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孫権と劉備 どっちが優秀?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 10:00:13
どっちが優秀なのかな

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 10:21:15
くそ
最近の三戦には比較厨しかいないのか

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 10:35:24
孫権だろうな

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 15:30:46
劉備

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 16:39:11
これは微妙

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 17:07:30
業績が互いに比較しがたい部門にあるような。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 17:58:57
どっちも胡散臭い血統だもんな。


8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 18:49:24
創業者と後継者を比べるなんて無茶な。
ただ、孫権が劉備の立場に生まれても何も出来なかったと思う。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 19:44:15
個人的にわ劉備を推したい所だが孫権だろうな

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:03:47
俺は孫権を推すぞ。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:16:26
戦争では劉備だろうけど政治なら孫権だろうなー
総合的には劉備を推す

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:26:58
血統を利用した劉備を推す気持ちがわかんねぇよ・・・


13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:49:21
空手で建国した劉備の方を推すな

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:49:26
興味ない

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:53:20
劉備だな

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 20:55:12
低レベル同士(孫権、劉備)の争いだなこりゃwww

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 21:31:44
別スレの曹操オタか、巣に帰れよ

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 21:42:45
精巣

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:06:34
曹操は100万の軍勢を率いることができる器の将
これは三国時代全体見回しても曹操ぐらいしかいなかった。

劉備はせいぜい1万の軍勢を率いる将って感じ。関羽なら5万の将、張飛は3万ぐらい。
夷陵の戦いで負けたのは分不相応な5万とも10万とも言われる大軍を率いたため。

でも1万の軍の将軍としてなら劉備は相当優秀な部類に入ると思う。ゲリラ戦得意だし。
要するに軽装な少数の一団を操らせると上手く戦うタイプで大軍は向かない。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:14:31
曹操を韓信みたいに言われてもな

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:16:25
曹操は大軍率いるの苦手だと思うけど

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:31:39
曹操は少数での機動力を生かした戦法は得意でも、足の遅い大軍を率いて戦うのは不得手。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:34:05
>>21
苦手というほど不味くもないだろ
ただ何時戦うかが行き当たりばったりで結局どん詰まりになった

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 12:38:45
曹操は大軍指揮が苦手というより兵站が苦手で大軍の行動に支障を来たしているように思うが。
実は徐州、官渡、赤壁といったメジャーな戦役で兵站に問題を抱えている。
また、別に兵站を軽視しているわけではなく、軍に兵站を合わせようとしていて、
兵站の方に軍を合わせて縮小or進軍停止しようという発想がない。
理論家故の欠点に思う。

ただ、これは他の大軍指揮についての事績が豊富な皇帝やその方面司令官と比べての欠点であって、
劉備、孫権らと比べてどうかというと、劉備、孫権らはそこまでの境地にはないんじゃなかろうか。

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/04(土) 20:58:44
曹操や劉備については色んな作品で語られているが、
孫権に関しては上記の2名と比べてあまり語られてない気がする。

・孫策の後を継いで呉を治めた
・三国一の酒乱
・晩年は耄碌したのが、部下を殺しまくった

…くらいしか知らん

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 02:04:31
>>24
兵站がキビシかったのは単に当時の食糧情勢が厳しかっというのもある。
別に兵糧で苦労したのは曹操だけじゃないわけで、特に中原は災害や戦乱での土地の疲弊が顕著だった

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/06(月) 12:34:28
劉志も劉宏も司馬炎も統一王朝の天子なのに
天災と蛮族の反乱ばっかだな
既視感のある文章ばっか見るんだが

誰が統一してもろくなことにならん感じ
根本的にどうしようもない時代だったんだろう

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/10(金) 23:02:06


29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/11(土) 19:42:06
孫権は国を平和にできるイメージw
劉備は国を戦火に包ませるイメージw

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/12(日) 15:54:25
孫権みたいなボケて国を無茶苦茶した奴がか・・・

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 13:41:06
劉備はただの小悪党。
公遜讃に取り入ったり、呂布に取り入ったり、曹操に取り入ったり、
孫権に取り入ったり、行動に大儀のないせこい男だよ。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 17:51:51
まあ実際には体制に噛みついたただのヤクザだからな

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 22:00:37
そんなやつが一国の王になったのがすごいんだよ

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 22:07:00
    

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 01:21:27
>>31
曹操や孫権の行動のどこに大義があるのか教えてほしいね。
あと大義の字が違ってんぞ。画面の向こうで恥ずかしがってくれww

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 02:08:51
曹操は錦の御旗もってんべよ
まあ劉備は大義に背いてるってよりは人道に背いてるって感じだが

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 02:37:03
>>36
帝を擁しているのが大義だっていうなら董卓もまた大義の軍を率いていた
事になるのか?あと人道に背いていようが将兵がついてきてるんだから
劉備には劉備なりの大義があったと言っても良いんじゃないか?

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 07:02:27
人道に背くというのは、戦乱の時代は誰もがそうだと思うが、
劉備についてとりたててそう言いうる理由は何かね。

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 07:36:57
七光の俺はそんけんをプッシュ

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 07:54:45
劉備は恩を仇で返しているケースが片手に余るからなあ
3回未満ならまだ赦せるが

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 09:23:53
中国各地を回って三国志の英雄たちとことごとく関わる劉備の壮絶な人生は面白すぎる

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 09:25:31
面白いがくずには変わりないな。いかにも中国人

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 11:08:22
本当に最低なやつなら各地で受け入れられたりしない。袁術閣下のように
ならなかったのは人を魅了する何かがあったからで、それが劉備の才能。
孫権の場合は父と兄から受け継いだ土地と兵があるにも関わらず、ほとんど
領地を拡大できてない。というか自らの力で土地を得た事があったか?

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 12:09:29
>>33
なにが「凄い」のかわからん
せこい詐欺師が国の幹部をだまくらかして一国の主となったとしよう
それは「尊敬する凄さ」なのか?
劉備ヲタは総じて将来大物詐欺師を目指してるの?

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 12:38:52
>>43
人間的にみると明らかに最低なのに人に取り入ることに長けた奴ってよくいるじゃん
劉備はそういう寄生虫タイプの才能だけはすごいよね

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 12:43:39
>>40
恩というのは?
後世のような恩の概念はまだ無い様に思うが。

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 13:20:48
は?むしろ義理人情や報恩報復の概念は今よりずっと強いだろ

孫策を闇討ちしたのも許頁に恩のあった食客だ
審パイや張仁の最後は?
何故古の予譲が美談となった?
世話になったら筋を通すのが美徳
劉備の場合筋を通さないだけならまだしも、世話になった曹操に謀反を起こすような恩を仇で返す行為、
助けてやると言って転がり込んだ劉障を滅ぼすような信頼の裏切りなど、えげつない行動が目立つ

お世辞にも正道に適っているとは言い難い

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 13:37:17
人を魅了する何かがあったからで、それが劉備の才能>>43
だが恩という概念はこの時代にはない>>46

信者は自分でもなに言ってるかわかんねーだろうな
まあ聖人君子の劉備像なんて作られた偶像だからな
つじつま合わせるのも大変だ

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 13:38:33
>>44
じゃあ聞くが敵対勢力を徹底的に滅ぼしてさらに大量虐殺をした曹操を尊敬できるのか?
親(プラス兄)の七光で領地を手に入れて自分は酒飲んで暴れてるだけの孫権を尊敬できるか?
>>45
やっていることが最低と言うが、具体的に何がどう悪いのか教えて欲しいね。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 13:48:56
>>49
じゃ聞くがってのは尊敬できない凄さってことを認めるんだな
たかが益州ひとつ治めた程度の人物を凄いと感じるお前の価値観も・・・まあ言わないことにしよう
俺が曹操、孫権を尊敬できる凄い人物とは一言も言ってないのでその質問には返答しかねる

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 13:57:34
かつて世話になった公孫賛が危機の時に援軍を出さずに見殺し
呂布にやられてヘロヘロのところを手厚く迎えてくれた曹操を暗殺しようと画策し、挙げ句徐州乗っ取り
袁紹のところに転がり込んで、タダ飯食らった挙げ句、義理を果さずフェードアウト
劉表に匿われたときは曹操から荊州を守らず逃亡
劉障のところに援軍に行ったはずが騙し討ちして蜀強奪
「土地が手に入ったら返す」と言っていた荊州を孫権に返さず居直り
因みに孫権に蜀攻めを依頼された時劉備は「親族は攻められない」と言って断っている。曹操襲来時逃げているので「劉表から託された」という理屈は通らない

はっきり言って枚挙に事欠かねーぞ
劉備ほど利に聡い者はなく、義とは対極の人間と言える
リアリストと言えば聞こえはいいが

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:16:21
>>50
曹操、孫権が尊敬できない事に反論しないなら>>44で言ってることはなんなんだ?
あとたかが益州ひとつって・・・お前が小さいと思うならいいけどさ。
>>51
義ってなんだ?そんなもん現代人の理想であって昔も今と同じ価値観とは限らない。
お前が言う義に反することにいちいち反論する気はないが一番上のは当時の劉備に
援軍を出すほどの力はねえよ。あったら世話になったりしないけどなw

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:25:32
この時代のヒューマニストというと
公孫サンだけを殺せと命令した漢末の宋ジョウ之仁である劉虞、
漢中に理想郷を作った五斗米道の張魯、
焦土作戦を拒否しおとなしく降伏した劉ショウ
張超の為に袁紹に反旗を翻したゾウ洪
廟が立つレベルで慕われた馬忠、賈逵ほか
落ち目の曹氏に節を尽くした陳泰
くらいだろう

基本的に英雄なんてものはマキャベリストかプラグマティストで全部同じ穴の狢。
その中でも特に胡散臭いのが劉備というだけ
>>51の中で弁護不可能なのは劉ショウの件くらいだな。あとは言い掛かり

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:26:44
益州ひとつで日本よりデカイ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:34:38
>>53
詭弁だな
一味丸ごと食わせてもらって恩に報いず、命まで狙ったことのある人間をどう弁護するつもりだ?
言いがかりでなく、事実

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:39:46
なんか劉備が悪人スレになってきてるなw

少なくとも切り取った土地の広さで劉備の勝ちかな。うん

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:43:36
>>55
詭弁ねえ・・・どうでもいいけど結局孫権のほうが優れている理由はなに?
そろそろ孫権の凄さについても語ってくれや

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:49:02
>>57
別に孫権の方が優れているとは言ってねぇ。というか一概には言えない
ただ劉備はやってることのどこが道義にあわんかというからここが悪いといっただけ
で、どう弁護するつもりなんだ?
どうでもいいで済ますなよ

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:50:10
>>55
詭弁を使ってるのはあなただろう
劉表の恩に報いるとかいう理由で
劉ソウを攻めなかったのとかは評価しないのこそ詭弁
本当にあなたが言うような人非人ならジョウ陽の保持に関係なく
情報を渡さなかった怒りをぶつけてるだろ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 14:58:13
今も昔も筋は通さなにゃならんのさ
だから>>47で出た連中のように主に殉ずるやつらが美談になる
劉備にとっては主人じゃないが、少なくとも世話になった人間の信頼を裏切る行為や、たばかって騙し討ちにするような行為が正当性のあるものとは言えない

張仁や審パイは同じ時代の人間で予譲はそれよりも昔の人間
今よりも当時の価値観の方が道義にはずっとうるさいよ

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:02:58
>>58
弁護する気はないよ、俺は劉備が善人だとは思ってないし。ただ劉備だけが
悪いとでも言いたげなお前の発言は気に食わんな。
なに?>>51で言ってること全部に反論しなきゃならんわけ?

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:04:53
>>59
袁紹や劉表の恩義に報いずさっさと逃げたのは外様だからまだわかるとしても、迎え入れられて上奏して牧にまでしてくれた曹操を裏切ったのは言い訳の仕様がない

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:07:27
>>60
だから本当に筋が通ってないなら誰もついてこないっての。
少なくとも蜀の連中は劉備を信じてた。それが答えだ

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:10:45
>>62
お前は恩を受ければ誰にでもついて行くんだな。
曹操のやり方に共感できないから裏切った、それだけだろ。

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:10:52
>>61
今は劉備の話をしてるんじゃないのか?
何故劉備以外の人間が出てくる
どっちにしろ大なり小なりあるとしても、劉備ほどあっちについたりこっちについたりしてる人間はいないと思うがね
別に俺だって劉備が道義知らずだからどうだと言ってるわけじゃない。したたかさは必要だろうし
どこが道義知らずだと>>49がいうからこういうところだろうといっただけだ

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:14:33
>>64
は?貰ったもんをきちっと返すのは当たり前でしょ
味方したくない奴の恩なんかハナから受けんし、ヤな奴でも施しを受ければ少なくとも仇で返すような事はしない

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:15:23
>>65
なら結局お前は本題に関してどう思うんだ?その辺を聞かせてくれよ。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:17:01
三舎ひく程度で結局大恩ある楚王に弓引いた晋文公

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:17:46
>>63
そりゃどんな親分だろうが義理があるなら裏切る訳にはいかんでしょ
劉備みたいにポンポン信頼を裏切る方がおかしいんだよ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:19:42
劉備アンチのスレか…
侯景とかどうなんの?

