよ
しかも関羽、張飛、趙雲と対等の勇猛ぶりなので、粗末に扱えないし
現代でいうところの、『経験を考慮のうえ ほにゃらら』ってやつだ

馬超を粗末にして、敵国に降ったりすると恐ろしいことこの上ないので厚遇したと思う

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 20:05:38
でも活躍は期待はずれだな

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 20:45:42
趙雲って実はチャラ男だったとか。

74 :Jominian ◆Henri9gNlM :2009/03/16(月) 22:24:56
>>63
姜維が沓中に駐屯するのは侯和でケ艾に敗れてからだから、
趙広が戦死したのは263年だと思うよ。
兄の趙統も虎賁中郎・督行領軍なので、文武で言えば武だね。

督行領軍の正確な地位は分からないが、領軍を督する立場であれば、虎賁中郎ではつりあわない。
督が衍字だとして、行領軍であったとしても、やはりつりあわない。
虎賁中郎将の間違いのような気がしないでもない。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 22:52:32
>>73
チャラ男を身近に置いたり奥さんの見張り?はやらせないだろ

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/16(月) 23:28:48
>>74
ありがとうJomiえもん。俺も263年じゃないのかなぁと思ったんだけど、
本に262年って書いてあるから、駐屯前に沓中で戦ったことがあったのかなと思ったんだよね。
兄貴も武官なのか、虎賁中郎・督行領軍で、虎賁中郎だと地位が低いから
「行」を使うことは無いはずだということだよね?
となると趙統って、皇帝直属軍の司令長官ってこと?

77 :Jominian ◆Henri9gNlM :2009/03/16(月) 23:53:44
>>76
あの記述から262年と解釈しようとするならば、姜維の行動を、
沓中駐屯→洮陽に出兵→沓中駐屯という流れとしなければならない。
ただ、ケ艾伝でも後主伝でも姜維伝でも、彼が出兵前に軍を沓中に駐屯させた記述は無い。
だから、その本が完全に間違っているとは言わないが、自然に解釈するならやはり263年だろうね。

趙統に関しては、「行」の字は関係ないかな。
「行某」には「某を代行する」という意味があり、李厳弾劾の上表なんかだと、
行某監軍だとか行護軍だとかが多数出てくるので、「行領軍」という表現はあると思う。
ただ、それに督が付くとよく分からない。
領軍は呉班や馮習、張翼らが就いたけど、流石に虎賁中郎将の属官の中郎クラスではない。

虎賁中郎将なら職務は宿衛兵の統率なので、禁軍の司令官となる。
虎賁中郎なら禁軍の将校ってところかと。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 07:00:36
>>77
どうやらシ兆陽で負けたのが262年の10月だから、沓中まで引いたのも262年という解釈みたい。
「行」が代理の意味で、功績を上げれば実際にその役職につけるということで、
「領」が高い地位にある者がそれより低い官を兼任することなんだよね。

虎賁中郎だけど、領軍を行するで督って意味がわからん。
行督領軍だったら意味が通じるのだろうか?

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 07:34:34
万人が納得する数値設定なんてないだろ
だからこそコーエーが数値変えられる機能付けてくれてるんだから我慢しろ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 07:37:35
誤爆したよ趙雲

81 :Jominian ◆Henri9gNlM :2009/03/18(水) 00:15:20
>>78
それだと、侯和で傷を負って、戻って沓中に駐屯した頃に死んだという事になるけど、
「隨姜維沓中、臨陳戦死」という記述からは、そういう解釈にはならないと思う。

督行領軍の領は領涼州刺史みたいな意味ではないと思う。軍という官職は無いし。
「軍を領する」という意味でなら楊儀伝にあるけど、この場合はそうではないしね。
因みに、三国職官表だと趙統を行領軍としている。

当時の虎賁中郎将が関統なのか麋威なのか、はたまたそれ以外なのかは分からないが、
向寵の例を見ると中領軍が宿衛兵を司る事に関係ありそうなので、
麋威が虎賁中郎将だが、宿衛兵の実質的な指揮官を虎賁中郎行(中)領軍の趙統が執った、
或いは、虎賁中郎の趙統が行(中)領軍を督して宿衛兵を指揮した、
ともできるかもしれないが、前者は記述を変えすぎ、後者は趙統を虎賁中郎にしておく意味が無く、
解釈に無理が出てくるようにも思える。

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 00:19:16
参照:http://www7a.biglobe.ne.jp/~syunanzan/index3-1.html

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 09:58:23
>>81
ありがとうJomiえもん。263年で正しいみたいだね。

中領軍のショウチョウが死んだのが240年で、その後任をビイが継いだけど、
ビショウが姜維の騎兵軍の隊長だった関係で漢中に出向したので、成都に残された
趙統が行(中)領軍を督して宿衛兵を指揮した、という解釈もできないかな?

ビイってビジク伝以外に記述ないよね?いくつだったんだろう。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 21:03:06
蜀では車騎・驃騎クラスの将軍でも滅多にいない諡号を贈られた数少ない武将の一人だから、
官位は兎も角、朝廷が彼をどう評価していたか分かるというものだけどな。

関羽らと共に建国帝を支え蜀漢の礎を築いた元勲の一人という扱いだったのではないだろうか


85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 21:35:43
たぶん真面目すぎて、周囲からもうっとおしがられてたんじゃないかな

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 21:47:25
なぜそう思うのかねチミ

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 21:57:22
周囲というか劉備が本当に頼りにしてたなら
夷陵で留守番なんてしないと思うが

88 :Jominian ◆Henri9gNlM :2009/03/18(水) 22:26:15
>>83
関平はともかく、関興なんかは年齢を考えると荊州獲得後か、
早くても劉表の客将だった頃の子供だと思う。
趙雲にしても、別伝の趙範とのやり取りを考えると、その頃には妻子を伴っていなかったようにも思う。
趙統や趙広はそれほど年は取ってなさそうだし。

少なくとも、劉表の元で荊州に落ち着く以前の妻子は残っていなかっただろうから、
麋威は蜀滅亡時で六十くらいじゃないかな?
また、関統と違って「卒した」とは書かれてないし、張飛の次子も生きていた事を考えれば、
麋威は蜀滅亡時に生きていただろうと思う。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 22:27:41
>>87
曹操はジュンイクとか夏侯惇をかなり頼りにしてたと思うけど、留守番が多かったよ

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 22:41:11
曹操は戦争に関する才能はその二人にさして期待してなかったと思うが

91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 23:19:30
別伝だと反対してたから留守番だったんでは?

92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 23:26:39
自分も漠然とそんな感じなのかな〜と思った
でも結局駆けつけてるし

93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/19(木) 17:39:26
趙雲って劉備が死んだ年にいきなり大出世してるけど、
あれは何を意味するんだろうな。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/19(木) 20:39:14
>>93
上にいた者が消えたから順送りで出世した

というか大というほどなのかね

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/19(木) 22:20:14
趙雲って精子だと大した事ないよ。趙統・趙広。

96 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/20(金) 00:08:27
演義のせいか知らんが、比較対象が関羽張飛になりがちだからじゃないの。
蜀の体制で「貴族」を設定するなら関氏・張氏・呉氏・諸葛氏。
一歩下がって麋氏くらいしか思いつかんのだが。

97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/20(金) 22:39:09
劉備が皇帝になった時も官位が上がらなかったのって、趙雲くらい?

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/25(水) 18:30:26
http://yuurinrenka.maiougi.com/renka/yume/ura/ura.html

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/25(水) 22:29:46
趙雲って俺の中では超優秀な下士官って感じがする
階級は低いけど最先任特務曹長とかそんな感じで

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/25(水) 23:24:44
階級は低くはないよ

101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/25(水) 23:43:14
というかセガール

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 00:22:18
低くはないだろ
働きの割りには低い気もするが

103 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 00:27:25
演義だと木鹿大王の猛獣軍団以外には負けなしか

104 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 00:58:10
趙雲の悲恋だか一夜妻?だか何かそんな話ってあるの?

105 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 06:16:57
>>103
猛獣軍の事を知っていて対策まで立てていたのに、
そのことを教えずに趙雲に攻撃させた孔明w

106 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 12:41:24
>>95
ちょっとうけた

107 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/29(日) 23:22:24
まあ、趙雲が最強ということで

108 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/30(月) 22:33:21
たぶんだと思うけど、かなり真面目な人間だと思う
官職がどうのよりも忠義一筋に活きるタイプ
三国志の猛将の中にあって最も控え目なタイプであって
目上、年配には気を配って尊重するタイプ

しかも仕事がかなりできるもんだから、ちょっとズルこく武将にはいいように使われてしまうが
本人はそれでも忠義に生きるという感じ

要は功を横取りされるタイプってこと

劉備にとって、趙雲が組織の中でもうちょっとズル賢い部分あれば…って感じだったのでは

109 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/30(月) 22:50:27
良い意味でも悪い意味でも大軍を率いるタイプではなかったんだろうな

110 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/30(月) 23:11:42
まぁ真面目にバランスをとりすぎるタイプなんだろうな
黄忠や魏延、馬超などは降伏、亡命の将であって
流浪時代から付き添う趙雲にとっては新参者でしかすぎない
が、それでもやはり彼らは今後の蜀に必要な人材であり、蜀の中で立場を確保させてあげなければならない
関羽、張飛が他の将に遅れをとることなどあってはならないのだから
ここは自分が一歩さがって組織の繁栄を願うといった感じだろうな

おれは趙雲なしで蜀はありえない組織だと思うよ
関羽、張飛などの剛胆な人間はバランスをとれる人材ではないし
逆にバランスをとろうとする位置にいてはならない

だからこそ趙雲は、彼らより一歩下がった位置に身を置き
さらに次々の加入する将兵の必要性を考え、功を譲る

これはかなり懐の深い人間じゃないとできない大器の仕事だよ
ま、それを公に評価できる人間が蜀にいたかどうかは別としての話


趙雲はまさに組織の要の人間であったと思う


111 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 01:17:36
>>108
劉備と孔明はもしかしたらそう思ったかもなw

112 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 09:16:49
当時の趙雲の他の2国からの評価ってどんな感じだったっけ?

113 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 11:31:19
どえらい大学の教授が「趙雲が助けた赤子は実は他人だった」説を唱えている。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 14:00:30
近現代軍でいうところの軍曹。
だから記録に残らないし、自分が身を引くまでもなく、手柄は目上の上官のもの。
(だいたい、手柄を譲ったとか、高位を固辞したとか、そんな史書的にオイシいネタが実際にあれば、なんらかの記述があるはず。
つまり、ファン補正でもない限り、「そんな事実はない」と考えるのが自然。)

古参だが、組織のトップとの縁故(というかコネ)は関羽張飛には及ばない。
新参者と比べても、
馬超のように外で実績をあげて名声が既に高いと、最初から幹部待遇だし、
伝記が極めて少ない黄忠にも官位を追い越されたのも、荊州で既に高い役職にあった黄忠の帰順が、趙雲の槍働きより高く評価されたということだ。
(実際の貢献度はともかく、少なくとも劉備はそう査定した、ということ)
更には新参者の上に地位も名声もなかった魏延にまで官位を追い越されている。

趙雲の出世の遅さには何らかの理由があるはずだ。
思いついたパターンは以下の三つ。
一、趙雲は本当はたいした働きのない下士官だったが、それでも古参だということで劉備や諸葛亮あたりに引き立てられた。
一、趙雲は下士官として「使える駒」であったが、大きな権限をもたせるには問題もあり、出世が遅れた。
一、趙雲自身は優れていたが、実は劉備あたりに忌避されていて正当に評価されなかったため、出世が遅れた。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 15:01:57
>>114
三つ目は無いだろ
劉備の信頼厚かったから
許チョや典韋、周泰らと同ポジション
劉禅助けたことで贔屓されて彼の代に大出世ってなところだろ

116 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 17:15:43
思い出しながら書くので、違ってたらスマン。

益州攻めでは張飛・諸葛亮と共に江州を落として、
その後、張飛と諸葛亮は北上して広漢(安漢だったか?)→成都、
趙雲は江陽→[牛建]為→成都。
どう考えても下士官なんかじゃない。
それと>>115氏、濡須の督にまでなった周泰は典韋らとはタイプが違うよ。

趙雲の出世が遅いというが、馬黄魏らの出世が早いだけだと思う。
諸葛亮が黄忠の昇進を関羽に絡めて心配したが、
黄忠が抜擢されなかったら趙雲にその任が回ってきた可能性も高いと思う。

117 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 17:37:20
>>115
呉攻めの時はっきり劉備を諫めたらしいし
実績もある古参特有の疎まれ方はしたかもしれん

118 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 19:16:27
まあどっちにしろ自分から功績や官位を譲ったというのはファンの妄想ということで

119 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 19:38:41
>>94
よく分からない雑号将軍(適当に名付けられた一部将)から、
何の功績も無く中護軍・征南将軍(蜀の主力を率いる方面軍総司令官)。

この程度の出世、趙雲からすれば大したもんじゃないってか?

120 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 20:06:55
>>116
周泰が濡須の督になったのは孫権の贔屓
だから古参武将がぶーたれて孫権自ら説得に出向かなきゃならなかったという
そもそも高位につくような軍歴では無かったということだ

趙雲も周泰同様主君の身辺警護から始まって、贔屓を受けて抜擢されたということで
同じような立場だったと思うぞ

121 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 20:13:34
贔屓っても馬謖みたいのじゃなくてちゃんと実力もあった訳だし

122 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 21:00:54
>>119
翊軍将軍が「よく分からない雑号将軍」っていう認識が誤ってるんじゃないかと俺は思うんだよな

123 :無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 21:06:59
>>120
周泰の経歴をもう一度調べるといい。
彼は身辺警護など一度もしたことがない。
孫策時代にすでに功をあげて兵を預かっている(別部司馬)。
その後、丹揚西部平定で孫権が"デビュー"する時に補佐になったが、これは警護じゃなくてお目つけ役、というか周泰が実務担当ということだろう。
その時、山越の大軍が急に攻め寄せ、孫権に危害が加えられそうになったため周泰自ら奮闘したという話。
その後も将軍として転戦し、国境の守りにもついてる。
タイプとしては蒋欽や凌操、呂蒙と同じだ。
濡須の督の前任は蒋欽で、蒋欽は中央に召されて行政に参画することになるが、
そうした"名士に片足つっこんだ蒋欽"に比べて、周泰は司令官としての風格はなかったんだろう。
また孫権がいったように、周泰が寒門の出だったことも関係あるんだろう。
いずれにせよ、彼はボディーガードあがりじゃない。

趙雲に関しては、劉備のお気に入りかどうかは関係ない。
益州攻めで方面司令官だったのは事実。
出世しなかったのは下士官だったからということは成り立たない

124 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/01(水) 11:37:57
>>66-71
馬超はそれらに加えて、後漢の外戚の一族ってのもある程度考慮されてるように思わないでもない。
トウ芝と違って直接の貢献は少ないが、「漢を継ぐ」という名分をやや強化する思惑もあるじゃなかろうか。

125 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/01(水) 19:07:38
趙統は「虎賁中郎・督行領軍」じゃなくて、「虎賁中郎督・行領軍」だったんじゃないだろうか。
あと、華陽国志を斜め読みしてたら「内領軍」というのを見かけた。
内領軍の間違いか、「行」が代行の意味ではない「行領軍」というのがあったってことはないのかな?

126 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/01(水) 19:45:58
翊軍将軍は「よく分からない雑号将軍(適当に名付けられた一部将)」じゃないっぽい。

霍弋
参軍/庲降副弐都督
→護軍/庲降副弐都督/永昌太守を兼任
→永昌平定後、監軍/翊軍将軍、建寧太守を兼務
→還統南郡事(庲降都督になった?/閻宇が庲降から巴東都督に移ったのが259年頃?/その後任?)
→景耀六(263)年、安南将軍

ちなみに馬忠は安南将軍になる前は「監軍/奮威将軍」なので、
翊軍将軍も奮威将軍と同格ぐらいなんじゃないか?

127 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/01(水) 22:51:58
呉攻めを反対したから、劉備が皇帝になってもヨク軍将軍のままだったん?

128 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 00:34:08
漢中王になった時の昇進も不明だし、ただの記事の遺漏のような気もする。
あるいはズレ。

本伝だと
成都平定→翊軍将軍
漢中王→→…
皇帝即位→…
劉禅即位→中護軍/征南将軍/永昌亭侯
→→→→→鎮東将軍

ちなみに魏延は劉備即位即位時に鎮北将軍。
この時点で四鎮が置かれたなら、趙雲も同時に鎮東将軍じゃないのかなぁ?
四征と四鎮の関係って複雑なんだよね。
並置されないんだっけ?
よく分からん。

129 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 00:49:29
訂正。
四鎮は別に一緒に置かれるわけじゃないのかな?
ちょっとググってみたけど、自信ありげに解説してるわりにはサイトごとに見解がバラバラのような…

130 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 15:30:08
少なくとも、劉備からみて
関羽や張飛よりはいくらか格下、
ベッタリの身内というよりはやや外様、
というのが趙雲のポジションだったんだろう。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 16:24:51
なんで黄、魏より下なのかわからん

132 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 16:28:16
何かの資料で読んだ気がするんだが劉備の家族周りの世話をする役職をしていたんじゃなかったっけ
信頼できる人柄で単純に腕も立つ男だったのではなかろうか

133 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 16:44:49
>>131
それは劉備に聞いてくれw!
なんであの二人が趙雲を追い越して出世したのか?ってなwww!

例えば、漢中大守の役職は世人は張飛が起用されると予測して、魏延が抜擢されたからサプライズなわけだが、
このエピソードに趙雲はかすりもしていない。
なぜか?
劉備に聞いてくれw

134 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 18:53:56
>>132
そんな感じの役回りなのも知ってるが
腕も立つ国に貢献もしてる!…割には出世してないしなんかイマイチ
夏候惇だってそれなりの地位にあったよね?

135 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 21:52:20
>>133
あんまり出世させると、アゴでこき使えんからでは?

136 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:00:00
趙雲は小姓

137 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:05:26
いいように使われて可哀想だな趙雲

138 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:08:04
>>133
将軍や太守の位だけが出世ではないよ
主君の側で信頼されるというのもある種の出世だ

曹操の元での韓浩がちょうどそんな感じ

139 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:18:33
>>138
そんな処遇で文句言わないのは
欲がなくてで忠誠心厚いやつじゃないと無理だなw

140 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:40:02
決して出世が遅かったわけじゃなくて比較対象の関羽張飛馬超黄忠魏延が早すぎただけだと思うw

141 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:49:11
>>138
いや、普通は官位や役職で出世具合を見るだろw

身の回りの世話をするための、心をゆるせる奴隷とか、奥向きの用事を一任させられる官gunとかじゃ、一般には出世したって言えないだろよ。

…ま、官gunにも位階はあるんですがね。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:54:07
>>134
夏侯惇は「それなり」どころか最高位の大将軍なのでそもそも比べるほうがおかしいよ。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 23:15:58
関張はともかく
馬超より少し下、黄忠魏延よりやや上、同じくらいでも十分な気がする

144 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 23:19:20
>>141
いや、そもそも将軍位の格付けをハッキリさせなきゃ始まらないし、
職責も様々だから。
合肥の時、将軍の張楽李と護軍のセツ悌とどちらが格上だったかなんて問題もある。
糜竺や劉[王炎]みたいに、将軍位は高くても職責は怪しい者もいる。

あと趙雲が劉備の家族の世話役なんて話はない。
趙雲は荊南4郡平定時に偏将軍兼桂陽太守。
この時点で何人いるか。

145 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 23:22:17
>>133
漢中の戦いで魏や張に比べて大した活躍してないからでは?

146 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 23:57:11
そもそも張飛は、劉備軍で不動のナンバー2で、
荊州平定時に征虜将軍であり、趙雲より格上。
だから張飛と比べて「出世が遅い」と語るのは少し変。
黄忠や魏延の出世に関しては、荊州人士の重用の証にも思えるが、
益州攻めで劉備本軍として働き、間近で活躍したのもデカいだろう。
黄忠は劉表時代に中郎将、曹操(韓玄)時代に裨将軍、
益州平定時に討虜将軍だから、ここまでは趙雲と同格。
その後、夏侯淵を斬って征西将軍、漢中王時に後将軍とあるが、ちょっと疑問。
後将軍の前に征西将軍になってたら、その時点で関羽の嫉妬話が出てくるだろうし、
馬超を差し置いてというのが疑問。
魏延は益州侵攻時の手柄で牙門将軍になったとあるが、益州平定時のことかどうか疑問。
牙門将軍から督漢中なら無茶苦茶な出世だろう。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:01:23
http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1036220021/

こんなの見つけた

148 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:16:35
四方将軍(前後左右)任命時の「黄忠問題」だが、
じゃあ諸葛亮は黄忠の代わりに誰を任命すればいいと思ったんだろう?
魏延はやはり関羽が活躍を間近に見ていない上に、
黄忠よりキャリアも短いからまず無理だ。
だとすると、趙雲が候補だったのか。
それとも糜竺あたりを「飾り」でおくか?
あるいは空位?
でも四方将軍を初めて任命する時からして欠員がいるなんてあるのかなぁ?
やっぱり趙雲だったんじゃなかろうか。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:17:36
>>148
別に4人揃ってないといけないってものじゃないよ

150 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:22:57
>>144
家族の世話役ってか、孫夫人とかのお目付け役?みたいのやってなかったっけか?

151 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:36:56
>>149
そうなんだ。
じゃあ、将軍間の上下関係を考慮して後将軍は最初から欠員ってこともあったのかな。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:46:38
>>150
別伝によるとその時張飛も一緒に劉禅を奪還してるんで
この一件で趙雲だけを夫人の世話役と見ることはできないと思う

153 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 00:51:37
皇太子だった劉禅が趙雲の事を気に入っていて近くに起きたかったから劉備が出世させなかったんじゃないかな

んで劉禅が皇帝になって劉禅が周りに趙雲に依存していないって事を示す為に出世させたとか

154 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 01:21:46
晋以降、「翊軍」校尉が皇太子付きの武官の名称になっている件

155 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 06:41:04
どえらい大学の教授が「趙雲が助けた赤子は実は他人だった」説を唱えている。

156 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 12:57:09
劉備の目の黒いうちは日の目を見なかったとも言える

157 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 13:14:52
>>155
お前あっちこっちで見かけるけど何がしたいの?

158 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 13:20:11
>>154
晋書の職官志で検索してみたが引っ掛からなかった。
別のとこにある?

159 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 14:12:24
>>154
そもそも全然違う組織の全然違う官職じゃん。
「翊軍」校尉という書き方なら関連性がありそうに誘導できるけど、
翊軍「校尉」と翊軍「将軍」となるとどう見ても意味合いの異なる役職です。
営業課長と営業部長くらい違います。
本当にご苦労様でした。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 15:02:30
>>159
部長の乱発で課長の格が落ちてるから上げただけじゃないのか
どっちにしろ営業には関係ある職掌じゃん

161 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 22:16:02
翊=翼・羽

後に霍弋も任命されてるが、
その時は南の辺境・建寧太守で皇族の護衛とは無関係だな。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 22:30:19
翊軍校尉は晋の司馬炎が新設してるんだが、後継ぎを守った翊軍将軍趙雲にあやかって命名した可能性はあるかもよ

163 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 23:09:04
名前忘れたが、勇猛ぶりで趙雲に例えられた武将がいたくらいだから大したことあるだろう

164 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 23:23:40
文俶の話なら演義だよ

165 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 11:06:57
そうでないかもな。というかたぶんそれはない。

お前「翊軍」の意味を分かってないだろ。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 11:39:12
将軍号の話ですが、魏建国、蜀建国後はともかく、それ以前の後漢においては
将軍号は大将軍や四方将軍を除けば四征、四鎮将軍なども全て雑号将軍の一つ
でしかなかったと思います。

そういう意味では黄忠が征西将軍から漢中国の後将軍になったというのはある
意味では昇進、と言うことになるのでしょう。何気に気になったのだが趙雲は
劉備生存中は蜀漢の将軍号をもらっていない。のでは?

スライド式に移行させたってことなのかなあ・・・。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 11:55:25
演義が誇大広告ばりにひどく誇張されているだけで、
貶められるような内容の正史ではない。
何しろ「一応は」、関・張・馬・黄の前後左右将軍と同じ列伝に組み込まれているのだ。
「正史だとたいしたことがないってほんと?」というのがマジの問いならば、
答えは「当然No」だよ。

「雑号将軍なのだが、むしろ、雑号将軍でありながら、四大将軍と同列扱いされた」
というところに、趙雲の凄さを見るべき。
「雑号将軍だが実は別の意味があった」、などとファン補正でこじつけるのは、
まあ、勝手といっちゃ勝手ではあるが、言わせてもらえば、
璧(たま)を飾ろうとして却って璧そのものに疵をつけることにしかならん。

なかなか高位に出世できなかったのには、同時代人にすれば明白な理由があったはずだ。
何も欠点がないのに出世しないなんて、上役の目が節穴でなければありえない。特に慢性的な人材不足の蜀においては。
それでも出世できなかった理由が、史書のネタとしておいしいモノ(関羽の不遜や超飛の虐待癖みたいな)ではなかったのだろう。
人物的な欠点があれば、そこは絶対史書ではイジられるはずなので、趙雲の問題は人間性ではなく、単純に能力・適性にあったのだと思われる。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 17:51:47
>166
建て前では正式でなくとも、現実には征西将軍とか伏波将軍とかには威名はあった。
馬超は曹操に対して軍を興した時に征西将軍を名乗った。
不思議なのは、漢中王推薦の時に馬超は平西将軍で黄忠が征西将軍だという点。
いくら征西将軍の夏侯淵を斬ったとは言え、位階が飛び抜けて高い。
あと趙雲に関しては、劉備の代には後漢も漢中国もないので、当然新たな将軍位をもらってるはず。
他伝や上表文には見えるのに、本伝ではその将軍位を授かったことが抜けてるなんて、ままある。

>>167
そもそも雑号将軍が舐められすぎてる。

169 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 18:21:36
>他伝や上表文には見えるのに、本伝ではその将軍位を授かったことが抜けてるなんて、ままある。

それは、ほかの伝や上表にあれば言えることだが、
あるのw?

170 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 18:31:44
姜維とかそうだったと思うが。
何がおかしいんだい?

171 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 19:31:39
たぶん、
そういう上表や記述もないのに「新たな将軍位をもらってるはず」と史書の記述漏れのせいにしているのが滑稽だ
と言いたかったんだろう

172 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 20:07:13
趙雲の劉備即位後の官職が不明なのは事実だから笑うのは変だろう。

173 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 20:10:42
だから単純に変わってないと見る方が自然でしょ
わざわざ記事の遺漏を疑うよりは

174 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 20:45:05
少なくとも後漢の翊軍将軍から蜀漢の翊軍将軍には変わっている。


175 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 21:25:45
趙雲は五虎で一番活躍したのに一番官位が低かった。
それは官位インフレで悩む蜀が、是正を図るために、
諸葛亮が趙雲にお願いして低い官位のままでいるよう催促した。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 22:05:08
たとえば、同じ口説き文句なら、
「君こそがこの世で最も美しく知性にあふれ富も権力も交渉能力もすべて最高だ」
というより、
「ありのままの君がいい」
というほうがよほどまっとうだと感じないか?。

ありのままの趙雲を愛してあげようよ。
誇張した武功や誇張した官位のイメージを架空の趙雲像に押し付けるんじゃなくてさ。

ここで言われているのは、正史の趙雲はどうだったのかであって、
正史の実像を、無理やり後世のイメージにすり合わせようとするのは、おかしいと思うんだ。

177 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 23:08:12
そもそも、ありのままの趙雲像というものは現世の人間はわからない。
まして改ざん当たり前の中華の歴史書がいかほど信頼に値するものか?

もしかしたら趙雲と同等評価の陳到の方が、趙雲より名将かもしれないが、
それを証明する手立てはない。

ならば我々はその故人に対し様々なイメージを抱かざるおえないのは必然であり、
ありのままを愛するなんてことは到底できない。
ありのままというのは「その本人にとって都合のよいイメージに過ぎない」からである。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 23:29:29
ある程度のイメージは必要だけど、時と場合によって現実からかけ離れた
オレイメージの趙雲になっちゃうことがあるから注意しないといけんよ。

例えば翊軍将軍自体は品官の低い将軍号になるけど、敢えてそこにしたのか
それに何らかの意図があったのか、と言う辺りを推測してる間はいいけど、
本伝には抜けてるだけで別に将軍号をもらってるはず、と言うのは飛躍しすぎ
そもそも将軍号の差は直接本人の実力に直結するものでもないしね。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 23:36:52
>>178
だ〜か〜ら〜
その"現実なるもの"が証明できない以上、かけ離れたイメージというのも、
またイメージの拡大解釈に過ぎないんだよ。
もしかしたら、メタボっぱらの醜い男かもしれないだろうが、
そう思って”然り”と納得するのはイメージを抱く本人が承認するか否かであろう。

フィクションをフィクションとして趙雲なる共同幻想を多くの人間が共有し、
その共有した幻想というものをある程度承認することでしか、趙雲を定義できなんよ。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 01:10:40
やたら熱く語りあってんな

181 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 02:10:45
正史と演義で人物像に大きなぶれが無い様なので結構だと思ってますん

182 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 03:40:27
>>177
>趙雲と同等評価の陳到
その言い方は不正確。同等ではない。
そして、確認できる事績も違う。

>>178
>翊軍将軍自体は品官の低い将軍号になるけど
この前提がおかしいだろ。
四方将軍以外で、翊軍将軍より上位だと言える将軍は当時誰がいたか。

>本伝には抜けてるだけで別に将軍号をもらってるはず、と言うのは飛躍しすぎ
別にそんなことはないだろ。
俺は、「統時選士」とあるから中領軍を兼任していたと思ってるが。


183 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 08:28:47
>>177
ときに、最近「〜を得ない」を「〜おえない」と書く人を何故か頻繁に、
このスレに限らず見るんだが、新しい2ch語かなにかなの?