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:23:25
>>67
だから一概には言えないんだよ
劉備の裏切りだって見方を変えれば立ち回りの上手さだし、生き延びる術だ
それに劉備ほど戦争経験の豊富な群雄は曹操くらいしかいない。
ただ孫権にも呉を独立政権として半世紀も治めた手腕がある
比較なんて一口でできるもんじゃないだろ

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:24:40
>>66
いくらなんでも少しばかり恩を受けたからそいつに牙むいたら駄目って言うのは
きつい冗談だな。信玄と謙信のように対等の立場ならともかく、あの頃の劉備が
恩を返すって言ったら曹操の下につくしか無いじゃねえか

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:29:23
>>72
しょうがなかったらどんな不義理を犯してもいいっていうの?
少なくとも返すどころか暗殺画策、さらに反乱、徐州乗っ取りっていう仕打ちのどこに褒める要素があんのさ

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:32:02
>>69
官渡で曹操が勝利した後、袁紹軍の陣を調べると寝返りを仄めかす手紙が
多数見つかったらしい。このように主人の落ち目には他勢力に鞍替えするのが
普通な時代だ。あれだけ負けても将がついてくるのは義理だけでは説明できない。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:35:52
>>73
徐州乗っ取り?元々劉備が譲り受けたものだ。暗殺は勅命が下ってるから
逆にやらなければ皇室に対する不義ってもんだろ。

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:40:54
>>74
旗本がこぞって離れたわけじゃないじゃん。劉備についてったのだってそういう連中だよ
じゃあ逆に聞くけど劉備のどこに筋が通ってるのさ?

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:42:46
>>75
ヤクザかよ
じゃあ曹操にぬけぬけと世話になってるのはどう説明付けんの?

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:48:20
義理人情ってセットになってる言葉じゃないのか?
義理はなくても人情はあるとか不自然だろ

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:51:04
義理は儒教からきたものだよ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 15:51:32
>>77
呂布をころころする手伝いで十分

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:02:23
呂布から守れなかったわけだから、「徐州を譲られた」なんて通用せん。
曹操への義理を返すなら帝の勅命は突っぱねにゃならんし、帝に殉ずるなら是が非でも曹操を殺さにゃならん。
劉備がとった行動は勅命を果さず、曹操の恩も仇で返すものだから、どっち道、筋もへったくれもねーよ。

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:04:12
>>79
いや、日本人は義理=正義の行いという理念があるが
中国の義理は義務的な意味の義
人情も日本人の感覚と中国は違う
中国人は根本的から日本人と違う人種なんだよ
それを知ったかぶりに劉備は人徳があったからとか日本人的な感覚で説明できることはできない
中国人は日本人から見て異様な人種だから日本人では理解できない

たぶんここで劉備マンセーしてるのは中華教育された在日

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:04:46
>>76
漢王室再興のために打倒曹操を掲げている。まあ建前としてだが、徐州の件以来
一度も曹操に味方していない。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:08:49
>>81
劉備は死ぬまで曹操と戦りあってる。
つまり死ぬまで勅命を果たそうとしていたとも考えられる。

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:10:40
なんだかんだで孫権のほうが優秀
「呉」は最後まで残ったしね

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:16:53
>>85
劉備、孫権死後の話されてもなあ・・・

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 17:39:03
>>84
どっちにしろ曹操への義理は果たせていない罠

88 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 17:51:49
>>87
呂布に対する備えとして小沛に送り込まれ、実際に呂布の攻撃で大きな被害を受けている。
これで十分だろ。だいたい何でそこまで義理にこだわるのか分からん。他に言うことないのか?

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 17:57:19
少なくとも劉備自身が全く役に立たずに撃破されたくせに「義理は果たしたぜ」ってデカイ顔してたらいい笑いモンだな。
>>88
いやあ……普通、それほど大事なモンもないと思うんですけど……
「義理なんてくそ食らえ、世話になっても仇で返す」ってそりゃただの居直りだべ。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 18:05:07
そもそも義理を果たしたら過去の恩はきれいさっぱり忘れていいって発想の時点で間違ってるけどな

まあ劉備は最低限の義理も果たせていないが

91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 18:14:42
義理て何だ?互いに利用しあってただけじゃねーか。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 18:27:27
戦に敗れ、行くあての無いところを救われ、牧に任ぜられてなお、恩はないと申すか

93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 18:59:23
>>92
単に好意だけでやってない罠

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 19:37:35
宦官から引き立ててやった恩を忘れて息子に簒奪させたり
腹子がいる皇后をぶっ殺したり
親父が殺された程度で民衆を虐殺するような不忠不義の輩に果たす義理はない

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 19:51:52
上段は意味不明
腹に赤ん坊がいる皇后をぶっ殺したのは法律で決まってる
皇帝を自称した輩と手を組んで略奪を働いた賊から親の仇を討つことのどこが不義不忠だ?

そして曹操がどんな悪人だろうが
劉備が裏切りの常習犯であることに変わりはない

96 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 19:53:11
>>89
俺が言いたいのは劉備が優秀か否か、という話に義理は関係あるのかって事。
仮に劉備が義に反してるとして、それは劉備自身の能力にまったく関係無いだろ。
劉備と誰かを比較するとき必ず義理の話が出てくるけど、劉備の弱点はそれ以外に
無いのかと言いたくなる。



97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 19:55:20
>>95
それじゃ居直りだろ
他を貶めようが、裏切り者は裏切り者だ

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 19:56:13
>>95じゃなくて>>94

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 20:34:33
>>95
曹氏なんぞ順帝の寵愛と特別な措置がなければ
家が残ることもない家畜野郎の一家にすぎん
その大恩を忘れ社稷を盗んだのは不忠以外の何だというのかね?

賊を除くのと民衆を害すのは全然別物。
義が過ぎれば残虐になるというが曹操の場合正にそれだな

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:02:16
孫権

101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:09:04
>>95
皇帝が助けてやってと言っているのだから、無視するのは不忠
また、王莽は我が子が謀反を起こした時、妊娠中の子の妻を子を産むまで生かした
皇后の子は皇子であるから、明らかに罪の無い皇子だけは助けるという道もあったはず
もちろん曹操的にはその皇子に母の仇討ちをされてはたまらないから殺すわけだが、これもまた不忠であり罪の無い赤子もろとも殺すのは残酷
まして、皇后が死んですぐに立った新しい皇后が曹操の娘では、不義と言われても仕方ない

父の仇討ちは仇に対して行うべきものであって、無辜の民や使役されているだけの兵に対して行うものではない
曹操はあの一件で自分が項羽並の暴虐の徒であったことを世に知らしめてしまった

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:20:44
優劣競ってるのに義理がどうのこうのって…
あの時代に,というか戦乱の世に義理も減った暮れもないだろ
ようは何が何でも生き残り,自分の野望を叶えた者が勝者

劉備は空手から一国の主となり,天下三分を達成した
そして形だけとは言え漢の復興もできた

孫権は先代の領土を受け継いだだけで,荊州奪還ぐらいしか目に付かない

曹操と同じく劉備は稀代の英雄
孫権は良き統治者って感じだから,劉備>>>孫権

103 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:32:11
曹操>劉備>孫権でもいいし
曹操>孫権>劉備でもいい

考え方でいろいろ変わるからな

104 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:43:17
当時の観念では、新たな皇帝を称しながら天下統一を全然果たせなかった魏は呉と同等に僭称者に過ぎないという考えもある
つまり劉備>超えられない正統の壁>>>>曹操>孫権

105 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:46:05
劉備と曹操の義理の話なら、個人的な恩義<勅命なわけだが。
習鑿歯も言ってるぜ。
劉備は困難に陥ってますます信義を明らかにしたって。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:49:52
帝位僭称なんかは
それまでの曹操との対蹠者というポジションから
曹ヒの追随者にまで落ちた感じなんだが
荊州失陥以後は既に落ち目
夷陵で取り返そうと頑張ったけど結局トドメを刺されたし

107 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:56:22
>>106
そこは認識を間違ってるよ
劉備は魏に対抗して僭称したんじゃなく、漢の皇帝が帝位を失ったから、代わりに即位したんだ
更始帝も光武帝も似たようなものだから、漢としての大義名分は立つ
魏の方は自分が正統だと言うなら蜀漢をサクッとやっつけて相手が偽者だとわからせなければいけなかったんだが、結局魏が魏としての主体性を持っているうちには蜀漢を滅ぼすことはできなかったので、魏はついに蜀漢が僭称者であることをはっきりさせることができなかった
これが後に「晋は蜀漢から正統を受け継いだ」と魏が僭称者扱いされる原因

108 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:00:33
>>107
なるほど。
魏が魏としての主体性ってのは
司馬氏の魏は魏に非ずということ?

即位の正当性はそのとおりだろうかもだが
劉協を死人扱いしたのはどうかと思う。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:10:58
>>108
司馬氏が支配して以降は実質は晋だよ
曹操が支配している間は実質的には魏であったようにね
漢の献帝が官渡の戦いに勝って天下統一寸前まで行った、とは言わないだろ

献帝を死んだことにしたということを妙に非難する人がいるけど、そもそもあの時代で許のことがどれだけ正確に把握できたのか、という問題はあるよね
おそらく魏では公式には生存してたことにしただろうけど、董卓という前例があるので、すぐに始末したという流言が流れて真偽不明になっても不思議ではない

そもそも、献帝はどんな経緯であれ帝位を失って(蜀視点では)生死不明になったのだから、生きていようが死んでいようがもはや皇帝ではありえない
空位になったわけだから、そこには後漢皇帝の血筋か劉氏の中でも特に優れている者か、どちらかが立たなければいけなかった
そこで、より都合のいい死亡説を選ぶくらいは当然の政治的選択だと思うよ
ちなみに後から献帝の生存が「判明」しても、劉備は困らない
更始帝劉玄の前例があるから、同じようにやればいい

110 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:29:11
>>103
お前の考えかただと結局曹操が一番じゃねえかww

111 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:31:08
>>110
誰が優秀ぁという基準では
曹操が一番になるのは異論がないと思うのだが

112 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:32:57
教科書も本も魏が禅譲を受けた(実質簒奪した)ってことになっていて
蜀(蜀漢)って書いてあるのが多い

113 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:04:08
俺は中学のころに図書館で横山三国志を読み、そしてハマった。
中学の間だけでも五回は全巻読破した。

高校に入っても三国志に対する情熱は冷めず、小説もいくつか読むようになっていた。
そして高校には、「世界史」という授業があった。

当時の俺は、三国志が中国史でとても重要な時代だったと信じて疑わなかった。
だから授業で三国志が出てくるのがとても楽しみだった。

そして遂にその時がやってきた。教科書をみた俺は・・・

愕然とした。

教科書には、わずかに黄巾の乱が勃発。→魏の曹丕が帝位を禅譲される。
で終わっていた。俺が現実を知った瞬間だった。


114 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:14:48
>>112
そりゃ、そのように記述した陳寿の「三国志」が正史二十四史の一つになっているからね

115 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:34:58
でも蜀漢正統論ってあとの時代、晋が南に追っ払われて落ち目の時にできたもんだぜ。
司馬炎時代は魏が正統で間違いはない
大体魏が蜀を滅ぼせなかったから正統じゃないっていったら
中原にも出れねーくせに漢名乗んなって話になる


116 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:50:25
>>99
当時の漢は逆に曹操が保護しなきゃとっくにぶっ潰れてた
それにその理論なら劉備は皇室に何の貢献もしてないばかりか、乱世を治める力も無いのに自ら皇帝を自称した不遜の徒
復興も出来ないのに名前だけ借りて勝手に皇帝になった劉備だって不義不忠の謗りは免れん。劉備は良くて曹操はダメな理由が一個も無いだろ。曹操は纂奪者ではないし

まあ俺は何の実行力も持たない帝室の正統性に全く意味は感じないが
一体どれだけの諸侯が勝手に皇帝や王を名乗ってたと思ってんだ?
むしろ曹操が保護した事が不思議なくらいだし

117 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:56:46
>>113
お前馬鹿だろ
海もまともに越えれない時代の内乱が「世界史」の規範で重要な訳ねーだろ。
「中国史」の古代から学ぶなら後漢末から魏晋南北朝は押さえとかなきゃならないが
「歴史」にゃ細かい内訳があんだよ。
概論から勉強し直せ。


118 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 02:40:16
>>117
お前もちゃんと文章を読もうな、「当時の俺」って書いてあんだろが。
別に今でも三国時代が重要だなんて思ってねえよ、煽るならもっと上手くやれ。
お前絶対現代文とかの成績悪かっただろww

119 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 07:59:08
>>116
>当時の漢は逆に曹操が保護しなきゃとっくにぶっ潰れてた
それは簒奪に結びつかなかった場合にしか言えない
一旦保護したらあとは簒奪しても何してもいいというものではない

>劉備は皇室に何の貢献もしてないばかりか、乱世を治める力も無いのに自ら皇帝を自称した不遜の徒
滅んだはずの皇室をつかのま、一地方であれ復興させたんだからそれが一番の貢献
また自称込みとはいえ四州牧を歴任し、現に一州を治める皇室最大の実力者なんだから、曹氏の即位に非を唱える者から見れば劉備以上の適任者は存在しない
もちろん、最終的に魏を倒すことが出来なかったから、蜀漢もまた誰からも後ろ指さされない完璧な正統性は持てなかったわけだが、だからといって単なる不遜の徒で済む話でもない

>曹操は纂奪者ではないし
実行犯ではないというだけだね
強盗を立案し武器や人員を用意したが実行は息子にやらせた、これを一切罪に問わないというなら曹操も簒奪者じゃないんだろうけど、普通はそうじゃないよね

>一体どれだけの諸侯が勝手に皇帝や王を名乗ってたと思ってんだ?
王と皇帝ではずいぶん意味合いが違うので一緒にすべきではないよ
あと、劉備については後漢の皇帝が帝位を奪われるまでは即位していないから、当時の皇帝の正統性は認めていたことになる

曹操と劉備についてはこういう考えが当時からあった
だからこそ陳寿は魏の本紀を立てながら劉備の方が正統であったかのような記事を書いたし、晋以降曹操(魏)の士大夫間の評価、評判は一気に暴落している
世説新語の曹操像なんか酷いもんだよ

120 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:22:41
>>58みたいな、たった12文字のスレタイすら読めない奴は
生きるのに苦労しないのかな?

121 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:36:49
劉備をドラクエのステータスで表すと絶対に弱いよねw
劉備のステータスであの時代を劉備のように生き延びるなんて誰ができる?
裏切りの限りを尽くしたのに呂布のような最後を迎えなかったのは何で?
そこが劉備の唯一にして最大、誰よりも勝ってる所なんだろうな〜。
それだけで国作っちまうしwww
比べて、孫権は、やっぱり糞なステータスwww
負けっぷりじゃ、劉備にも劣らないw
さらに、晩年はボケたのか部下殺しまくって、国の土台を潰しちゃうし。
劉備のが優秀だと思うけどね〜。


122 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:40:08
というか、誰もが認める曹操さんの言葉を借りて決着でしょ?
英雄は俺とお前だけだよって。

123 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:56:17
>>122
当時孫権は世に出てきてませんから。
曹操が息子にしたいって言ったのは演義なんだっけ?
孫権の才能は買ってると思うんだが。

124 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:23:25
孫権は年齢的に新人王くらい
それでランキング1位の曹操と渡り合えるのだから大したもんだろ

赤壁後でも銅雀台を建てたから国力は衰えてないとか
211年には馬超を討ってるとか言ってる人間がいるが
一度手にした荊南五郡を失い一年近く孤軍奮闘する曹仁にろくな救援も出せない時点で
赤壁は相当な被害を受けたと見る方が自然。
それが疫病による自滅なのか孫権、劉備による攻撃なのかは情報不足で分からないが
どっちにしてもこの二人は曹操のライバルとして他の群雄とは格が違う
まあ一時の勢いは袁紹とか公孫サンの方が上だったけど。
孫策は期待値が高いけど孫権ほど持続的にまとめられたかは不安要素がある
崩れる時はあっけないタイプではあるな

125 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:47:58
>>124
渡り合えてねえよ。赤壁は周喩や程普が大将であって、孫権は後方待機。
しかもそれだけの被害を与えながらも自ら出陣した合肥では圧倒的な兵力差に関わらず大敗。
大打撃をうけ、自身は護衛に守られ命からがら逃げのびる。
それ以前も、孫権は豪族や異民族の反乱くらいしか実戦経験が無く、戦闘に関しては素人である。
さらに政治能力が高いとか言うやつがいるが、結局国内では反乱が多発。
呉が長く保てたのは、優秀な配下と精強な水軍の力によるところが大きい。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:58:58
>>118
やっぱ馬鹿じゃん
世界史の規範で重要じゃないのは考えなくてもわかる
でもだから三国時代を軽視してもいいわけじゃねえ
学ぶ時代によっては必ず押さえとかなきゃならない時代だ

高校の教科書ザラ読みした程度で簡単に「重要じゃない」とレッテルを貼るから馬鹿だと言ってるんだよ
言ってることくらい理解出来るようになれ

127 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:11:11
>>119
陳寿が劉備を正統とした?何をもって?
つーかお前見方が一元的すぎ。
本当に漢の正統を語りたいなら廃立された劉協立てて魏の王朝を認めないスタンスをとるべき
「献帝には力が無いから、劉備が変わりに皇帝になるべき」って理屈が通るなら、
「漢の天命はすでに尽きたんだから、易姓して曹氏が次代の王朝を開くべき」って理屈だって通る

お前はただひたすら劉備に都合よく解釈してるだけだ実際に劉備の即位を批判する声もあった

128 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:12:23
その優秀な部下と水軍を謀反させずに抱えてた孫権は優秀だってことだ

そもそも名家孫家の孫権>>>>>>>>>>>>>どこの馬の骨ともわからない乞食劉備
血筋をなめちゃいかんよあんたら
劉備が劉家の子孫?
ハイハイおれおれ詐欺乙!

129 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:17:13
>>127
>>119は有名な池沼だから相手にしたら負け

130 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:27:37
>>126
そんなに構って欲しいの?暇だからあと一回だけ相手してやるよ。
誰も軽視してるなんて言ってない。ただ高校レベルの世界史で長々と
説明する必要があるほど重要じゃないって言ってんの。

だいたいお前117では所詮内乱ってすげえ軽視してんじゃん。
自分が何言ってるかさえ分かってないわけ?歴史語る前に
小学校くらいから勉強しなおせ。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:37:09
>>125
経営者と中間管理職の仕事は別だろ
そういう次元では語ってないデス。はい

132 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:38:52
>>126>>130
ぶっちゃけどっちが馬鹿だろうがどうでもいい
誤差の範囲で納まる程度だ
気にするな

133 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:39:47
>>128
自称名家の孫権さん。父親の孫堅さんは孫武の子孫名乗ってるけど実際はただの豪族ですよね?
優秀な部下は裏切らないけど殺されてしまいましたね。

あと乞食っていうのは謝れ。世界には今でも貧しい暮らしをしている人たちがいるんだ。
その人たちに直接乞食っていえるか?もっと良く考えて書き込め。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:41:17
乞食は差別用語ではない
立派な職業だよ
そして劉備の仕事は乞食ではない
詐欺師だ

135 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:42:33
>>131
ならお前の言う経営者の仕事って何だ?酒飲んで暴れたり部下を殺したりすることか?

136 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:44:25
>>119
>>127
曹操が強盗なら劉備は空き巣
どっちも変わらん。

ただ一つ言うなら曹操は30年以上漢のために戦い王位にまで昇った。
劉備は「官軍」に反逆し続け天下に何を為すわけでもなかった。

「曹氏の専横許すまじ」ってのはあくまで蜀が自分らの正統を認めさせるための理屈に過ぎない。
劉備だって所詮は、裏切りを繰り返して諸侯を立ち回り、奪った土地に引っ込んで勝手に皇帝を自称したことには変わり無いんだ。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:45:11
>>134
乞食が職業って・・・まじでそう思ってるなら絶対政治家にはなってほしくない
タイプの人間だな。好き好んで乞食やってる人なんていない。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:52:33
>>130
本当に意味わかってねーんだな
お前が史学の概要を勉強してくれりゃ話も通じるんだが……
歴史には区分けがあるという事をもっかい考えてみな
「世界史」だけが歴史の真実でもなければ現実でも最高峰でもない
あくまで史学の中一つの区部でしかねーんだ
そこんとこよく押さえとけ
史学と言うのは複雑だ
お受験にしか使わない高校の教科書授業で読んだ程度でわかるもんじゃない


139 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 13:01:39
>>124
十中八九疫病
魏書にも呉書にも疫病の話が出てくるし

140 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 13:40:36
>>138
つ 道聴塗説

141 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 14:12:13
>>137
見識が狭い人か…
メキシコ行ったら分かるが好き好んで乞食を職いにしている人がごまんといるぞ
何でも向こうでは乞食は人に施しをさせて慈悲をもたらす立派な職いらしい

142 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 14:29:48
>>141
じゃあ何か?世界中にいる乞食は全員好きでやってるとでも?
お前がいってるのはごく一部の物好きっていうか宗教に毒された人だけだろ。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 15:30:08
そもそも劉備が行った悪行って益州乗っ取りくらいじゃないか(後世の儒者からも批判を受けている)
曹操に対する謀反は大儀名分論に則ればおかしいわけでもないし
曹操が九錫を受けず諸葛亮みたいな人生送ったんなら筋違いもいいとこだけどさ

144 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 15:34:50
たしかに。
劉協が息子に残して曹操がパターン通り族滅されてれば忠臣といっていい。
自分の贔屓の自衛や功利主義的行動は擁護するのに
そうでないのは非難するというのはダブスタもいいとこだ

145 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 15:36:57
劉備の立場で生まれてあそこまでのし上がるのは相当な偉業


146 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 15:57:42
>>123
似ている劉表がいるだろ。
劉表がそう評価されなければ孫権じゃ無理。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 16:34:01
劉備は幽州が地元なんだから、逃げずにそっちの方で頑張ってた方が
成功してたんじゃないか?

148 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:10:52
田予が離職するような感じだし
劉邦みたいに地元ではゴロツキ扱いだったんじゃないの

149 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:25:23
そもそも田豫が離脱したのは徐州時代っしょ
故郷の母の世話をするためだしむしろそこは快く帰してやった劉備の度量を評価すべきかと

150 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:29:53
>>149
そこが劉備の良いところだが、同時に弱点でもあるよな。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:40:28
>>143
そういう考えならそもそも世話になんかなるな
救済してもらったばかりか州牧にまでしてもらって何手前勝手なこと言ってやがる

と、曹操やその腹心は思ってたんだろうな
純粋な善意かどうかに関係なく、受けた恩を仇で返したことは確か
それで人徳がどうだと言うんだから聞いて呆れる

152 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:44:00
順帝の洪恩に報いる振りして簒奪かます曹氏には何もいえないな
マキャベリストが嵌めたり嵌められたりするのは当たり前

153 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:46:21
>>143
「私は敗軍の将となっても逆臣の下にはつかん!」くらい言ってくれれば大義名分もあるだろうけど
施しを受けるだけ受けておいて手のひら返したんだから詐欺師扱いされてもしかたがない
劉備の態度こそ典型的なダブスタじゃん

154 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:51:15
>>152
劉備だってただの僭称だろ。袁術と大差ない。劉氏ってだけで皇族とは本来、縁も縁もない
革命を自分の好き嫌いで纂奪扱いする奴にわかるわけないだろうが

155 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:57:43
曹操が強盗なら劉備は空き巣
曹操が纂奪者なら劉備は僭称者
少なくとも劉備は偉そうなこと言える立場じゃないし
劉備が相続なら曹操は革命だし

つっても曹操は皇位に付いてないし、皇帝から任ぜられた上での王位で、そこからの易姓革命で王朝が変わってるんだから少なくとも手続きの面では劉備よりは筋は通ってるんだがな

まあ着地地点は大差無いが……そもそも漢自体あってないようなもの

156 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:01:23
劉備が曹操の暗殺計画に乗ったのって、
曹操を逆臣として誅滅すれば自分が皇室で実権を握れるからだよね?やっぱり

157 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:04:49
曹操が強盗なら劉備はゴキブリ
曹操が纂奪者なら劉備は死刑囚
少なくとも劉備は偉そうなこと言える立場じゃないし
劉備が相続なら曹操は天地創造

こうだな

158 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:05:10
>>154
革命って便利な言葉だな。
要するに自分が気に入らないから劉備も僭称なんだろ?

159 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:08:06
献帝やその側近だってようは権力が欲しかっただけだ
大体マキャベリストがマキャベリストに騙されるのが認められるなら
曹氏に取って代わられたのだってようは献帝ってマキャベリストが曹操ってもっと強いマキャベリストにいいようにされたってだけの話



160 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:11:52
>>159
お前と同じものの見方をすればそうなるってだけだよ
劉備は良くて曹操はダメな理由が一つもない

161 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:11:55
取り合えず劉姓を名乗っとけば、多少漢王室の繋がりがあるように思われるだろうし。
地元の幽州での劉備関連の劉一族て一人も彼に付き従わなかったのかな?


162 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:16:13
つーか漢朝を巡る正統性と
劉備が諸侯を立ち回り裏切り続けたことは別の話じゃね?
劉備の行動が正当化されるわけじゃなかろ

「乱世だから」で済ますなら、まあ人でなしだろうがなんだろうが生き残ったもん勝ちだろうが

163 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:19:08
>>154
魏書くらい読んでからえらそうなこといいなよ

164 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:23:05
>>163
「〜よんでからいいなよ」って言う奴はだいたい何も読んでない

165 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:23:24
>>159-160
それでいい。
劉協は自立を目指して失敗した傀儡
曹操は簒奪者の親父
劉備は田舎で割拠した一応皇族の僭称者

劉備の権謀術数は駄目で
それ以上に狡猾な曹操が被害者ヅラをするのは不可解

166 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:28:02
>>164
>劉氏ってだけで皇族とは本来、縁も縁もない

典略曰:備本臨邑侯枝屬也。先主祖雄,父弘,世仕州郡。雄舉孝廉,官至東郡範令。

アホ乙。
なんでそんなえらそうなの?

167 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:28:09
>>165
権力闘争の面で考えたらそうだろうが
厚遇を受けた上での裏切りが人格的な面て非難されるのは当然っちゃ当然

168 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:31:03
>>166
その根拠となる家系図は途中100年位抜けていきなり劉備の祖父に飛んでいるもの
えらそうに出来るほどの信憑性があるとは思えん

169 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:33:25
>>166
つ信憑性

170 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:35:11
>>162
うん、それを乱世って言うんじゃないの?
最も、ただの人でなしが生きて上に立つなんて無理なんだけど

171 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:36:29
司馬光のいうことも一理あるが
エンもユカリもない、とか断言してるやつの方がえらそうだろ。
どー考えても

172 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:37:47
どっちにしろ120人も子供がいた劉勝の旁流じゃあ、零細すぎて皇帝を継ぐだけの血筋じゃあるまい。
劉備の親父かじーさんか忘れたが所詮田舎の県令だろ?