184 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 10:54:52
日本語が不自由なのか
日本語が自由なのか

時に、
史書の記述漏れで、実は趙雲は当時最高の詩人だ
と言ってる腐女子がいるんだが、
どうよ?

185 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 11:50:53
まともに反論出来ないから、皮肉に逃げたか

186 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 13:57:41
>>182
違うでしょ、翊軍将軍自体は5品と雑号将軍号の中でも下層に位置することは
間違いない。問題なのはそこじゃない。何故、翊軍将軍のような位置にい続け
るのかが問題なのであって、だから趙雲は評価が低いんだ、と言う話にはなら
んでしょ。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 14:09:59
翊軍将軍が五品って根拠は何?

188 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 14:25:57
>>186
5品などと当時存在しなかったものを平然と持ち出してきては全く説得力なくなるよ

189 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 17:12:21
>>184
なにゆえそんなことを?詩人?

190 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/05(日) 19:47:52
>>188
蜀漢の官位を九品官人法で解釈しようとするのは危険だよな。

191 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 01:34:11
確かに翊軍将軍が5品てのは魏においての扱いだけど、上の方でも書かれてる
通り、同じ雑号将軍でも威名に差があるのは当然であって、ある程度の序列と
言うのはできているでしょう。

それを無視するのも危険だと思いますが。

それに少なくとも益州平定時は関羽や張飛と言った面々も同じぐらいの格の
雑号将軍でしかない(まぁ他におまけがついていますが)。そういう意味では
極端に趙雲のみ低いと言う訳でもないでしょう。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 07:14:08
>>191
「魏においての扱い」ですらないから危険なんだよ
実際のところ、官品が確実に分かるのは「宋書」(南斉の成立)が最初で、魏の官品とされているものもそれが基本になっている
魏や晋のものを正確に反映している保証なんか無いんだ
まして、それ以前の将軍位では四征将軍と前後左右の順番のように、時代と国によって入れ替わっていたりするものもあるんだから、「ある程度の序列」すら怪しまなければならないよ
例えば三公と雑号将軍の差を見るなら言うとおり参考に出来るかもしれないが、雑号将軍内の順番まで見ようとするのはかなり危険だと考えた方がいいと思う

193 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 07:25:30
『隋書』に見える北斉官制なんかでは、翊軍将軍は四征、四鎮、中軍、鎮軍、撫軍、翊軍、四安、冠軍、輔国という順番で並んでいるので、将軍位の序列で言うとむしろ高い


194 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 10:36:09
時代や王朝が違えば同じ名称の官位でも内実は同一ではない。

隋書の記述をそのまま当てはめることには意味がない。

「ヨソはヨソ!ウチはウチ!」である。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 11:04:24
趙雲の凄さを官位に頼るのか?
翊軍将軍の地位うんぬんは、激しく枝葉な気がする。

将軍位としては高くはないだろう。
少なくとも、前将軍や左将軍と同格ではあるまい。
だが、それがどうした?
「にもかかわらず、関羽や張飛らと同じ列伝にある」
これが陳寿の評価だ。
しかも、関羽や張飛がどちらかというとダメダメ感漂う記述で、黄忠に至ってはほとんど何も記されていないに等しいのに対して、
趙雲の列伝は、あまりに簡潔に過ぎるとは言え、長坂・入蜀・北伐の功に言及し
(演義ほどには人外ではないが、それ故に信用にたる)、
関羽張飛のような人格破綻者とはされていない。
(単に関羽張飛が酷かっただけな気もするが)

それで十分だろ。
このスレの趙雲は「正史の」趙雲なんだからな。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 12:13:51
同じ課長で基本給も同じだとしても秘書課や人事課の課長と庶務二課長では意味合いがぜんぜん違ってくるからな
前者なら部長や支店長クラスだって一目置く存在だし、後者は猫にもなめられる

197 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 18:25:22
趙雲のすごさはみんなわかってる
位だけで、何だ大したことないのかなん言い出す奴はうんこ

198 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 22:57:33
趙雲には寄るべき派閥が始めからなかったから。
強いて言うなら劉備古参の一派であると。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 03:04:02
どんな派閥よりも強力なコネっぽいが

200 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 10:56:04
派閥以前の付き合い…だが、関羽張飛ほど親密ではない。
おそらくノン気だったのだろう。…冗談だ。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 11:10:26
演義のような派手さを求めれば、大したことない、といえなくもないが、
そもそも中世近世の庶民向けの講談(つまるところB級映画レベルの活劇)そのままのイメージと比較するのが大間違い。
そしてそのイメージの乖離は陳寿の責任ではないし、ましてや趙雲@地味が非難されるいわれはない。

ようは、史書と創作の区別をつけない厨や腐女子が勝手にギャップがあるといって騒ぎ、「オレ設定趙雲」に史書の裏付けをとろうとして徒労を重ねているだけのことよ。

202 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 13:26:40
覇の趙雲を喜ぶべきか、悲しぶべきか、オカズにするべきか

203 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 23:22:28
趙雲の空城の計はフィクション?

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 23:33:53
個人的には、正史における趙雲の魅力がわからないのは非常にもったいないと思うんだけど。
蜀帝八剣や、出会い〜別れ〜袁紹の下での再会〜長坂で「我を捨てて走らず」の流れは、趙雲に興味がない俺でも好きな話だ。

また、虎豹騎含む精鋭五千騎から夫人と乳児を守る長坂の戦いだって、雑軍100万を駆け抜けるより凄い。
見た目の派手さはなくとも、ヘンな文武両道っぽさはなくとも、イケメンっぽいカッコ良さはなくとも、実質的には演義以上に強さを感じる趙雲は、十二分に魅力的だと思う。


205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 23:45:38
>>203
趙雲別伝に記述がある。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/07(火) 23:48:50
俺は盲目的な趙雲厨だが此処の討論は面白い
変に感情的に成らないで続けて欲しい

207 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 00:12:03
>>203
空城刑は『趙雲別伝』の記述のはず。
したがって、趙雲別伝を信用するなら事実ということになるが、
この『趙雲別伝』自体が曲者。
他の史料には登場しない武将が出てくるし、タイトルの通りの趙雲本なので、史料として疑問視する学者もいる。

以下の4つの態度があると思う。
@全面的に信用
A大嘘はないがやや不正確な史料としておおむね信用
B基本的に偽書(あるいはマンセー本)だが、
何らかの元ネタはあったかもしれないので、鵜呑みにはできないが、参考程度に紹介・引用はする。
C全く信用ができない。論ずるに及ばない。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 00:56:47
>>206
趙雲厨なら何か話はないのか

209 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 01:29:06
>>207
>他の史料には登場しない武将が出てくるし
いや〜、それを言ったら正史の列伝だって怪しくなっちゃうよ。
>タイトルの通りの趙雲本
それを言ったら「別伝」自体が怪しくなっちゃうよ。
別伝だからじゃなくて内容で判断すべき。
それに別伝ではない、ウソを書く謂れのない史書だって往々にして捏造を行うわけで、
別伝だけを槍玉にあげるのは無理がある。

態度としては、「他の史料と齟齬がない範囲の情報は信用する」があるだろう。
別伝だから、じゃなくてあくまでも内容が問題だ。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 08:44:09
空城の計(笑)
夏侯蘭(笑)
張著 (笑)
虎威将軍(笑)

211 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 09:38:52
趙雲別伝にしか記述がない
というのがミソだな。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 10:10:50
いくら力説してもムダだよ
頭ごなしの否定と検証の違いなんて鵜呑みするガキにはわからないんだから

213 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 13:23:33
内容を問題にする云々以前に、史料の性質を検討することが大前提です。
それなしに内容に踏み込んでしまうと、まず「全ての記述は真である」ことを
承認して読み進めなければならなくなるから。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 14:53:40
それじゃ史料の性質を検討してみておくれ。
趙雲別伝だから趙雲を持ち上げたい人間が好き勝手に捏造したに決まってる!ですか?

215 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 15:22:10
>>214
感情的に成らないで!!

216 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 17:05:57
趙雲別伝については
清代には史料価値を疑問視する説がでている

反面、北宋期に成立した資治通鑑には、一部のエピソードについては趙雲別伝の説を紹介している
(ただしこれも、全記述を全面的に認めているわけではない)

斐松之は趙雲別伝の記述を、注釈として引用しているが、
これも記述の当否について言及していない。
(斐松之のこの態度は、なにも趙雲別伝に対して特にそうだというわけではなく、
「献帝春秋」や「江表伝」などの他の史料に対しても同様で、
史料間の矛盾についても、各史料の記述を一通り紹介し、
判断は後世の読者に委ねている。)


ただ、個人をさす呼称をタイトルに冠した書は、
「諸葛亮集」「曹瞞伝」「山陽公戴記」などがあるが、いずれも当時の中華世界のフィクサーであり時代を代表する人物だ。
一武将の、それも活躍と功績のみを礼讃した書、となると、「趙雲別伝」以外に類をみない。
このことをどう見なすかだ。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 17:10:52
>>214
そういう態度は、とても、とても、ガキ臭く見えるので、
やめたほうがいいよ
なにをいわれているかわからないようなら
自分を見つめなおしたほうがいいよ?


218 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 19:36:28
宥めてんだか煽ってんだか

219 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 21:46:32
>>216
ちくま8巻の目録を見る限り、個人の別伝はいっぱいあるようだが。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 21:56:02
孫資別伝とか有名

221 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 22:55:03
まあ、みんな趙雲が好きだということで

222 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/08(水) 23:09:03
俺は嫌いだな

223 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 02:04:41
おちょくってるんだろう
黙らせればよし
乗ってきてもよし

224 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 07:30:01
賈ク伝で、荀勗別伝の荀勗の個人的感想持ち出してまで賈ク叩いてたのは吹いたが。
裴注は人によって好き嫌いありすぎ。

225 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 07:40:56
ハイショウシは良くも悪くも三戦向きの人材だと思うw

226 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 09:25:27
陳寿の省いた記述を補足しつつ、
自説の反対意見についても、批判しつつも、紹介しているのは
かなりGJだろ

227 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 10:59:52
>>226
エゴなとこあるけどかなり公正な人って印象よな

228 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 13:45:58
子竜(笑)

229 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 14:11:59
陳寿と斐松之に史家の良心と誠意を見た

230 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 00:55:08
関羽・・・願良、文醜を切って曹操の中原平定に貢献
馬超・・・劉備配下になっただけで劉樟を降伏させ蜀平定に貢献
黄忠・・・夏候淵を切って漢中平定に貢献

趙雲はこの何もしてない。この3人にはかなわない

231 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 00:57:16
関羽≒馬超>黄忠>張飛>趙雲

5虎将の実績はこんなもんだろ

232 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 01:01:25
>>231
異様に張飛の功績低くないか?

233 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 01:35:50
俺は
張飛>黄忠=馬超>趙雲>関羽だと思う


234 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 02:15:01
>>230は何をみてこんなことを言っているのか誰かわかる人いる?

235 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 02:16:29
文醜斬ったって言ってるし演技じゃないか

236 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 02:21:53
>>231
さすがに張飛と黄忠は逆じゃないか?
黄忠の夏候淵撃破ってほとんど棚ボタだろうし

237 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 02:35:30
プラス:関羽=張飛>黄忠>馬超>趙雲
マイナス:趙雲=馬超=黄忠<関羽=張飛
トータル:関羽=張飛=馬超>黄忠>趙雲

>>233
関羽が荊州失陥で最下位なのは理解出来るが
張飛の徐州失陥をカウントしてないだろそれ

238 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 03:03:15
>>237張飛は徐州失陥があるとはいえ長坂では二十騎の部下たちとともに
川を背にして曹操軍を大喝して敵に伏兵があると思わせたこと。
劉璋軍との戦いに勝利したこと。
巴東・巴西の住民を移動していたとはいえ張郃を撃破をしたことで
その位置にしました。
あくまでも自分の評価ですので参考になされずに


239 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 03:27:03
>>238
大喝は橋を落としてからじゃなかった?
落としてからなら川を背にしてではなく川を挟んでの布陣だと思うけど

240 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 03:45:20
蜀将としての馬超は劉璋を名前だけで降伏させ
曹洪、曹休に張飛ともども凹られただけだな

黄忠は淵を斬っただけの一発屋に見える
趙雲は目立った失敗も成功もない微妙な戦績

関羽、張飛はその逆だが致命的な失敗が
若気の至りでごまかせる分だけ張飛が上かな

241 :.:2009/04/10(金) 12:17:23
黄忠は蜀制圧の時点で卑将軍から趙雲と同格まで昇進してるんだから、
一発屋ってこたねーだろ

242 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 12:31:32
というか正史張飛は徐州失陥なんてしてないし
ほとんどの戦で勝利 特に対名将張コウ戦でも勝ったというのは高評価
更に のちに江州一帯を治めたってことはあの地の位置で考えると
ただの戦バカではなく政治的能力 兵站運用の理解もあったってこと

それと関羽のケイ州失陥は確かに彼の責任はあるにせよ
魏 呉の名将たちがあの一帯にまとまってるのを一人で相手しなきゃならなかったことを考えると
あれだけ魏に打撃を与えたのは凄い

243 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 13:02:32
それは凄いってより無謀と言うんじゃないの?

244 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 13:41:46
正史張飛は徐州失落してるべ

245 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 14:06:08
最優先事項は荊州の墨守であって、
いかに戦果をあげても荊州を失陥しては何ら価値がない。
そう、まったく価値がない。(大切なので繰り返しました)
呉の侵攻の可能性とリスクを過小評価して軍を動かしたこと自体が判断ミス。
陳寿の評価もむべなるかな。

張飛は、あの末路さえなければ、巷説の評価もまったく違っていただろう。
車騎将軍という高位につく際に異見がでた様子もなく、
下馬評では漢中大守候補の筆頭であったことからも、
張飛の将軍としての当時の評価が非常に高かったことがうかがえる。
現代に広まっているバーサーカー的な張飛像とは実際は案外遠かった「かも」しれない。

246 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 14:16:30
関張の人間性に問題があったのは、陳寿だけじゃなく楊戯も指摘してるな

247 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 14:19:38
>>243
張飛が下ヒの相曹豹との仲たがいが原因で
呂布に城を奪われた記述は正史にもある

248 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 14:25:59
間違えた、>>242あてです

249 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 14:59:34
>というか正史張飛は徐州失陥なんてしてないし
>というか正史張飛は徐州失陥なんてしてないし
>というか正史張飛は徐州失陥なんてしてないし
>というか正史張飛は徐州失陥なんてしてないし

正史既読詐称乙

250 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 15:23:52
張飛は
曹操を度胸とハッタリで斥けた万人之敵
夏侯淵の姪を誘拐して結婚するロリコン
部下を微罪で打ち殺すサディスト
劉巴に交際を求めてふられる兵子
娘が二人とも劉禅の嫁になってるから、イケメン「かも」

バーサーカーというとむしろ馬超だな
何が彼をあそこまで駆り立てたんだろう

251 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 16:18:29
>>250
それこそ蒼天の馬超みたいな感じだったのかね
なんか突き抜けちゃった左翼ゲリラみたいな感じ

252 :233:2009/04/10(金) 19:34:40
いろいろ返答ありがとうございます。
個人的に荊州陥落は関羽の性格が一番の原因だと思います。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 21:32:13
でも油断しなかったらしなかったで、荊州守れたと思うか?

254 :.:2009/04/10(金) 21:58:53
魏は内乱やら曹操の健康やら大変で攻めて来る余裕なんか全くなかったんだし、
呉は単独なら攻めてこないんじゃね、余計なことしなきゃ守りきれたろ
まぁ北上が本国の指示なら関羽の責任じゃねーが

255 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 00:01:54
正史を知らん俺に趙雲の功績を教えてくれ

256 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 11:35:18
武勇面以外は割と演義とかぶる所があるな
劉備が切れて呉に攻め込もうとした時に諌めたりとか

257 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 11:45:46
>>253
蜀呉同盟堅守で、荊州攻略は成ったと思う。

258 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 11:54:19
>>253
油断してるわけじゃないんだがな

259 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 12:11:43
関羽の言いつけをきっちり守れるような将が後ろを固めてたら
魏はとんでもない被害を蒙ってたかもな

本当に惜しい場面だった、蜀オタとしては

260 :233:2009/04/11(土) 12:58:57

>>259後ろにいた糜芳と士仁も凡将ではないと思います。
それに関羽の言いつけをきっちり守れるといっても
関羽は傲慢な性格でかなり無茶苦茶なことをいったりしてると思います。関羽は糜芳、士仁と仲が悪かったみたいですし
魏はとんでもない被害を蒙ってたというのはどうでしょうかね。徐晃が樊城を包囲する関羽の軍勢を撃退してますから

261 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 13:01:31
関羽は部下は可愛がったが目上の人間(劉備以外)には楯突いたようだね
古参を置かずに要所を固めてたほうがよかったのか

262 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 13:18:50
滎陽の紀信、周苛、樅公、韓王信
河内の寇恂、馮異

鄄、范、東阿の荀ケ、程c、夏侯惇
合肥の張遼、楽進、李典

下邳の張飛、曹豹
江陵、公安の関羽、糜芳、士仁

これ見ると蜀が統一出来ないのは当然だな。
国力でも立伝されてる人数でも魏>蜀。
にもかかわらず、なぜ215〜219年にかなり一方的に押されてたのだろう、と思う
対呉にほとんど戦力を割いてたからだろうか?

263 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 13:27:20
>>262
戦線をたくさん抱えていたから

264 :.:2009/04/11(土) 13:33:05
>>262
内乱と曹操の健康状態だろ
漢中なんか曹操がさっさと長安から動いて合流してれば奪われる余地なかったんだから

まぁ維持するのは大変だったと思うがな

265 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 14:30:23
趙雲って語られる事もない程度の人物のようですね

266 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 14:40:52
>>262
賈ク「うちの群臣には劉備にかなう者はいません」
曹操>劉備>曹操の部下

あと、立伝されてる人間の数って…
蜀には史官がいなかったし、国土が小さければ当然人材も限られるさ。
あと、劉備は荊州牧になるまでは放浪状態なんだから、部下も活躍できないわな。

267 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 15:38:52
>>266
>賈ク「うちの群臣には劉備にかなう者はいません」
これ?
 呉、蜀雖蕞爾小国、依阻山水、劉備有雄才、諸葛亮善治国、
 孫権識虚実、陸議見兵勢、拠険守要、汎舟江湖、皆難卒謀也。
 用兵之道、先勝後戦、量敵論将、故挙無遺策。
 臣密料群臣、無備、権対、雖以天威臨之、未見万全之勢也。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 16:48:43
>>262
やはり将器では一部の蜀将の方が一枚上手だったのかもな。
漢中では曹操軍に完勝の劉備軍。
荊州の関羽打倒に曹仁、徐晃、于禁、ホウ徳、呂蒙、陸遜と
錚々たる1流武将をつぎ込んでようやく撃破。

五虎大将の中では特に関羽、張飛、馬超あたりは
魏呉の一線級大将より頭一個抜きん出たものがあったと予想。

269 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 16:57:26
三国志と言いつつも三国すべて出揃って戦うのは
正史では荊州争奪戦のみなんだよな。

270 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 17:12:04
>>268
>漢中では曹操軍に完勝の劉備軍。

曹洪、曹休に呉蘭雷銅は殺され、張飛馬超逃げてるから、
それはどうだろうか
合肥濡須ほどではないだろうが血で血を洗う死闘だったように思う

あと曹操も劉備も孫権も地元の反乱に大分手を焼いてる
諸事情を無視して全力で敵を殺しにいくと関羽のようになってしまう
もし魏諷の乱が臆病者のタレコミで失敗しなければアンパイの河北も大混乱だろうな
曹操期の魏は赤壁以後は不穏すぎる
デカくなりすぎて曹操でも対処出来てない

271 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 17:18:00
徐州での大虐殺なんかで民に大幅な
マイナスイメージを与えたのもキツかったのかもな。
赤壁以後の曹操は名士からのウケもひょっとしてそんなんでもなかったのかな?

272 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 17:25:08
孔融を斬った曹操、張昭を敬遠した若孫権

両者のバランス感覚の明確な差が見える

273 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 18:09:44
バランス感覚というか、孫権が張昭斬れるわけないだろ。
ありゃ伯父みたいなもんだ。

274 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 18:19:42
孫策が皇帝なら丞相張昭、大司馬大将軍周ユだろうか

275 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 18:34:45
>>272
曹操にしてみたら孔融は排除するしかない
後漢閥から完全な曹氏政権に移行するために

だれも意味のない粛清なんかやらん

276 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 18:40:48
>>272
張昭は口うるさいばかりじゃなくて赤壁の時に降伏を唱えてたようなヤツだからしょうがないっしょ

277 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:12:22
降伏を唱えなかったのは重臣では周瑜・魯粛だけだろ。

孫策皇帝なら侍中・虞翻かな?

278 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:14:27
むしろ虞翻はころされてそうな気がする

279 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:15:52
>>273
でも、屋敷に火をつけた事件とかもなかったか?
最悪の場合になってたらシャレにならなかったなw

280 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:18:25
虞翻は孫権のなにが気に食わなかったんだろうな
孫策の時は重用してもらえたけど孫権時代でもそんな悪い扱いじゃなかっただろうに
舐められてたのか?

281 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:20:57
本人が偏屈だっただけで、別に孫権を嫌ってたわけじゃないでしょ

282 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:22:02
>>281
けど孫策の時と明らかに態度が違うように思う
それは張昭にも言えたことだけどさ

283 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 20:00:33
孫権が宴会好きなのがいけない。


284 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 12:13:36
>>268
蜀将のが癖が強くて将器が上、とはいえんよ。関羽は楽進にもやられているし、馬超
も張コウに追い払われている。ケイ州は関羽一人で守っていたわけではないし、戦線
に武将を集中投入させるのは曹操が何時もやってることであって、関羽相手だから、
と言う訳ではない。

むしろ係争の地であるにもかかわらず人材を注入できなかった蜀側が遅れをとってた
と言うだけの話。

五分ぐらいが妥当だと思いますね。

285 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 12:19:02
ただ劉備 関羽 張飛の敵国評価ってやたら高いよね
劉備自身は当時貴重な騎兵を操れる男だったからってのもあるだろうけど
関 張は実際でも目立つほど武術にも優れてたのかも知れないな

286 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 12:37:11
>>284
>後從平荊州,留屯襄陽,擊關羽、蘇非等,皆走之,南郡諸郡山谷蠻夷詣進降。

これって207年かそこらの話だろ
ろくに抵抗もせずに逃げてるだけに見えるが
戦線に集中投入を何時もやってるのは事実だが、
孫権に土地と官爵をくれてやる代わりに背後をつかせるなんてのはなかったような
関羽を撃ちに行った曹仁が侯音の乱のあと、
何時の間にか囲まれてるのは野戦であっさり負けたんだろう、と解釈するのが自然
馬超もトウ関以後はいいとこなしだが、曹操を殺しかけるようなやつは五将にはいない

関張馬と騎兵以外の兵は魏より確実に上だろう。
蜀将全体で見ると五分以下だろうが

287 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 13:45:06
曹操殺しかけたってたまたま遭遇戦で不意をつけただけだろーが
後日改めて戦ったらあっけなく負けた

288 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 13:52:20
>>286
結局は寡兵で籠城してた曹仁を抜けなかったという事実があるわけで、それだけじゃ確実に上とは言えん
野戦であっさり勝ったという説も検証の余地がある

北方出身者の多い魏の将兵は湿地や支流の入り組む水田地帯の多い荊州北部のようなところでは戦うのに向いていないという要素もあるし

289 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 15:42:33
関羽の出身地は荊州ではないが。
曹仁を追い込むまで、呂蒙が療養で引くまで荊州には兵が残ってたし
215年の3万から領土が減ったのに兵が増えたとも思えない

羽乘船臨城,圍數重,外内斷絶,糧食欲盡,救兵不至。

中央政権第一の指揮官を↑まで追い詰めた事実もあるな
事がならなかったの天命というよりは関羽の人間性の問題だろうが
それは別に兵之将としては関係がないだろう

290 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 16:43:50
関羽は所詮斬首された雑魚

291 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 16:45:58
曹操は所詮病死した雑魚

292 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 16:48:40
正史でも演義でも、戦略、戦術面共に過大評価されすぎの曹操タン
張飛、馬超相手に逃げる逃げるw


293 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 16:50:54
>>289
関羽が率いてたのは荊州出身の兵だろーが

294 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 17:07:10
そもそも荊州北部を湿地やら水田地帯とし、北方をそうでないとするのは如何なものか

295 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 17:16:40
南船北馬の言葉通りだろ。
関羽と曹仁の戦っていたあたりは漢水から流れる支流の入り組むところ。
あと単純に土地勘のある方が戦うには有利。

296 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 17:18:45
>>294
それいったらそもそも野戦で圧倒したという推定も早計なのではなかろーか

297 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 18:23:33
関羽の場合、徐晃には有無をいわさずやられてるしなあ。だいたい楽進との戦
を言い訳にするなら、張コウだって住民移住が目的なのだから、兵を分散して
その処理に当たってただろうしね。しかもそちらの目的自体は達成している。

本陣が相当兵が少なかった状態で40日以上対陣を続けてた、と考えれば評価
に値する。何より夏侯淵戦死後の漢中軍をまとめ、混乱状態から蜀軍とこう着
状態に持ち込んだ、と言う実績もある。

それに関羽の場合、呉と争った時に対岸に甘寧がいたため渡河をためらったり
もしている。

荊州攻防も当初は于禁と曹仁で充分と踏んでいたのが、予想外の天災で于禁が
降伏しちゃったから徐項を追加しただけであり、まとめて投入、と言う訳でも
ないしなあ・・・。曹仁はそもそもが城の守備担当だったからってだけでしょ。
関羽がもし野戦で大破してるなら記述されるはずよ、少なくとも蜀側に。

普通に偏見無く見れば五将軍同士でも五分ぐらいだべ。

298 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 18:39:49
>>295
エン州だって河多いけどな。
南船の南って長江のことだろうし。
土地勘もなにも、情報収集能力じゃん。
曹魏にも荊州出身者はうじゃうじゃいる。
曹仁らの士官にもいっぱいいたろう。

299 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 18:58:26
関羽の目的は江陵なり夏口への撤退だろう。
それを達成してるのは実績としてカウントせず、言い訳とは流石におかしいぞ
また徐商、呂建、殷署、朱蓋と十二営の増援を曹操から受けれた徐晃と
劉封、孟達に援軍を断られた関羽とでは条件が違いすぎる
勝てる勝負に勝ったのは評価すべきだが
関羽相手に何時でも勝てるなら来た時点でさっさと突っ込んでるだろう

また張飛も巴土獲安という目的を達成している。
そっから漢中戦、夏侯淵戦死の苦杯につながる訳で
夏侯淵が馬鹿だったと曹操は言ってるが
俺には張コウが足を引っ張ってたように読めるんだが

300 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 19:08:35
>>299張郃は夏侯淵の足を引っ張ってないだろ

301 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 19:19:44
すげぇや腐れ儒者ってのはこんな問答して遊んでたんだろうな

302 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 19:38:15
目的を達成しているというなら曹仁だって自城守備という目的を達成している

303 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 19:39:15
まぁここに集まってるのは儒者じゃねえけどな

304 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 19:45:28
趙雲は近衛兵の隊長だったわけだが役回り的に
関羽、張飛より強かった可能性もあるという事を
誰もがスルーしてるのはどうか?

張飛の方が本来なら近衛に最適じゃないか?

305 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 20:00:37
だからそれを実績にしちゃうんなら、張コウのもただの敗北じゃないってことよ。

徐晃の場合、元々于禁が降伏したことで急遽あてがわれたのだから兵力が心許無い
状況だったから仕方ないでしょう。そういうことを無視して突っ込むのは匹夫の勇
でしかない。

この時は包囲陣の中にも突き進んで敵を蹴散らし、とあるから兵力的には増援が着て
もまだ関羽に対抗できるほどでもなかった可能性もある。援軍云々言うならそういう
状況も無視しちゃいかんよ。しかも関羽は呂蒙が病気で退いてから兵力を北方へ集中
させている訳だしね。

張コウ自身は一度劉備自身の攻撃も防いでいるし、実際その後も破られた形跡は
見られん。むしろ蜀側の情報に夏侯淵が踊らされたようにも見える。足を引っ張った
と言うのは少々言いすぎなんじゃないかな。

それに張コウ自身、劉備に一番の大物、と言われているし、後も諸葛亮以下全てが
畏れた、と言う評価もある。これなどや張遼の遼来々などは関羽や張飛の兵一万に
匹敵する、にも並ぶ最上級の評価だと思うけどね。

306 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 20:23:42
趙雲の話は?

307 :.:2009/04/12(日) 20:34:54
魏延が晩節を汚さなきゃ趙雲のかわりに魏延だっただろうなとしか語りようが無いわ
つーかなんで他4人と趙雲を一緒の伝にしたかわけわからね
追贈も一人だけ遅かったんだよな

308 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 20:36:53
張コウが劉備に敗北し、そのために夏侯淵が自分の兵を半分救援にやって
手薄になったところを黄忠に襲撃された話は夏侯淵伝に記述がある。

まあそれまでの功績もあるし足を引っ張ったというのは言いすぎかもしれんが
責任の一端はあるだろう、その後の混乱をよくまとめたせいか問題にはならなかったが

309 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 21:22:10
兵力が心もとなかった徐晃と
食糧も兵力も心もとなかった関羽の戦いですね
わかります

310 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 21:29:04
心もとないというなら
食糧も兵も心もとないのに北上した関羽の責任じゃねーの

311 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 21:32:48
>>309食糧も兵力も心もとなかったのは関羽の責任だろ

312 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 22:06:15
魏も魏諷の乱、侯音の乱次第でどう転ぶか分からなかったが
結果オーライということで

313 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 22:42:46
>>312
予期してたから迅速に対応できたという説は?

314 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 22:59:25
そこまで予期できれば関羽相手にあそこまで苦戦することもなかったろう

315 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 23:06:01
ところで趙雲の話はまだですか?

316 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 23:08:08
関羽の補佐に趙雲をつければよかった

317 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 23:12:46
堅実なイメージがあるから守りは上手そうだな

318 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 00:39:17
張コウが負けそうになって兵を割いてってのは夏侯淵伝にしか記述がないんだよねぇ。
他の人の伝を読むとあくまでも夏侯淵自身の問題でやられてるように見える。

兵一万で攻めても張コウに撃退された、とありその後諸葛亮達に更に兵員を補充する
よう依頼した、とあるからもし張コウが負けそうになってたとするならいったいどれ
だけの兵で攻撃しようとしてたのか、ってとこも気になりますな。

趙雲の漢中攻防時の活躍ってドノ程度までが真なんだろうねぇ、ウチはその後の昇進
も特に無かった点から少し眉唾かなぁ、と思ってるクチだけど。

319 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 03:50:39
漢中戦の活躍って
・数十騎で曹操の本隊に突撃をかけて戦いつつ退き曹操の軍は敗北した
・馬を馳せてふたたび敵陣に突入し張著を助け出した
・追撃してきた曹操を空城の計で大いに打ち破った

これか、この辺の活躍は別伝の他の記述を比べても派手だな

320 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 07:34:57
>>313
魏を過大評価しすぎだ馬鹿
魏厨は氏ね

321 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 12:23:59
>>319
長坂の件も考えると
凄まじく腕が立って なおかつ忠義の士で死も恐れないって感じかな
多少誇張はあるのかも知れないけれど
単純に武器もたせたら敵無しの旧時代的な人間だったのかもね

322 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 12:31:18
>>313
予期してたんだったら侯音の反乱は未然に防がなきゃダメだなぁ

あれのせいで曹仁と曹操による蜀への二方面侵攻が完全に失敗しちゃってる
曹操が長安へ行きつつ、同時期に曹仁が関羽討伐のために荊州入りしてるのに
侯音の乱で曹仁は1年弱足止め食らった
その間に劉備は曹操を追い返し、漢水沿いの城を押さえて今度は曹仁が南鄭、荊南両面から圧迫される状況に陥ってる
曹仁が必死で粘ったからいいようなものの、もし満寵の進言がなく襄樊放棄してたら確実に南陽盆地までいかれてたよ

323 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 16:24:17
>>321
そういう評価で許チョや典イみたいな扱い受けることもあるな
五人の中じゃ名士の受けは一番良さそうだが

324 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 19:28:52
どうだろ
戦うだけの軍人は受け悪いんじゃね

325 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 19:40:08
>>320
蜀中毒は死にましょう
氏ねじゃなくて死ね

326 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 19:45:05
>>320
>>325

お前らまとめて二身合体だ
仲良くせい

327 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 19:49:22
五虎の中じゃ名族出身のバーサク超馬さんが一番名士受けしそうだ
ただ張飛も礼を知る人間だったようなので案外よかったのかも
奇襲じじいはよくわからん 

328 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 19:53:41
>>322
侯音の乱で足止め食らったのが曹仁?
曹操じゃないの?

329 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:03:32
名前失念したが演義でも登場しないような武将の評価が、
趙雲に次ぐってなってたからまぁ地味ではあったんだろう

330 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:04:12
曹仁とホウ徳が撃破した。
ただ東里袞の援軍に行ったあと年明けには撃破しているので、一年弱も足止めされた云々というのは疑問だが

侯音が反乱したのは10月で、は二か月くらいしか独立できていない筈だが
曹仁らの実働期間を考えれば彼らが足止めされていた期間はもっと短いと思うが。

331 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:06:22
>>330
そうじゃなくて、足止め云々と言うならそれは長安に釘付けにされていた曹操のほうじゃないの?ってこと

332 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:45:26
親父死ぬの覚悟で蜂起した馬超なんて、名士からすりゃ最下層だろ。
趙雲は公孫サンの部下になった逸話からすれば、名士に片足つっこんでるっぽい。
奇襲じじいも同様。

333 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:48:16
>>332
馬援の血筋ってかなり+になるような気がsるんだけどなー
劉備と違い本当の血脈だし

334 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 20:59:14
関羽ってよく人格破綻してるって言われてるけど正史に書いてあるの?
演義のイメージしかないんだよなあ

335 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:01:50
>>333
劉備が皇族の劉氏じゃないと言っている史料は存在しないよ
皇族の末裔だと言っている史料は複数存在するけど

336 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:05:02
>>333
祖父が県令に推挙されて父親も役職につけてる
劉姓の詐称は極刑

この時点で劉姓の詐称ってのもおかしくないか?




337 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:12:38
>>334
羽善侍卒伍而驕於士大夫。
つまり兵卒には優しく、同僚には驕りたかぶっていた。
さらに潘濬と士仁は正史・季漢輔臣賛において、
麋芳は正史・麋竺伝において関羽との仲が険悪との記述があり、
正史・関羽伝においても平時から険悪だったとの記述

つまり関羽を補佐すべき潘濬も士仁も麋芳も関羽を嫌っており、関羽も彼らを軽んじていた
三人全員に嫌われる辺り相当な性格だったと思われる

338 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:15:29
>>337
なるほど・・・
演義の関羽は完全に後世の創作イメージというわけですね
勉強になりました

339 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:21:22
忠義の面では曹操にも称えられてるので
必ずしも創作だけでも無いけどね

340 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:27:00
>>338
「性格のせいで身を滅ぼした」と書かれるくらいだからねえ……
>>339
その忠義って清廉潔白で大義を通すというよりは親分に従う任侠的なものであって、
演義とは少しベクトルが違うような

341 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 21:36:09
潘濬や士仁や麋芳は関羽から見てクズにしか見えなかったんだろうな
孔明は関羽の機嫌取りが上手かった

342 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 22:23:23
総合的に見て趙雲が最高って事ですね
異論は認める

343 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 22:36:36
友人にするなら5人の中じゃ一番無難そうな気はするな<趙雲

344 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 22:55:05
正史の黄忠は別に気難しい記述も無い兵に人気のある爺さんって感じだけど

345 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 22:59:28
関羽…タカビー。部下や民衆には人気があったようだが部下に離反され民衆は呂蒙にゴロニャンした
魏延…反骨。かなり部下に人気があったようだ。蒋エンが冤罪を晴らし、慰問しなければならないほど
張飛…サディスト。部下に暗殺された。一番上司にしたくないタイプだな。
馬超…バーサーカー。ホウ徳のような忠臣キャラにも見捨てられる人間。多分そういう人
黄忠…中途採用なのにすさまじいスピードで出世したモーレツジジイ。
趙雲…謹厳実直。蜀の顔や両手が関張でも、背骨のようななくてはならない存在

人格破綻者ばっかなのかな

346 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 23:16:38
上司にも部下にもしたくない人
張飛、馬超

上司としては良さそうだけど敵が多すぎる人
魏延

まとも
黄忠、趙雲

自己中な人気スポーツチームのスター選手みたいな
関羽

347 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 23:46:17
>>339
強気を挫き、弱きを助けるという性格だからな
任侠の精神は正史の記述からも見て取れるやね

348 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:12:09
>>347
弱気を助けるって言っても、実際に優しかったエピソードはなくて、
部下をいびってた逸話ばっかり残っているという……
自分の兵站の管理が下手なのに、ビホウらに責任を押し付けたりとか

性格で言えば魏の連中のほうがよっぽどマシなんじゃなかろーか

349 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:14:23
部下をいびった逸話なんてあったっけ

350 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:24:42
>>348
兵卒ような身分の低い者には優しかったのが関羽
親分肌だったんだろうな
他の将軍勢は恐らく他の組の親分とか、そういう見方をしてたから
「同僚」には厳しかったとも思える
そうでなくとも、関羽は士大夫層のような当時の権力者連中に厳しかったから
正史では厳しめの評価をもらってしまったのかもしれない

351 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:47:00
関羽と潘濬らの対立は関羽の死に直接絡んでくる

結局関羽を孤立させたことが発端なんだろうな

352 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:53:15
このスレがいつの間にか関羽スレの避難所と化してる件について

353 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 01:32:53
>>350
それはいくらなんでも好意的に見過ぎじゃないか?
同僚が呉に寝返ったとき、配下の兵や民が多数暴動でも起こしたんならわかるとして、
実際にはその目をかけてた連中も全員よどみなく寝返ったんだぜ?
そんなに慕われてたとは思えん

夏侯惇みたいに貧乏してる奴に金バラまいたとか、自ら土木作業に従事したとか、自分より身分の低い講義の先生にもちゃんと敬意を払ったとか
なんか具体的な話が残ってるんならまだその親分肌ってのも納得できるんだけどな。

354 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 01:45:02
身内というか、舎弟に
優しいというより甘いというタイプだったりして
ヤクザ的な感じ

355 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 01:48:05
>>353
夏侯惇は三国志の良心

356 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 04:24:17
関羽の一番の愚行は主である劉備自らが気に入らない名士にまで位を与えて尊重しているのに、
腹心であるにも関わらずそれと正反対のことをしてしまったこと
夏侯淵とは違った意味で思慮が足りなかったんだろう

357 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 09:43:04
それこそちょっと昔のゲリラ左翼みたいに
少しでも権力的なものに猛反発するタイプなんだと思う

358 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 13:54:24
しかも腕っぷしがハンパない上に組長の兄弟分
誰も怖くて意見できないからますます増長する

よくあるパターンだとは思うんだ

359 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 18:25:45
つまりジャイアンってことか

360 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 18:57:33
>>357
でも、士大夫層が図々しいのは中国の伝統のようにも思えるよ。
始皇帝も頭でっかちインテリ連中にブチ切れて大量に穴埋めしたし
曹操も小賢しく口だけが回る孔融に堪忍袋の緒が切れた。

武で身を立ててる連中にとっては文で立ち回ってる連中は相当ウザかったと思うよ。


361 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 19:04:16
士大夫に厳しいどころか一国の主の孫権の息子を犬コロ呼ばわりですものね
関羽は「自分の上は劉備だけ。それ以外は認めない。部下は自分の可愛い持ち駒」て感が強かったように思う

362 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 19:14:38
蜀将は記述が特に簡素なだけに細かな部分は
個人個人のインスピレーション任せだよな
まあ、それが正史の蜀将を語るときの魅力でもあるが
十人十色な意見に割れるのも見ていて面白い


363 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 19:26:23
>>360
孔融の場合は小賢しいっていうより孔子の子孫だから少々容認されるだろって態度で
明らかに曹操に喧嘩売ってたって言っていいぐらいだ
孔融は由緒正しい血筋だけど士大夫ではないでしょ

364 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 19:38:40
?。???。???????。???。?

365 :.:2009/04/14(火) 19:51:28
潘濬、糜芳、士仁、郝普を全員士大夫でくくるのも違和感あるなぁ
潘濬は名士サロンで、糜芳は豪商から豪族、郝普は文系で士仁は良く分からんか

つーか長沙・桂陽の太守も裏切ってるんだよな、
結局士大夫だけじゃなく誰からも嫌われて関羽も片っ端から嫌ってたんじゃね

366 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:02:07
>>365
時勢に靡くのも乱世の処世法だろう

367 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:12:05
嫌われてたからこそ部下は可愛がってたのかもな
会社ではうっさい上司でも家族は大事にしてるみたいに

368 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:27:34
職場内の自分と部下・上司に対する関係と
職場と家庭における関係とは違う。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:33:09
>>368
お前馬鹿だな
当時の時代背景考えろ
公私混同なんて言葉が無かった時代だぞ

370 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:33:26
じゃあ、平社員に優しかったんだな

371 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:35:36
>>370
いや、直属の部下には優しかったというほうが正しい

372 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:36:59
関羽組の面子にはってことか。
でも、兵卒に優しいとあるんだから
平全般ととってもよくね?

373 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 22:42:55
そんなにプライドの高い関羽を従わせた劉備も大した男だな

374 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 00:18:35
優しいってよりは、甘いんじゃね
誰かも言ってたが
韓信の言う所の婦人の仁か?

375 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 01:20:22
また関羽に乗っ取られた(´・ω・`)

376 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 10:02:35
むしろ、兵卒と常に最前線で
一緒に戦う姿勢だった趙雲のほうが
兵には親しみがあったと思う

377 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 14:23:25
黄忠は常に先鋒だったらしいがなぁ

378 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:29:32
>>374
優しさと甘さの違いが分かるとは貴殿なかなかのもの
女が好きなタイプで「優しい人」って実は
「自分を甘やかせてくれる人」って意味だよな

379 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 09:31:03
関羽て愚将だよな

380 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 11:46:59
扇動に長けてるところを見るとそんなに馬鹿でもない
孫権が敵対したのも、潘濬、糜芳、士仁らが非協力的だったのも
人格に問題があったと見るべきだろう

381 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 13:02:27
その厄介な関羽を上手く操縦し
自分の後を任せる文官を見出だし
魏延と楊儀でさえも同時に使ってのけたのに
登山家のせいで人使いが下手とか人を見る目がないとか叩かれる可哀想な諸葛亮さん

382 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 13:14:57
>>381
上手だったのは劉備じゃね?
亡くなってからの人選と比較して

魏延を排斥しようとしたと思われたのも無理はないわな

383 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 13:37:19
>>382
魏延は諸葛亮や費イ辺りのおかげでなんとかやっていけただけ
その頃は楊儀などの逸話かから見てよりタチの悪い関羽と化している
諸葛亮は劉備がダメ出しした文官達を上手く起用してるよ
諸葛亮がいなかったら、蒋エンは劉備に処刑されたかも知れないし

384 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 14:01:09
兵子は劉備の得意分野で
士大夫は孔明の得意分野だったってことで

385 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 14:29:20
>>380
最後だけ見ると愚将にしか思えないんだよね
人格で身を滅ぼしたし


386 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 16:16:51
劉備と諸葛亮は、本人の立場が違うから単純に比べるのは諸葛亮が可哀相だ。
だけど劉備も文官も有効に任用してたと思う。
あと、劉備は蒋エンを処罰しようとはしたけど殺そうとしたかどうかは不明のはず。
それにあれは蒋エンが悪い。
馬謖の件はやはり劉備のすごさばかりを窺わせる。
馬謖を評価してたなら処刑すべきではないという後世の諸葛亮への批判にも同意てきるし。
ただまあ馬謖は脱走疑惑もあるが…。

387 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 18:01:25
>>383
>> 諸葛亮がいなかったら、蒋エンは劉備に処刑されたかも知れないし

なんの罪で??

388 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 18:04:08
馬謖って前から疑問だったんだけど処刑されたの?
それとも逃亡したの?
逃亡を手伝った向朗は隠居させられたんじゃねえの?
ねえねえ、なんでいろいろ食い違いがあるの?

389 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 18:09:19
>>388
逃亡のち処刑

390 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 19:23:06
>>388
劉備が221年7月に呉に攻め込むと、10月に越儁郡の高定が反乱を起こしている。
このとき越儁郡の太守が馬謖であった。
諸葛亮に認められた男と蜀漢で評価されていた馬謖に、絶好の実務経験の機会が訪れた。
だが案に相違して、馬謖は反乱軍を鎮圧することが出来なかった。
結局、管轄外の李厳が反乱軍を鎮圧するわけだが、これを以て劉備は
「馬謖は口先だけの男」と評価するのである。
当然、この評価は蜀漢の内に知れ渡ったであろう。馬謖はキズもの扱いされていた。
だが、諸葛亮も若くはない。なんとしてでも軍隊の指揮を任せられる司令官を
自分の派閥から育てなければならなかった。だからこそ、諸葛亮は、
絶対に勝てると思った第一次北伐の先鋒に馬謖をあてがうことで、
汚名を返上させてやろうとおもったのである。
ところが、馬謖は再び同じ間違いを犯してしまう。ここに至ってわかることは、
馬蜀は軍隊を指揮する能力が欠如していたとしか思えない。
命令系統が混乱した蜀漢軍はあっけなく張合βに撃破される。
そのとき、真っ先に逃げ出しのがほかならぬ馬謖(と張休と李盛と黄襲)であった。
それを目撃した向朗は、このことを報告しなかった。彼をかばったのである。
しかし、事実が明るみになると諸葛亮は彼を処刑する。
泣いて馬謖を斬る・・・
その真相は、敵前逃亡という重罪を犯して軍隊を大混乱に陥らせたため、
軍規に沿って処刑されたという、ごく当然の話なのである。

と、解釈する人もいる。


391 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 19:37:08
あれだけのことでそこまで考察できるって凄いね
もう一回蜀書読み直してみるわ
ありがと

392 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:27:15
>>390勉強になります。
ちくま正史だと簡単にしか書かれてないから全然知らなかった。
英傑伝もガイテイの戦いしか書かれてないし馬謖ってガイテイか南蛮平定に行く孔明に献策する位のことしか書かれてないから凄いトリビア。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:57:02
>そのとき、真っ先に逃げ出しのがほかならぬ馬謖(と張休と李盛と黄襲)であった。
>それを目撃した向朗は、このことを報告しなかった。彼をかばったのである。

これについてはちょっと疑問だな。
特に向朗が馬謖の敗退→遁走を目撃ということは考えにくい。
あるとしたら、馬謖の逃走っぷりの情報を受けたが、
諸葛亮に知らせなかったというような事か?

馬謖は投獄されて死んだとあるから、
おそらく向朗は丞相長史として漢中に留まっていて、
軍が漢中に引き上げて後、投獄されていた馬謖の脱獄未遂事件があり
(ただそれが本人の意思なのか、誰かが手引きしようとしたのかなどは断定できない)
それを向朗は不問に付したが、諸葛亮にバレた、ということだろう。

394 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 21:02:32
投獄されて死んだとか逃亡したとか処刑されたとか真実がどれか分からんな

395 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 21:04:29
投獄されて、逃亡を図って(でも表沙汰にはならず)、処刑された、でいいんじゃない?

396 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 21:41:16
そろそろ趙雲の凄さを教えてくれ

397 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 21:42:47
おっと 忘れてた
趙雲は長生きしたね 凄い

398 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 22:03:14
病死って何の病気なんだべ

399 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 22:06:45
>>390
>221年7月に呉に攻め込むと、10月に越儁郡の高定が反乱を起こしている
この10月というのはどこかに書いてあるのかなぁ?
この反乱鎮定の功もおそらくあって李厳は輔漢将軍になってる。
それ以前にも劉備が漢中で戦ってる時にやはり自分の持ち場ではない広漢の賊を撃退してて、
その時の手腕も考えると出世が遅すぎる。
劉備即位時に李厳は輔漢将軍になったと俺は思っていたんだが。
となると、高定の一度目の蜂起は220年以前ではなかろうか。
あと、もし馬謖がそのときの太守なら、劉備がわざわざ諸葛亮に注意するまでもない。

むじんさんのサイトの馬謖の項では、当時太守は現地不在で、
劉備と諸葛亮と馬謖が都で策を練り(李厳がその実行者)、
その時に劉備が馬謖の才能に疑問を抱いたと推測している。

個人的にはこれもやや疑問だが。

400 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 22:57:43
どんだけKYなんだよコイツ
長文垂れ流して酔ってんじゃねーよ

401 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 00:13:17
>>398
正史では死因は何も書いてないのが普通だ
よってわからん

402 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 00:22:18
向朗が逃亡してきた馬謖を家でかくまったという説は?

403 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 00:45:17
終り終わり、他所でやってくれ

404 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 01:06:29
馬謖が逃亡したのを向朗は告げなかったという話なので
匿ってたら、そう書くと思う。

405 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 03:37:32
>>387
多分、劉備が視察した際に酔っ払って仕事をしていなかった件かな
演義でいう張飛がホウ統の視察に行った時みたいな感じ気がする
名誉挽回する間もなく役職を解かれたけど

406 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 11:44:21
関羽のほうがたいした事ないよ

407 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 12:09:01
>>396
趙雲単体なら、レス番でいえば>>200-230あたりですでに語り尽くされた
だからくわしくはその辺を読むといいよ

今は他の蜀将との比較に入っている
で、正直、関羽や馬謖のほうがネタが多いからこうなっているが、
一通り語り尽くせば、総括に入るはず

408 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 12:52:53
比較?オナヌーレスにしか見えないけど

409 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:17:31
ま、玄奘はそうだと言われても仕方がないか

410 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 18:06:50
玄奘のオナヌーですね、わかります

411 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 19:07:59
Alessandro Del Piero 13 [海外サッカー]

ここにもユーベヲタの浸食の手が・・・

412 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 21:08:39
何を為したというのも大事だけれども
同時代の他人がどう評価したというのも大事だと思うのね

413 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 10:11:13
その点で関張はずば抜けてるね

414 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 16:38:04
趙雲は、鎮軍将軍永昌亭侯で終わってしまいましたよね。他の将軍達に比べるとやや低すぎるような…

415 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:02:18
>>414
実力

416 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:06:58
趙雲の精子が大した事ないかどうかは息子たちを見れば分かるだろ

417 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:09:42
そんなこといったら関張の精子は……

418 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:27:13
関興は侍中で早死。
関索は空想上の生き物。
張苞は親父より先に死んでる。
張紹も侍中。
張遵はケ艾と戦って死んだ。

趙統は督行領軍。
趙廣は姜維軍の牙門将。

趙雲の精子のほうが優秀だな。




419 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:42:13
>>414
低くないだろ。
後代の車騎・驃騎連発の頃とは違うし。
諡号も貰ってるし。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:47:43
むしろ「鎮軍将軍ってけっこう高位なんじゃね?」と考えるところだ

421 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:01:29
つーか二世で目覚ましいのは
孫家と曹家と司馬家くらいじゃ?

422 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:02:40
>>421
曹操ですら三公の二世だという事実

423 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:20:04
関羽ら初代四方将軍が全員他界した後に趙雲が後釜に座るかと思ってたのにそうは問屋がおろさなかったな…
やはり関羽ら4人との間にかなりの格差があったのか。

趙雲が選ばれなかったのは派閥人事とか彼自身に出世欲があまりないので遠慮してもらったとか憶測が飛んでいるが
真実は候補にもならなかったのかもしれん。
少なくとも漢中王即位時点でも将軍位としては
関羽≧馬超・張飛>黄忠>李厳≧劉エン>魏延≧???≧趙雲くらいの差はあったのだろうな
(諸葛亮、法正、糜竺、その他名士ら文官肌の将軍は除外する。コイツ等は席次では関羽と同等かそれより上だから)


ところで爵位の一つ「亭侯」の都亭侯と永晶亭侯ってランク的には同格?

424 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:03:06
漢中王即位時なら趙雲>李厳だろう。
劉エンは問題外。

425 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:08:45
それはないだろ・・

426 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:48:04
漢中王即位時は李厳はおそらく興業将軍で、まだ地方の抑え。
劉エンは一時的に固陵太守になるが、基本的に賓客扱い。
劉備生前の将軍位は不明、将軍になったことあるかも不明。

427 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 01:53:15
ゲームじゃないんだから能力だけで出世は出来ない。
功績が重要。
趙雲は益州攻略時に活躍できるポジションを与えられていないし
出世のチャンスがなかった。
長坂で阿斗を救ったとは言え、「勢力」に貢献したとは言えない。
独自の勢力を持たない一無頼としては妥当な地位だと思う。


428 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 02:13:59
趙雲は益州攻略時に重要な役割を負い、出世したと思ってるよ

429 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 02:17:33
逆じゃねえの?
功績の大きさに比べて地位が低いということだろ

430 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 16:41:01
演義は武人と謀略家を目立たせる余り
司令官と政治家の評価が低すぎるので現実味がない

431 :427:2009/04/20(月) 20:22:29
>>428
それなりにね。
関・張より上ということはない。これに異存はないと思う。
黄忠は益州・漢中攻略で大活躍。趙雲が黄忠より上だったら変。
馬超は元「諸侯」。劉備が客分として曹操、陶嫌、袁紹、劉表に
厚遇されたこととを考えると、妥当。

>>429
雲別伝を真として、
空城の計辺りのことを冷静に観ると
・何処の誰とも分からない下級将軍を救出した。
・大勢(たいせい)とは関係ない戦いで曹操軍を追い返した。
●しかし本来の作戦である「北山の麓の軍糧米奪取」は達成できなかった。
結論:派手だが大きな功績ではない
と思う。

432 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 21:58:27
留営司馬…前代未聞な肩書ではあるが
怖い嫁さん孫夫人に手を焼いた劉備が面倒な嫁を趙雲に押し付けただけじゃ…

433 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 23:10:53
まさに便利屋だな

434 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 00:58:27
関羽→願良・文醜を切って曹操の中原平定に貢献
張飛→張任や呉蘭を生け捕るなど蜀平定戦で活躍
馬超→劉備傘下に加わっただけで張魯・劉樟を幸福させ蜀GETに大きく貢献
黄忠→夏候淵を切って漢中平定に貢献

あれ?wwwwwww趙雲は?wwwwwwwwwwwwwww

435 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 01:04:45
趙雲→空城の計で曹操率いる本隊を大いに打ち破る

436 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 02:38:00
正史とは、正統な朝廷が公認した史書ということであり、いわば歴史に対する「王朝の公式見解」。
「正確な記録」の意味ではない。
つまり正史と実際にあった事実が必ずしも同一とは限らない。
だが当然、同様に、明確に事実と異なるという証拠もなしに、正史が史実と異なる、などとは言いがたい。

そして、「正史の三国志」とは陳寿の記述したことがすべてである。
斐松之の注とはあくまで「正史に対する注釈」であって、厳密には正史ではない。
ましてや、その注の中での引用史料は「陳寿の三国志」以外は正史ではない。
(『趙雲別伝』はもちろん、メジャーどころでは魏略などや、マイナーどころでは陳寿の他の著作でさえも「正史を読み解く参考資料」であって、正史そのものではない。
もちろんそのことだけをもって信憑性に欠ける、と断言はできない。
それは個々の史料ごとに検証されるべき)

その上で、スレタイの意図が、本来の意味の正史であれば、
「たいしたことがないも何も、ほとんど記述がないのでなんともいえない。」
という結論にしかならない。



まあ、そのなんだ、
ある史料について、盲信にせよ、頭ごなしな否定にせよ、なぜ信ずるに足る(あるいは否定すべきである)か説明する意図がないと、いつまでたっても平行線だね。
ま、めんどくさいことだけど。

437 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:12:49
映画の主人公になったり、漫画とアニメでクールな美少女になったりするくらいだから大したもんだよ

438 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 03:49:30
目を引くような場面にはことごとく加えられていない
その傾向が強すぎて、わざわざそれ以外の場面を任せているようにも見える
新参者や独走しがちな者は直接目の届くところで使う必要があるため
さまざまな面で比較的信用のおける趙雲に離れたところを任せ続けたのではないだろうか

つまりさまざまな面で比較的信用のおける人物だったのではないか

439 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 11:28:21
「後主伝」によると「蜀は(財政難で?)史官がいなかった」そうだから…
活躍しても記録に残っていなかったのでは?

「趙雲に次ぐ」と評されている陳到の記録もないよね?

440 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 11:45:01
蜀の本紀たる先主伝に名前が残る程度には活躍してた
上司の吸い上げがかなりあったんじゃないのか

441 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:29:17
史官がいないってのは本当に謎だよな
一応、漢の正統名乗ってるのに、史官いないってどういうことだよ

442 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:18:23
>>441
孔明の情報統制かも。

443 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:54:05
史官がいないだって?
マジ?