173 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:40:01
>>168
おいおい
1800年前のタク郡劉氏の家系図なんて誰が確認したんだよ
なんでそんな断定が出来るんだ

174 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:40:37
>>170>>162
劉備は人でなしじゃなくて、
道理知らず、もしくは詐欺師

175 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:43:26
>>173
どっからどう繋がって劉勝に行き着くかわからない以上、断定したらあかんでしょ

176 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:48:45
>>173
俺が言ってることじゃないからわからん
阿部幸夫って中国文学専攻の教授の論だから
俺は「繋がりが無い」と断定してるんじゃなくて、「繋がりがある」と断定出来ない、と言ってる

繋がりがあるかどうか、またどれだけ皇室の血が濃いのかもわからん以上威張って皇帝継げる血筋とはいえんでしょ

177 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:51:38
光武帝の皇太子だった東海恭王の末裔=劉虞
光武帝の子の阜陵質王の子孫の成悳侯の子=劉曄
景帝の子の魯恭王の末裔=劉焉、劉表
高祖の孫の悼恵王の子の斉孝王の子の牟平共侯の直系子孫の劉本の孫の劉輿の息子=劉岱、劉繇
景帝の子の中山靖王の子孫の臨邑侯の末裔=劉備

178 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:53:17
そろそろ能力の話に戻そうか
劉備が信用出来ない事なんか呂布でも知ってる
あーだこーだ今更言うことかよ

例え信用出来ない詐欺師でも有能だから生き残れたんだろうが

179 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:55:16
正史で劉備は皇族と断言してるんだから一応はそれを信じるのが筋だろ
劉表や劉璋や劉嘩だって家系図があるわけじゃなくいきなり祖父とかの代に飛ぶし記述も劉備と変わらない

180 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:56:21
袁紹袁術以外、名門の血筋がはっきりしないな。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 18:57:42
末裔って言ってもどこをどうきて繋がってるのかわからんし、それこそ自称みたいなもんだ。

由緒ただしけりゃ他の劉氏みたいに中央官僚か、地方で太主や牧に任ぜられるはずだ。
どっちにしろ大した血筋じゃ無かった証拠。

182 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:03:34
>>181
反曹操の首魁に祭り上げられたのは確かに血筋よりも能力だろうな
いくら血筋が近くても劉表や劉璋じゃダメだと

183 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:05:53
>>177>>179
劉備に疑問感じるならその辺も全部疑わないと変だよな
結局先入観に惑わされてるだけなんだよ

184 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:09:43
能力といか、中原で活動していたということが大きいかも

豪族の連立政権だった荊州をまとめた劉表の手腕は確かなものだろう
だが、中原の戦争に干渉しなかったから、そういう立ち位置にはならないだろう

185 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:11:55
>>183
劉備が由緒正しけりゃもっといいポジションにつけてるって

186 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:13:23
>>180
袁家も名のある高官として正確に遡れるのは5、6代くらいだよ
漢は安定した貴族社会には程遠いのだから、
歴史の表舞台から見れば盛衰が激しい。
一人功臣を出したことがきっかけで名門になり、
何かの弾みで零落して史書から姿を消す。
史書に残らない豪族のレベルでは、余程の混乱に巻き込まれない限り
どの家も代々祭祀を受け継いでいたのだろうけどね。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:18:09
>>185
誰も由緒正しいなんて言ってないし思っても無い。
劉備は皇統の最末端に位置する祖父が県令程度の中小豪族にすぎない。
だから劉備は東漢の第十二代皇帝なんて名乗ってない。
劉秀に倣って中漢(東漢)を継ぐ李漢を建てたんだよ。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:34:09
結局自称皇帝にかわりねーから
当初の結論に戻るぞ

189 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:38:31
>>127
お前は費詩伝の裴注を100回音読してこい。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:40:29
三国時代には正統な皇帝なんかいなかったんだよ、本当の意味では
まあ、だから三国時代って言われるわけだが

191 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:40:54
劉備が皇族のはしくれということについて
当時の人間は誰も疑っていないがな。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:41:28
>>185
ちなみに景帝まで完全に遡ることが出来て、侯クラスが近親にいる劉秀の父ですら、
最終勤務歴が県令だったりするが。

193 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:43:25
劉備が皇族のはしくれということについて
当時の人間は誰もケチつけていないがな。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:43:29
>>185
光武帝は景帝の子の長沙定王の子の春陵節侯の子の鬱林太守の子の鉅鹿都尉の子の南頓県令の子
血筋が正しくてもいいポジションじゃないね。
まあ劉備も結局天下は取れてないが、だからどうしたという話

195 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:46:23
ケチつけてるのはただのアンチなんだろうな
自説に拘りすぎて引っ込みがつかないようだ
叩きたいなら髭なしの宦官モドキとか馬鹿にする方が効果的だと思うのだが

196 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:46:48
蜀は後唐が唐の継承者を自称したのと同じレベル

197 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:52:32
突厥の朱邪氏とは訳が違うだろ
一応は中原を制した後唐よりかは
南明とかの方がらしい

198 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:52:41
ところで、このスレタイでも曹操vs劉備に呑まれて
影が薄くなる孫権さんがそろそろ可哀想になってきた件について

199 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:01:09
皇位継承で一番優先なのはもちろん血筋
皇帝に近いところから選ばれる

だが適任者が居ない時や一旦滅んだような緊急事態においては、血筋よりも皇族内での有能さ、徳の高さが選ぶ基準になったり、高祖の神霊のご神託によって選ばれたりする

献帝は前者で、光武帝や劉盆子、劉嬰などは後者
劉備も後者に属する皇位継承と言える

200 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:02:11
>>198
曹氏も劉氏もダメだから俺が即位、って男らしさはステキ

201 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:06:58
若いうちから兄貴から家督を引き継いで
周ユ、魯粛、呂蒙、陸遜が活躍して
孫権自身は戦下手なので外交で呉蜀を翻弄して頑張ったけど
調子こいて二宮の変やっちゃいました、という感じの孫権

関羽、張飛のおかげで諸侯の間を客将として転々、
諸葛亮を三顧の礼で迎えてからは赤壁から入蜀、漢中戦と順調に勢力を拡大
しかし孫権への数々の背信行為が原因で荊州失陥で関張あぼーん
自身だけの采配で臨んだ夷陵では一敗地に塗れて死んだ劉備

難しいところだが夷陵は弁護不可能なレベルだ
合肥、二宮の変を合わせたより酷いんじゃないかな
諸葛亮の建て直しが神なだけだろう

202 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:12:58
>>199
>高祖の神霊のご神託
本当に奴が出てきたら何やらかすかわかったもんじゃないけどなw

203 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:14:25
劉備とかいうゴキブリは才も金もないから
劉氏の末裔だという捏造だけでのし上がるしかなかったんだよ
中国人は基本的に馬鹿だからそういうのにまんまと引っかかる

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:14:37
>>199
放伐、禅譲による易姓革命だって認められてるわけですが
それは結局一つの思想からみた考えでしかない

大体当時の漢に何の価値があるんだ。悉く僭称を許し曹操がいなければ存続すら不可能だったろうに

むしろ曹操が保護したのが不思議でしょうがない
んなめんどくさいことしなければ朝廷における権力闘争の必要もなかったろうに
トウタク死後でもう天命が去ったのは明らかだったろう

205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:16:54
>>190
俺としては魏晋南北朝時代の呼び名が、実質王朝がどこにあったかを表してると思うが。


206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:18:02
>>194
そりゃ旁流だからじゃねーの?

207 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:21:22
実質王朝もなにも魏呉がほとんど南北朝状態。
それを統一したのは晋で晋が禅譲を受けたのは魏だから
魏晋というだけのこと。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:22:22
>>204
天下三分の状態で皇位簒奪だから説得力なし。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:23:20
劉備が漢朝復興を本気で考えてるなら
せっかく魏公曹操から与えられた左将軍の座を放棄するわけない罠
とにかく漢朝の中に入って曹操支配の体制を失脚させて
内側から本当の漢朝になることを目指すことをしないわけだから
漢朝なんかどうでもいいんだよ
自分が皇帝になりたい願望で漢朝の名目を利用してるだけ

210 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:25:40
>>201
別に夷陵だって弁護可能。
勝ち負けは戦の常。
曹操だって赤壁で大敗しとるがな。
二宮の変は弁護のしようがないけどな。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:25:42
>>206
傍流でも由緒正しく大したことのない血筋などではない。
それでも劉備の祖父と同程度くらいのポジション
おk?

212 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:26:51
劉備は曹操の影響力が弱くなってたら献帝を暗殺してでも皇帝になろうとするくらいの男だったと思うよ

213 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:26:56
>>204
放伐や禅譲ももちろんあるよ
しかし、皇族内での皇位継承よりもハードルが数段高い

王莽の場合、諸侯や官僚や民がこぞって帝位に就くことを要望し、更に高祖の神霊が王莽への禅譲を認めるという手順を取っている
全国の上から下までの人々が皆認めてる、というのが問題で、曹氏の場合は益州・揚州に明らかに認めていない政権がある
漢の皇帝が弱体な傀儡だからといっても、誰もが認める実力(徳)が無いといかんわけだ

放伐の場合も、討つ側には徳があり、討たれる側は暴君で全国の信を完全に失っているのでなければ単なる反逆でしかない
漢の皇帝の場合傀儡でしかないので、暴君ではありえない

後漢末は確かに董卓死後の混乱でかなり皇帝の権威は失墜してるが、結局全国の人々から即位を熱望される=天下を統一するほどの実力者が出るまでは漢の皇帝が天子には違いない
戦国時代の周王みたいな状態だな
おそらく、忠孝にやかましい人や、逆に田舎の民などにとっては、まだ漢というネームバリューは意味があったんだろう

214 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:27:17
>>208
中原にすら出れない皇位僭称よりかはなんぼかいい


215 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:29:36
>>210
創業者が親征で亡国レベルの大敗じゃん
兵家の常、で言い訳するにも限度があるよ

216 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:30:36
>>211
皇位には遠いのは事実じゃん
やつは勝ち残れたから最終的に皇帝を名乗れたんであって、劉備と同列には語れん

やつだって順水で死んでたら僭称者扱いだろ

217 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:34:52
>>213
閥宣みたいなのが皇帝名乗れた時代でか?
あと呉は臣下の礼をとってるわけだから、時期的には問題ないはず


218 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:37:21
>>216
だから僭称者だろ
王莽が簒奪した時点で劉氏は元皇族
他に対立候補がいなくなったから正統になり皇族に返り咲いただけ

219 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:38:43
赤壁は何だかんだで疫病の影響が濃厚だろ。
夷陵は戦術レベルで文帝に突っ込まれるレベル

220 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:59:23
魏呉は疫病で大ダメージを何度もくらってるな
蜀が疫病で死にそうになったのは羅憲の永安戦くらいのような
赤壁の場合魏だけ一方的に罹患したからかなり追撃で凹られた可能性も否定出来ないけど

221 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:05:37
>>215
亡国レベルとか勝手な妄想だろ?
その3年後には諸葛亮は南征してるんだが。
「諸葛亮の立て直しが神だから」ですか?ハイハイ。

>>219
曹丕の発言など全く当てにならない。
陸遜いなかったら呉が負けてた可能性もある。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:14:59
>>221
そうだね
陳寿の著作は勝手な妄想だよね

一爾勢成,通率諸軍同時俱攻,斬張南、馮習及胡王沙摩柯等首,破其四十餘營。
備將杜路、劉寧等窮逼請降。備升馬鞍山,陳兵自繞。
遜督促諸軍四面蹙之,土崩瓦解,死者萬數。
備因夜遁,驛人自擔,燒鐃鎧斷後,僅得入白帝城。
其舟船器械,水步軍資,一時略盡,屍骸漂流,塞江而下。
備大慚恚,曰:「吾乃為遜所折辱,豈非天邪!」

223 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:22:46
>>221
その3年間がダークネスすぎる
威信の低迷で首都付近では黄元が反乱を起こし
南中は無法状態
魏は調子こいて連名で降伏勧告するレベルじゃん

224 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:40:27
黄元の反乱も南中の離反も降伏勧告も劉備の死期に連動したもので、夷陵とは関係ない。


225 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:43:04
>>222
それのどこに亡国レベルって書いてあるの?

226 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:03:37
夷陵の敗戦は222年六月。巫まで撤収したのが八月。
劉備の死は翌年四月。

おそらく大敗でがっくり来て以降調子をおかしくしたのだろうけど、
劉備はそれから死ぬまでの間に白帝に滞留しながら
諸葛亮と李厳を中心とする新体制を整え呉と修好を果たし、
魏の南下に対して呉を支援する姿勢も見せた。
この劉備自身による敗戦処理期間が無ければ蜀漢は本当に瓦解してしまっただろう。

蜀漢という国にとっては、夷陵の敗戦自体よりも強力な皇帝の失意の死の方が
ダメージが大きかったようだね。
まあ、その状況で目だった造反もなく劉禅の元に纏め上げた諸葛亮が神クラスってのは同意しておく。

227 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:25:19
>>224
袁紹も官渡で負けた後反乱が起きてるが死ぬのは2年後だぞ。
一年も経ってない劉備のケースで関係がないと断言する根拠はどこにあんの?
新皇帝様の威信を賭けた一回目の親征で大敗。幹部や兵はほとんど降伏か戦死。
そういう敗戦をして持ち直した国の具体例を蜀以外で挙げてみな。
君がそのでかい態度にふさわしい人間なら当然出来るはず。

>>225
孫権伝 自正月至閏月,大破之,臨陳所斬及投兵降首數萬人。劉備奔走,僅以身免。
劉ヨウ伝 權將陸議大敗劉備,殺其兵八萬餘人,備僅以身免。

一般的に全滅=損耗3割 壊滅=損耗5割 殲滅=損耗10割。
本当に八万も死んだのか分からないが
215年時の劉備5万、関羽3万で蜀が動かせる全軍に近い陣容だった。
263年の降伏時で10万程度まで回復したものの、
蜀の国家規模なら2、3万失うだけでももう亡国が見えてくる。
滅亡の契機となったとされる段谷でも夷陵ほどは死んでない。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:40:41
馬良も夷陵で戦死してるくらいだしな。
赤壁でも主だった戦死者はいない

229 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:54:47
夷陵の戦いと二宮の変は全然性質が違うだろ
前者は一応意味がある行動だけど後者は全く不要の混乱を招いたって話だから

230 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:56:50
>>227
>袁紹も官渡で負けた後反乱が起きてるが死ぬのは2年後だぞ。
その通り。官渡も、敗戦自体は袁家の河北支配にとって致命的な打撃ではなかった。
一時的に情勢は不安定になったがこれを袁紹は実力で押さえ込んでいる。
一番の打撃は袁紹の死。これによって袁家が二分する。しかしそれでも、国力に劣る曹操は
袁尚を片付けるのに5年掛けた。

>殺其兵八萬餘人
つ破賊文書の十倍報告
劉備が荊州に展開させた兵力は陸遜の見立てで四万だよ。
兵站等後方支援を含めた総動員数で10万に迫るかもしれないが。
八万は呉の戦果報告を傅子が引用したのだとすると尤もらしい数字になるが、何も確定できるものはない。
夷陵の敗戦は前後百年で最大級の大敗だっただろうけど、その敗北の直後に
蜀漢に目立った動揺はない。あるのは劉備の病が篤くなってから。

段谷だってそうなんだよな。寧ろ敗戦の後に姜維は北辺の防備を広域に広げている。
士民の反感を買い、姜維率いる北伐軍の練度等に影響は大きかっただろうが、
段谷の敗戦一点が蜀漢を滅ぼしたわけではない。
当時の北伐反対派は、遠征を繰り返して戦果が上がらないことを理由にしたのであって、
段谷から来る疲弊を理由の主にはしていない。
拡大していく雍州の戦力格差を戦場で覆そうとして果たせなかった
ターニングポイントとは言えるだろうけどね。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:06:30
>>229
呉と戦争するのは悪い意味あいのがはるかに多い気がするが

>>230
戦力差10倍とも言われる袁氏が当主の死後わずか5年で滅ぼされたってのは
結局えらいことじゃねーか?