444 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:39:19
マジだよ
だからロクに史料も残ってないってされてる

445 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:53:15
三国志精子

446 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:53:41
妙に魏の評価が高いのはだからなんだよ。>>443

447 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:24:40
それは正統な王朝をコキ卸す訳にはいかなかったていう大人の事情だと思うけど

448 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:35:04
正史の魏志(魏書)は王沈(魏臣)の書いた『魏書』
呉志(呉書)は韋昭(呉臣)の書いた『呉書』
がベースと見られている。
蜀志はそのような書物が見られず
陳寿が魏書・呉書を参考にしながら
まとめたらしい。
正史の裏事情や素の資料がどういった物なのか知るのは重要だよね。

449 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:23:25
パート2でも関羽張飛以上にかつやくしてるね

450 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 11:46:37
てか、陳寿は陳寿で正史以外に文献を残していなかったか?
たしか、斐松之が注で引用していたはず。
ま、それが偽書でなければ、だけどね。

史官がいないというのは、正史的なレコードを蜀の朝廷が遺さなかったということにはなるけど、ソレで一切の史料がないということなはならない。
蜀朝廷の「史書」が無くとも、例えば勅とか法令集など、公文書は事あるごとに発されているワケで、それは史料たりうるよ。
つまり、史官がいなくとも、なんらかの史料は必ずある。むしろ、こうした公文書が一次史料だね。
(だからこそ、後世の斐松之も注で参照できた)
魏志や呉志のような下地の史書が蜀志にはなかったにせよ、
魏書や呉書が一次史料から編纂されたように蜀志を書けばよかった、…ハズだった。

史料不足の元凶は、むしろ蜀の成立までの流浪時代には組織としての体裁が整ってなかった事が大きいだろう。
例えば、赤壁の時点だと、曹操陣営は官軍だから文書を残す余裕はある。江南側も孫家や諸豪族の家史がある。
だが、劉備陣営には史料を残す余地がない。

あと、入蜀後の史料に不足があるとしたら、
蜀降伏後の混乱(姜維のアレ)で、「蜀書」的なものが失われた可能性はある。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 18:54:18
>>450
一切の資料が無かったと言ってる訳じゃないんだ。
公文書などは魏についても言える。
魏志は魏書がベースと言われているが、
魏書をベースとして用い、その他の資料も活用している。
資料の質と量が蜀と魏では段違い。

例えば博望の戦い一つとっても、もし劉備が曹操だったなら
事細かに、戦いの様子、誰がどんな発言をしたのか、魏志並に残ってるだろうし
新野以前、荊南争奪や益州攻略についても言える。

魏志を蜀志風に簡素に書き直してみたら、魏のイメージはかなり萎むんじゃないかな。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 23:30:02
呉の史書なんてパラレルワールドの史書だしな

453 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 13:32:39
魏書も随分簡素じゃないか。
『魏書十七 張楽于張徐伝』を、『蜀書六 関張馬黄趙伝』と比べると、それほど極端な差はない。
単純な文字数比較だと、ちゃんと数えたわけではないが、注釈抜きのオリジナルで、張遼の伝がざっと3000〜3500に対し、関羽が2000〜2500くらい。
これは記述内容の深さ細かさ差ではなくて、桧舞台の場数の差だ。
はっきり言えば、流浪の人間が角度の高い史料を残せるわけもなく、その差だ。
劉備と曹操だからとか、魏と蜀だからとか、そんなところに原因はない。

>例えば博望の戦い一つとっても、もし劉備が曹操だったなら
葉の戦いと同一か異なるかはなんともいえないが、このクラスの局地戦は、曹操陣営からもろくな記述がない。
そこで魏だからとか蜀だからとか、じゃあ呉はどうなんだと比べてみれば、
そういう陣営による差別で蜀のボリュームが小さいわけではないことが分かる。

全体ボリュームの差はむしろ人材の数の差だと思うんだが?
陳到クラスのマイナー武将なんか、魏や呉にはごろごろいるよ?
蜀書にどれだけ陳寿が力を入れたことか。

>誰がどんな発言をしたのか、魏志並に残ってるだろうし
むしろ蜀書にもあれで結構残ってるよ
ちゃんと魏書を読めば、むしろその簡潔さに驚かされるはず。
(実は張遼らと同じ列伝に入っている)朱霊にいたっては、正統王朝の後将軍なのに、黄忠より記述が少ない。

三国志全体を、史記とかはいざ知らず、漢書あたりと比べてみ?
魏書も蜀書もその簡潔さにおいて差がない。
蜀書にあわせれば魏書がしぼむ?ありえない。

454 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 13:37:44
>>453
蜀書は本人の手柄すら他人の伝にあったりして本当に魏呉に比べて記述量が圧縮されてる

455 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 14:00:24
それは魏書や呉書にも言えること。
蜀だけを特に圧縮したわけではないし、圧縮を意図したわけでもない。
ある事件を書くのに、同じ記述を別々の列伝に書くのではなく、一方にまとめたというだけのこと。

456 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 14:02:08
>>455
蜀書は馬超の長安奪取とかが全く書かれてない
魏書を精読してやっと確認が出来る

このように蜀の列伝は意図したかどうかは置いといて魏呉に比べて記述が圧縮されてる

457 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 14:39:47
>>453
個人の伝のない朱霊を引き合いに出すか?それはおかしいだろう。
後将軍とはいえ魏の武人で何番目だ?黄忠は4番目だよ。
大活躍した黄忠とヘボ朱霊を位で比較するのはおかしいだろ。

博望は魏にとっては小さな局地戦に過ぎないかもしれないが
劉備にとっては存亡を賭けた戦で、大勝利だったはずだ。
それが先主伝に僅かに書かれてあるだけ。
関羽は?張飛は?徐庶は?趙雲は? 記録にない。

魏の人間が記述に恵まれていると感じているのは俺だけじゃないと思うけど?

それにどうも論点がずれてる。

458 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 14:47:39
>>457
お互い局地戦だろ
つーか仕掛けたの劉備の方だぜ

459 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 14:59:15
魏書をちゃんと読めば、朱霊の列伝あるよ。
楽進らと同じ列伝「魏書第十七 張楽于張徐伝」の総評の前にある。
ただし、その記述が非常に簡素で、蜀の黄忠どころじゃない。
仮にも後将軍なのに。
何しろ、タイトルにも乗ってないんだからなw
でも、列伝はちゃんとそこにあるんだよ。

この一点を見ても、蜀だから記述が少ない、というのは筋道の通らない話だといえる。


大体、蜀視点でしか見えてないんだよ。
(まあ、「ヘボ霊」という言葉で、「どういうものの見方をしているのか」は分かってしまったけど)
同じようなことを、蜀と呉の関係、魏と呉の関係でみてみ?
重複を避けるために一方の伝に記述をまとめるている例は、枚挙に暇が無い。

460 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 15:11:05
つまり、魏書第十七は、魏のいわゆる五将軍の列伝なんだけれど、
実際には6人分の列伝があって、その6人目が朱霊なんだよな。

それをもって朱霊がしょぼいと一方でいい、
蜀書の黄忠の列伝や趙雲の列伝の記述量の少なさを「実際の活躍が記載漏れになっているからだ」というのは
どうにも公正さに欠けたものの見方ではないか?
世間ではそれを「ダブルスタンダード」という。

461 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 15:38:59
いや、お宅が魏に寄りすぎだと思うよ。

朱霊がどんな働きをしたのか知ってるが
統治失敗したり、誰かの下働きだったり、曹操に嫌われてたり。
逆に問えばどんな働きをしたんだ?

五将軍といっても、その上にW夏侯、曹一族がいるじゃないか。

462 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 17:34:28
>いや、お宅が魏に寄りすぎだと思うよ。
何をもってそういうんだろう?
「ヘボ霊」みたいな評価を蜀の武将に下した覚えは無いし、
ことさら魏の武将を持ち上げたというよりは、「正史の記述ではこうだ」とほぼそのまま引用したくらいだけどなぁ

・・・まさか、正史に準拠しようというのを「魏より過ぎる」といっている?
まさか、ねぇ。


あと、朱霊の統治失敗というのは何のことを言っているんだろう?
朱霊のことで知っているのは、せいぜい、
 袁紹に使えていた頃、敵に家族を人質にとられたが省みず攻撃任務を遂行して家族を失ったこと(斐松之の注)と、
 袁紹から曹操によこされた援軍の立場でありながら、曹操にほれ込んでそのまま居ついたときに、配下の兵に背かれなかったこと(正史の朱霊伝)と、
 曹操には嫌われていたこと(正史の于禁伝)と、
 それが理由で于禁に朱霊の軍を没収させたが、その際に反乱が起きなかったこと(正史の于禁伝)と、
 その際に、朱霊を于禁の部下として兵を監督させると人々が震え上がって服従したこと(正史の于禁伝)と、
 曹操からあずかった冀州の降伏兵が反乱を起こした際に、手早く鎮圧したこと(斐松之の注)と、
 事件後に状況報告したところ、(曹操に嫌われていたというわりには)曹操は罪に問わなかった
 (むしろ、曹操は手紙で、「不測の事態というのは軍隊では起こるものだし、それで名誉が損なわれはしない。自分(朱霊)の監督責任だというけれど、オレ(曹操)はそうは思わないよ」というようなことを言っている)こと(斐松之の注)と、
 名声が徐晃等に次ぐとされ、後将軍にまで出世して高唐侯に封じられたこと(正史の朱霊伝)と
 文帝曹丕が積年の功を称して諸侯に封じたこと(斐松之の注)と、
 その際、「望みの土地に封じてやる」と文帝に尋ねられたときに「じゃあ高唐の地を」と朱霊がリクエストしたら、聞き届けられて高唐侯となったこと(斐松之の注)、
一応正史を読んだ上で、以上のこと程度しか知らないんだが、
「統治失敗」が何をさすのか分からない。
漏れがあるとアレだから教えてくれないか?

463 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:08:05
で、趙雲は?

464 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:10:20
>>463
注がろくについてない楽進よりずっと上、ということでおk

465 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:22:06
他の国と比べてなんか意味あんのか
普通に赤壁後参加の黄忠、ギエン以下ってので十分

466 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:28:01
スレチだが馬超の長安陥落って正史だっけ?


467 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:29:27
>>464
付いてる注が全部「趙雲別伝」だけどね

注ってのはつまり補足とツッコミだからね

468 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 18:34:04
統治失敗ってのは陽タクでの程昂の叛乱。
曹操に「寛容でいけ、でないと叛乱が起きかねんからな」と注意されたのに
叛乱を起こされた。
曹操が慰めに使った「ケ禹」という人物は軍紀を粛正したことで衆望を集めた。
つまり、朱霊は曹操の指示に背き叛乱を招いたということが読み取れる。


>・・・まさか、正史に準拠しようというのを「魏より過ぎる」といっている?
魏志はスポーツ番組の「○○選手、名プレイ集」みたいなもんだ。
テレビ中継がないような弱小チームで、映像がないから
名プレイ集がない蜀将ってところかな。

469 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:08:03
>統治失敗ってのは陽タクでの程昂の叛乱。
>曹操に「寛容でいけ、でないと叛乱が起きかねんからな」と注意されたのに
>叛乱を起こされた。
>曹操が慰めに使った「ケ禹」という人物は軍紀を粛正したことで衆望を集めた。
>つまり、朱霊は曹操の指示に背き叛乱を招いたということが読み取れる。

ああ、その話とその後日談が
> 曹操からあずかった冀州の降伏兵が反乱を起こした際に、手早く鎮圧したこと(斐松之の注)と、
> 事件後に状況報告したところ、(曹操に嫌われていたというわりには)曹操は罪に問わなかった
> (むしろ、曹操は手紙で、「不測の事態というのは軍隊では起こるものだし、それで名誉が損なわれはしない。自分(朱霊)の監督責任だというけれど、オレ(曹操)はそうは思わないよ」というようなことを言っている)こと(斐松之の注)と、
で、まったく陽翟の乱のことを言っていたんだけど?
なぜ、後日談と曹操の評価にあえて触れなかったの?

>魏志はスポーツ番組の「○○選手、名プレイ集」みたいなもんだ。
というのが理由?
その論法は、「正史に準拠=魏より過ぎ」と言っているいう風に受け取れかねないけど、そういうことじゃない?

・・・だいたい、蜀だって、正史とその注以外の何に準拠すればいいのやら。
想像力の翼ってヤツに頼るわけ?

470 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:43:31
>なぜ、後日談と曹操の評価にあえて触れなかったの?
ん?
『「統治失敗」が何をさすのか分からない。
漏れがあるとアレだから教えてくれないか? 』
って聞かれたから答えたんだけど。


>その論法は、「正史に準拠=魏より過ぎ」と言っているいう風に受け取れかねないけど、
スターはメディアが作る。まさにそれ。


張遼の「張遼止啼」は正史の内容で納得できるけど
関羽・張飛の「羽、飛萬人之敵也」は正史の記述では「なるほど」と頷けない。
>>469はこれをどう考える?



471 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:31:28
後日談まで入れて、曹操の評価まで込みで見たうえで、
それって「統治失敗」にみえるわけ?
原文(斐松之が引用した「九州春秋」)では、反乱と曹操によるジャッジはまったく連続した記述なんだけど?
そういう意味もこめて、「何をさすのか分からない」といったんだが、どうやら文字通りに解釈された模様。
まさか主君から直々に「お前のせいじゃないと思う」といわれた反乱を「統治失敗」と解釈できるとは思わなかったから、
「万が一にも漏れがあったら」と気になってみたんだが。
(現に、袁軍から降って間もない兵ということをかんがみると、反乱や騒動が起こったのを一概に朱霊の監督責任とは言えないだろうし、
朱霊に問題があったとしたら、そういう記述が、正史ならいざ知らず、斐松之の注からまでもれているというのはむしろ変ではないか。
むしろ、曹操の事前の訓示は、反乱が起こりうることへの注意喚起というほどのものだろう)


>張遼の「張遼止啼」は正史の内容で納得できるけど
>関羽・張飛の「羽、飛萬人之敵也」は正史の記述では「なるほど」と頷けない。
それって単に>>470の読書感想じゃないの。
理屈や筋道が見えない以上、なんとも言いようが無い。

関羽が顔良を斬った時に袁紹軍には立ち向かうことの出来るものがいなかったとか、張飛が長坂で曹操軍を足止めしたとかいう話は、
どちらも正史(関羽伝・張飛伝)にある記述だが、
「この記述で十分に「萬人之敵」というのが納得に値する記述だ」、と言う人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。
そうなるともう理屈じゃなくて感覚の範疇ではないか?

関羽伝にいたっては、左臂手術にまで言及しているが、魏の武将でここまで細かなエピソードを紹介された武将がいるだろうか?
この点をとっても、蜀の記述を圧縮したなんて、とても考えられないだろう。

472 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:52:32
圧縮と言ったのは俺じゃない
どうでもいいが

一言で言うと魏書は簡素ではない
注まで含めて現代人は魏をイメージしてる

下っ端朱霊を黄忠と並べるところがそもそも間違っている
朱霊が後将軍になったとき大将軍も鎮征将軍もいたろ?
黄忠が後将軍になったときNO1の関羽は前将軍だった。
どうして朱霊と黄忠を比較できる?朱霊と比較できるのは陳到辺りだと思うよ。

473 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:53:28
>>471
関羽の記述は魏に大きく関わってた時期のは多いけど
赤壁以降は北上時まで数年分ほぼ丸っと無視されてるわけで

やはり残ってる史料の絶対量が違う


474 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:59:38
趙雲は?

475 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:01:43
つまり、
「こっちはきっと史料が少ないから、注まで込みで、更に推測も込みでいいだろう」
「こっちは史料が多すぎで取り上げられすぎ。こんなザコには正史の記述でも十分すぎるわ」

要約すればそういうこと?

476 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:18:33
>>475
そうではなく記述量は所属してた勢力によって差がある
もし蜀と同質の記述をすれば魏書の分量も大いに減る事になるだろうし
逆に魏書並のクオリティで蜀書が書かれていれば
季漢輔臣賛なんてのを書いた奴を無理に立伝して巻末に付け足すような真似は必要なかっただろう
魏書ほどではないにしてもせめてちくまの文庫換算であと2冊分くらいは増えていてもおかしくない

という事

477 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:37:57
関羽伝の記述って、個人的な負傷とその手術のエピソードとか、かなり深く突っ込んだことを書いていると思うんだけれど
それって、たとえば張遼伝とかと比べて不足かぇ?
たとえば赤壁〜北上までの記述が無いことについても、
そういう空白期は張遼クラスの魏の武将の列伝にも見られることだし。
それでもって「同質というには及ばない」というのは筋が通らない。


>下っ端朱霊
その下っ端が、なぜ、陳寿の筆によって張遼や徐晃らと同じ伝に組み入れられ、
あまつさえ、「名声は徐晃らに次ぐ」とされたのか。
それを陳寿による魏びいき(その反面蜀が貶められている)というのであれば、ピント外れというもので、
朱霊に対するひいきにはなるかもしれないが、それで魏がどうこうということは無い。
そもそも魏びいきの意図を持つような人物ならば、他者の筆による「季漢輔臣賛」を付け足すようなことはしない。
この「付け足し」自体が、むしろ蜀に対する陳寿の肩入れの一例だろう。
陳寿個人は魏びいきの意図は無く、魏を正当にせざるを得ない、という政治的な立場を抜きにすれば、むしろ随所で蜀に肩入れしているのだ。


だいたい、呉書と蜀書を立てて「三国志」としていること自体が、尋常なことではない。
あくまで魏が正統であり、呉や蜀をただの群雄扱いをするなら、
魏書に董卓伝・袁紹伝・袁術伝・呂布伝があるように、
劉備伝(「先主伝」でさえなく)なり孫権伝なりを、「魏書」に立てて、
「三国志」ではなく「魏志」にしてしまえばよかったのだ。
そして「蜀とか呉とか名乗った勢力の史料はこんなもんです」と開き直ってしまえばよかったのだ。
だが、「三国志」として、あえて「蜀書」と「呉書」を「魏書」とは別に立てた。
「本紀」こそないものの劉備にいたっては「先主」とまで呼んだ。
にもかかわらず、蜀書のボリュームが最も少ないのは、「本当に、それだけしかなかった」からだろう。

「もう少し増えてもおかしくない」なんてとんでもない話で、
「陳寿が頑張って、それにさらに斐松之が注釈をつけた結果、今のボリュームにまでなった」のだ。


>趙雲は?
つまりそれだけのことなのだろう、残念ながら。
斐松之の引用もすべて趙雲別伝からのものだし。
せめて、『華陽国志』や『漢晋春秋』あたりからの記述の引用があれば、と残念に思う。

478 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:50:37
な?魏に寄りすぎだろ?

479 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:51:53
俺とあんたは論点がずれている。

480 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:00:46
じゃあ、呉との比較はどうなんだろう。

481 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:06:46
>>477
そりゃ君がそう思うだけ
たまたま目立つ武勇伝が一つ二つ書かれたからって「突っ込んだこと」とかちゃんちゃらおかしい

関羽伝ちゃんと読んだか?
関羽が蜀の第一人者として北上する場面以外ほぼ1行2行で終わりの記述だぞ
関羽伝の北上中の描写にしたって関羽が襄樊囲んで締め上げてる事すら書かれてない
曲りなりにも曹操を震え上がらせて中華に激震を走らせた男の手柄話でさえほんの数行。

そこに手術の話がポンと挿話された程度で「蜀は優遇」とか
どうかしてんじゃないかと言いたくもなる

一方面の将帥の扱いとして魏の将軍と比べられる相手はいないレベル

482 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:36:13
魏によっているといわれて何が心外かというと、
仮にも伝のある将軍を「下っ端」呼ばわりするのがスルーで、
どこの武将も正史や注釈の記述のようにしか言っていないのを魏よりといわれることだ。
(この下っ端呼ばわりは、少し前に横行していた趙雲の下っ端呼ばわりとやっていることは変わらない、同じくらい根拠に欠ける過小評価・・・少なくとも失礼な話ではないか)

まあ、論拠もよう説明せずにレッテル貼りに走られたら、もう語るに足らないという気になってくるが。


だいたい、実際のところはどこの陣営に肩入れしようとそうでなかろうと関係なく、他に史料は無いんだから、正史と注によらないと他に参考になるものが無いんじゃないかと思うんだが、
(斐松視が引用した注釈も原典はほとんど散逸してしまい、現代に残っているモノはまれ)
正史と斐松之注以外に何を参考にされているのか、参考までに伺いたいところだ。
正史によることが魏よりだというのであれば、蜀よりや呉よりの人は何を参考にしていることになるのか、はなはだワケが分からないことをいわれているような気がする。


>じゃあ、呉との比較はどうなんだろう。
なお、呉に対しては、本紀を立てることはもちろんないし、「先主」というような配慮を陳寿はしていない。
また、陳寿の書いた関数は五指が祝詞を上回っているものの、斐松之の注釈補足は、呉書に関しては蜀書には及ばない。
とはいえ、呉書の記述が魏書のレベルに及ばないのかというとそうでもなく、
「甘寧と呂蒙とその母と料理人」の逸話は正史の甘寧伝に載っている話だ。

これをみても、呉の描写の水準が特に魏に劣っているということはないし、蜀との描写の深さも差があるとは思えない。
記述された人数にこそ差があるがため、巻数の差にはなったが、それだけのこと。
仮にも一勢力で相応の地位を占めた武将については、異なる勢力間で同等の地位にあるものは、やはり相応の水準の描写がされている。
個人的な感想文のレベルで「差がある」なんて連呼するくらいなら、もう少し具体的な比較考察を見せて欲しい。

>俺とあんたは論点がずれている。
「誰」に向かっていっているのか分からないけど、私に向かっていっているものとしてお答えするならば、
「俺」が誰で何を言った人なのか分からない以上、論点がずれているといわれても、誰とどうずれているかが見えない以上、なんとも申し上げようが無い、といったところかと。
また、仮に論点がずれていて(実際、多分そうだと思う)、それがどう問題で、何が問題なのか、よく考えられたほうがよろしいかと。

483 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:42:23
だから、テレビを信じるなってこと。

484 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:05:07
>>481
じゃあ、原文コピペで、これは関羽伝より。

二十四年、先主為漢中王、拜羽為前將軍、假節鉞
是歲、羽率眾攻曹仁於樊。
曹公遣于禁助仁、秋、大霖雨、漢水汎溢、禁所督七軍皆沒。
禁降羽、羽又斬將軍龐悳。


>関羽伝の北上中の描写にしたって関羽が襄樊囲んで締め上げてる事すら書かれてない
というのは関羽伝の何を読んだ上でのお言葉なのだろうか、分からなくなっているところなのだけれど。
(引用箇所の二行目が欠落した写本を見られたのだろう、おそらく。)

ちなみに、活躍の描写をたとえば、他の魏将の伝と比較して、関羽伝が簡素に過ぎるとか迫力に欠けるということは無い。
関羽の活躍の描写回数自体は確かに少なく、後は正史関羽伝には、曹操の元にいた頃の、白馬津の救援くらいしか記述が無いのだが、
この描写はたしかにきわめて簡潔であるものの、一言で関羽の凄み、万夫不倒っぷりがが如実に表れている。

(以下、正史関羽伝原文抜粋)
紹遣大將軍顏良攻東郡太守劉延於白馬、曹公使張遼及羽為先鋒擊之。
羽望見良麾蓋、策馬刺良於萬眾之中、斬其首還、紹諸將莫能當者、遂解白馬圍。
曹公卽表封羽為漢壽亭侯。

つまり、大意はこうだ。
「袁紹が顔良に命じて白馬津の劉延を攻めさせたので、曹操は張遼と関羽を援軍の先鋒として派遣した。
関羽は顔良の居所を見つけると、敵陣の中を馬で突っ切って、万に及ぶ敵兵のど真ん中で顔良の首を取り、引き換えしたが、袁紹の軍勢の中これに対抗できるものはおらず、白馬の攻囲も解けた。
曹操は関羽のこの功績をたたえて、漢の寿亭侯とした」
・・・確かに簡潔な描写ですが、どう読んでも、関羽の文字通りの「萬人之敵」っぷりしか読み取れません。
どなたか知らないが、
>関羽・張飛の「羽、飛萬人之敵也」は正史の記述では「なるほど」と頷けない。
といっておられますが、きっとこの部分は読んでおられないのではないかと思われます。

485 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:13:59
>>484
その時同時に幾つもやってた関羽の行動は魏書からしか読み解けないという不思議
これが曹操ならどの道通ってどこ囲んでどの糧道断ってあーしたこーしたと書かれてるレベル

無論曹操は勢力の棟梁だし、関羽はそうではないという違いはあるが
ここまで三国を揺るがした一大イベントをあっさりと書き過ぎなんだよ

486 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:15:21
「羽、飛萬人之敵也」は俺だけど読んだよw

関羽の記述が濃いのは魏に近い時なんだよね。
つまり、この恩恵を受け続けている魏将は恵まれている。
蜀将は恵まれてない。

487 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 01:25:03
おもしろそうな議論だな。参加させてもらう

魏の密度を十としたとき、蜀の密度も十ということだろうか?
個人的にボリュームが十分にあるのは先主伝、諸葛亮伝くらいで
後はダイジェスト臭が非常にするんだが
魏呉の重臣の評価に比べて関張あたりは内容が非常に薄っぺらい
なんでそいつら以上の人材が揃ってるおまえらがビビるの?みたいな印象を覚えることが多々多い。

488 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 01:36:26
>無論曹操は勢力の棟梁だし、関羽はそうではないという違いはあるが
ああ、なぞが解けた。
つまり、これが理由として十分か、不十分か、という点で見解に溝があるわけで、
そこは何をもって十分となるかの基準の歩み寄りの必要を「お互いに」認めていないというわけだ。
それはもう、仕方がないことなんだろうな。

ただ、「蜀の武将は」とことさらに蜀の武将に注目するなら、魏との比較だけでなく、
呉の武将の記述にも注目されてのことだろうか、と気になるし、その結果、呉の武将の記述がどう移っているのかも気になる(単に好奇心で)。

また、関羽の比較対照がなぜ曹操なのだろうか?という疑問もある。
むしろ、夏侯惇や張遼あたりとの比較が妥当と思われる。



489 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 01:54:10
というわけで、少しだけ簡単に張遼伝を。
張遼伝を見るに、確かに、記述自体は一見すると関羽より多いが、省略されたような箇所も結構多い。
まず、「曹操に仕えだしたときに中郎将であったが、さまざまな功績をあげて裨将軍となった」とあるが、その「さまざまな功績」が何であるかは分からない。
仮にも、魏のトップクラスの将軍であるのに、史料が無かったのだろうか?
いや、思うに、これが陳寿の三国志を表す上での姿勢であり、この点からも、魏の武将が史料が多くてひいきされているという見解には再考の余地があると思われる。

続いて、昌豨なる将を討伐した際に降伏勧告して降伏させたやり取りが残っている。これは、張飛が厳顔を下した描写と比べて、特に丁寧に過ぎるということは無い。
その後はしばらく簡潔な描写(対袁一族との戦では別働隊として動き、賊の某かを討ったという程度)が続く。
蹋頓単于を討った話はここで出てくるが、ほんの一言そこで触れているに過ぎない。
(他の賊はいざ知らず、蛮族とはいえ仮にも蹋頓は単于であり、間違ってもザコ扱いできないが、その描写はただ「斬った」と、とても簡潔だ)

その後は軍勢で造反者が騒擾を起こしたが落ち着いて鎮めた話があり、続いて、陳蘭・梅成の乱を鎮圧した話がざっと150文字ほど語られている。
勇敢に進撃して首謀者を打ち、ことごとく捕虜としたので賞せられた、とある。

そしてその後が、合肥の描写。山場なので原文を。以下のとおり、
太祖旣征孫權還、使遼與樂進、李典等將七千餘人屯合肥。
太祖征張魯、教與護軍薛悌、署函邊曰「賊至乃發」。
俄而權率十萬眾圍合肥、乃共發教、教曰「若孫權至者、張、李將軍出戰。樂將軍守護軍、勿得與戰。」
諸將皆疑。
遼曰「公遠征在外、比救至、彼破我必矣。是以教指及其未合逆擊之、折其盛勢、以安眾心、然後可守也。成敗之機、在此一戰、諸君何疑?」
李典亦與遼同。
於是遼夜募敢從之士、得八百人、椎牛饗將士、明日大戰。
平旦、遼被甲持戟、先登陷陳、殺數十人、斬二將、大呼自名、衝壘入、至權麾下、權大驚、眾不知所為、走登高冢、以長戟自守。
遼叱權下戰、權不敢動、望見遼所將眾少、乃聚圍遼數重。
遼左右麾圍、直前急擊、圍開、遼將麾下數十人得出、餘眾號呼曰「將軍棄我乎!?」
遼復還突圍、拔出餘眾。
權人馬皆披靡、無敢當者。
自旦戰至日中、吳人奪氣、還修守備、眾心乃安、諸將咸服。
權守合肥十餘日、城不可拔、乃引退。
遼率諸軍追擊、幾復獲權。
太祖大壯遼、拜征東將軍。
建安二十一年、太祖復征孫權、到合肥、循行遼戰處、歎息者良久。
乃摎ノ兵、多留諸軍、徙屯居巢。
と、まあ、さすがに魏の筆頭将軍の一番の見せ場だけあり、他の賊将を斬ったときとは描写の力の入り方が違う。関羽伝の白馬津の描写をはるかに上回るボリュームだ。
「權人馬皆披靡、無敢當者。」のくだりは、関羽並みの賞賛だ。

以下、文帝の頃に前将軍となったこと、家族のVIP待遇、文帝の対呉戦についての下問、孫権の動向に応じて都と合肥を行き来したが病で死んだ話、および子孫の話の記述が続く。
確かに丁寧にさまざまなエピソードが描写されているが、武功の詳細は無い。
また、一つ一つのエピソードに分けて着目するならば、特に魏の筆頭将軍だから密度の高い描写になったというわけでもなく、比較的淡々と事実が綴られている。

490 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 04:27:20
なにこいつ、議論にかこつけて自分の言いたい事言うだけかよ
むしろなんでこのスレ開いたの?

491 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 08:34:52
>>488
妥当じゃない
上にも書いたが魏の人とでは丁度いい比較対照がいない
関羽は立伝の席次こそ所謂演義の五虎的な位置付けだけど
一方面を長く預かって軍閥の主君に次ぐ地位にいたって例は魏にはないからだ

492 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 09:30:49
自分でスレ立ててやれよ

493 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 11:10:23
じゃ誰か妥当さ?

494 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 11:15:54
夏侯惇じゃね?

495 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 11:56:05
どっちの言い分も分かる気がする
たしかに蜀の資料がもっとあれば入蜀、漢中戦あたりなんかは
呉にとっての黄祖戦、関羽討伐戦くらいもっと華々しく書かれ、多くの人間の詳細な活躍が残ってても不思議じゃなかった
ただ魏も一部の人間以外言われてるほど詳細じゃないというのは同意だし
仮に蜀を魏並に詳細にしたとしてもせいぜい筑摩文庫巻数がもう一巻増えるくらいだろう
魏とは破った勢力の数、平定した領土の広さなど功績の「絶対量」が確実に少ないわけだから
当然記録に残る武将一人一人の功績の数も違ってくるだろう

・劉備の流浪期間が長く勢力としての確立が遅くまた滅亡するのも早かった
・魏呉に比べ要職につき活躍した君主の親族が少なかった
・勝ち星を稼げ、追撃戦で多大な戦果をあげた防衛戦が無かった
・そもそも領土がせまく人口が少なく、人材面で劣っていた  などの理由もある

496 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:05:50
ちくま文庫一巻分は言いすぎだったかもしれん
その半分くらいに訂正

497 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:09:24
「印象」ってごく私的な感想・イメージじゃないの。
単に「読んだけどそんな感じしない」と言っても「ああ、さいですか」ってなものだよ。
それは意見というにははるかに満たない「感想」だよ

「議論」は「意見」を交差させるものだが、「感想」を垂れ流す余地はない
それでは「討論」以下だよ
まあ、議論だとも討論だともちゃんと線引きする気はなさそうだけど

納得しうる意見とは、論理の筋道が通った意見であり、そのためには結論のみではなくプロセスが明らかに示されなければならない
「〜〜伝の〜〜のくだりを読んで〜〜と書いてあるから、」とか、何かしら具体的な話がないと、
何をもって、その「印象」なり「感想」なり「発想」なりが出てきたのかわからない

意見を聞かないんじゃない
意見というにはあまりに論理プロセスをすっ飛ばした感想しか聞かされないから辟易しているんだ
誰もが納得できるかどうかは別にしても、
自分の意見の論理プロセスくらいははっきり示すのは意見するうえでの最低限の要件であり誠意だろうに

498 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:21:05
>>491
>>493
>>494
夏侯惇と関羽の伝を比較したら、どういう結論になるんだろう?

499 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:27:15
魏もそんなに詳細とは言えないという結論になる

500 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:39:42
>>495-496
こちらこそ、以前、「まったくふえない」というのは言い過ぎだったし、それくらいが妥当かもしれない。

501 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:48:21
>>498>>499
はじめに「関羽と比較するのは曹操ではなく、夏侯惇か張遼」としたうえで、
あえて、あとにあげた張遼と比較した
(夏侯惇とは比較しなかった)
夏侯惇または張遼と対抗者を二名あげたが、その理由は異なる

関羽には元勲と筆頭武人の二つの側面があり、
元勲としては夏侯惇と、武人としては張遼との比較になる。

そして、「万人之敵」というのは武人としての評価だから、
張遼との比較を先にするのが妥当とした、というのが理由の一つ。

もう一つの理由がまさに>>499が言っていることで、
ただ、張遼との比較の前に夏侯惇との比較を書いてしまうと、自説に都合のいい結論だけを先に言ったという誤解を与えかねないので、
先に張遼にふれたところ、>>490みたいなのがいた
本当に、先に夏侯惇をやらなくてよかった

502 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 12:51:16
議論スレ立ててそっちでやれよ

503 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 13:20:12
うるせー馬鹿

504 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 13:25:36
ならば君はこのスレに何を提供できるのか?

この話題はまったく趙雲とは無縁ではない
(ただし、確かに直接趙雲にふれた話がしばらくは出てきていないが)

スレタイは「正史と趙雲」がテーマだ。
趙雲は蜀の武将であり、かつ、演義等に比較して正史の記述が少ない武将の代表の一人だ(他にも夏侯惇とか)
それで、200スレ前後あたりだったと思うが、
斐松之が注で引用した趙雲別伝の記述(確か、趙雲別伝の原本は残っていなかった)が信用できるか出来ないかとか、そういう趙雲自体の話が出尽くした。
(出尽くしてない、というなら、出せばいいんじゃないですか?)

また、そのあたりで、「趙雲は実際にはすごい活躍をしているのに、正史にはそれが載っていないんだ」という「発言」もあった。
(「じゃあ、どうやってそのすごい活躍を立証するのだろう?」ということが明確に見えないため、意見に満たない発言と思っていますが)
そして、これまでをのそうしたレスを踏まえたうえで
「蜀の武将(もちろんそこに趙雲は含まれる)であることで、魏の武将よりも描写の質が落ちているのではないか」
という問題が提起されたのだから、
スレチではなく、まったくの決着には至らないまでも、ある程度には共有できる認識を明らかにすることはこのスレの利益になる、・・・はずだ。
(とはいえ、正史における蜀の武将の描写の質の劣化が、仮に発生していたとして、
ならば、何をもって趙雲の功績を明らかにできるのか、という話は棚上げになっているわけだが、
それが「想像(妄想)力」以外のもので立証されるのであれば、画期的な進歩だろう)
もっとも、そこで蜀将の代表に関羽を引き合いに出して、趙雲にほとんどふれられていないが、
それは趙雲の記述からだけでは蜀の武将の扱いが軽いか否かの結論が出ない(記述そのものが少なすぎる)ため、
他の蜀の武将、特に代表格の関羽のほうが、どちらの見解であっても、立証がたやすいからだ。
当然、関羽だけでなく、他の将軍の記述からも考察する余地は、まだまだ大いにある。

要するに、もっと魅力がある趙雲ネタを、「君」が提供すれば、自然にこの流れは止まる、ということだ。

505 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:05:52
論理的なつもりの長文かしらんが、お前の主張ばかりで噛み合ってないから読む気がしねーんだよ

506 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:20:58
>>487-489
論客歓迎。

>>489だけど、ちょっと納得いかない。
張飛と厳顔のエピソードは張飛の美談であると共に
華陽国志で「壮烈」と評される厳顔の美談でもある。
でも、張遼と昌豨のエピソードは張遼の手柄話ではあっても昌豨の美談ではない。
2者の記述は性質が異なる。比較対象にできないんじゃないだろうか?

蹋頓の記述は主に武帝紀にある。
張遼はただの先鋒。捕らえたのは曹純の部下。
あと魏志30巻にも書いてある。
張遼は、白狼山で曹操が敵との遭遇戦をやったとき、先鋒を務めただけなのであるから
これくらい記述があれば充分じゃない?
むしろ関張だって劉備軍の幾多の戦いで先鋒を務めただろうけど記述がない。
それだけとって見ても魏と蜀では明らかに差がある。



俺は陳寿が贔屓したとは思ってなく
(もしかしたら贔屓があるかも知れないが)
やはり資料の量と質が違いすぎるのだと考える。

結果的に魏の人間は格好良く読者に映る。
それはそれで良いことだけど
(大体、資料が豊富な魏志と言っても実際の人物を0,01%も描けてないと思うし。)
ただ、魏の人間が格好良いからと言って、単純に活躍の記述から受けるイメージで
蜀呉の人間を下に見たりするのは如何なもんかなーと思うだけ。

507 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:35:41
蜀はともかく呉はけっこう詳細でしょ

508 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:01:07
呉志は、韋昭(呉臣)が書いた『呉書』がベースとみられ
陳寿は殆ど丸写しにしただけ なのだとか。


509 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:27:33
>>505
君のは「意見以前」だから、はっきり言えば「相手にしようがない」だけ。
聞いてないんじゃなくて、「意見以前の感想」だから聞き流しているだけ。
どうにも答えようが無いもの。


>>506
自分も、これに当たり、改めて、関羽伝、張飛伝などを、張遼伝や徐晃伝張コウ伝あたりと読み比べ直してみた。
結果、確かに、魏と蜀とに差がある、と認識が変わりましたね。「差がない」というのは確かに言いすぎ。

>でも、張遼と昌豨のエピソードは張遼の手柄話ではあっても昌豨の美談ではない。
>2者の記述は性質が異なる。比較対象にできないんじゃないだろうか?
確かにそのとおりですが、敢えて比較対象にしたのは、張遼と張飛の功績に対する描写を比較する意図だったため、厳顔と昌豨についてはこの場合はそれほど重視することではないという判断によります。
(もちろん、テーマ次第では、もっと重視する必要があると思います。が、まったく同じ状況のエピソードというのはそうそう無い以上、比較検証にあたって、テーマを大きく揺さぶらない違いであれば、敢えてふれるまでもないと、そのときは判断しました)

>張遼は、白狼山で曹操が敵との遭遇戦をやったとき、先鋒を務めただけなのであるから
>これくらい記述があれば充分じゃない?
確かに、それで十分だと思っています。
実際のところは、「蜀だから記述が圧縮されている」という発言に対しての、アンチテーゼとして引き合いに出したようなものです。
(いささか大人気ないやり方だったと思いますが、)魏の武将でもこのような描写があるのだから、資料の不足という要因以外によって、ことさらに蜀将が貶められて描写が少なくなっている(圧縮されている)ということはないと示す意図によります。
以上を踏まえた上で、描写の不足が、一方のみ不足があるという質的な差ではなく、程度の差(量的な差)だと思いますね。


>結果的に魏の人間は格好良く読者に映る。
>それはそれで良いことだけど
>(大体、資料が豊富な魏志と言っても実際の人物を0,01%も描けてないと思うし。)
>ただ、魏の人間が格好良いからと言って、単純に活躍の記述から受けるイメージで
>蜀呉の人間を下に見たりするのは如何なもんかなーと思うだけ。
この点に関してはまったく同じ意見です。
蜀将や呉将の功績を過小評価したり、失態を過剰に騒ぎ立てたり、そういうことをしたことは多分ありません。
ただ、再評価する場合も、史料なりなんなりの出典が明らかで、それなりに筋道が立っていないと、意味が無いと思っています。
(もちろん、根拠が示されない評価がどこかで見られた場合は、遠慮なく否定するなり、陣営を置き換えればどういうことになるか示してみますが)

510 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:41:46
で、趙雲は正史だとたいしたことないってホント?

511 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:01:52
自分的には陳寿は蜀を贔屓したと思うよ。
魏将の場合は、資料は豊富だけど、全部採録すると長すぎるので圧縮。
蜀将の場合は、実際には色々活躍はあったろうが詳しい資料がない。

集められるだけの資料を集めて裏付の取れたものだけ記載。
ただし元の資料が少ないのでやっぱり不足気味。

ただ、記述が不足したからイコール活躍していない、との認識は違うと思う。
上の論者達が言うようにね。

ところで雲別伝は史料と齟齬しない部分は評価できると思う。

512 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:22:41
演義のようなターミネーターもかくやという武勇伝は、正史の記述にはない。
ただし、仮に、注を除外しても、地味ながら堅実な将軍っぷりが、簡潔に記されている。

ド派手な美形の猛将を期待するなら、「正史ではたいしたことない」ということになる。
しかし、正史の記述にある趙雲がすごいんだ、という人もいる。

「たいしたことない」という言葉が極めて感覚的な評価だから、
以下のようにいうしかない。
「正史を読んだ上で、どのようにでも感じたらいいんじゃないの」

513 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:28:49
>>511
大体、別伝の大活躍は張遼伝や曹仁伝、凌統伝本文に載ってるものと同程度だと思う

514 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:49:45
後漢書の呂布伝クラスだろ
曹仁、張遼あたりよりは上だと思う

515 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:09:09
>>513
曹仁は牛金を救出しただけで呉軍を破ったり大きな被害を与えたわけじゃないし凌統も同様
張遼は前もって募った決死隊800人での計画通りの奇襲

上の三人よりは明らかに上だと思う

516 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:41:09
割とどうでもいいことだが
呂布伝は三国志じゃなかった?

あげあしのつもりはないがすまない

517 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:44:42
大丈夫、後漢書にも三国志魏書にも
両方に「呂布伝」はある

518 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:51:01
ちなみに後漢書のほうだと呂布は数十騎で黒山族の精鋭に突撃をしかけついに打ち破ってる
三国志だと数十騎でとは書かれてない

519 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:00:32
>呂布は数十騎で黒山族の精鋭に突撃をしかけついに打ち破ってる

そういう記述があることは知ってるが、それって可能なのかな・・
完全奇襲や既に崩れまくってる相手ならまだしも、槍が林立したり弩を構えて
いるところに数十騎で駆けてってもハイハイご馳走様w、で終わりそうな気がするんだが。

520 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:13:43
関羽の顔良斬りよりはまだいくらか人間の範疇に近い気もする
どちらも人間業じゃないけど

ありうるかどうかは別として、人間離れした活躍をこそ、「特筆すべき」といえるわけで


ちなみに、後漢書の成立は三国志のだいぶ後になる(うろ覚えだが100年くらい後)
だから、三国志やほかの(当時はまだ失われていなかった)史書を参照して後漢書が編纂された。
おそらくは数十騎という記述は、遺失史料が出典だろう

521 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:44:10
黒山賊の頭数次第じゃね?

522 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:50:49
許チョだって一度の戦いで5桁の首級挙げてるし
別に呂布だけ疑う必要はないでしょ

523 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:55:35
呂布:数十騎
許チョ:不明

524 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:27:06
許チョは一人では

525 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 00:29:57
俗にいう「万人之敵」とは、別に一万人以上を殺戮した、という意味じゃないぜ?

526 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 02:13:26
がんばっていろいろ講釈垂れてるのを読んで思うことは
やはり論も簡潔を旨とすべきだということです

527 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 13:33:16
「許チョは先陣となって1万以上の首級を挙げた。」
許チョは数百以上の部隊は率いてたと考えられる。

528 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 15:26:08
数百人言うか、曹操の親衛隊率いてるわけだから数千人の部隊だろ

529 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 16:23:30
都尉だしな

530 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 23:23:10
趙雲も都尉でよかったのに

531 :sage:2009/05/28(木) 00:14:38
趙雲はショボかったのではなく、羌維によって顕彰されたのだろ?
顕彰というより、プロパガンダに利用されたのでしょう。

蜀書の第六巻の最後に書いてあるじゃないか。
初,先主時,惟法正見諡
後主時,諸葛亮功徳蓋世,蔣琬費禕荷國之重,亦見諡
陳祗寵待,特加殊嚔,夏侯霸遠來歸國,故復得諡
於是關羽・張飛・馬超・龐統・黄忠及雲

劉備は法正だけ追謚して、関羽も追謚しなかった。
諸葛亮でさえ、死後しばらく追謚されなかった。
蜀漢は謚号に抑制的だった。

それが、費禕の死後あたりから変わってくる。
建国の功臣を一番最後にまとめて追謚してるのは、
劣勢の蜀漢の国威発揚でしょう。

最後に追謚された六人のうち、趙雲だけが二字の謚号だけど、
趙雲の順平侯は、間違いなく魏延を意識してる。
これは皆で同意できることじゃないかな?

趙雲は諸葛亮南征の時の征南将軍なんだから「たいした事」はあった。
でも魏延みたいに、趙雲を出世面で追い越した逸材もいた、って事でしょ。

「正史だとたいした事ない」って見方自体が、
フィクションや民俗としての見方に囚われている。
たいした事はあったでしょ。
人物の才能を数値化するテレビゲーム視点に毒されすぎなのよ。

532 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 08:04:00
>羌維
これで説得力無くなってるよ

533 :531:2009/05/28(木) 08:52:43
>532
つっこみさんくす
で、関羽の謚号も二字だった
忘れてくださいな

目の付け所は良かったはずなんだが…

534 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 10:27:17
>>532みたいなツッコミってほんと性格の悪さが滲み出てるな

535 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 10:39:54
人格批判始める奴の方がウザいわ

536 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 11:09:52
確かにw

537 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 17:49:45
>>534
余計な一言は言ってないからせふせふ

538 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 18:42:18
いや余計だと思うw
趙雲大したことないって本気で思ってるやつなんて本当はそんないないだろ

539 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 21:10:29
漢字間違いの指摘は余計とは言えない
趙雲が大したこと無いかは何と比べてかにもよるな…

540 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/28(木) 23:21:11
大軍を率いたことがない=大したこと無い、と思ってる連中がいるからな

541 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 06:12:22
>>540
長年仕えてその始末こそ、大したことない事の証だろ

正史では、ガチで何もしてないじゃん

542 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 06:14:43
>>540
んじゃあ長年仕えて大軍率いた事ないし許チョはただの雑魚ですね

543 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 06:17:09
>>542
はい、タダのデヴです。

544 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 06:50:11
超雲は腕の立つ武将でも何でもなかったろ
ただ長く仕えただけの、取り柄なし男
何で腕が立つこと前提でこのスレ話が進んでるの?
正史厨の癖に間抜けなやりとりだな。無理に超雲をもちあげんなよ

張飛あたりどころか、王平あたりの名将と比べるのもおこがましい

545 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 07:26:42
それでは趙雲に次ぐの価値は何処…

546 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 08:13:18
名声・官位共に趙雲に次ぐ陳到さんは、征西将軍で李厳の後任の永安都督だからな。



547 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 11:11:10
>>544
俺の分身乙。蜀厨は正史も見てないくせに、超雲を過大評価したがるからな・・・

548 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 11:43:52
>>547
だよな。
楊戯っていうボケも正史読みもせんで季漢輔臣賛とやらで「統時選士,猛將之烈。」なんて言ってるしな…
正史くらい読めって言ってやれw 

549 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 12:26:47
>>546
陳到って登用場所および時期的に陳珪・陳登親子の縁者なのかなぁ
夷陵にも従ってそうだし呉と因縁が深そうだ…
そこら辺で自重しすぎて記録が少ないといった感じかな

550 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 16:31:04
>>549
それなら陳紀・陳羣親子の方のが近いんじゃね?

許靖の従孫の陳シは汝南だったと思うし、
別にいくらでもいるだろ。
夏侯博や夏侯纂は夏侯惇の縁者かな?

551 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 16:58:58
184年(一期生)
関羽 司隷河東
張飛 幽州?郡
簡雍 幽州?郡

191年(二期生)
趙雲 冀州常山

194年(三期生)
陳到 豫州汝南
陳羣 豫州穎川
麋竺 徐州東海
陳登 徐州下丕β
孫乾 青州北海

552 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 17:00:24
追加
194年
劉王炎 豫州魯国

553 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 17:01:54
関羽は1.5期生。
かわりに田予が入る

554 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 17:46:37
少なすぎて可哀そうになってくるな劉備陣営

555 :549:2009/05/31(日) 19:12:26
>>550
陳祗だと同陣営なのにまったく触れられてないからいくらなんでも不自然

陳羣だと魏に血族がいるから基本的に北伐に連れて行きませんでした
という印象が強まってそれが「忠」ですか?って感じだし、
清流名士の穎川陳氏が身内の異端者との関係を隠滅した印象になる

陳珪関係なら徐州救援による縁もあるし
勢力争いで血を残すための保険になる
曹操側に残った陳登が早死にして地元と切れて家ネタ少なくても自然
孫家とは仇敵みたいなものだから、呉との和平に反対して当然だが
国の為に自重したってことで「忠」ならいいカナと…

>夏侯博や夏侯纂は夏侯惇の縁者かな?
そうなら張飛の舅かもということになりますね

556 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 19:38:22
糜芳カワウソス(´・ω・)

557 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 20:26:17
>>555
允南的には奉宗のことはあんまり触れたくなかったんじゃね?
弟子の承祚にとっても、憚るところがあったんじゃないかな。

558 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 20:58:33
趙雲を超雲って打つやつってたいていアンチ意見な気がするけど、同じやつなのか?

559 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 21:10:23
>>544>>547は自演くさいな

560 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 21:30:51
陳登たちは下?の人
陳群たちは頴川の人

どっちも汝南の人の陳到とは別の一族
陳到の縁者の可能性があるのは許靖の親戚の陳祗くらいだ

561 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/31(日) 22:43:03
そういえば許靖は董卓時代に陳紀の任命に関わり陳羣と親交ある

ついでに流浪時代には揚州刺史の陳禕(陳温と同一人物か)に身を寄せた
その後に揚州刺史になったのは陳瑀(陳珪の従兄弟)で彼が孫策に敗れたことで陳登と敵対関係になると

それから許靖は呉郡都尉(のち太守)の旧交がある同姓の許貢のところへ…
この許貢が孫策に殺されて、その食客が孫策を暗殺すると

要は陳祗でも呉と相性が悪そうってことだが、それにしても陳氏多すぎ…
だが、陳登・陳羣関連なら遠縁じゃなければ記述があってしかるべきでは

562 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 22:57:49
また脱線しとるな

563 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/06(土) 11:22:17
劉備が蜀に赴いたとき、大事な本拠地である荊州に関羽・張飛・諸葛亮という一級家臣とともに残して、
新参で二級の黄忠や魏延を連れてったんだから、それだけ趙雲が重要で信頼できたということだ
そして劉備の救援として張飛・諸葛亮という一級家臣とともに赴いてるのを見てもわかる通り、
趙雲も一級家臣グループにいたということだ

564 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/06(土) 14:18:46
光栄のシミュレーションゲームだと、武力において
張飛>関羽>趙雲≧馬超>黄忠
みたいにされてるケースが多い印象があるな。
しかも「五虎大将軍」は他国の将軍達とは数値において別格になってる。
このイメージで趙雲を「たいした将軍」と言うのならそうではない、というのも間違いではないな。
正史には趙雲をそこまで他国の名将と比べても抜きん出ている、とする評価はないはず。

565 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/06(土) 17:07:27
陳到の話題は脱線じゃないと思うよ

季漢輔臣賛の序列感覚は重要だと思う
陳寿から見て、実名も分からない人間まで含む時代感覚のものだから。
そこで陳到と並べられてるけど、とても一級家臣の順序じゃない

趙雲が蜀でどの程度の重臣だったかは
親鸞が法然のどの程度の高弟だったか、と少し似ている

>>307 の意見以上のものは全部フィクションになっちゃうわなぁ

566 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/06(土) 17:49:22
>>565
>そこで陳到と並べられてるけど、とても一級家臣の順序じゃない
並んでいないよ、「亜」だから趙雲の方が上の評価だよ

あと、どう見ても>>307の意見が正しいとは思えないが…
推定で魏延ageしているだけだろ
追贈されたから5人の伝になったのだろうという意見なら分かるが

567 :565:2009/06/06(土) 18:10:36

陳寿の「亜」字は趙雲のが古参だって意味だと思う
季漢輔臣賛では
征南厚重 征西忠克 統時選士 猛将之烈
で、上下の意識はないよ
(陳寿の評価ではなくて、楊戯の評価ね)

趙雲が謚号をもらったから同じ巻に立伝された
で、五虎大将の人気者になった

謚号にしても、五虎大将としての見せ場にしても、
幼少時代の皇帝の危機を救った忠臣って点で重なる
(謚号の由来は趙雲別伝の「朕以幼沖 渉塗艱難 頼恃忠順 済於危険」ね)
それで魏延が対抗場に出てくるんだと思うよ

568 :565:2009/06/06(土) 18:23:44
あ、
>そこで陳到と並べられてるけど、とても一級家臣の順序じゃない
ってのは、
陳到なんかと同列なら大したことない、って意味じゃなくて。
陳到と並べられて、下から数えた方が早い順番で賛ぜられてる、てこと
その感覚と、正史の立伝の感覚は違うでしょ

569 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 00:02:18
>陳寿の「亜」字は趙雲のが古参だって意味だと思う
無理やりな自論を作ってまでイイワケしなくていいと思うよ307

>幼少時代の皇帝の危機を救った忠臣って点で重なる
魏延が「幼少時代の皇帝の危機を救った」話なんてあったけ307

>陳到と並べられて、下から数えた方が早い順番で賛ぜられてる、てこと
たしか魏延はさらに下でしたね307
ついでに孫乾、簡雍、伊籍、陳震、霍峻といった面々は賛がないから
記されている問題児よりも評価されていないと言いたい訳ですね307

570 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 00:42:39
>>307
>魏延が晩節を汚さなきゃ趙雲のかわりに魏延だっただろうなとしか語りようが無いわ

「小人」と呼ばれる人間が関羽らと共に載れるかな?

571 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 00:47:10
>>307
もし魏延が人間的に出来てたら載ったかもね

572 :565:2009/06/07(日) 03:37:30
私は >>307 じゃないけども… そりゃ証明不能として。

>>569
ちくまの和訳は読んだ事ないから、次ぐって翻訳してるのか知らんけど。
荀攸と賈クは 「其良平之亜歟」だけど、
亜は次点って意味じゃないでしょ。
「勝るとも劣らない」程度の意味でしょうよ
先行者を立てて、それと同等だって言ってる
これって「無理矢理な自論」なんかね?
漢文を専攻したわけじゃないから素人の「自論」ではあるけど…

>魏延が「幼少時代の皇帝の危機を救った」話なんてあったけ307
趙雲の立伝の事情について、魏延を引き合いに出して、
特殊な要因が働いたのだろ、という307に同意しただけだよ

>記されている問題児よりも評価されていないと言いたい訳ですね307
いいえ。
趙雲は >>563 のいうような「一級家臣」ではなかったはず、ということ。
563は
>新参で二級の黄忠や魏延
と言っているので。
一級とか二級とか、良くわからん概念を持ち込んだら混乱するよ、と

趙雲嫌いじゃないよ?

573 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 07:02:11
一級家臣かどうかは序列を言うんじゃないの? それなら明らか。
一級家臣とは言えない。

でもま、しかしスレタイの趣旨を酌むなら単純な序列のことではないんじゃないかな。
序列=出世だから、家柄だけで高位の人間もいるし、
だからといってそいつが「大したことある」というふうには歴史は認識しない。
逆も然り。


出世をいうと、そもそも魏延が出世したのが謎でしょ。
当時の人間が皆驚いたというのだから正当な評価ではなかった。
結局、人事権を持つ劉備が気に入るかどうかが大きいわけで
劉備は癖のある人間と気が合い、真面目な人間とは肌が合わないと言ってしまえば
それまで。
劉備の好みがそのまま歴史の評価になるわけもない。

蜀志の並びを考えると
趙雲の場合、世代と腕力系統の並びでそこしかないって感じだけどな。

574 :569:2009/06/07(日) 09:04:22
>572
うん、亜には「準ずる」という意味もあるね
でも陳寿が諸葛亮についてワザワザ「亜匹」と書いてあるのに
「亜」としか書いていないのも同じだというのは乱暴かと

>趙雲の立伝の事情について、魏延を引き合いに出して、
>特殊な要因が働いたのだろ、という307に同意しただけだよ
イイワケじゃなく魏延が『「幼少時代の皇帝の危機を救った」話』の有無を答えていただきたい…
気になって昨日はぐっすり眠れたから

>>趙雲は >>563 のいうような「一級家臣」ではなかったはず、ということ。
563の件については単純化しすぎておかしな意見だと思うし同意できる
でも、私が問いたいのは「季漢輔臣賛の序列感覚は重要だと」おっしゃるので
その説だと「孫乾、簡雍、伊籍、陳震、霍峻といった面々」は評価が低い
ということになるけどそれでもその説をつらぬくのかということ

575 :569:2009/06/07(日) 09:12:08
趙雲も降格することがなければもっと評価されていたとも言えるけど
ついで言えばに私は追贈がなければ4人の伝になるだろう派

別に趙雲好きじゃないよ?

576 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 13:05:36
幹部クラスだけどトップそのものではない、というだけ
名前もろくに残らないようなやつが数多いる中で
四鎮将軍なら大したもの
演義のような雑魚専キラーではないが
それと変わりない重要度

577 :565:2009/06/07(日) 17:47:14
>>574 , >>575
挑発的なレス貰っちゃったのでムキになったけど、
大して意見の違いがあるわけじゃないみたいね

>魏延が『「幼少時代の皇帝の危機を救った」話』の有無を答えていただきたい…
じゃ、謝ります。
日本語下手ですいません。
指摘のような事実はありません。

>謚号にしても、五虎大将としての見せ場にしても、
>幼少時代の皇帝の危機を救った忠臣って点で重なる
>(謚号の由来は趙雲別伝の「朕以幼沖 渉塗艱難 頼恃忠順 済於危険」ね)
>それで魏延が対抗場に出てくるんだと思うよ

趙雲は忠臣だから、という理由で劉備漢中王時の前後左右将軍と並べられた
趙雲は忠臣としての評価があってこそ、四人と並んだ
忠臣としての具体的業績が「幼少時代の皇帝の危機を救った」話。
「魏延が晩節を汚さなけりゃ」(>>307)、
陳寿も敢えて趙雲を関羽張飛らと並べたかどうか
という意味でした。(わかっとるくせに…)
>ついで言えばに私は追贈がなければ4人の伝になるだろう派
じゃ、同じ見解だ


>「季漢輔臣賛の序列感覚は重要だ」
レスの流れで、陳到の考証してた人らを「脱線」て切られたからね。

>その説だと「孫乾、簡雍、伊籍、陳震、霍峻といった面々」は評価が低い
>ということになるけどそれでもその説をつらぬくのかということ
そうなっちゃうのよねぇ…
その辺はお手上げですね。(私は自説立てられる程、三国志知らないけどね)
評価云々よりも、何でコイツらが楊戯の賛に出てこないかってのは
それはそれで面白い問題だね
ちょっと来週までに考えてみるよ
(程G郭嘉と劉放が何で同じ卷にあるんだろ?とかも気になる人なのよ)

>>573 の意見と
>趙雲の場合、世代と腕力系統の並びでそこしかないって感じ
この点だけ、もうちょっと何かあるんじゃないかな?て以外は歴史評価観は同じだね

578 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 19:57:54
がんばっていろいろ講釈垂れてるのを読んで思うことは
やはり論も簡潔を旨とすべきだということです
陳寿はえらい

579 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 20:53:37
劉焉劉ショウ劉キ馬超伝
諸葛亮関羽張飛伝
趙雲陳式黄忠孟達陳式魏延…伝

みたいな体裁にするかな
謀反関係ないなら。

580 :569:2009/06/07(日) 21:34:51
>>577
イヤーこんなのと意見はあまり違わないと思われるなんて…欝だ(ry

と、前置きはこのくらいで本題
そちらは無関係なレスをまぜこぜにして検討違いの反論をしていたようだが、
コッチが問題にしているのはわざわざフィクション全開の307の意見を認めて
それで線引きしたところ

もし趙雲が載らなくて、魏延がいくら功績重ねて裏切りがなかったと仮定しても
魏延があの4人の伝に並ぶことはまずない
307をわかり易く魏で例えると「5大将に郭淮が入らないのはおかしい」みたいな妄言
基本的に建国に貢献した将軍の列伝だから建国後に抜擢された人は入りようがない

魏延の方が実績あると思うのは別に構わないが検討違いの箔付けは滑稽なだけ

>>579
しむらー陳式陳式ー

581 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 23:14:04
魏延と黄忠って劉備軍傘下になった時期はほぼ同期だと思うけど、建国の貢献度でそんなに差があるの?
正史は又聞きでしか知らんからなんとも言えないけど。

582 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 23:17:12
魏延って、オッサンのイメージしかないな

583 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/07(日) 23:30:57
入蜀で先行隊三軍筆頭と言われ夏侯淵を斬った黄忠と劉備時代の魏延じゃやはり差ある。
対外的な知名度、名声、影響力が遥かに劣りながら
関羽、馬超らと同列になれたのはそれだけ功績が大きかったからだろう。

正史だと魏延が劉備に降った時期は確定はしてないが
仮に同時期だったとしても韓玄配下時代すでに将軍職だった黄忠と
入蜀時の活躍で部隊長から牙門将軍になった魏延とじゃスタートにも差がある

584 :581:2009/06/07(日) 23:52:59
ありがとう、納得した。

585 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 00:04:52
>>577
>程c郭嘉と劉放が何で同じ卷にあるんだろ?とかも気になる人なのよ
皇帝(曹操は違うが)を補佐した謀臣グループ(侍中とか)ってことでしょ。
例えば魏書二十二(桓二陳徐衞盧)は尚書系で、劉放はそぐわない。

>>580
>もし趙雲が載らなくて、魏延がいくら功績重ねて裏切りがなかったと仮定しても
>魏延があの4人の伝に並ぶことはまずない
>基本的に建国に貢献した将軍の列伝だから建国後に抜擢された人は入りようがない
魏延が抜擢されたのは建国前でしょ。建国というのが漢中国のことならともかく。
そして「基本的に建国に貢献した〜」というのは思いこみでは?
馬超は微妙だし。
それにあとはバランスの問題。
多少毛並みが違っても、振り分けの結果一緒にされることはあり得るだろう。

586 :569:2009/06/08(月) 07:17:27
>>585
>建国というのが漢中国のことならともかく。
わかっているようで理解し切れてないのね
>そして「基本的に建国に貢献した〜」というのは思いこみでは?
魏の五大将も魏公国建国時の古参将軍(左右将軍)2名と
魏王国になった時に四方将軍になった残り3名だろ(※後将軍は経緯的に割引か?