232 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:11:59
>>231
曹操が司隷豫エン徐州の支配を安定化させれば人口比では二倍くらいだと思うよ。
で、袁家の方は断続的に同士討ちしている。曹操は時が経つに連れ人心を収攬していく。
強力な軍閥の長の死というのはまさに「えらいこと」だっただろうね

233 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:20:17
なんでみんな大敗の後すぐ死ぬんだろうな
>>232
安定って一口で言うが
それが簡単に出来るほど当時の中原は穏やかじゃなくね?
まず食い物がない

234 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:22:11
>>204
「大義名分論」ってあながち馬鹿に出来ないと思うよ
この朱子の思想を受け継いだ水戸藩は「何で我が国では本来の正統である天皇を差し置いて幕府が実権握ってるのか」
という思想を持ち続け幕末の原動力となった

魏や呉では臣下が皇帝を勝手に廃立する動きが起こったが蜀は諸葛亮はじめみんな劉禅を守り立て続けた
魏呉と蜀の明暗は建前論とは言え一応臣下は皇帝を伺うことはしないという美徳を侵さなかったかどうかで分かれたんだよ

235 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:24:28
>>231
曹操は捕虜を8万人生き埋めにしたから戦力差が本当に10倍あったとしても大したことないだろ

236 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:29:33
>>233
だからこそ、曹操は征伐を繰り返しながら河北に長期滞留できなかったし、
そのため概ね戦いには勝ちながら五年も掛かった。

かたや袁家の事情というと、官渡の大敗(公称八万穴埋め)が「亡国レベルの大敗」
だったのなら、河北の継戦能力に大きな打撃を被る規模だということだろうので、
こんな長期戦は出来ずに一気に崩壊しているだろう。二代目の袁尚が率いているなら尚更だ。

237 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:01:24
>>231
荊州を取り戻すこと事態は悪い戦略じゃないだろ
呉は魏に降伏してるから何も手を打たないってことも出来なかろうし

238 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:17:29
>>229
別に俺は劉備アンチでもないし夷陵をやったから劉備=アホとかそういう訳じゃない。
ただ結果の不味さだけはどうしようもない。

>>230
前後百年で最大級の大敗、つまり亡国レベルの大敗じゃないか。
負けたからすぐに反乱が波及するとかそんな訳ないだろ
指導者の重要性を語るのは頷く所もあるが
それを支える兵隊が敗戦で壊滅するのは、彼ら自身の影響力も制限されるという常識を
ただ口論で勝つ為だけに無視してるのが頂けない。
それが自分の采配なら尚更なはず。そこからはみ出たやつらが反乱を起こすのも当然。
それを鎮圧したから亡国レベルではなかったとか、そういう論旨か?
傾国レベルとかに言い直せば満足するのだろうか?

>>236
今まで積極攻勢を取ってあと一歩で降るか滅ぶかまで追い詰めた相手に
逆に防衛側で迎え撃つような事態を招いたのは官渡以降。
袁紹が生きてる時期に一度奪ったはずのレイ陽が曹操に奪い返されてるだろ。もう先が見えてるんだよ。
5年もかかったのは基本的に防御が有利で、冀州の国力が元から圧倒的だからだ
曹操がエン州牧を捨てて冀州牧になってるのを見ればそれくらい分かるだろう
群雄が乾坤一擲で臨んだ戦争の惨敗を無視して、
そいつの死のみに勢力動揺の原因を全部ぶちこむのは、詭弁とかいうレベルじゃない

239 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:38:22
>>238
>前後百年で最大級の大敗、つまり亡国レベルの大敗じゃないか。
逆。垓下のような一戦の大敗が即座に亡国に結びつくようなことは歴史上多くは起きない。
国が滅びてから逆算して歴史のターニングポイントとなったといえる戦闘は見出しうるけどね。
現に、夷陵ほどの大敗の後も蜀漢は滅びていないことからもわかる。
数量(大敗)が必ずしも質(亡国)に直結しはしないということ。
どうしようもない程の国力差があるなら別だが、国(勢力)が滅びるというのは軍事よりももっと
長期的複合的な問題であり、自分の場合は、特に国家の制度が固まっていない時機に
それを個人的な力量で纏め上げていた者の死というものに大きな力点を置いて評価している。
そういえば楚も、本国に多くの兵を残していたといわれているのに、項羽の死によって潰えた。
そういう視点で語っているのに、口論で勝つためだけとか言われるのは心外だ。

袁曹対決で言うと、黎陽は官渡前も一時曹操が進出している。袁紹が大動員を掛けたのでなければ
この辺りを係争できるパワーバランスだったということだろう。
その後、袁尚の時代になってからギョウで曹操を撃破している(「勝てずに引き返した」ではない)
お互いに繰り返しになるが国力では河北が有利(この差は官渡の「大敗」で埋められなかった)。
袁譚と袁尚で分裂しなければまだ解らなかったと思うよ。全然先は見えていない。

240 :239:2009/04/23(木) 01:54:33
あ、追加
>傾国レベルとかに言い直せば満足するのだろうか?
まったくの言葉遊びだが、ことの発端は>>215のようだから

>>創業者が親征で傾国レベルの大敗じゃん

と訂正されるのなら、まあいいんでないの?
自然、二行目の文も変わってくるだろうけど。

しかし、実際どの程度傾いたんだろうね
言葉遊びに終わらないためにも、
真面目に検討対象にできる問題だと思うけど。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 02:27:08
>>239-240
なんか既に違う相手に代わってたようで失礼した。

大敗⇒即滅亡、なんてのがないから
>国が滅びてから逆算して歴史のターニングポイント(ry
が亡国レベルの大敗になるんじゃないのか?
垓下とかより、昆陽とかヒ水の例の方がまだ一般的だろう。
自分で挙げて何だが、「傾国」には違和感を覚えるからあえて使う気がしない。
そもそも亡国にしても亡国之君主が滅びた時点のトップとは限らないし別に問題ないだろ。

袁曹対決に関してはそっちの方が正しい解釈だとは思い直した。
まあ項羽が項羽足りえる心理的リソースは垓下で尽きたはずだ。
常勝不敗の名声も虞美も二十八騎の忠臣も八千の子弟もない。
何の面目あってか之を見ん、そんな心理状態で捲土重来など出来ないだろうよ
指導者のパーソナリティーや配下、民衆のモチベーションを重視するなら
尚更敗戦が与える影響は無視できないと思う

242 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 03:03:17
>>227
黄元の反逆は劉備が危篤と聞いたからだ。
諸葛亮に気に入られていなかったから、劉備以後の体制を恐れていた。
南中に関しては、越スイと建寧(益州)は夷陵以前から問題を抱えていた。
そして李恢伝にある通り、3郡は劉備の死をもって反逆した。
降伏勧告?
劉備が死んだら情勢はどうあれ降伏勧告は来ただろうな。
「魏では蜀にはただ劉備がいるだけだと思っていた」(魏略)らしいし。
この3点を夷陵と結び付ける方が不自然だと思うね。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 05:06:38
基本的に戦力の空白がなければ反乱はそうそう起こせない。
南中は夷陵以前から劉備−雍闓・高定−士燮−孫権の綱引き状態。
諸葛亮が鎮圧に乗り出すのは孫権との修好がなってからだ。
夷陵で負けたからそういう勢力図になったと解釈する方が自然だろう。
黄元の乱にしても皇太子の親兵を派遣するほど切迫してた例の一つでしかない。

また情勢を無視すれば何とでも言えるのは当たり前。
219年から再び魏に戦力を向けるまで10年近い空白が生じている。
なぜそんなに間が空いたのか理由は明らかだろう。
関羽は魏に恐れられていたが戦いも出来ずにあっさり捕虜になった。
それは兵が離散したからだ
呉将たちは夷陵後に「備必可禽,乞複攻之」と言ってるが劉備の場合もそれと同じさ。
劉備単体で何とかなるなら羽翼がどうのとかそういう表現は出てこない

244 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:16:47
戦力の空白?
魏や呉でも度々反乱は起きてるんだが。
南中は夷陵以前から問題あったのは認めてて、
なのになぜ夷陵の敗北をわざわざ結び付ける?
そして「劉備の死後」に3郡が連動して背いたことは明記されている。
南征までの期間もまた、劉備の死の方に関係している。
劉備死後の政治体制の整備だろう。
また、諸葛亮は部下にまかせるのが不安で、自ら出征するつもりで馬謖と準備していた。
呉との関係を言うが、それは夷陵の勝敗とは関係ないね。
むしろ夷陵後、劉備在命時に呉との関係修復が始まっているので
南中が劉備死後に背くことと整合性がつかない。
黄元が切迫、というのは楊洪の認識とは違うし、
そもそも切迫がどうのなんて夷陵とは関係ない。
切迫してるとしたら、それは司令塔の不在。
対魏戦は219年から10年近く空くが、その間に夷陵があり、南征がある。

手足がいくらあろうと頭脳にはなれない。
頭脳がなくなったことを好機と見て反逆したのが南中だろう。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 10:03:22
で結局孫権と劉備 どっちが優秀なの?

246 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 10:34:45
劉備

247 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 12:39:37
>>244
何度「関係がない」と言ったか数える気にもならんが
あとに続く論拠に説得力がない。

魏も呉も反乱は起きてるよ、では反論にはならない。
それは土地に比して「手足」とやらが足りてないからだろ。私の意見どおりではないか。
ただそれが空白ではなく密度の問題というだけ。
夷陵の敗北なしでも黄元の乱は劉備が危篤になれば必ず発生した。
なぜなら諸葛亮と黄元は仲が悪かったから、という仮説にも何も確定出来るものはない。
その二つに関しては「抑止力」というキーワードでぐぐれば私の言うこと理解できるだろう。
「頭脳の不在」という足元を見ている人が
夷陵の大敗という「身体全体の不調」に関しては反乱の動機に「関係がなかった」、
と断言するなど論理破綻にもほどがある。

また呉が蜀と関係修復をすることと問題を発生させることは別物。
教科書通りの分割統治じゃないか。
南中は元から漢族の土地ではなく問題があるのは当たり前。
懐柔するか力で押さえつけるかの二つに一つ。
その力が失われたのが、ただ劉備の死のみが原因で、
夷陵という頭脳と手足の喪失は一切関係がないという意見は無理がありすぎる。
力でねじ伏せた南征の後、更に統治が難しくなってるのを無視してるのも説得力がない。
それだけでなく、頭脳に該当する「体制の整備」だけをいい、手足の「軍隊の再編成」までも無視しているな。

夷陵の大敗があり、劉備の健康状態も蜀の戦力も弱体化した。
その戦力再編成と体制整備の間に、南中が手におえないレベルで反乱したので
南征をやらねばならず、対魏戦は219年から10年近く空いた、だろ。

「頭脳」だけあっても「手足」がなければどうしようもない例として
関羽の捕縛をあげたのだがどうにもご理解頂けないようだ。
なぜそんなに「頭脳」の要素だけを異常に重視するのだろう。
そういうのを英雄史観と言いませんか?

248 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:29:17
>>247
黄元が孔明と不仲であったという記述は華陽国志にあるじゃん
こんなの基本中の基本だろ

249 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:41:45
>>248
だからそれくらい読んでるっつーの。
抑止力の意味が理解出来てるのか?

250 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 15:00:25
>>249
読んでたら
>夷陵の敗北なしでも黄元の乱は劉備が危篤になれば必ず発生した。
>なぜなら諸葛亮と黄元は仲が悪かったから、という仮説にも何も確定出来るものはない。
には絶対ならないんだけど本当に読んだのだろうか
今ならまだ許してあげるから謝っておきなさい

251 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 15:39:13
>>250
つttp://earther.sakura.ne.jp/mikuniko/trlate/06/06.htm
つttp://www.hoolulu.com/zh/25shi/04sanguozhi/t-041.htm

>今ならまだ許してあげるから謝っておきなさい

私の論に問題があるとしても、今までの議論では理解出来ないのだが。
くだらん容疑を掛けるより、忌憚なく指摘するべきだろう。

252 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 15:56:59
董和の後任の正昴が殺され張裔が捕まって呉に引き渡されたのは
夷陵の敗北とは関係ない
呉が雍闓を永晶太守に任命したのも
夷陵の敗北とは関係ない
馬忠以外南中統治に苦労したのは
夷陵の敗北とは関係ない
張嶷が240年に平定するまで越雋太守が殺されつづけたのは
夷陵の敗北とは関係ない

253 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:04:29
黄元に関しては動機が後患以外語られてないのに抑止力云々は無理がなくね
それこそ想像だけを土台に喋ってるとしか言い様がない

254 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:07:29
黄元に関しては動機が後患以外語られてないのに抑止力云々は無理がある
それこそ想像だけを土台に喋ってるとしか言い様がない

255 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:09:28
黄元の乱と夷陵の敗北とは関係ない
南中の乱と夷陵の敗北とは関係ない
降伏勧告と夷陵の敗北とは関係ない

256 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:21:53
>>253-254
日本語でおk

抑止力の人の意見は
それがあれば逃亡、なかったから反乱ということだろう

257 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:59:02
で結局孫権と劉備 どっちが優秀なの?