それと同様に漢中王国建国時に四方将軍になった四名と、
古参の勇将(趙雲)が並んでいるのが蜀書の該当巻というのが納得できませんか?

>馬超は微妙だし。
名声補正ありで蜀平定の駄目押しになっただろ、参入時の劉備の言葉を思い出そう

587 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 10:20:09
だいたい正史自体内容が疑わしいじゃねーかw
一瞬で全国に情報が伝わるメディアやネットがある現代でさえ情報隠蔽や脚色する中国の歴史やぞw
あんな広い国の出来事だし書物は政治も絡むし「正史」なんてもんは存在しないよ

588 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 11:08:25
>>586
なぜ魏の五将と比べる?
呉は?
それに趙雲が入ってる時点で説得力なし。
諡号の話は、それはつまり伝をまとめる基準が複合的である証左。
別に武官の巻だけじゃなく、全体を見れば多少毛並みの違うのもよく混ざってるだろ。
それと馬超が微妙なのは事実。

589 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 19:01:01
喧嘩腰になるのやめれ

590 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 20:27:19
意見の異なる者をいちいち敵視するのやめにしないか? 褒めれたもんじゃないぞ


言葉の抑揚が伝わらないから文章はニュアンスを伝えるのが難しい
語尾上げなのか下げなのか
若干伸ばしなのか弱めてるのか強めてるのか
それで全然受取手の印象が変わる

書く方は気を遣おう
受取手は良心的に受け取る努力をしよう

とにかく和やかに進行するようにレス交わす人間はお互い気を遣おうよ

591 :569:2009/06/08(月) 22:36:35
>>588
>呉は?
丸写し疑惑があるほど検証不足な点があるし、まとめ方が異なるっているので割愛

>なぜ魏の五将と比べる?
>それに趙雲が入ってる時点で説得力なし。
漢書、史記の「樊酈滕灌」ように四名の伝を立てるのが収まりが良いというのが自論
だが蜀では建国の元勲として四方将軍に加えて趙雲が追贈されたので五人
これは生前の官位にとらわれない介子推を思い起こさせる美談ともいえる
で、魏の五大将の伝はこの列伝に対比させる意図が感じられる
朱霊を補記にとどめてまで、五人にして李典を残した意図が…

>それと馬超が微妙なのは事実。
では、言い方を替えて「選定基準は功績第一で並べたわけではない」のだから
魏延が功績をいくら上げようと該当の列伝に並ぶ可能性は低いでオk?

>590
了解、自分としては浅慮で構成を崩すのをわざわざフィクションではない考察の限界の例として挙げられたのが理解できなかっただけ
未だに理解できないが納得できる回答はなさそうだし、更なる返答を求められなければこれまでにしておきますね

592 :569:2009/06/08(月) 22:39:11
李典じゃないや于禁だーorz

593 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/08(月) 23:57:47
>だが蜀では建国の元勲として四方将軍に加えて趙雲が追贈されたので五人
>これは生前の官位にとらわれない介子推を思い起こさせる美談ともいえる
>で、魏の五大将の伝はこの列伝に対比させる意図が感じられる

それこそフィクションだべ

594 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 00:38:47
>>591
>未だに理解できないが納得できる回答はなさそうだし
全然了解出来てねーじゃん、このケンカ腰w

>だが蜀では建国の元勲として四方将軍に加えて趙雲が追贈されたので五人
ちょっと意味不明な文だな。
諡号を基準に入れていいのなら「魏延が問題起こさないで諡号貰ってたら入るんじゃね?」の一言で終わる。
建国の話で言うなら、漢中王即位時点での魏延の職責は四方将軍に劣らぬほど重い。
貢献度も馬超より上だろう。

>丸写し疑惑があるほど検証不足な点があるし、まとめ方が異なるっているので割愛
いや、これは逃げだろ。
なぜ魏と蜀とでまとめ方が異なっているとは思えないのかね?

595 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 00:40:24
そういえば後漢書の方が編纂が後なのはなぜ?

596 :季漢南鄭侯賛:2009/06/09(火) 06:52:44
「正史」はフィクションである
趙雲の功績は過大評価で馬超は何もしていない
黄忠の功績も年を考慮して譲ったものであり
大半は魏延のものであるのは疑う余地はない
つまり漢中国建国時点で該当の官職を与えられるにふさわしい人物なのである

当然、裏切り云々も政敵による虚偽であり
その政敵によって正史が書かれてしまったことで魏延の評価が不当に低く書かれてしまった
実際は「五虎大将」に並べるのも過小評価と言える蜀の随一の名将なのだ

これが真実なのである!!!

597 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 07:06:53
蜀書の編纂時期・・・263年〜284年
魏書の編纂時期・・・265年〜284年
呉書の編纂時期・・・280年〜284年

どう考えても呉書は3つ揃える体裁整えるだけのオマケです。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 10:12:37
その書き方だと魏書や蜀書の編纂に20年かけてるみたいだぞ。
魏書だって魏略がベースなのを忘れずに。

599 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 10:26:02
陳寿が書いた三国志の魏書と蜀書と呉書は、それぞれ何年くらいから書き始めたんだろうな。
一番やっつけたのが呉書なのは間違いないと思うが。

600 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 23:45:54
596は591っぽいな

601 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 00:28:24
>>598
ベースは王沈の魏書と韋昭の呉書じゃないの?

602 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 00:28:32
多分ちがうな 596はガキ 大人はである調とか使わない

603 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 01:27:41
蜀志は陳寿の師のショウシュウが書いた『蜀本紀』を元にしていると言われている。
魏志は王沈の『魏書』と魚カンの『魏略』を元にしていると言われているけど、『魏略』の成立年代がはっきりしない。
王沈は魏帝殺害に加担した人物だから、筆を曲げていると言われがちだけど、実際はそうでもないらしい。
呉志は諸葛カク政権の時に、韋昭が編纂にあたったけれど、孫休のときに張布にうとまれて左遷。
孫皓が皇帝になったときに、編纂を再開したけど、孫皓の言う通りに書かなかったので、完成する前に処刑されている。
陳寿は晋王朝では歴史を扱う役職?に就いていたので、歴史書は簡単に手に入ったと思われるが、
呉書に関しては、呉が滅びる280年以後に入手したと考えられている。
どちらにせよ、陳寿が呉志を編纂した時間はとても短いと思われる。


604 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 06:46:36
>>602
ここは307=565と自分の自演を指摘されて傷ついてしまった
ヤツも同類だと思いたい彼の気持ちに答えてやれよ

605 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 20:40:44
詳しい三国志編纂情報ドモ!

レス止まっているので、とりあえず蜀漢追諡リストでも
法正:翼侯(220年
龐統:靖侯(213年ごろ死去、追諡時期劉禅のころ
諸葛亮:忠武侯(234年
蒋琬:恭侯(246年
費禕:敬侯(253年
陳祗:忠侯(258年
夏侯覇:諡名不明(259年以前
関羽:壮穆侯(219年死去、諡259年
張飛:桓侯(221年死去、諡259年
黄忠:剛侯(220年死去、諡259年
馬超:威侯(222年死去、諡259年
趙雲:順平侯(229年死去、諡260年

龐統の追諡はたぶん諸葛亮政権下だと思いますが…
どっかに時期と書いてましたっけ?

606 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 23:30:43
龐統も関羽たちと同時期だよ

607 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 09:40:26
姜維が順平侯という諡名にしたんだよな。
ところで一文字と二文字ではなにか差があるのかな?
二文字は関羽と諸葛亮でなんか特別っぽいけど。

608 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:10:37
一騎打ちで破った武将はいないよね?

609 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:13:37
むしろ三国志の全武将の中で一番多いが、何言ってんだ?

610 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 00:05:21
何言ってんだ?ってナニ言ってんだ?
一番多いって、演義の話かいな?

611 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 00:28:44
一騎討ちって時点で演義に決まってんだろ
正史じゃ一騎討ち自体ほとんどないんだから

612 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 00:59:21
ホウ悳が郭援を討ったとか、
太史慈が孫策を討ちそこなった(暗殺失敗?)とか、その程度だよな。
名の伝わっていない将を一騎討ちで斬った人なら、もうちょっと多そうだが。


613 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 05:58:09
>>612
ホウ悳vs郭援って一騎打ちだっけ?

614 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 06:16:06
当陽で助けてもらったから、後に劉禅が評価しただけだろ、趙雲

615 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 06:56:01
>>614
その通り
だから逆に劉禅にとって余人に変えがたいともいえるわけで
前提条件を加えれば追贈対象が変わる(武人は五人限定という理由もない)
というのは妄想に近い

616 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 20:55:36
ループにカチンと来たの俺だけ?

617 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:07:25
>>616
↓じゃあ、ココにでも思いのたけをぶつけれ
三国志ループネタまとめスレ
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240977954

618 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:27:21
>>613
>ホウ悳vs郭援
乱戦中に誰か知らずに切ってて持ち帰った…

ほかに挙げれば
閻行vs馬超
呂布vs郭
ぐらいかね…両方とも討ち取るまでいってないけど

619 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 22:58:30
>>614-615←バカ

620 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 00:44:53
>>618
北のほうの人ばっかりだなw
一騎討ちは騎馬民族に近い人だけの風習かな?


621 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 07:40:53
まとまりもなく連投連引用でだらだら書き連ねる愚昧の輩がいるからこうなる

622 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 16:53:51
もう決着ついてるだろ?
正史の趙雲がたいしたことがないのかどうか

623 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 21:28:43
はっきり言って俺のが すごいっつーの

624 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 21:30:08
>>623はあきよし

625 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 10:00:01
部将としては名将というより良将って感じだが正史だと個人武勇がより際だってる
漢中戦で見せた武勇は関羽の顔良切り、曹仁の牛金救出を超えてるな

626 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 16:56:34
>正史だと個人武勇がより際だってる
演義だと、の間違いだろwwww

627 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 19:16:06
>>626
まあ正史読め

628 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 20:24:25
それは正史ではなく注の別伝という罠

629 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/19(金) 20:43:32
別伝を根拠もなく作り話だと思っている罠

630 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 05:54:07
本伝で語れる部分を簡潔にまとめてしまって
別伝のほうを掘り下げてみてはどうかね
記述量が限られてるんだからどうやったってループするだろ

631 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 10:06:12
ループがいいんじゃないんか

632 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 11:29:11
さすがに曹仁以上の武勇ってのは無いわ
あの活躍で天上世界のお方とまで言われてるのに

633 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 11:55:07
別伝を頭から否定するのは早計だが、鵜呑みにするのはそれ以上の大タワケ。

根拠もなく否定するよりも、根拠もなく鵜呑みにするほうが、程度が低い。
まあ、五十歩百歩で本質は変わらないが。
懐疑的見解による真贋判定のペンディング、が妥当なところだ。

634 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 12:15:17
なお、古今東西、史書には偽書も存在するし、
(メジャーどころでは「イシドールス偽文書」の「コンスタンティヌスの寄進状」ね)
偽書でなくても内容に誇張や誤りが入る可能性は常にある。
(そもそも陳寿の「三国志」だけにかぎっても、記述の矛盾や不備はある)
だからこそ、その文献が史料として信用できるかを検証する学問が生まれたわけで。

『趙雲別伝』が偽書とまではいわない。
だが、そうでない可能性とそうである可能性が並立する以上、「否定はできないが参考にはできない」といったところだ。
だいたい、斐松之は「今(当時)入手できる史料は、真偽は措いて、とりあえず引用する」という態度だ。
あからさまな矛盾がなければ、明らかにありえない怪奇現象でもスルーして「こういうふうにも言われてます」で済ましたりする。
つまり、斐松之の注釈に引用されたことが記述の正しさの保証になるわけではない。

阿斗、コレはあくまで一般論なんだが、著者や成立時期が不明な文献というのは、どうも史料として信用しにくい。
ましてや、文献自体が散逸してしまって、その文献自体を検証するすべもない。
引用されている箇所が、どうしようもない破綻がある箇所を除いているという可能性すらあり、他の文献との矛盾がないから正しい、などというのは短絡にすぎる。
(矛盾がないところがたまたま引用された、という可能性も無視できないし、矛盾がないことと正しいことは同義ではない)
著者の実像がわからない以上、『趙雲別伝』がどんな性質の文献なのかさえわからない。
著者が真実に誠実な史家として記した史書だったのか、趙家の家史として趙雲を礼賛することを目的とした文書なのか、という問題もある(そしてその答えはもはやわからない)。
ひょっとしたらそもそも史書ではなく、当時の粋人が洒落で書いた小説が誤って史書として流出したのかもしれない(これはあくまで冗談な?)
また、著者がどうやって集めた情報なのかという問題もあるわけで、
劉備軍の大本営発表や劉備派の民衆の間に流布していた巷説をそのまま著述したとすれば、ソレが趙雲の実像をあらわしているという保証はない。

そしてさらにさらに、
そもそも、著者はどういう動機で『趙雲別伝』なるものを書こうとしたのか、だ。
(少なくとも、著者は「趙雲にどす黒い憎悪を抱いた仇敵」、ではないだろう。


まあ、真実はどうでもいい、ファンだから信じるのは自由じゃん、
といわれれば、それまでなワケで。

635 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 12:19:13
ちなみに俺の立場は、
「趙雲別伝、信じるに足らず。(否定はしないが、無視する)」
「注釈抜きの、正史の本体の記述だけで趙雲を評価する」
「その上で、言う。趙雲はマジでたいしたもんだよ。たいしたことないなんてとんでもない。」
「あと、趙雲別伝の趙雲はやっぱかっこいいし、あれはあれで好きだ。ただし史料としては無視。」


636 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 13:58:34
別伝は内容が派手すぎるのがな…
怪しい史料は他にもたくさんあるし
本伝の補足程度の内容なら特に疑いの目は向けなかったんだが

637 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 14:32:57
清の史学者・何焯も「趙雲別伝の元ネタって趙家の家伝じゃねーの?」て言ってるな

638 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 15:29:54
もっとも怪しまれると思われる空城の計について検討してみる

同時期では文聘(こちらは「魏略」)にも記述がある
過去の例を探すと馮異(後漢光武帝の配下)かな
…あと、春秋戦国で鄭の陥空城はちょっと違うか?

まあ、過去の例と異なり奇襲でなく追撃でしかないのに大戦果
というのが他に比べてウソっぽく見える原因だろうね

639 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 16:38:52
別伝込と本伝のみじゃイメージされる性格もけっこう違うからな…
大戦略に口出ししたり誘いを固辞したり自己主張が強くスタンドプレイを好む別伝趙雲
本伝のみだとむしろ自己主張が少ないイメージ

640 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 19:22:46
三国志そのものも歴史的大事の概要以外は事実とは断定できない。
本伝も様々な原典から作られているのであり、どの原典も単独でその信憑性が保証されているものはない。
結局、すべては整合性の問題でしかない。

俺は無理や矛盾がない限り資料の記述を信じるようにしている。
もちろん「絶対的真実」としてではなく「歴史的真実」として。

641 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 19:27:54
孫夫人が呉に帰るとき阿斗を連れ去ろうとしたが諸葛亮が趙雲に命じて阻止させた。
この事件は本伝のどこにもない。
しかし習鑿歯は漢晋春秋でこの事件を取り上げている。

否定派のみなさん
これはどうするの? 

642 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 20:30:39
>>641
単純に別伝の著者が漢晋春秋から引用したという解釈じゃダメか?

643 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 21:38:55
>>632
悪いがやったことの難易度はかなり差があると思う
別に曹仁がやったことが凄くないというわけじゃないがね

644 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 21:51:28
>>642
ダメかな
それでも漢晋春秋の元ネタは?ってことになる
或いは雲別伝が習鑿歯より早い時期にあり
歴史家の習鑿歯が採用したと考えることも当然出来る


>>642
雲別伝は信用できないという前提に立っているからそう思うんだろ?
>>640の通り
個人の家伝だろうと国家の家伝だろうと区別はないのだ

645 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:01:09
>>644
何か話が変わってる気がするけど
漢晋春秋と別伝の記述が被ってることに対して
否定派として解釈を君が聞いたから答えただけだろ?
別に俺の解釈が絶対正しいとか言ってない。
別伝の成立時期が分からない以上漢晋春秋と記述が被ってるからと言って
信憑性が高いという根拠にはならんよってのことが言いたかったんだが

あと個人の家伝だろうと国家の家伝だろうと区別はしないってのは
あくまで>>640個人のスタンスでありそれだけが正しい姿勢のように語られても困るわけだが

ついてに言うと俺は>>634ではない

646 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:17:37
>>645
呉夫人の例は「本伝に限定することの不完全さ」を言ったもの
本伝はあくまで「陳寿選」なのだから

>あと個人の家伝だろうと国家の家伝だろうと区別はしないってのは

違う
無理や矛盾がないのならば、個人の家伝だろうと国家の家伝だろうと違いはない
ということ
俺のスタンスとか言う話じゃない

647 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:20:35
どうでもいいけど「国家の家伝」っていう言い方が気になる

648 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:25:56
>>640
いや、実際に>>634みたいな考えの人がいるわけだけど、それはスルー?
あと趙雲別伝は個人の家伝なのかどうかもよく分からないものだよ

ちなみに俺は>>634氏と違って参考にはするがかなり割り引いて考えるスタンス

649 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:27:43
日本なら、家臣含めた「徳川家」などのように大名家の「家」と言えるんだが
三国志だとピンと来ないので

650 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:27:56
>>646あてだった

651 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:30:07
蜀書穆皇后伝:劉備の益州平定後、孫夫人は呉に帰国
漢晋春秋:孫夫人が後主を連れて呉へ行こうとした
   諸葛亮に命じられ長江を封鎖し取り戻す
   夫婦仲が悪くなり孫夫人は公安で別居(←帰国前の話
雲別伝:孫権が船を出して孫夫人を引き取る、
   そのときに密かに後主を連れて出ようとする
   張飛とともに長江を遮断し後主を取り戻す

両方とも時期的に蜀へ援軍として出向く前の話と思われる
そんなことより、こんなことがあったあと劉禅は誰が面倒みてたのだろうか…

652 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:33:07
ピンとこないなら使うべきじゃないな

653 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:37:19
>>648
ここんトコの流れに対し>>640と答えた

>>652
だから「家」(大名家)とは言ってない
「国家」も家なので「国家の家伝」でいいだろ

654 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:39:13
>>653
つまり突っ込むところは「個人の家伝」の方だったということですね♪

655 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:42:04
許褚伝の記述なんて許褚家の家伝か、家の人間の口から出た話だろう
「個人の家伝は信用に値しない」とか意味がないと思わないか?

656 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:44:19
>>654
? わけの分からんことを書いたら読者が混乱するだろ

657 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:55:39
>>653
本伝も様々な原典からつくられているのはその通りだが
その原典のほとんどは一次資料や魏書、魏略、呉書など史家の身元のはっきりした書物であり
著者の分からない野史からの引用なんてどれほどあったか分からない

また注釈が信憑性をあまり気にせず載せるというスタンスであったのに対し
陳寿は多くの史書、資料から取捨選択し簡潔に記すといった姿勢

そういった注釈、特に著者も成立時期も分からない書物を正史に載せられているからといって
本伝と同様に扱っていいかはまさに「個人のスタンス」としか言いようがないと思うが?

658 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 22:57:48
>>655
じゃあ典イ伝の記述も家伝や本人の口?

659 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:03:03
>>657
それら身元のはっきりした史書はどうやって出来たのかな?

660 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:04:41
散々言われてるが別伝は家伝じゃないか?と言われてるだけで
家伝かはわからないって、家伝という前提で話してる人が多いが

661 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:07:21
>>660
いや分かってるが、その説がより信憑性を下げてるので
最低ラインで話をしたほうが都合が良いかなと

662 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:11:13
信ぴょう性に関してはどっちもどっちな気がするが

663 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:12:45
>>657
個人の家伝だろうと国家の家伝だろうと違いはない
ということに納得した?

664 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:14:48
>>660
王沈の魏書は260年前半にできたと言われてるな

665 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:17:36
>>663
してないから納得させてくれ

666 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:20:03
>>665
>>659

667 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:21:05
別伝の記述は派手すぎてそりゃいくらなんでもどっか他の史料に
書かれてないとないとおかしいだろってのが多い
その辺も別伝の信憑性を疑う人が多い原因かな

668 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:22:50
>>666
説明できないのはわかりました

669 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:26:04
>>667
たとえばどのエピソードがどの資料にも載っているべきだと思うの?
よければ例を挙げてみて

670 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:33:06
>>669
いろいろ理屈つけて理由づけするのは目に見えてるけど一応言うと
劉備の出兵をいさめるところと漢中戦の降りかな
特に漢中戦の降りは散々言われてるように派手だね

671 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:33:58
>>668
本伝も様々な原典からつくられているのはその通りだが
その原典のほとんどは一次資料や魏書、魏略、呉書など史家の身元のはっきりした書物であり
著者の分からない野史からの引用なんてどれほどあったか分からない

また、その原典のほとんどの一次資料や魏書、魏略、呉書など史家の身元のはっきりした書物も
著者の分からない野史からの引用や脚色がどれほどあったことか分からない
その野史も端緒は口伝であり信憑性の程はわからない

672 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:39:35
>>670
いや、だからさ
それらの話が何かの資料に載るべきって言ってるんだよね?
件の漢中戦だと何に載るのが適当かな? そんなのある?

673 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:44:49
>>671
>その原典のほとんどの一次資料や魏書、魏略、呉書など史家の身元のはっきりした書物も
>著者の分からない野史からの引用や脚色がどれほどあったことか分からない
>その野史も端緒は口伝であり信憑性の程はわからない

その一次資料や魏略などの史書に載った信憑性の分からない口伝や、引用、脚色は
当時の身元のはっきりした官吏、史家(口伝に関しては周囲の人間にも)に公式に認められたものであるということは間違いない
その辺は誰に内容が認められたかもわからない著者の分からない書物との違いがある
また魏書に関しては魏への配慮が大きいとの批判もあるが当時の人からも高い評価を得ている
だから家伝と変わらないとは言えんわ

674 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:47:59
>>672
何か、としか
君はこんな派手な活躍が別伝にしか乗ってないのをどう思う?

675 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:49:06
>>673
官吏や史家の公式認定もバイアス掛かってるでしょ
魏略なんて裴松之に散々否定されている

676 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:51:30
>>675
バイアスがかかってるだけならまだマシ
全くのでたらめが書かれてる可能性がある書物よりは

677 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:53:50
単純に注釈は注釈であって正史そのものではないから
正史本文と同様には扱えないよ、でいいと思うが
それじゃ駄目なのか?

678 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:55:08
>>674
漢中戦での趙雲の活躍は一見派手だが、歴史的に観れば
見えないほどの成果でしかない。
趙雲以外の人物には苦い出来事だし、史書の各個人伝には載らない。

入れ物となるような資料が無いように思う

679 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 23:55:56
俺も家伝は割り引いて考えるのが当然だと思ってたが
三戦もいろんな人がいるわ

680 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:00:35
>>678
普通に趙雲伝があるじゃない
漢晋春秋や華陽国志も
あと曹操本体に打撃を与えてる以上歴史的にちいさいとは言いきれんよ
あと派手でも歴史的に小さいから、という理由だけじゃ弱い
派手なら歴史的な意義はなくても載ってる例はある

681 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:02:11
>>677
いいんじゃない?微妙だけど

蜀志は記述が圧倒的に少ない
仮に蜀に「魏書」や「呉書」のようなものがあったら
雲別伝のエピソードも普通に本伝に載ってるかもね

682 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:02:52
歴史的に小さいかなんてそう簡単に判断できるもんじゃないと思うが
それこそ他に記述が無いから判断してるだけじゃないか?

683 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:05:46
記述が圧倒的に少ないなかで趙雲だけは残ったんだからなかなかのラッキーボーイだな

684 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:07:15
>>680
歴史的に小さいよ
「漢中を落とした」という一文に呑み込まれるし
それでいて歴史的欠落にも値しないのだから

整合性の他に陳寿はバランスも考えたと思う
雲別伝を本伝に載せたら趙雲だけ蜀で大活躍したように映る
それだとまたおかしな事になる

685 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:11:10
>>684
まるで雲別伝が陳寿のいるころからあったような前提で言ってるけど大丈夫?
すでに言われてるが歴史的に小さいというのは他に記述が無いから判断してるだけじゃないか?

686 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:15:00
趙雲
・米の略奪と行いにいった黄忠の様子を軽装の数十騎で見に行く
・そのまま魏の先鋒体と遭遇、攻撃される。そこへ曹操の本隊も到着
・押しまくられたのでその陣に突撃をかけ戦いつつ退き、曹操の軍は敗北した
・張著が負傷したので馬を馳せ再び敵陣に突入し張著を救出

転載だが空城の計よりこっちの方が全然凄いな、あまり語られないのが不思議
事実なら確かに曹仁以上、というかガイカの項羽並みだわww

687 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:23:23
それが事実なら趙雲は大したことないなんてとんでもない
関羽や呂布並か以上の武勇だと思う

688 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:26:05
>>685
書物は元より口伝すら無かったのなら創作ということになるね
個人的にはあったと思うが確かに前提にしてしまった
ただ、本伝に採用されたもの以外にも何かあったのは間違いないね

>歴史的に小さいというのは他に記述が無いから判断してるだけじゃないか?
いいや
趙雲の活躍は大局に関係ないだろ?


689 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:26:56
>>687
記述がないだけ

690 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:34:24
>>686
大局に影響がなかったという記述が本文にあるのかい?
もう一度言うが別伝にしか記述がないこと、この活躍のあと昇進がなかったこと
からそう判断してるだけじゃないか?
曹操の本隊に打撃を与えて死ぬものが多数あったと書かれてるのに
大局に影響が無かったと言い切れる根拠は?

691 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 00:53:55
>>690
違うって
死者甚だ多しと言っても限度があるだろ?
何千人も死んだわけじゃないんじゃないの?
大局に影響を与えるほど魏兵が死んだと思う?

それにミッション自体は失敗に終わっているし
既に将軍位だし昇格もないだろう

692 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 01:09:56
>>691
推測部分が多すぎる、数に関しては多いとしか書かれてないから何とも言えない
そういう推測でいいなら先主に死者は日増しに多くなったと書いてあるが
このときの活躍の死者も大いに含まれてないとは限らんな

693 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 01:12:10
ごめん意味がわからん
分かり易く書き直して

694 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 01:22:15
まず死者の数に関しては数千も死んでないというのはただの推測だろってこと
それに数千も死ななきゃ大局に影響与えられないなんてことは無い
張遼のようにスタンドプレイで士気をあげるやり方もある
先主伝に関しては確かに無理があったので忘れて

695 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 01:31:02
逆に問えば、死者甚だ多しというのが「数千人」だというのは憶測だろ?

多いだの少ないだのというのは相対的なもの
魏の大軍というのも趙雲軍に比しての事だよ
仮に趙雲軍が5百人しかいなければ5千でも大軍だし
脅かして矢を射たことで死んだ「死者甚だ多し」というのは数百人でもそう言える

696 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 01:34:27
数千人がただの憶測というのはそのとおりだが仮に数百人なら〜とか
そんな憶測合戦やっても意味ないんで

697 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 08:24:45
単発レスで自分のスタンスを表明しあって何をしたいのか不明…

698 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 08:37:44
>>696
そうだよ だからそれらが雲別伝を疑う材料にはなり得ないってことさ

699 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 09:56:51
趙範もだが、趙雲って戦国七雄の趙の末裔ってことはあったりしないだろうか?
趙氏において常山での逸話もちょっとあるみたいだし。
実質は完全に滅亡したから趙姓が一般民として散り々りになっちゃった、程度かもしれないが。

700 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 10:11:10
>>698
そういう話しではなかった気がするが

701 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 10:41:18
戦国七雄の趙の来歴
1.帝舜時代に贏姓を賜る
 ※戦国時代の趙、秦の祖といわれる
2.周穆王時代に御者(馬の扱いが上手かった)造父が趙城に封じられ趙を称す
 ※これが三晋趙の祖、この時代に他の贏姓の人たちも趙姓に変更したらしい
3.周孝王時代に庶子が馬や畜類を繁殖させた功で秦の地に封じられ贏の祭祀を継ぐ
 ※これが秦の祖

ついでに趙氏ネタ
1.趙恵文王時代に趙奢が閼与の戦いで秦の軍勢を撃退し馬服君に封じられる
2.後漢光武帝時代の将軍馬援は趙奢の末裔で馬服君から馬を称したらしい
 ※これが馬騰・馬超の先祖は趙氏だが最初は徴税官程度の官職だった

趙の歴史を見ると判るが、戦国のころから配下に皇族ではない趙氏がたくさんいます

702 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 16:57:59
>>700
そういう話だろ >>667-

703 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 20:09:03
>>702
この活躍が大局に影響が無かったと「言いきれる」かどうかだろ? 今の問題は

704 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:03:36
>>703
そういうのを悪魔の証明という

705 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:22:48
証明できないことを言いきるもんじゃねーぞってことだな

706 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:30:19
なんでそうなる?
俺は雲別伝に不思議はないという立場場にある

不思議だと主張する側が「大局に影響があった」ということを証明しなければならないんじゃないか?

707 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:31:19
立場

708 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:34:52
>>706
俺は活躍の派手さにしか言及してない
それに対して君が歴史的に小さいから載って無くて当然だと言ってる
それに対して俺は別伝の記述「だけ」からは小さいとは断定できないと言ってるわけで
別伝以外に記述が無いから小さかったのでは、というなら分かるけどな

709 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:40:44
>>667かな?

>別伝の記述は派手すぎてそりゃいくらなんでもどっか他の史料に
>書かれてないとないとおかしいだろってのが多い

何故おかしい? 詰めて言うとどういうことかな?

710 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:42:24
>>709
それ以上つめて言いようがないな

711 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:45:31
派手だと派手ということだけで他の資料にも載るのは当然か?

712 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 21:54:22
外伝否定派(出自があやしいので信じません
外伝肯定派(家伝だったとしても歴史資料のひとつそのまま受けれて問題ない
 条件付肯定派(注は正史に反しない限りry
外伝割引派(よいしょで過剰に表現しているだけでよく読めば大局に影響ない程度

要するに、割引して見ている人が大局に影響なかったから史書に残らなかっただけと評価
それが妥当かで各派入り乱れての推測憶測合戦という感じ?

歴史への影響度でほかに記述がなくても問題ない派と、
実際の記述自体を割引してみる派でも齟齬があるだろうから、
IDも何もなくて自分と議論する相手も定まらないから入り乱れて意味不明

713 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:00:21
>>711
俺は当然だと思う
数十騎で曹操本隊、先陣部隊を打ち破り、さらに取って返して味方を救出
空城の計で曹操の本隊に打撃を与えて死者多数
局地戦とは言え蜀の部将がほぼ独力であの曹操を相手に戦術勝ちしたことになるわけだが
これだけの戦果が事実なら蜀の武将にとって相当華々しい戦果に映ったことだろう(たとえ被害がたいしたことなくても)
事実別伝では日暮れまで宴会で趙雲をねぎらったと書いてある
これだけ史書的に美味しいネタが正史本伝にも漢晋春秋など他の注釈にも全く触れられていない
さっきにも言ったが歴史的影響が小さいというだけでは載らない言い訳にはならないと思う
甘寧の百人での奇襲、曹仁の牛金救出なんてどれだけ大局に影響があったか分からない

714 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:10:59
>>712
今いる別伝肯定派は別伝をそのまま受け入れるか割り引くかはスタンスの違いではなく
受け入れる方が全面的に正しい、と言ってるわけでそれも追加で

715 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:45:59
>>713
華々しさ限定で話をするなら、それを収める「入れ物」はあるのか?って事だよ
どんなに派手でも歴史の流れに影響がないなら「歴史」には載らない
日本史の教科書に義経の戦術の詳細が載るか? 載らないだろ
戦術レベルの話ですら載らないのに槍働きまで載るなんてことはない
歴史はそれで充分なんだ

曹仁の話は王沈の「魏書」、甘寧の話は韋昭の「呉書」などにあるんじゃないのか?
これらの史書が「三国志」の元ネタになっているとされるが
蜀志にはそのような史書が存在しない
曹仁や甘寧らの例との比較はここに躓きがある

716 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:46:54
>>714

>>640

717 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:56:33
あと、バランスね

718 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 22:57:21
>>716
>>646
「俺のスタンスとか言う話じゃない」と言ってるね

719 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:05:48
>>715
入れ物の話をするならちゃんと自分の伝が立ってる趙雲の場合言い訳にならんと思うけど?
蜀ビイキの陳寿がバランスを考えてそこまで美味しいネタを丸丸削るのが当然か?
別伝ほど詳細でなく簡潔にでも戦績として加えるとが当然と思うが
張嶷なんてやったことはそんな大きくないけど陳寿に面識があった分かなり詳細に記述されてるし
曹仁や甘寧はあくまで俺が「派手だがいかにも大局に影響が少なそうな例」として出しただけで
そのまま別伝趙雲の活躍に当てはまるかどうかは知らんよ
こういうとまたループになりそうだけど

720 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:07:19
>>718
俺のスタンスでもあるが、歴史学のスタンスだ

721 :712:2009/06/21(日) 23:11:27
俺とか自己主張して議論するつもりならレス番くらい名前に書いてくれ…

722 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:13:17
>>719
>別伝ほど詳細でなく簡潔にでも戦績として加えるとが当然と思うが
どのように書くかな? めんどいだろうけど陳寿風にちょっと書いてみてくれない?

723 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:14:56
>>722
めんどいからやだ

724 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:17:21
>>720
「歴史学のスタンス」に唯一絶対のものがあるのか?

725 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:26:37
>>724
>>640の通り「絶対的真実」と「歴史的真実」は別物
新たな事実の発見が歴史的真実を塗りかえていく
どんな事実の発見があったんだ?

726 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:29:54
>>725
俺が聞いてるのは国家の認めた正史であろうと個人の家伝であろうと
矛盾が無い限り全く区別せず同等に扱うべきというのが
全ての歴史家にとっての基本事項であり共通認識なのか?ってこと
そうだというならもう何も言うことはない

727 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:34:28
正史も資料批判の対象だよ

728 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:35:35
>>727
そう、そしてその上で陳寿の正史は高い評価を得ているね

729 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:36:52
それは何故かな?

730 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:38:19
いいから>>726に答えてくれよ、逃げないで

731 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:40:12
代わりに答えるか

他の資料を参考に批判しても無理や矛盾が少ないから

732 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:43:31
>>726には答えないの?

733 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:45:05
>>730
逃げてないぞ?
まぁ基本事項だろうね
王朝が認めたかどうか関係ない 

734 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:45:50
自演age

735 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:46:54
自演じゃねーよw

736 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:50:22
散々な史料批判の上、他の資料との整合で信憑性の高さが証明され高い評価を受けた正史本文と
本文との目立った矛盾はないが成立時期も著者も分からない注釈の文を
区別せずに史料として全く同等に扱うべきというのが
全ての歴史家にとっての共通認識であり基本事項である、と
なら俺はもう何も言うことはない

737 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/21(日) 23:57:10
歴史家が根拠に基づかない無闇な批判をしていたら
歴史は穴だらけになるんじゃないか?
それでは「歴史」は発展しない
無理や矛盾もないのに勝手な割引きがどうして出来るんだ?

738 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:02:53
>>737
「勝手な割引」かどうかは誰が決めるんだ?
それも結局主観だろ?
・個人の家伝だから誇張が大きいだろう、
・著者も成立時期もが分からないからそのまま信用していいか疑問

これらは結局主観だけど、それを否定し、区別はないというのも主観だと?

739 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:03:55
最後主観じゃないか?の間違いだな

740 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:15:54
>「勝手な割引」かどうかは誰が決めるんだ?
「証明」の有無が決める

>・個人の家伝だから誇張が大きいだろう
無根拠

>・著者も成立時期もが分からないからそのまま信用していいか疑問
著者や成立時期が明らかならばそのまま信用していいのかい?
そんな事はなく、明らかだろうと明らかでなかろうと平等に資料批判されるんじゃないのかな?

741 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:18:28
どうでもいいけど基本事項のソースある?
もし>>736が周知の事実なら結構重大なことだからな

742 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:24:12
>著者や成立時期が明らかならばそのまま信用していいのかい?
そんなことは言ってない
だが著者自身の評価や成立時期の近さは信憑性をはかる一つの参考にはなると思ってる

>そんな事はなく、明らかだろうと明らかでなかろうと平等に資料批判されるんじゃないのかな?
趙雲別伝が単独で史料批判されて歴史家に高い評価を受けたという具体的な話を俺は知らないな

743 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:30:27
>>741
さあね
俺が答えたのは>>726に対してだから

737からは私見だ

744 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:32:04
どうでもいいが落ち着けよ
読んでてげんなりする

745 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:34:14
それが目的だろ

746 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:36:06
全然落ち着いてるよ 語気は荒くないからそのつもりで読んで

747 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:39:06
>>742
同意

そこから先の話で、「雲別伝は割り引きするということが問題」なんだ

748 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:41:37
君ら 少し落ち着いた方がいいんじゃないの?

749 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:43:18
>>741
そこまで有名な基本事項ならソースぐらいすぐ見つかるんでないの?
俺はちょっと調べたけど見つからなかった

750 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:43:25
だから落ち着いてるって

751 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 00:49:35
文章が分かりにくいかな

「“雲別伝は割り引きする”ということが問題」なんだ

752 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:06:18
何か分かりやすい信者対アンチって図式だな

753 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:10:47
このスレのタイトル的に、「正史」のみで考えれば趙雲ってどうなのよ。
まぁ演義も含めた「趙雲」のイメージが払拭しきれないから偏りのない評価は難しいかもしれないけど。

754 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:17:12
補足

>>736
名高い司馬光の資治通鑑が雲別伝のエピソードを採用してる

755 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:18:35
754は>>736への補足回答

756 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:34:43
また無駄引用長文を垂れ流すバカが沸いてるな
これだけのバカだと死に値するな



757 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:45:06
とバカが申しております

758 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:46:43
ところで本伝と別伝を史料として同等に扱うべきだと言ってるやつが
このスレのどこかにいたのか?
引用バカはそういう前提でだらだら書き連ねているようだがw

759 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 01:57:16
思いっきりいるように見えるんだが

760 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:05:04
どのレスだよ

761 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:11:28
>>726
>>733
普通にいるようだが、文盲ってレベルじゃねーぞ

762 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:14:11
おまえの文盲っぷりに吹いたw

763 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:22:40
「全ての」歴史家にとっての共通認識なんてものは存在しない
そんな存在しないものについて相手に問うた時点で言葉遊びにしかなっていない
「絶対的真実」とか「歴史的真実」も言葉遊びの領域だなw

764 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:30:06
お前がいたかと聞くからいたと答えたら文盲か?

765 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:37:15
意味のない質問への回答を存在例に挙げるようでは
別伝の信用性を語るどころじゃねえなw

766 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 02:40:54
つまり本伝と別伝を史料として同等に扱うべきだと言ってるやつはこのスレにはいないわけだ

767 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 03:17:21
そうだったのか… めでたしめでたしだな

768 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 03:25:13
いるのは言葉遊びの罠に嵌めようとしてるだけのクズだってことw
「信用性が正史と同等でない」→「なかったことにする」に持っていこうと喚いてるのが一匹いるってだけのこと


769 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 03:40:40
これまでの煽り合いは全て無駄だったと
予想外の結論でした

770 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 05:46:40
子供ばっかだな

771 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 07:56:19
>>769
どう見ても予想通りだが?根拠なしの自論同士で結論でると思ったの?

772 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 08:18:26
別にいいじゃん
埋めに丁度いい
立伝+シ号されるようなのが大したことないなんてありえない
実際どの程度かは具体的ではないが不確定要素一切無視で
馬鹿にするやつはただのアホ、で終わり

773 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 15:22:21
スレタイと逆に軍功凄まじいのになぜかイメージ地味なのが曹仁

774 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 16:36:32
そーs−

775 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 17:51:15
>>766
別伝を100%信じてる奴はいないだろうけど
「1割も信じられない!」って奴の根拠もよくわからんな

776 :北の国から:2009/06/22(月) 18:03:11
まあ、文献に対する考証学というものは実際あるわけで

そして、「書いてある文献はとりあえず信じてみる」という姿勢では考証学は勤まらないわけで

さらに、実証史学というやつはその文献考証が核の一つになっているわけで

ただ、まあ、ただの一ファンに過ぎない以上、学者を気取る必要はないわけで

つまりはっきりいってしまえば、一ファンにとどまる限りにおいて、「理由も理屈も要らない子」なわけで

オレは、史料としての「別伝」は(引用箇所が伝わっているだけで文献自体が残されていない以上)信用はしないで黙殺するけれど、それはあくまでオレの勝手なわけで

オレが「別伝」を鵜呑みに信じないで懐疑的に黙殺するのと同様に、「別伝」の記述を信じる、というファンが存在しているのもまた当然なわけで

そんなオレだが「読み物として」なら結構「別伝」は好きなわけで

そして別伝は史料じゃない、というと立場でも、注釈抜きの正史本文だけでも、実像はともかく趙雲はたいしたやつだと思えるわけで

父さん、煽りあいは・・・不毛です

777 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 18:09:29
ここまで親子喧嘩

778 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 19:50:11
全然煽ってないんだけど…? 相手に煽られたという気もしないし
レスの応酬が続くと傍からはそう見えるのかな?

ただし>>633-634>>776に煽りを感じるのは否定しない



>>776
考証学は考証する学問なのだから当然そうだろう

考証学・実証史学からいきなり「ただの一ファン」に飛躍するのは何でなの?

実証史学は帰納だから観測点の数が物を言う学問なわけで
単一の史料をどうこうする学問ではない
必然的に実証史学の対象となるものは限られる
実証史学の対象となったものだけで歴史を語ると陳寿三国志のようなものになるわけだが
歴史学を「=実証史学限定」とするなら裴松之のしたことは何だったのか
正史が慎重であるが故にあまりに不完全な代物だったからこその裴注ではないのかな
以降、裴注付きの三国志がスタンダードとなった理由は何だろう?
>>776の意見は「歴史学は裴注は無視する」と言っているのと同じだが、異存ない?


雲別伝が散逸していると信用に値しないのは何故なのか?
>>634文中にその理由が書かれてるが
要は雲別伝の性質が分からないからということでいいのかな?
書物の性質を考慮することは重要に違いない
では、三国志本伝の性質を>>776はきちんと考慮しているのかな?

考慮してたら>>633-634>>776のようにならないと思うんだが

779 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 19:51:46
ま、あくまでキミの勝手だが

780 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 20:57:46
陳寿三国志は実証史学としてもお粗末すぎる

781 :>>776:2009/06/22(月) 22:33:50
しょうもないパロディで、滑ったのは反省だが、ソコまで粘着される覚えはないなぁwwww

大体、何で、100レス以上も前の>>633あたりなんかと並べて叩かれなきゃいかんのかイミフwwww
よくスレッドの端から端までよくチェックされていることで、いやご立派
と、まあ、せっかくなので粘着返しを

飛躍って言葉からしてイミフ。
オレも専門家でない以上、「三国志を知らない人よりはいくらか詳しい一ファン」の域は出ないし、専門家を気取るのはおこがましい。
>>778もそういう意味じゃあ、専門家ってほどじゃないだろうし、あくまで一ファンでしょ?
(実は考証学者だった、としたら失礼をば。)
このスレッドにおいては、各自は、基本的人権的見地において対等な一ファンに過ぎない、というのが、前提でモノを言っています。

考証学者云々ってのは、第一には、方便、
どれほど詳しくとも突き詰めれば一ファンに過ぎない一団の中であくまで自説こそが正しいと認めさせるという不毛さを揶揄する(仮にそんな人がいれば、ですが)ための、
方便であって、主ではない

中には専門家気取りで押し付けがましく自説を声高に主張する輩もいるようですが、
オレは、そういう意図はないし、それを好まない
一ファンとしての自説を声高に主張はするけれど、
それを押し付けたりはしないし、みんなめいめい一ファンとして好きな立場で好きなことを言えばいいじゃん、
押し付けることなんてできっこないんだから、そういう試みは不毛じゃん、
・・・ということを、笑いに紛らせてみようと試みたわけで

もう一つは、コレはあくまで科学というものにおける一般的な考え方だと思うのですが、
グレーゾーンについては、それが正しいという前提で論を展開しても、それは、可能性の一つ、仮説の一つに過ぎないわけで、真理ではないわけです
確かに、「否定されてないから信じる」ということを正しいと主張しちゃうことへの揶揄はあります
「否定されていないこと」は実証されるまでは白黒がつかない、グレーゾーンなワケで、それが正であるというを土台に話を組み立てたところで、科学的な思考とはほど遠く、そのような起点の論理はそれが正であると立証しようとする試みにおいてはまったく意味を成さない
ということをいうためにも、考証学を引き合いにしました
一ファンとして「否定されてないから信じていいじゃん」というのは自由であり、普通だと思うんですが、それが正しい、という主張は成立しませんよ、と
・・・斐松之も、注釈に引用した文献について、不整合などの矛盾の指摘こそあれ、それが正しいとなんて一言も言っていないわけですし


ましてや、本伝の性質なんてそんな大それたことに言及しようなどと。
まあ、せっかくですから、>>778が定義されるところの本伝の性質とやらを、詳しく順序だてて聞いてみたいとは思いますが。

一言で、著者の素性がわかっている統一国家の朝廷が公認した史書(そりゃ、表も裏もあるさ)、という認識だったんですが?

782 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 22:35:12
なにこのキモイ流れ

783 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 22:50:38
>>782
307が流したくて自演しているらしい

784 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 23:24:58
307 :.:2009/04/12(日) 20:34:54
魏延が晩節を汚さなきゃ趙雲のかわりに魏延だっただろうなとしか語りようが無いわ
つーかなんで他4人と趙雲を一緒の伝にしたかわけわからね
追贈も一人だけ遅かったんだよな

こいつ?

785 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 23:28:07
自演乙

つか>>307までさかのぼったオマエがキモい

786 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/22(月) 23:32:51
よっぽど>>307のレスが悔しかったんだな

787 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 00:38:01
「忘れてください」って一言謝ればすむ話なのになぁ

788 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 01:18:23
つかそんな大昔のことを覚えてもらってるつもりでいたんだろな
自意識過剰

789 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 03:26:51
救った張著とやらが、当初加入したと思われる張翼のことの書き損じなら
まだ納得いくんだがねえ
それなら彼の出世にともない、価値が再評価され謚号賜ったとも考えられるし

790 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 06:05:41
>>789
張翼って初めは蔣琬や楊戯と同じ書佐ですぜ
そのあと県長、県令、大守を歴任という初めのころは軍権もあったのだろうけど
文官内政治安路線な感じ

791 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 08:29:39
最初期は軍に関わってなかったのか
と、なるとそれも厳しいなあ

792 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 12:14:13
「一ファン」なのは意図
「歴史学」「考証学・実証史学」は手法
同列のごとく語っているが

そして「歴史学を「=実証史学限定」とするなら」とか勝手におかしな仮定を付け加えて
無理やり変てこな結論につなげている

>>778は言葉遊びで再び話をゆがめようとしているクズ

793 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 17:03:51
どーでもいい人格攻撃

794 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 17:06:29
趙雲は独身で統、広は養子だっていう説はどうなんだ?

795 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 19:19:50
>>784というよりこいつ

565 :.: 2009/06/06(土) 17:07:27
    >>307 の意見以上のものは全部フィクションになっちゃうわなぁ

796 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 19:30:07
さあみんなでがんがってながそい

797 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 19:52:01
>>781
>飛躍って言葉からしてイミフ。
>>776の1〜3行目と4・5行目は繋がっているね
その割に考証学・実証史学と一ファンは連続した関係にない
それでいて5行目で結論している  これを飛躍という
飛躍と指摘されて意味不明と感じ、それが妥当なら
そもそもの言動が意味不明だったということだよ

まぁいいや
つまり、
「オレはただの一ファンで、>>776の上の五行は冗長なだけで意味はありません。」って事ね?
おk
しかし>>781で「揶揄」と明かしたように煽ってたわけだね?
煽ったらカウンターパンチが飛んできても仕方ないじゃん
それを粘着と返すのはおかしいな



>>633-634>>776
正史というものの信憑性を過大に評価しているんじゃないの?
「王朝が認めた」というのは、少しも信憑性を保証するものではないよ


正史三国志の信憑性を白・黒・グレーで言うなら
大部分はグレー
実証史学的に白判定を受けるのは、複数の史料に記述が認められ整合性が取れている箇所のみ
まぁ、丸ごと白と思い込むのも個人の勝手ではある


個人の勝手ではあるが
陳寿が取り上げて本伝になった部分は正しくてそれ以外は黙殺に値するというのは
普通筋が通らないよ



>>792
論理が苦手? 

798 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 21:42:46
>>794
初耳
くわしく

799 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 21:53:26
>>798
アニメ版横光三国志のビデオ全巻借りてこい

800 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 21:59:55
>>798
正史と無関係な話なんで続けるなら↓で
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1227016994/

801 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 22:00:44
馬超の妹を嫁にもらってるのにわざわざ養子とる意味あるのか?
まあEDとかいうなら分からんでもないが

802 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 22:28:40
アニメ版かよwwww

803 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 22:54:52
趙雲独身説の出典って大昔の腐女子の妄想かな

804 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 23:00:35
>>803
多分
趙範が兄嫁を妻に勧めたのを断った→その時点で結婚していない
という別伝のところからだろう

しかし、ここから分かるのは「趙範が妻に勧めた時点では妻がいなかったかもしれない」だけ
・それ以前に妻がいたが先立たれた
・その後別の妻を娶った
・そもそも趙範も側室に勧めただけで正妻はいた
という可能性が見えていない穴だらけの空論

805 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 00:56:27
趙雲は人外の生命体で、結婚しようにもできなかった

806 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 05:42:14
>>797
おいクズ、おまえ以外の誰が「歴史学を「=実証史学限定」とするなら」とか仮定してるんだ?
そういう勝手な改変付け加えは、飛躍以前のでっち上げだ
伝を解釈するに用いる論以前の問題だなw

史料が黙殺に値すると判断するかどうかは書き手の人物像や書かれた背景にもよるだろう
見つかっているものからすればグレーのものはグレーにとどめるしかない
ただここは学術研究以外お断りというわけではない
グレーのものをグレーのまま、このスレ住人視点であれこれ推論するのも面白いと思ったんだが
まるっきりのでっち上げで語る奴相手ではさすがにどうにもならんかなw

807 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 10:24:41
あげ

808 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 14:22:29
まあ、この手合は「プラトンが書いてるアトランティスは実在する」とか言いそうだなwww

809 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 15:22:16
実在した、の方がいいだろ。プレスタージョン

810 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 19:36:42
そのとおりだね。ノストラダムス

811 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 19:46:18
落ち着いた方がいいな。弥勒菩薩

812 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:07:26
この手のあおりは禁止すべきだな。又吉イエス

813 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:15:03
>>806
やはり論理が苦手なんだな 
俺が限定したわけじゃないだろう  読んでて分からんのか
読解力磨いて出直してこい


814 :改行大杉ってさ:2009/06/24(水) 20:16:22

>史料が黙殺に値すると判断するかどうかは書き手の人物像や書かれた背景にもよるだろう
これは「間主観性」の問題だ
この世に厳密に客観というものはない  すべての言葉・文書は、発信者の主観による情報だ
「間主観性」というのは、主観であっても主体(観測者・発信者)と客体(対象)には関係性がなく
私情などで情報が歪められていないという様態のこと
分かり易く言うと
発信者(発言者)が、対象を好きでも嫌いでもなく、得にも損にもならない情報は
曲げる理由がないので見聞きしたまま伝えるだろう
という「情報の伝達段階」での信用性ね

雲別伝はこの点、著者不明なので間主観性が保たれているとは認定できない



>見つかっているものからすればグレーのものはグレーにとどめるしかない
何が見つかっているんだい?  何も見つかっていないだろうに
正史は陳寿が“編纂”した  この段階には間主観性が認められる
元となった史書のひとつ、王沈の魏書を例に挙げる  これも編纂したものだが 
時勢への配慮が見られ、間主観性が保たれているとは言えない
そもそも魏書を著すこと自体、後世に対し自国を礼賛するためにした事だったのかもしれない
魏臣王沈らと魏の歴史は密接な関係にあり、間主観的な間柄ではないのだ
さらには魏書の編纂に用いられた史書はどうか?  この段階の間主観性は誰が確認した?
各紀伝(「〜伝」)の内容にある伝承は主観ではないのか?  間違いなく主観だろう
グレー情報を間主観的に伝達してもグレー
陳寿が間主観的であっても、史料の元を詰めれば主観なのだ

最終的な著者が間主観性を保っていても、元々の情報自体に間主観性が保たれていなければ
最終的な著書が間主観性を保っているとは言えない

間主観性が保れていることが確認できなければ史料として認められないとするならば
正史もまた同じ


>グレーのものをグレーのまま
その通りだが、誰も雲別伝を白とは言っていない  正史も大部分はグレーだよと言っている
この違い分からないかな?


815 :813:2009/06/24(水) 20:17:26
>>808
アトランティスに無理がなければそうかもな
で、無理はないのかい?
つーか、物語だろ  それだともう一段階何か要るな

あと、「バカほど2ちゃんでよく嗤う」という説があるから気を付けろ 
バカと思われるぞ  

816 :813:2009/06/24(水) 20:20:12
あと俺、自分押さえてるけどサディストだからw
あんまりフザケてると苛めるよ

817 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:24:28
惨めで痛々しいサディストもあったもんだ。

818 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:31:25
>あと俺、自分押さえてるけどサディストだからw
>あんまりフザケてると苛めるよ

うわあ…

819 :813:2009/06/24(水) 20:33:53
>>817
そういうレスは早いほど良い

>>818
既に苛めたくなったんだけど我慢してるんだ

820 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:34:50
おいクズのせいで、その後にどんな素晴らしい文章が書いてあっても誰にも読まれないんだよなw

>>808
アトランティスは実在「した」に訂正してくれよw

821 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 20:41:50
プレスタージョン…幻の援軍

822 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 21:09:50
>ttp://maps.google.co.jp/maps?t=h&hl=ja&ie=UTF8&ll=31.475524,-24.642334&spn=2.440666,3.537598&z=8
アトランティスは実在した!

823 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 21:13:29
>>822
おお、素晴らしい

824 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 21:14:43
でも808らにはそれが何か理解できないんじゃ

825 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/24(水) 22:31:23
史料を鵜呑みにできるんなら、史料を検証する手間は随分省けるんだがなぁ

826 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 04:04:32
素人目から見て功績面から趙雲の身分の低さは至極妥当に見えるんだけど、
彼の軍を率いてでの功績は蜀攻略、北伐での退き際くらい。
で、張飛に関しては厳顔との戦いについて詳しく書かれているけれど、
趙雲の江陽を攻略したとは書いてあるものの、具体的に軍と交戦したとは書かれてない。
そしてその功績が雑号将軍。自分には既にもぬけの殻になった土地を占拠しただけにしか感じ取れない。
四郡においては攻めることなく劉度が降伏しただけだし、北伐の退却劇に関しては作戦的にどう難しいことだったのかはわからないので言及しない。
ただ、勇武に富んだ人物であったのに魏延のように前線でガリガリ戦闘をした記述もあまりない。


関張馬黄と並び評されてるのにたいしたこと無いわけない。
きっと出世できなかったわけがあるはずだってこのスレでは書いてあるけど、
それって太子を救った大恩があるから相応の扱いであると思われてただけじゃないの?
普段は打たないのにたった一本のサヨナラホームランで何時までも英雄として語り継がれる選手みたいにさ。

827 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 06:29:35
趙雲の子供養子説は結構ポピュラーな説かと思ってた。
三国志ハマった当初読んだ解説本何冊かに書かれてたし。
理由はゲイ説からくるもんだとか。
若い頃はずっと劉備の近衛隊長擬をやってて寝床を常に共にしたり、
劉備が趙雲の容姿を気に入ってたという話があったり、
趙範の嫂を断ったりって事からゲイ疑惑=養子って流れらしいよ。
小説に寄っては養子設定されてたりするし色々俗説があるよな。

828 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 10:39:26
正史スレだというのに誰も>>801に突っ込まない件について

やおい

829 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 10:50:55
馬超の妹を嫁にもらうのは演義の話だな

830 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 10:53:07
UFO?

831 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 14:54:45
>>814
お得意の長文垂れ流しはご苦労なことだが
結論が無意味なのは相変わらずだな

勝手に「間主観性」なんて言葉を持ち出してぐだぐだ書いてるが
相手の言ってることのリピートしてるだけじゃねえかww
真性のバカか?wwww

832 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 15:14:37
814は中身空っぽ、特に否定も肯定もする意味はないんだが
814のいうところの「間主観性」を保たれていないものについても
あえて語ってみてはどうかというのがオレの感想
わざわざ白黒線引きしたり学問の手法でやろうとするから身動き取れなくなる
もちろん結論とか出やしないんだが
三戦板の他人の視点を見れるだけでも面白いんじゃないかね

スレタイの正史から外れすぎるというならまあその通りだが

833 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 15:17:24
814は利口なのは分かったから出来るだけカットしてくれ
長すぎる

834 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 15:32:15
中国での趙雲の人気っていうのは
日本での真田幸村みたいな感じってこと?