258 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 18:22:06
>>256
逃亡なんて何処にも書いてないわけだが?
憶測で人の意見を決め付けるのは止めようぜ

259 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 18:22:52
漏れっちは劉備に一票!!

理由は「むしろ売り」から「皇帝」になったから!!
孫権はASOでしょ?

260 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 18:31:00
反乱なんてそれこそ個人的な資質が大きく影響することだろ
毋丘倹や文欽は何も計算せずに義兵挙げてるし魏延は一応計算してたがそれは独り善がりな憶測だった
黄元も成都の守備兵に破られ、南中を頼るも受け入れられず逮捕と言う程度の力しかなかった以上
性格あるいは読み間違いの要素が一番の問題だということだな

261 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:59:43
>>247
個別のことに答えないし、論理破綻してるのはそっちだろ。
「頭脳」というのは一元化された権力のことであり、
そちらもそのことは理解してそうな記述もあるのに
なぜ英雄史観なんて言葉が出て来るのか。

262 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:04:05
なんで「対魏戦が219年から〜」と書くのか意味が分からんな。
そこも突っ込んだのに答えないし。
夷陵で戦力を失った傍証は対魏戦の10年の空白である、なんて本気で信じてるのか?

263 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:11:48
ここんところどんな話をして何が言いたいのかよく分からん。
主導の人たち、双方の要点を箇条書きにして整理して要点をまとめてくれ。


264 :263:2009/04/23(木) 20:13:39
日本語変だったな。

要するに、双方の主張を箇条書きにして分かり易くしてくれ。

265 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:27:58
>>252
>董和の後任の正昴が殺され張裔が捕まって呉に引き渡されたのは
>呉が雍闓を永晶太守に任命したのも
この二つは夷陵の前だろうな。

>張嶷が240年に平定するまで越雋太守が殺されつづけたのは
越雋太守で殺されたのは龔祿一人だけだったと思う。
焦璜は将軍。


266 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:40:43
>>247
>南中は元から漢族の土地ではなく問題があるのは当たり前。
漢族蛮人雑居だろ。

>夷陵という頭脳と手足の喪失
夷陵で失われた頭脳ってなによ?

>夷陵の大敗があり、劉備の健康状態も蜀の戦力も弱体化した。
劉備の健康状態は別問題。
同時期に李朝も死んでる。
流行病から体調悪化し、寿命を減らしたんだろう。

267 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:57:32
>>43
土地でいうと揚州一州から荊州の半分と交州、
兵士の方は大体20万ちょいに増えてるわけで、
実は絶対数で比較すると孫権の方が拡大してるかもね。

孫策の拡大の方が(手持ち資本からして)劇的だったのは間違いないけど。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:07:09
>>259
孫権の当主就任が19歳、劉禅の即位が17歳。
そう考えると孫権は孫権で凄い。

269 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:22:05
>>261>>266
>「頭脳」というのは一元化された権力のことであり、
>夷陵で失われた頭脳ってなによ?

閣僚、将軍クラスの人材のことだ。
一元化された権力という意味でも、それを構成する人が死ねば揺らぐ。
将之将だろうが兵がいなければ兵之将は背いても不思議ではないだろ。
>>260のような反論ならまだ分かるが、君のでは納得出来ない。

>漢族蛮人雑居だろ。
だから元から漢族の土地ではないだろ。

>流行病から体調悪化し、寿命を減らしたんだろう。
流行病というのは↓のどこの部分を読めばそう解釈できるのだろうか?
從先主東征,卒於永安

>>262
>そこも突っ込んだのに答えないし。
>>247を読み直せ。抑止力でぐぐれ。

>夷陵で戦力を失った傍証は対魏戦の10年の空白である、なんて本気で信じてるのか?

そう。
最初から十分な戦力が諸葛亮の手元にあるなら
道を封鎖するだけの対処にはならないはずだからね

南中の乱に関しては董和みたいな西南夷の扱いを心得た太守がおらず
李厳の手紙による説得もなめられていたから撥ね付けられ
力で押さえつけようにも夷陵の敗戦が原因で不足だった、という以上には理解してない。
補足か訂正が必要にしても>>252-255みたいな病人みたいな内容のない連投はうざいのだが。

270 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:24:20
>>268
てか、間違いなく凄いだろう。
張昭のような、後々まで「卿らは宮廷では私に拝礼しているが外では張子布に拝礼している」
とまで言わせる絶大な名望のある後見を相手にして呉国を建て帝権を確立したわけだから

271 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:26:35
>夷陵で戦力を失った傍証は対魏戦の10年の空白である、なんて本気で信じてるのか?

あのさ、夷陵が221〜2年にある。
それを無視して10年の空白なんて詭弁だから。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:43:30
夷陵に関しては夷陵があったからこそ諸葛亮の独裁体制にスムーズに移行出来たという側面もある
>>269みたいなそれを無視した乱暴な意見には納得しかねるのだが…
劉備だけが死んだ場合新体制の陣容や結束力によってはかえって更に悪くなることも有り得る

273 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:46:22
あのさ、夷陵が221〜2年にある。
それを無視して10年の空白なんて詭弁だから。
そして南征は225年にはもう行われている。
そうした指摘に対して答えが返ってこないんだよ。

諸葛亮集載先主遺詔敕後主曰:「朕初疾但下痢耳,後轉雜他病,殆不自濟。
少なくとも敗戦がショックで病気になったなんていうファンタジーよりはマシ。
この件についても黄元についてもそうだが、
ある事例を、それの自説に不利な点を捨象して論拠にしていることが多いように思うが。

>閣僚、将軍クラスの人材のことだ。
夷陵時に失われた人材で代わりが利かないのは黄権くらいだと思うがね。
>一元化された権力という意味でも、それを構成する人が死ねば揺らぐ。
それなら南中も黄元と同時期に蜂起したはずだね。

>力で押さえつけようにも夷陵の敗戦が原因で不足だった、という以上には理解してない。
225年にはもう力で押さえつけたわけだが。
その後も散発的に反乱は続くが、当時の首謀者は殲滅した。


274 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:36:52
215 陽平関の戦い
216 宕渠の戦い
217 下弁の戦い
218 広石の戦い
219 定軍山の戦い、陽平の戦い
220
221〜222 夷陵の戦い
223 劉備病死
224
225 南征
226
227 出師の表
228 第一次北伐

275 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:47:39
>>273
夷陵も南征も「対魏戦」じゃないだろ。そんなの指摘でも何でもないから答えなかっただけだ。
詭弁ではなく事実。
蜀漢の戦争能力が十年失われたとか一言も言ってない。
亡国レベルの敗戦の件といい、訳分からん方向に解釈しすぎだ。

>夷陵時に失われた人材で代わりが利かないのは黄権くらいだと思うがね。

それはあなたの主観に過ぎない。
俺は兵の頭数も含めて代わりが利かないと言ってるだけ。
曹ヒが死んで直ぐに孫権は江夏を襲ってるのに、蜀は何をしてたのか。

>それなら南中も黄元と同時期に蜂起したはずだね。

常識的に考えれば士ショウあたりとの交渉で孫権とのコネをつけていたのだろう。
張裔がどこに送られたのか知らない訳がないはずだが。
黄元の場合は行き当たりばったりだろうけどな。

>225年にはもう力で押さえつけたわけだが。

>>269は223年にやろうと言ってる。人の話をよく読もう。

>少なくとも敗戦がショックで病気になったなんていうファンタジーよりはマシ。

李朝があの程度の記述で流行病で死んだとか吹かすのもファンタジーだろ。
あんた、自分のミスは絶対に認めないタイプだろ。

>ある事例を、それの自説に不利な点を捨象して論拠にしていることが多いように思うが。

この手の議論往々にしてそういうことになりがちだが、
あなたがそれを言うのは確実に間違っている。

>夷陵に関しては夷陵があったからこそ諸葛亮の独裁体制にスムーズに移行出来たという側面もある

諸葛亮の独裁体制の移行は李厳の追放以後だろ。スムーズな訳ない。
開府を許さなかっただけで西と東で二分状態だったのを無視してる。
それを無視した暴論にも納得する必要はない。

276 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:04:26
>少なくとも敗戦がショックで病気になったなんていうファンタジーよりはマシ。

つ十二年,平聞亮卒,發病死。平常冀亮當自補複,策後人不能,故以激憤也。
このファンタジーについても言及よろ

277 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:10:36
>>275
なんか、「あんた」とか「訳分からん方向に解釈しすぎだ」とかを見てると、
230辺りからあなたに反論しているのが一人だと思ってないか? 
継続的なのが最低でもsage一人にage一人。+数人いる。
因みに俺は
>>226 >>230 >>232 >>236 >>239 >>240 >>270

…俺が230で平然と横レスしてるのが悪いのか
まあ、言うことは昨夜のうちに言ったけど、
1.政権の不安定化の要因に「夷陵(大敗)は関係ない」とまでは俺は言ってない。
2.「戦術的敗北の大小によってばかり国の存廃が左右されるのではない。寧ろそんな例は少ない」。故に、
「亡国『レベルの』大敗」というように敗戦度数の最高値を設定する尺度の取り方自体に異論がある。
とは補足して、俺は多分この話題に入るのを最後にする。

278 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:23:52
李厳が東で二分してたなんて話は初めて聞いたな
むしろ不当に東担当にされてたんじゃないのか

279 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:26:16
病状まで書いてある箇所無視してるんだからファンタジーだろ。

280 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:34:35
袁紹とか曹休の病死もファンタジーだな

281 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:36:52
>>276はマジで憤死とか信じちゃうタイプ

282 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:36:56
>>278
北は魏延だから、もう一つの重要前線である巴東を担うのは
権威の重さから見て李厳が相応しい、というのは尤もらしい話ではある。
…しかし、託孤の臣の一人でありながら成都に常駐できなかったのは
以後の諸葛亮と李厳の勢力格差に大きな影を落としてしまっただろうな。
李厳は結局、権力闘争さえさせてもらえなかった。
といって、宮廷に両雄並び立てば司馬懿と曹真の如く
宮廷二分構想のお決まりパターンに入った可能性がかなり高いだろうけど。
この辺、諸葛亮は相当のやり手だ。強硬手段も使わず専制を達成し、
連年兵を動かしながら国を保ち、徳治でもないのに信望高い、
とか普通有り得ん。

283 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:41:55
竺慚恚發病,歳餘卒。

麋竺の死もファンタジー

284 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:46:30
李厳は巴州設置を献策してるし、成都にいられなかったことはマイナスじゃない。
むしろ外にあって権力を増大しようとした。

285 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:47:02
>>282
そうですよね
共に劉備の遺劭を受けた間柄なのに対等ではなくまるで手下扱いじゃないですか
一応格的には法正の後任のはずなんですけど

286 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 00:50:53
劉巴の後任だな。

287 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 01:12:49
>>284
権力というのは首都に集まる。皇帝が所在し、群臣名士が集まり、命令はここから発せられ、
人口も集中する(普通人工的に集中を図る)るのだから。
だから首都を掌握した者が圧倒的に強い。
地方で権力を増大するなら軍閥化する以外にないが、
李厳がそれを試みたらしき傍証の巴州設置、また開府の要望というのは
諸葛亮が李厳の力を必要とした北伐期の話。つまり次善(以下)の策だっただろう。

>>285
まあ、「尚書令李厳を(諸葛亮の)副とした」だから、初めから対等ではないけどね(と少し訂正)
政軍両面の諸葛亮の次官というところか。
とはいえ、李厳は託孤以後の長年の境遇に不満だった。そしておそらく、四次北伐の失敗の責任を
取らされることになった。おそらく都督や中都護を免じることによって。
諸葛亮から見ると、独立的な権力を志向し始めた李厳を危機感を抱き始めていたところに
ちょうど良い「失敗」があり、「証拠の手紙」もあった上に墓穴を掘ってくれた、という
しかしながら李厳一人を庶に落とすことでけりが付いたのは本格的な権力闘争には至らず、
李厳にその力がある段階でもなかった、ということなのだろう。

288 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 01:23:01
巴東の備えから漢中の政務取り仕切りに「栄転」されてるってのは李厳の限界を示すものだよな
少なくとも両雄が並び立つとかそういう状態ではなかったのは確か

289 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 04:41:05
李厳は人望なさすぎ
No2なんて無理

290 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 09:38:44
例えば孫策→孫権の代替わりには夷陵のような敗戦は無かったわけだけど、
李術は反乱を起こしたし、山越討伐も行ってるわけで、
まぁ必ずしも南中の反乱や討伐などの原因を夷陵に求められるわけでもないだろう。

一方で、兵戸が国全体で10万人程の蜀にあって数万単位の犠牲がたいした事無いハズもなく、
また「夷陵で死んだメンバーは大したことない」なんてのも誤解だろう。

後に活躍した呉班や陳式あたりだって夷陵の頃に死んでたら扱いは恐らく似たり寄ったりだった。

291 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 09:59:48
ただ戦死した将軍と生き残りのと正確な比較は出来ないし恐らく不可能だろうな
姜維が馬良以上なんて話も確かめようがない