835 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 18:52:49
間違いない
真性だ

836 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 18:59:38
>>829
確か馬雲録だっけ?

837 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 20:21:51
>>831
あのな、考証学・実証史学って言葉を持ち出してきたのは>>776なんだよ
>>778はそれに対応した答え方をしたものだ
>>797
「実証史学的に白判定を受けるのは、複数の史料に記述が認められ整合性が取れている箇所のみ」
と >>776,>>781に即した回答をしたんだが
これを論理の苦手な>>806がどう読んだのか、頓狂なレスを返してきた
>>806が言ってることは>>640-676で済んだ話なんだよね

で、これが結論な 
>>797
>陳寿が取り上げて本伝になった部分は正しくてそれ以外は黙殺に値するというのは
>普通筋が通らないよ

>>814に結論を書いた覚えはないんだが、どれが結論に見えたの? 


しかし、>>814が相手のリピートに見えるキミも相当なもんだね
書かれてもいない結論が見えたり  酷いね
歴史も良いが まずは国語の勉強をするべきだ
大体、読解力のない奴に限って「w」を連発しながら
見当違いな観点からの反論をして食って掛かり煽るんだよ
2度でも3度でも読み返し趣旨が読み取れるまでレスしないようにしろ

>>835
オマエガナー


838 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 20:26:55
>>836
それ演義じゃなくて超・三國志じゃね?

839 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 20:39:31
演義

玄コ曰:「今日大事已定,與汝娶之,若何?」
雲曰:「天下女子不少,但恐名譽不立,何患無妻子乎?」
玄コ曰:「子龍真丈夫也!」

これじゃん?

これが209年の事
229年に趙雲が死に
演義では趙統と趙広が父の死を諸葛亮に伝えに来た
このとき長男趙統が19歳から16歳でないと実子として辻褄が合わない
微妙なラインだ
「妻子がいないことが何か問題ですか?」的なこと言っといて
薩摩隼人な趙雲が数年で結婚するか?
って事から生まれた説じゃないかな


>>827
お隣韓国じゃ男友達同士で普通に同じベットで寝るらしいから
中国もそうなのかもしれない
風習の違いってやつだね

840 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 20:45:36
スレも終わりに近づいて何だけど

趙雲の位って低いかな?

武官系で6番目だろ?

841 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 20:46:48
★翌日入金34




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842 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:11:55
自意識過剰だな
オレが叩かれた、なんて意識しちゃってさ
名指しでもないのにファビョって過剰反応

文字がよめても文章が読めてないから
なにを指摘されているかをそもそもわかっていない
だから言うことも検討外れで支離滅裂

いいからもうロムってろよ

843 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:14:17
>武官系で6番目だろ?

実際どのくらいの階級があって6番目なのかはともかくとして、
劉備陣営の人材の中では十分すごい方なんじゃね?

超人的な活躍の真偽はどうでもいいけど、
それで十分だと思うよ? どう?だめかな?

844 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:20:26
>>842
>>806を突っつくのもそれくらいにしとけ
死者に鞭打つようで可哀想だろ

845 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:23:41
どんな奴でも参加は自由

846 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:36:06
オレがつついたのは逆だ

847 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:39:37
バカだな逆だろ

848 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:42:08
>>846
お前>>832か?

849 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:53:12
NO。
むしろオマエが>>837か?

850 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 21:58:32
じゃぁ何番だ?

851 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:00:41
>武官系で6番目だろ?

赤壁後
関羽>張飛>>趙雲・陳到

蜀攻略後
関羽・馬超>張飛>>黄忠・趙雲・陳到>霍峻・魏延

関中攻略後
関羽・馬超・張飛・黄忠>魏延・趙雲・陳到>霍峻

こんな感じかな?呉懿は別枠として

852 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:09:18
関中攻略前に霍峻死んでる

853 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:13:09
趙雲の翊軍将軍って何品官なんだろ? 4品官だったりしないかな?

854 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:15:09
少し想像してみてくれ

もしこのスレタイが
「関羽って正史だと大した事ないってホント?」とか
「張飛って〜」とかだったら、
どうだっただろうか?

「大した事ない」と言う結論になるだろうか、それとも、ならないだろうか?

もちろんいろいろな相反する意見は出るだろう
だが、どの立場ででも
正史の残された記述だと、演義ほどではない
という点においては、一致するのではないか?
(どこからどこまでを正史と認定するかは棚上げしても、だ)

だが、そうであっても、
関張の活躍がろくに正史に残されていない、と言う立場でも、
それをもって即「大した事ない」と言う人は、そう多くはないだろう
むしろアンチ(多くは面白半分だろう)を除くと、
「欠点が目立つしそれで自滅したけれど、それでも大した事がない、というわけではない」
というところに落ち着くのではないか?

そして、趙雲も同様ではないか?

855 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:19:26
自分で言ってるけど関張と趙雲じゃ立場も状況も異なるからなんともなあ

>「欠点が目立つしそれで自滅したけれど、それでも大した事がない、というわけではない」

これも趙雲には全く当てはまらないし

856 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:38:53
>>854
それは「大したことない」という人に聞いてみないと何とも

857 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:50:43
>>854
大したことあるないって「能力」の事を言ってるんじゃないの?

観察してると
多くはその武将の活躍ぶりから能力を推測してるんじゃないかな
活躍の記述が詳細で大きく多いほど有能と考える人間が多いように感じる
そういう考え方をする人間には記述が全てなんだ
あと位ね
出世からも能力を測ってるフシがある

858 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:56:05
ああ、これって「正史と演義を同一視するな」と同じような流れだなw

で、今度は良識ある正史オタが集まって「正史と別伝を同一視するな」ですかwww
確かに陳寿の三国志は良史と評され、信憑性は正史>別伝が当たり前になっているが
三国志も別伝と同じように資料批判されて然るべきでないのか?

859 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:57:54
蜀志だけならいいんだが魏志・呉志と比較する
正史の性質も考えずに

なもんで、魏臣呉臣と比べて関張趙大したことないな となる


860 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 22:59:48
褒めちぎってばかりなものを胡散臭がるのは当然

861 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:00:38
実際、予言とか超能力としか思えない凄い奴は魏志と呉志にしか載ってないから、関張趙というか蜀は大したことないよな

862 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:07:41
まあ、全く同じとまではいってないし
いわんとすることはそこじゃない

言い換えると、こう↓いってるの

スレタイは、
「演義やその派生作品ではスーパーヒーローなアイツ、正史だとザコなの?」
というネタ振り、と解して問題ないだろう

で、劉備陣営の武将の場合(代表として、関・張・趙あたり)、
「そりゃ、演義ベースだと主人公キャラ的な補正がバリバリ入ってるわけで、正史では演義ほど派手じゃない」、
つまり、そのすごさは、正史<<演義となる、(“<”の個数は各自で補正)
ということは、多分、ほぼ一致するだろう
(劉備陣営の武将の代表として、関羽や張飛を挙げたんであって、趙雲と全く同じなどという文脈でも主旨でもない)

・・・で、
「大した事ない」と言う立場なら、当然、正史の○○<<<<<演義の○○だろうし(その逆(正史>演義)で「正史のほうは大した事ない」なんていえば矛盾だろ)、
「大した事ないわけがない」と言う立場でも、多分、正史の○○<演義の○○、くらいにはなるだろう。(ひょっとしたら「正史>演義」と言う人も、居るかもしれないが、そんなに多くはないだろう)

でも、だからと言って、関張のことを「大した事ない」とまで言い切るのは、アンチくらいじゃないの?
そして、それ(関張を大した事ないとまで言い切るのが一部のアンチくらいであろうこと)と同様に、趙雲のことも、「大した事ない」とまで、言い切るのは、アンチくらいじゃないの?
(文脈的に関張と趙雲が同様というふうに読めるわけはないと思っていたが、少なくとも>>855氏は誤解されたようなので、少しくどいけれど、こう↑書く)

863 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:08:06
>>860
それは魏書・呉書のことだね?

864 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:13:14
別伝が魏書や呉書と対等だなどと思うなよ?
まあ、偽書や誤書と対等だなどと言うつもりは無いけれど

865 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:16:32
>>863
それらはしっかり疑いを持った後世の歴史家がしっかり注を引いたり裏づけしたりしてるじゃん?
でも趙雲は正史を開けば大した活躍はしておらず、それで身分が低いとみんな納得している
注も無い時点で別伝の史料価値なんて推して図るべしだと思うんだけど

866 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:21:27
>>862
言いたいことは分かるんだけどなあ…
まあ荒れそうなんで突っ込まないでおく

867 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:22:03
>>837
歴史学を勝手に付け加えてるのはどう説明するんだこのクズがw

868 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:26:57
>>865
>裏付け
整合性をね 

そういえば
武帝紀本伝、袁紹南下時の件で黒判定受けてるね 

869 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:29:00
>>861
関羽、張飛は凄いでしょ
あれほどの武勇伝、魏呉でもそうそういないよ

870 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:29:09
>>867
歴史学は考証学・実証史学だけじゃないしな
そこを「実証史学的に」と言ってるところで読み取ってほしかった

871 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:31:03
勝手にってなんだ?日本語おかしいぞ

872 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:37:44
別伝は、引用箇所しか残っていない。
魏書や呉書は、とりあえず全部残っている。

この差は、大きい。

魏書や呉書は、全部残っているから、すでに何度か直接の研究対象にもなり、検証が十分なされている。
或いは仮に十分でなくても、ある程度には既に検証がされている。

しかし、引用箇所が残っているだけの別伝は、今となっては、検証のしようがない。
引用箇所に他の文献との矛盾がない、という程度では検証とはいえない。



「佐藤さんが言っていることは山田さんが言っていたことと矛盾しない。
山田さんが言っていたことは、正しい。
だから、佐藤さんが言っていることは正しい。」

この命題は正しいか?
否。
佐藤さんが、山田さんから聞いたことをもとに話を作ったか、そうして作られた話を又聞きしたのならば、「矛盾しない嘘ないしは誤り」はありうる。
したがって、佐藤さんの言うことが、嘘や誤りでないか、確認するためには、佐藤さんの発言の全容をチェックして、その信憑性をはっきりさせないといけない。
ところが、われわれが知っているのは、佐藤さんの発言の一部を鈴木さんが又聞きして教えてくれた部分だけで、佐藤さんの発言全部を聞いていないし、それを録音したテープのメモもない。

さて、高橋さんや田中さんの発言は全部記録が残っていて、既にある程度にはチェックされている。

鈴木さんから又聞きした佐藤さんの発言(の一部)の信憑性が高橋さんや田中さんの発言と同様、と言えるだろうか?

873 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:39:41
とりあえず駄文を垂れ流すのはやめろ

874 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:40:39
>>873
お前が真っ先に辞めろ

875 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:42:56
こんなにも読む気にならない長文は初めてだ

876 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:43:34
>>872
読みにくい

877 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:45:34
>>875
この流れで言われてもw

878 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:49:18
どうでもいいことで煽ったやつが原因

879 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:49:52
>>872
魏書と呉書残ってたっけ
正史巻末の引用書物目録の記述だと残ってないっぽいけど

880 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:50:56
>>879
872は陳寿の『三国志』魏書・呉書のことを言ってるんだろう

881 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:51:07
>>877
余計な情報が多すぎる

882 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:51:52
三国志は残っているだろ

883 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:53:54
>>878
駄文を並べるなと指摘したのが原因なわけだな

884 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:54:24
なんか、別伝がグレーなら正史もグレーって、誰か言ってなかったっけ?
それはないわw

885 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/25(木) 23:59:54
>>884
ちょっとニュアンスが違うな
こうだ
「魏志・呉志もグレーなんだから雲別伝だけ無条件に無視するのは不条理だぞ」

886 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:04:16
ダメ出しする理由を付けておけということだな

887 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:04:58
>>872
重要なのは

趙雲別伝が誰にとって正体不明なのか

だろう

ここをはっきりさせないとな

888 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:05:16
>>885
>>837か?

889 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:06:34
ああ、そうだよ

890 :887:2009/06/26(金) 00:08:19
で、誰にとって正体不明なんだい?

891 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:11:13
>>886
駄目だしが妥当かどうかは誰が決めるの?

892 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:12:03
のびまくりでワロタ
次スレはいらないからこのスレ中に決着をつけなよ
無駄なあおりが多すぎ

893 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:14:58
煽りって>>831みたいな輩のことか?

894 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:17:00
不条理なるが故に我信ず

都合の良いところついて自説の強弁なんかで結論なんてでないよ
まあ、目的はこのスレを終らせることだろうから決着はつくんだろうね

895 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:18:18
>>891
誰かが決める必要はないだろう
そういうのを話し合えば面白いんじゃねえの

896 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:19:39
大したことないか、に結論出すために別伝の扱いが問題になってるわけだが
そんな歴史家の間でも意見が分かれそうな問題をこのスレの住民が決着付けられるとは思えん

897 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:19:48
必死にブン流そうとしててワロタ

898 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:20:51
>>894
結論って?

899 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:22:50
学者様達は一度でも批判に耐えない自説を出したら以後相手にされなくなるからなw
ただここは学者様の板じゃないからもう少し自由にやっていいんでないかと

900 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:28:32
自由にやっていいけど、素人だろうと玄人だろうと
思考のプロセスは正しく辿るべきだ

http://www.weblio.jp/content/%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
とりあえずこれでも読んでくれ 

901 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:39:09
それはおまえがそう思ってればいいんじゃね?w
他人の意見に余計な付け足しして文句垂れたりしなきゃ十分だと思ってるよ俺はw

902 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:40:37
どこがサドのいじめだよこのザコがwwww

903 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:48:08
>大したことないか、に結論出すために別伝の扱いが問題になってるわけだが

別伝無視しても、陳寿が記述している正史本体だけでも、十分に大したもんだ
と思うオレは異端でしょうか?(汗)

つまり、趙雲の評価する上で、わざわざ別伝が正史と同様に扱ってよいなどと主張する必要はなく、
別伝を無視しても、「趙雲は十分大したもんだ」といえる、と思う

つかむしろ、わざわざ別伝を持ち出して趙雲を破格の超戦士に祭り上げてしまうと、
かえって胡散臭く、大した事がない印象になるので、
趙雲を正当に高く評価するためには、むしろ別伝を無視したほうがいいと思っている

904 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:49:44
>>902
あんまり酷すぎるのでやめた 

905 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:51:45
>>903
別伝無視するとか言うとまたうるさいのが来るぞ

906 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:52:53
ここはそういうスレだしな 他に何するんだよw

907 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:54:10
さすがにループはいらねえわ

908 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 00:58:52
てか、正史を真実と信じてる時点でアウトなんだわ

909 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:02:09
>>908
あのさ、とりあえずスレタイ嫁
正史だと〜、と書いてないか?

910 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:02:09
>>903で決着だな

911 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:06:16
>>908は地雷認定でよろし?

912 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:07:31
よろし

913 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:08:41
>>909
マジか?そんな狭義でいくんかい?
じゃあ正史読めばいいじゃないか
そんで「個人の勝手」だから各々レスすれば
スレ終了となるね

914 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:10:29
>>903
現実味なんてどうでもよくねーか?
演義でクソな郭シごときでも正史では化け物スペック
別伝次第では元から高いけど更に大幅アップもありえるくらいでいい

915 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:10:47
その後集計でもするしかないな

916 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:11:14
なんかズレてないか?
求められてるのは個人の勝手なんかじゃなくてイエスかノーだろ

917 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:21:02
アホらしい

918 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:26:15
大したことないかどうかって結局主観だからな
「どのくらい凄いか」とかならある程度突き詰めようがあるけど
まあ>>903で終了か

919 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:35:09
別伝は無視だな

920 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:42:16
うむ

921 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:45:04
違うな
1000取って勝利宣言するのが正しい

922 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 01:58:03
1000まで伸ばすには火計が必要だな。

923 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 02:01:14
武人としては大したもの。将軍としては疑問。

が答え

924 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 06:22:36
こいつら冷静に見ると一切有効な反論してないんだよな
どうみても敗者だろ
やってることが遁走にしか見えない


>>903はちょっとな
趙雲が魏将ならこの程度の話は普通に本伝に載っている
潤色度  魏>>>>>>>>>>蜀 ってのを考慮すべきだろう
関張も本当は武勇伝には事欠かないだろうが遺ってない
三国志の中で趙雲だけが詳細を遺してるわけじゃない
他の蜀臣が遺して無さ過ぎるんだ
別伝を出すと「胡散臭くなる」という903の考え方がよくわからんな
もしかしたら蜀書しか読んだことないのかな
そういう人いるし
蜀書だけだと趙雲が抜きん出るからそう思うのも分かる
陳寿が蜀内でのバランスを考えて別伝を採用しなかったと考えるのが妥当  


こいつらが頼みにしている何焯もどうせ根拠らしい根拠示してないんだろ

925 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 08:27:05
阿斗の件での扱いを見るに
核となる事件は実在するのだが、それを徹底的に膨らませてしまって
その結果超戦士扱いになってしまう、そういう流れが普遍的にあったのかも知れない

926 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 08:43:32
>>924
別伝の成立時期は不明なはずだが?

927 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 09:44:27
>潤色度  魏>>>>>>>>>>蜀 ってのを考慮すべきだろう
ソースどこだ?
憶測以外の何物でもないだろ。
それも、最初に蜀ありきの信仰に基づいた憶測だから、失笑モノなんだが。
有効な反論もクソも、根本から展開までの何から何までがおかしいからおかしいからそれ以前の問題なんだといわれているんだが、
ソコで自分のナニがおかしいといわれているのか、なんでそういわれるのか、全く見つめなおそうとしない
つける薬がないな。

928 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 10:35:14
上でも出てるが
甘寧の百人での奇襲、曹仁の牛金救出みたいな局地的な活躍が
残るか残らないかくらいの話じゃねえのか?

ソースを要求するというのがそもそも育ちを示してるようでアレだがw

929 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 10:54:58
あのさ、趙雲をそれなりに高く評価しようという流れの中で
あえて雲別伝の採用に拘ることに意味があるのか?

930 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 11:14:23
捨て台詞気味に煽るのが心象によくない
理性的な人間なのか疑わしい

931 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 11:18:56
育ちがどうとか唐突に口走るのはどうかと
むしろコンプレックスでもあるように見えてしまう

932 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 11:21:09
>>922
ここまでこんがり宛城しているのにこのうえまた火計か
むしろ水計でスレを流そうぜ

933 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 12:05:21
気にしてないならレス付けることないんじゃねえの?w

934 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 12:10:40
>>929
さほどない
ループするぞっていうからネタ切れ気味なら手を付けてみたらどうかってくらいのこと

935 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 12:53:33
むしろそれがループなんだが

936 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 15:00:18
そうだなw
あわれな駄文垂れ流しをコケにする以外は少しひかえることにするわww

937 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 16:05:24
あほくさ

938 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 16:11:12
一体何と戦い、何に同意してるのかさっぱり分からん


939 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 18:15:51
>>936
>>936みたいなのことか

940 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 19:47:21
>>926
なかったとも言えないよね
どちらかと言えば、後世の創作であると歴史に反論する側が
不在証明もしくは根拠を示す必要がある

どうせ黙殺組は何焯の受け売りなんだろ
何焯が何年の人間か知ってて言ってんだろうね?  生没年1661-1722の人間だぞ

>>924の通り、本伝に載らなかった理由は提示できる
本伝の地味ぶりと別伝の派手ぶりの説明にもなっている

941 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 19:59:37
双方の主張をまとめてみた


www党
・趙雲を正当に高く評価する為には別伝を無視したほうがいい
・趙雲の評価をする上で正史の性質は考えなくて良い
・別伝を持ち出すと趙雲を破格のスーパー戦士に祭り上げてしまうことになる
その際、魏将・呉将の描写ぶりについては考えない
・何はともあれ俺たちは趣味でやってるので考える必要はない


正統派
・真実と史実の違いに目覚めよ
・史実と虚構に明確な線引きは存在しない
歴史とはそういうものだ
・別伝は史実認定要件を満たしている
・趙雲を公平且つ正当に評価するなら別伝も視野に入れるべきだ


これでおk?

942 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 20:02:23
おk

943 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 20:05:18
w厨党構成員
「日本国憲法は思想の自由を保証している。
その一点において我らの主張も認められて然るべきだ。」


正統派
「ああそうだな。 ま、いいんじゃないか(失笑)。勝手にしろよ。」


w厨党構成員A
「やったー!!!!俺たちの勝利だァ!!」

w厨党構成員B
「まだだっ、油断するな!このまま1000まで行くぞ!」

w厨党構成員C
「1000まで行くには火計が必要だな。」

944 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 20:09:01
>>941
別に草党も言ってること自体は別にふつーのレベルだけど
言い方が残念だな
なんで意見が合わないくらいで攻撃するんだろ

945 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 20:19:13
>>944
「俺たちは趣味でやってるので正史の性質は考える必要はない」
これ単独でならいい。944の言ってる普通とはこれのことでしょ?
彼らが非難されるのはその他の部分でだと思うよ。

946 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 20:25:19
>>941
修正
×・趙雲の評価をする上で正史の性質は考えなくて良い ←何の話か不明
×その際、魏将・呉将の描写ぶりについては考えない ←触れていない
・何はともあれ俺たちは趣味でやってる(以降は余分

×正統派 ○長文派
「史実認定要件」←謎「歴史学を「=実証史学限定」とするならレベル
「公平且つ正当に評価」←主観

正統派
・なぜここまで熱くなっているのか判らない

自演認定派
・これは>>307=>>565が自演で流しているだけ

947 :正統派:2009/06/26(金) 20:29:31
>>946
それ、俺答えないとならないか? 過去レスにあると思うぞ

948 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:03:21
過疎板で煽ってどんだけ伸ばせるかって遊びだろ

949 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:19:01
ボリシェビキって知ってる?

950 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:21:19
>>948
正解
少なく見積もってもコレで3〜400スレは稼いでいる

951 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:30:19
というか>>712の何派に所属しているか不明瞭なまま戦線ばかり拡大しているから
何を言いたいのかわからない上に自己正当化まとめとか哀れだね

>>948で決着付きましたね

952 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:57:50
自己正当化じゃないだろ 
整理は適切だ

ボリシェビキで終了だな

953 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 21:59:26
バカと真面目は平行線

954 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 22:00:19
真面目というか正統派だな

955 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 22:39:44
レスとスレを金堂している人いる?
>>950とか

956 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 22:55:30
× 正統派
○ 捏造史観派

957 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 23:14:36
捏造史観派 司馬光

958 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 23:20:31
正統派 司馬光

959 :712:2009/06/26(金) 23:26:11
何名が議論していているかわからないが、正史と別伝に対する立ち位置が同じでも
趙雲の評価も同じになるとは限らない
趙雲の評価を除いて正史についての立ち位置だけをまとめてみた…

立ち位置
・陳寿原理主義=正史といえば陳寿が書いたところだけだろjk(外伝否定派
・裴注検証主義=注は信憑性が薄いものもあるから整合性を見て取捨(条件付・割引
・裴注容認主義=注が付いたのはそもそも正史だけでは不足していたから(外伝肯定派
・煽り=自称正統派、正史も含めて間主観性が保たれておらず実証史学的に見てグレー(過去の評価は無視

960 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/26(金) 23:54:54
712はデタラメだな

正統派は煽りじゃないだろ 
煽ってるのは対立者 
多分仮面をかぶったアンチだろ

961 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:01:28
>>960
「自称」をつけわすれてるぜ?

自分で正統派なんていうから余計胡散臭くなるんだよな
たった一人の自称正統派、といえば聞こえはいいが、要はただの池沼
ホントにかわいそうなガキだが同情の余地は無い

962 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:02:13
>>961
おまえホント頭悪いね

963 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:05:30
こんな与太話で相手と差をつけようという根性がさもしい

964 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:07:44
ところで、>>903>>635とそっくりじゃね?

965 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:11:46
もう1000も目前だし
次は初心者スレを埋めてくれないか?
この勢いはすばらしいね

966 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:13:36
>>955はただの揚げ足取りで3レスも稼いだ
敢闘賞ものだ

967 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:16:11
違いは
>>635は別伝に一定の評価を下している
>>904は特に評価していない

968 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:16:30
趙雲なんてたいしたことないんじゃね?とか面と向かって言いそうなのが
それなりにいるのが蜀

969 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:19:30
ミスった

違いは
>>635は別伝に一定の評価を下している
>>903は特に評価していない

970 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:20:33
じゃ、だいたい自称正統派のガキはなんで>>635に噛み付いたんだ?

971 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:24:47
>>633-635
おもくそ煽ってないか? お前の目は節穴か!

972 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:27:05
そりゃツンデレというやつじゃね?結論的に
趙雲を高評価している点において変わらんうえに、別伝を好きだとまでいってるんだろ?

973 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:27:43
正統派は正統だよ
それ以外の考え方はドクサが強すぎる
話にならんレベル

974 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 00:32:26
真正な神聖だな

975 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 04:27:27
別伝を否定する人を頭ごなしに叩くのではなく、
別伝が信用できる記述だという根拠を聞かせて欲しいところ。

976 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 05:29:39
別伝を否定する根拠がないのに否定するからだろ
趙雲別伝以外にも様々な別伝が裴注に登場するがそれはどうなのか
また、そもそも陳寿自体がそうした別伝を参照して三国志をまとめたことは想像に難くない
否定する人間が根拠を示すべき


977 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 05:43:23
まさかこのスレが1000いく事になろうとは

978 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 09:52:37
クズ虫は自演流しに切り替えたかw
捏造駄文でごまかし切れなくなったからなww

979 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 10:19:25
ガキには1000回言ってもわからないだろうが
信用する理由がない文書は信用されほうが当たり前
引用箇所しか残っていないならなおさらな

せめて雲別伝を引用箇所だけでなく全文見つけてきてから出直してこい
見つかるまで帰ってくるな
まあ、帰ってこれなくなるが

980 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 10:47:23
正直なところ自分で正統派と言っちゃうのは迷惑だった

981 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 11:16:42
思えばさっさとこっちに誘導すべきだった
ttp://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1228387015/l50

982 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 12:09:22
ちなみに私は馬鹿らしくて議論には参加しなかったが陳寿原理主義
正史=狭義で陳寿が書いたところだけでしょ
後世に補記された裴注が信用できるか否かなんてトーシロに判断できるわけもなし
第一、正史の記述ではたいしたことないかが問題で史書の正しさなんて個人的見解は
今回の趙雲の評価に対するスタンスの違いでしかなく本題ではない

>>また、そもそも陳寿自体がそうした別伝を参照して三国志をまとめたことは想像に難くない
陳寿が参照したのは>>603でも挙げられている主に魏呉で国が編纂させた歴史書や
報告書などの一時資料(例:出師表や倭人伝の追記箇所)
想像でどこまで参照してたか考えるのは自論の補強なのだろうけど、あくまで想像
他の人たちにとっては無意味、その想像に対する評価はあえて書かない

983 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 12:50:28
次スレはいらない
また荒れるだろ

984 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 12:54:02
次スレはあっても無くてもどっちでもいい

985 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 12:54:28
>第一、正史の記述ではたいしたことないかが問題で史書の正しさなんて個人的見解は
>今回の趙雲の評価に対するスタンスの違いでしかなく本題ではない

だな

986 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 12:58:34
あと14

987 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:02:17
次スレはいらないなー荒れすぎだろ

988 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:12:35
「スタンスの違いとかいう問題じゃない」とか言ってた奴がいたから荒れたんだよ

989 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:14:44
1 別伝抜き
2 別伝抜き+別伝

1<<<2

ということ?

990 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:16:59
1 別伝抜き
2 別伝あり

1<<<2

だったわ。

991 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:18:42
>>989
何の不等号か知らんが趙雲の評価のことならやはり別伝ありの方が全然高くなる
本伝だけでも十分凄いって言ってる人もいるけど別伝ありとじゃ凄さの度合いが違いすぎる

992 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:21:04
本題の結論は中盤あたりでとっくに出てた
そのままか沿って落ちてもよかったが
このスレのレスの半分以上はファビョのループで消化された

993 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:21:25
じゃあ
別伝抜きでも十分凄いけど別伝込みなら化け物
でFAじゃん

994 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:22:12
>>992
スレの貢献者だなそいつw

995 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:24:13
995

996 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:25:18
>>993
別伝ありだと間違いなく凄い
無しだと大したことないかどうか個々の基準によって異なる、でFA

997 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:25:20
996

998 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:26:36
>>996
なるほど
じゃあそれでおk

999 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:26:38
>>1000なら別伝の著者が明らかになる

1000 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 13:27:19
>>988
だからそれを言っているのが>>959の「煽り」ってヤツだけで
そういう言葉遊びを駆使してこのスレ流したんだろ

まあ、記述だけなら
演義>正史注含(別伝あり)>正史のみ(別伝抜き)
何といっても演義で一番活躍を増やされた人だからね…
そのため正史至上主義アンチも突きやすい

1001 :1001:Over 1000 Thread
  立  新   /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ  と   何
  て  し    L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   申   と
  ね  い   //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  す  1000
  ば  ス   /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i  か   を
  い  レ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く  !!    超
  か  ッ   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,     え
  ん  ド   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ   た
  の  を  ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  う     「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     '' .', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!  . ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\       ,'  ト、,
      /     ヽ   L__」   「 で 書 Lヽ ヽ〈    i|         Vi゙、
ハ ワ  {.      ヽ.  -、、、、 '  ノ  き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
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