292 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 13:10:52
李厳について
「陸遜に匹敵する人材」

「キツいことを言うよりもおだてた方がいいと判断した」

孔明さんこええ
つか演義の知将っぷりってあながち的外れでもないのかって気がしてきた

293 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 13:48:03
関羽について
「馬超はゲイ布に匹敵する。張飛と互角くらいだろうが、髭殿には及ばない」

「キツいことを言うよりもおだてた方がいいと判断した」

こえええ

294 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 19:06:46
豚もおだてりゃ木に登りますからw

295 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 17:04:06
晩年の孫権について扱ってるドラマとか映画がないかな。

孫権と秀吉は相当晩節を汚してる武将だな。

296 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 17:30:56
「魏延なんか羊飼い程度w」なんて発言してた頃からもう判断力が鈍っていたのだろうか

297 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:07:38
バッカおめえ、中国で将帥で羊飼いったらあの人だろ

298 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:35:44
>>295
二人とも年取ってボケたって解説書とかでも思いっきりかかれてるもんな。まあねあれだけど

299 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:37:16
孫権はアル中
劉備は特に問題はないような。
しいて言うなら曹操と同年代だったのがついてなかった

300 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:36:05
臨終で馬謖は口だけだ何て言う位だから、人物評価は劉備が三国一だよ。
劉備の口述で三国武将の論評させたらさぞ面白い三国志ができただろうな。
曹操はダメ。「あいつは良い武将だったが俺には到底及ばん」とか
早川健ばりの暴言吐きまくりそう。

301 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:42:11
臨終時とは書かれていない。
劉備と諸葛亮が体勢を立て直しつつ善後策を練る期間は
半年くらいある。二人の間で人事評価は無数に行われたはず。
たまたま馬謖への評がビンゴだったから特に記録が残った。

302 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:02:20
>>300
劉備の許に対する陳登への弁護とかみると
劉備の方が大言壮語吐くイメージだけどな

303 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:06:40
人物評ならそれこそ孫権だろう
褒めるのが上手い、宥めるのも上手い。気持ちのいい評が聞けそうだ
周瑜魯粛呂蒙の比較評を陸遜に聞かせるとか面白いな

304 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:13:40
孫権は使節へのテスト大杉
張裔への厭味も何だかなあ
上手いことやり込めた人々が好感度あがるけど本人自体はちょっと…

305 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:33:21
秀吉は秀頼を頼むと懇願し誓書までとらせてたのがかっこわるいやね

306 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 04:50:45
>>302
軍師としては二流だけど、間違いなくトップクラスの知能を持ってるからね。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:56:57
>>302
あれは大言壮語と言わない
ただの嫌味だろ…まず日本語から勉強しようぜ

308 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 15:07:07
劉備は中山秀征みたいなタイプなんだろうな
何の能力もないのに、何となくいつの間にかトップに立ってたという

309 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 22:28:14
劉備
当時貴重な騎兵将校(異民族騎兵も率いたことがある)
絶対的な忠誠で結ばれた歴戦のつわものと精鋭の兵
儒学的な教養
どこへ行っても歓迎される人望

310 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 17:59:16
劉備のいいところ(陳寿の意見)

・度量が広くて意志が強くて心が大きくて親切
・人物を見分け士人を待遇
・私心を捨て家臣を信頼することについては中国史上最高

>>309
騎兵指揮官というほど騎兵のスペシャリストだったの?
騎兵も率いたことがあるってレベルじゃないの?

311 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:07:34
>>310
公孫サンの配下だった時期に陶謙の救援に向かえ、と言われて
劉備が引き連れて行ったのが手勢の歩兵と烏丸雑胡で構成される騎兵

騎兵ってのは精鋭部隊だからおいそれと未経験者に指揮させるわけにゃいかんのだ
この時点で劉備は騎兵を扱えるだけの経験と技術を持っていたことになる

312 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:53:48
>>311
それを「ただ率いてただけなんじゃ」と思ったんだが
三国志に騎兵指揮官が専門職である、という記述があるなら謝るが

313 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 20:12:31
>>312
騎兵ってのが当時超特殊な兵科って事は知ってるかね?

騎兵なんて経費の掛るものをただ率いるなんてバカな真似でもしてたなら別だが
そうでないなら率いる=指揮能力があると言う事に

314 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 20:45:32
>>312
袁紹の元でも文醜と共に騎兵5000を率いてるよ

315 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 21:31:42
>>313
騎兵が金かかるのは知ってるが優秀な指揮官がいなくてもだからって騎兵を使わないわけにもいかないだろう
呂布みたいに特筆される働きをしたならともかく騎兵を率いたってだけで得意扱いしていいのだろうか

>>314
それも別に劉備が活躍したって話じゃないな

316 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 21:36:02
>>315
指揮できない人に馬は渡さないよ
馬って維持費も掛るが、軍用馬の入手にはやたら金が掛るからな
ヘタな官僚の数年分の年収よりも高いものを指揮官がヘタレでも使わざるを得ないとか言う事ないと思う
騎兵ってのは戦闘教義をしっかりと理解した人じゃないと扱えないものだし

317 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 22:01:38
>>315
騎兵が高速移動するのを指揮できるのは、騎馬に乗って同等のスピードで移動できる者だけ
劉備もそれが出来たということだ
鐙も鞍も無い時代にな

>>316
虎豹騎の構成員は全員百人隊長クラスって話があったっけな

318 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 22:49:28
そもそも騎乗スキルですらレアではないにしても貴重な時代に
騎兵指揮が巧みでない奴に何度も騎兵預けるような状況は異常だ
それも同じ奴が毎回騎兵与えていたのではなく、毎回違う主が騎兵を渡していた事を考えたら
劉備は騎兵の指揮能力があった、それも万人に認められる高さで、と考える方が自然だね

319 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 01:22:11
孫権はじじいになってからのボケ具合がひどすぎる
と思ったら劉備もやらかしていた

320 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:38:25
劉備の出兵は大失敗だったが
このことによって一層忠義を誓った人間はかなりいただろうな

321 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:54:12
というかいっつもイリョウは負けた、で終わるけど
最初は圧倒してたことを忘れてる

322 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 10:08:15
タイミングがちょっと違えば結果は逆転してるしな
同時期魏が攻め込んでるから陸遜の反攻は本当にギリギリのもんだった

323 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 10:16:46
結果だけで見たら大敗だけれど
過程を考えたら 劉備が愚かだったというよりは相手が優秀であり
時の運も兼ねていたってこと
このことが劉備の晩節を汚したとは思えない
更に言えば白帝での遺言で彼は未だに中国でも愛される英君の一人となったわけで
彼の晩節は三国で一番美しかったのではないか
曹操の晩節も素晴らしかった(葬式関係とかね)が 息子が結果的に簒奪(禅譲だが事実的に)したことで
少し影響があるような気がする

孫権は 魏蜀から国を守った功臣を殺し 酒色に溺れ兄や父の名を辱めて終わった
若い頃は英君であってもそのとき見つけたものを自らの手で壊したことは
若いときの功績などなかったに等しい

324 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 14:34:43
孫権て調べれば調べるほどこっちが鬱になっていく人だよなw

325 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 17:53:54
>>323
極論過ぎるなぁ
孫権が若い頃にやったのは孫策の暴政の尻拭い
晩年はその忍耐の反動だろ


326 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 19:50:35
>>325
反動だろうがなんだろうが実際何をしたかということじゃないか?
若いとき苦労したから年をとってからの悪行は考慮しないでねってそりゃないだろ
そんなこと言ったら暗中模索で始め、混沌の中原を自らの主張をしながら
生き残った曹操と劉備は比べ物にならないぞ

327 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 21:01:09
>>326
別に晩年の行動を無かったことにしてる訳じゃないよ
それで全ての功績がチャラというのは極論過ぎるということだって
混沌は中原だけじゃないって
江南も未開のジャングル・・・それを切り開いて南朝の礎を築き上げたのが孫権
少なくとも中原からおん出された劉備に中原うんぬん言ういわれはないよ

328 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 21:28:57
受け継いだ人間と作った人間は違う
孫権が作り上げたものもあったろうが 当時江南は中原の喧騒から逃れた人士が多く集まっており
発展の兆しは孫権がいなくてもあった
彼は南朝自体を作ったのではない 中原の情勢が南朝の礎の誕生を促しただけ
更に言えばそういう情勢があったからこそ 呉という国は存在し得たという部分も大きい

329 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:03:34
国を救った功臣を感情のままぶっ殺した人間は 暗愚を二段下に行く超暗愚
俗に言う暗愚の代名詞劉禅以下 

330 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:17:10
>>329
まあ劉禅は言われるほど実は暗愚でもねえしな・・・
最晩年はともかく

331 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 23:16:35
最晩年も別になぁ

本人だけじゃ毒にも薬にもならんタイプだよ

332 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 23:44:50
劉禅は有能ではないにせよ
孔明の死後 孔明を侮辱した臣を即死刑にしたことが彼のしたことが特に印象深い
孔明は忠義の人ではあったが権力を全て手に入れており彼が実際の蜀の君主であったことは
魏の対応から言っても間違いないことで
そういう人間って殺されたりすることも少なくない(例 呂不偉など)し、若い君主から疎まれることは少なくないが
劉禅は最後までこの最大権力者を敬愛していたということがありありとわかる
決して名君でもないし亡国の君主だが、
もしも時の運で名将を多く従えたならその言を良く聞いて英君となった可能性もあったかも知れないなぁと思う

333 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 01:07:40
呂小白の亜だとは言われるけど呂小白の方は結構自分でも頑張ったしな
あと当時の斉は元々強国だったし、劉禅の蜀は弱小国家なのも違う点だな
時代が違えば名君だったかもしれないというのは確かにある


334 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 01:32:49
>>333
少なくとも民衆には仁愛持って長いこと治めて慕われていたんだよな?
そのいう点では実は「名君」なのかもしれない

335 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 18:03:36
>>325
孫権が孫策の尻拭い?
ねーよ。
孫権だって魏滕を殺そうとしたり盛憲殺したり
孫策と代わりばえ無し。
忍耐なんかしてないぜ。

336 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 22:19:13
>>335
>>325じゃないが、一つだけ切り抜いてない呼ばわりはないと思うぞ。
名士が幅を利かせてる呉で、孫策が名士を攻めたり殺したりして大事にしなかったツケを
孫権は確実に払わされてるだろ。

337 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 14:43:00
孫権も後を継いで早々、盛憲と沈友をぶっ殺してるぜ。
孫策が殺した名声ある人物は高岱だけさ。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 16:42:31
>>337
孫権もやったからなんなんだ?
孫権が孫策同様に名士を殺したことと、孫権が孫策の尻拭いをしたことは別モノじゃん。

339 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 16:58:55
孫策の尻拭いってのを具体的に書いてみれば―?
どんな困ったことがあったのさ?


340 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 17:06:17
孫策と孫権の政治の方針が違わなくて
孫策だけを暴政と言えなくなれば
「孫策の暴政の尻拭い」なんて言えなくなる


341 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 17:09:45
孫権の暴政の尻拭いは誰がしたの???
呉の君主でそいつが一番偉大ってことでいいんじゃない

342 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 17:19:26
孫権の尻は誰も拭えず呉は弱って滅びました^^

343 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 18:34:16
劉備は結果的にはあれだけ裏切ってる自己中野郎なのに、常に信望を保っていたのは凄いよな
余程コミュニケーション能力に長けていたのだろう

344 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 18:39:48
裏切った相手にもよるんじゃないか?
救援に行った胸謙突然攻めたりしたら嫌われるだろうけど
益州攻めのときも結果的に相手側の部下の裏切りだからな

345 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 19:13:49
呂布は向こうが先
曹操は献帝と董承の頼み
袁紹は汝南に派遣されて戦ってたら官渡の大敗により河北に行けなくなり
曹操が討伐に向かってきたので南方に逃げざるを得なくなった
劉璋は相手側の臣である張松・法正らの勧め、だもんな

346 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 19:32:51
あえてあげるなら関羽の対呉外交だけど
個人的にはあれは関羽の性格を見抜いた上での
呉の計略だと思う
まぁあくまで自分説だからどうでもいいんだけど

347 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 21:42:14
>>339
まず不和に陥った陸氏との和解
当主は若過ぎたので、傍流で当主の後見役になってた奴と政略結婚
そいつに兄の娘、つまり姪をくれてやらざるをえなくなる

このようにして孫策が買った恨みをあちこちで解いていくのに数年を要した

348 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 22:03:16
于吉は?あーあれは演技か…

349 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 22:20:06
>>347
陸績は無視か。
陸氏と不和に陥ったと思う根拠は何かな。
有力豪族であれば不和じゃなくても政略結婚するでしょ。

350 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 22:52:43
>>349
袁術配下時代に孫策が陸氏のいる城を攻めて酷い目に遭わせてるんだよ
んで陸績が当主、陸遜がその後見役だろ
むしろお前が陸績無視してんじゃん

351 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 22:54:37
>>347
孫策の娘の生年は不明だけど、陸遜に嫁がせたのは何年頃だと推定してる?
あと、陸遜は21歳の時に孫権に仕えたんだけど、当時からすると平均的なデビュー年齢だ。
敢えて孫策を嫌って出仕しなかったとは思えないんだよね。

352 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 23:09:03
陸績はもっと若年から出仕しているな

353 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 23:42:20
>>350
> >>349
> 袁術配下時代に孫策が陸氏のいる城を攻めて酷い目に遭わせてるんだよ
陸康と袁術が不和となり孫策が盧江を落としたのは事実だけど
陸氏側にそれを恨んだというような話はなかったと思う。

> んで陸績が当主、陸遜がその後見役だろ
> むしろお前が陸績無視してんじゃん
意図がよく分からないけど
陸績が孫策に仕えていたことは無視するの?

354 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 00:46:14
三国志群雄173人採点データファイルって本を読むに
個人の能力じゃ、孫権の方が優れてるな。

影響力は劉備の方が優れているだろうがね。
完全じゃないから魅力があるんだろうな。

355 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 00:55:14
>>354
コーエーのデータは演義の劉備だからね
正史の劉備だともっといい点数になる
そんで他の蜀将たちの能力がちょっと下がる

356 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 00:58:45
勢力では劉備<孫権
個人では劉備>孫権
だろう。

漁夫の利で勢力を拡大した劉備だったが
魏と直接交戦し始めて孫権の懐柔を軽視して荊州を失った
これでは曹操には及ばないのも当然。

215年までは劉備の方が出し抜いてる感がある
215年以降は孫権の方が上手

357 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 01:03:50
>>355
コーエー関係ない本です。
でも言われた通り、正史の劉備評価は高いようにも読めるね。
その時代と中国っていう国の国民性というかさ


358 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 01:05:40
劉備は優秀ではないだろ



周りに人材がいただけ

359 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 01:15:43
劉備評価してない人って曹操の功績のカウント方法と
劉備の功績のカウント方法違うのはなんで?

360 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 14:42:42
劉備がいたからこそ周りの人材が生きたわけで。
劉備無しでは関羽も張飛も賊でしかないし、孔明は世に出なかっただろうし
趙雲は河北でウロチョロしてただけだろうな。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 14:46:05
劉備自身が騎将やってたり鄭玄やら孔融やら陳登やらと友好関係にあったりといった面を知らないのか無視してるのか

362 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 14:48:09
>>356
それは孫権のほうが縛りがないからな。なんでもできる。

"縛り"とはすなわち曹操に対する姿勢。
劉備は反曹操、これは絶対に変えることができない根幹を成す姿勢。
でも孫権はそうではなかった。つまり曹操と組むと言うジョーカーがあった。

363 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 18:26:12
>>356
孫権は懐柔してもしなくても荊州を狙えば取れるのに見逃したりはしない男
彼だってひとかどの英雄なんだからそんなに甘いわけがないじゃないか
それに外交としては呂蒙の荊州攻略よりも魯粛の融和(しかし譲歩で荊州の半分を取る)の方が成功してたと思うんだよね
呉が北上して魏の都を落とし本気で天下を取る気なら、の話だけど

364 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 18:30:53
魯粛が融和?
バカを言うな

365 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 19:29:51
融和というか呂蒙と根っこは変わらんわな
利用して消すか騙して消すかの違いしかない

366 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 19:33:08
劉備ほど支那人らしく生きた香具師はいない。
袁紹から狙われた際、曹操を頼って逃げ延びた劉備。
そこで劉備は、曹操を暗殺する計画や、曹操から逃げる手段を
考えていた。
後に、曹操から狙われ、敵対していた袁紹の元に身を寄せる。
関羽は顔良、文醜を殺し、劉備達は好きをみて華北から脱出。
その袁紹は、過去に劉備達を迎え入れた公孫賛を殺している。
劉備はこれを見て見ぬフリ。
死に際の陶謙から託された国を、不意打ちで呂布に奪われる。
劉表の下に落ち延びた際は、国を乗っ取る。


367 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 19:36:38
>>366
演義の話をするのなら、全てに優先する滅私報国の行動理念があるのだから
群雄同士の駆け引きだけ抜き出しても意味無いよ

368 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 22:23:09
劉備が倫理的にアレなことをやってることを抜き出して「支那人らしい」と言って蔑む場合、
当然支那人の国粋主義者が、日本の松永久秀や宇喜多直家を引き合いに、
「つい先程まで笑いあっていた人間を平気で陰湿な方法で殺せるのが日本人」
と日本人を侮蔑する論理を世界中に広めるのを積極的に肯定しているようなもの。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 22:36:49
>>368
日本人にそういう一面があるのは確か
まさか日本人全員が聖人君主みたいな人間ばかりだと思っているのかw

370 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 22:40:23
大事なのは最後の一行

371 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 00:17:32
日本人は自分を守るからな。
自分が悪者にならない解釈をさせようとしたり、方法を探したりする。

372 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 00:37:34
最近、この板で句読点を使わない奴が増えてね?
読み辛いったらありゃしない。
在日なのかな〜?

373 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 01:25:46
孫権と劉備 どっちが劉秀?

374 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 05:44:24
>>369
>聖人君主
聖人君子な。
私が、聖人君子が日本人の一面だと主張しているとするのは話のすり替えだ。
聖人君子も中にはいるだろう。
私は、それを日本人全体のものだとするのは適切ではないと言うことと同義の主張をしている。

主張の中核部分そのものを抜き出すと、
「一部の人間を引き合いに、その集団の一面であると全般に適用しようとするのは、フェアではない。」
ということ。
わざわざ右に分かりやすいように、右の言葉を使って見せただけなんだが。

375 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 09:16:18
>>372
日本語で句読点が使われるようになったのは、欧文の翻訳が一般的になった近代だから、
句読点が使えない香具師は古代の人間というのなら筋が通るが、在日としか表現できないのは自身のボキャ貧をさらけ出しているだけ。

376 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 11:14:08
つーかチョンはこの三国戦国板来ないだろ。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 13:00:27
>>375
いや単純に、OSが日本語以外だと句読点が使いにくい時期があって
2chでは句読点ないと「外人?」とか「在日?」とか言われる

378 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 13:52:17
在日なら当然OSは日本語だろうけどな

379 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 13:56:18
文才がある人の文は句読点なしでも読みやすいと聞いたことがあるな

380 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 14:18:36
>>378
在日アメリカ人とかだとOSは英語だろ

381 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 15:07:12
在日という言葉は、、主に在日朝鮮人や在日韓国人の事を指す。
その他の外国人日本在留者は、普通に外人と呼ぶのが一般的。

382 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:35:31
嵐「敵、曹操♪敵、曹操♪」


383 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:36:40
誤爆すいません

384 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 09:22:04
曹操は人材を「使った」
劉備、孫権は人材に「任せた」
って印象があるがどーなんだろ?


385 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 10:43:11
劉備は結構ワンマン
大事なところを人任せにしない現場型人間だね

386 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 15:55:55
曹操はワンマン気質だったのか案外部下に遠征に使えるのがいなかったのか
劉備が裏切らなかったら荊州とか益州の攻略を任せて自分は対呉に専念とか出来たのかな?

387 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:31:32
>>1孫権でおK

388 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:39:24
曹操=淮南に夏侯惇、荊北に曹仁、漢中に夏侯淵
劉備=荊南に関羽、漢中に魏延
孫権=荊南に周ユ、魯粛、呂蒙、陸遜

389 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 02:03:12
>>386
皇帝に即位もしていない権力が不安定な状態では、
群雄自らでないと遠征用の大軍の上に立つことができないという事情もあるだろう
孫権でさえそうだ

390 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 04:32:30
劉備も一勢力に固執しないフットワークの軽さと人物眼は曹操に匹敵するものがあるね
敵わなかったのは教養だな

391 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 08:33:50
一応劉備も儒教的教養はあるんだけど
学者としても当時からそれなりに評価されてる曹操を比べるのは結構厳しいな

392 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:26:44
劉備と曹操は同じタイプの人間。
ほぼ同レベルの実力。教養とか抜きで。

違うのは、物事の判断力が曹操の方が劉備より半歩だけ上てとこ位か?

393 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:33:47
>>392
曹操のが博打に走ることが出来る
その一歩遅れる分、劉備はどんな状況でも粘り強く耐える

394 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:37:04
一番デカい差は、曹操の方が年長で、出世コースにも乗れたことだな。
黄巾の時にはもう騎都尉だし。
スタートダッシュの差だ。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:55:48
>>394
曹操は親が九卿三公経験者で一族は全国レベルの高官、富豪なんだから差は大きすぎる

396 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 14:01:08
スタートの差はでかいな。劉備が一番不利な状態=無からスタートしてるのに対し

曹操・・・洛陽の警察長官
孫権・・・揚州の大名

397 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 14:08:43
>>396
黄巾後は劉備も一応官職にあり付いてるが

自分から捨ててるんだよ

398 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 14:11:49
実力で職を得たか家柄で得たかの違い。
劉備は家柄で得たわけじゃないから無で正しい。

399 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 17:23:39
学歴は劉備の方が上
後漢トップクラスの名儒廬先生らに教わってたからな
不良学生だったけどね

半面曹操は許子将のエピソードでわかる

400 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:08:34
劉備よりも孫堅の方がスタート時の境遇に恵まれていないのは確か。
劉備みたいに親戚が金出して遊学させてくれた訳でもなく、ほとんど徒手空拳から身を興している。


401 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:15:25
孫堅は県の官吏からスタートだよ。ちゃんと教育を受けられた身分だった。最末端の部類だけどね。
乱世に入るまでに出世して軍官僚として地歩を築いているわけだから、
恵まれた家柄とは言えないが、まあスタートは並だろう。

402 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:27:58
孫堅は17歳で海賊退治

403 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:39:11
よく「劉備は人を見る目がある」って聞くんだけど、根拠は何?

404 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:22:44
>>401
402も言ってるが、そもそも県の官吏になれたのが、
旅先で偶然見かけた河賊を単身撃退するという件で勇名を得て、
地元の警察組織に引き抜かれてたんじゃなかったかな?

405 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:25:35
陳寿の評と諸葛亮伝注の裴松之のコメントかな
あと諸葛亮や魏延を抜擢したとか。
とはいえ、生前にそんなに人物眼を売りにしたり評価された人間ではないよね
前半生の劉備への評価は「武勇と信望」の二点に尽きる

406 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:32:25
>>404
官に任じられたきっかけはそれを評価されたからとされているが、
孫家は代々官吏を職とする家だったと、「呉書」はいう。
本来は劉備とどっこいの家柄と見ていいと思う。
劉備は父親が死んで勉強が出来ずにあやうく落ちぶれるところだった。
まあ、年代の差も大きいだろうけど。
劉備は幸運と曲折の末に黄巾の乱で手柄を立てて県尉になった。
孫堅は官僚社会の中で武官として実力で昇進していった。

407 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:37:23
孫堅はすぐ皇甫すうについたのが大当たり
その点で劉備 曹操を超えれた

408 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:07:09
皇甫嵩じゃなくて朱儁じゃないか?まぁなんにしろ大当たりもいいとこだね。

あの時代、上司のせいで能力があっても発揮できない人間や
功績があっても正しく扱われない人間は山ほど居たわけだけど、
朱儁ほど優秀で公正な人間は数えるほどしか居ないと思う。

409 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:49:23
>>404
単身撃破した程度で官吏になるだけならともかく
後に知識や教養の必要な司馬になってる事から見ても一定水準の教育は受けてる
また、孫堅って武名で成り上がったように見えてあちこちの豪族と姻戚関係による関係構築を盛んにやってる
つまりランクは低いものの知識階層の出身だったと考える方が妥当

410 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 09:38:16
まあどいつもこいつも筵織りで生活してた奴よりはマシなのは確かだな
遊学だって金出してくれた叔父の妻は渋い顔をしてたから
当時の社会通念上でも一族だからって無条件に援助するものではないということが分かるし

411 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:26:23
そういう貧苦で、しかも独学して出世した人物って割といるけどね

412 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:31:10
>>411
戦乱の時代の「出世」には兵士が必要だから、貧苦の状態からの起業は尋常なことじゃないよ

413 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:54:15
>>409
例えば文字を10個しか知らないことで有名な王平さんなんかも、
参軍の役職をこなしているし、別部司馬なら関羽や張飛だって務めてる。
司馬就任を持って知識・教育水準を語ることは適当なことだろうか。

豪族との姻戚関係についても、その初っ端・本人の嫁取りからして相手方の反発を受けたことも忘れちゃいけない。
むしろその初期は婚姻関係を結ぼうとしても断られかねないほど、階級が低かったという見方もできる。


……とまぁ議論だから一応重箱の隅はつついてみたけど、
俺も豪族層の端くれに居た、で問題ないと思ってる。

414 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:15:08
孫堅は反トウタクの時に諸侯として名を連ねてるが、曹操と劉備は貧弱過ぎてその中に入ってないからなあ
単純にスタートが悪いと言えるだろうか
結局三人とも当時の群雄の平均で見れば、有利とは言えないんだよね

415 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:18:08
まあ年齢が違うからね。
もし孫堅が死なず、袁術に掣肘されることもなく地歩を固めていたら、
有力な群雄の一人になっていただろうな

416 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:03:24
だけど、三国志は結局は叩き上げの人間じゃなくて、
名士代表ともいうべき司馬氏によって全て取りこまれたてのが泣ける。
下層階級の血や汗の努力では、名声や血筋に勝てないということか……。

417 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:32:16
>>414
孫堅は反董卓に立ちあがった荊州刺史・王叡の軍勢を乗っ取った結果だから
曹操は地盤無しとはいえ支持者が盛りたててくれたからなぁ

418 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:07:31
>>413
王平さんは文字を知らないが教養はある
関羽は呂蒙の発言でもあるように勉強熱心

明確に勉強の記述がないのは君の挙げた連中だと張飛くらいなもんだが
張飛も劉備と小さい頃から知り合いだったりしてどうも豪族グループの一員だったんじゃないかと思われる
同じく少年で劉備に従った田豫みたいにね

あと孫堅が姻戚関係を断られてるのは孫家と呉家の家格の差だろ
呉家は後漢末の揚州周辺だと袁術の下で大兵力従えてたりして大きな豪族ぽい

419 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:48:26
>>418
張飛と劉備が行動を共にしたと最初にわかるのは義勇軍時代、劉備の護衛としてじゃないか?
それより前から劉備と付き合いがあったらしい人物は簡雍くらいしかいない
史書に名が残る有名人の中で、本当の意味で無学無教養でのし上がった人は
かなり少ないというのは同意するけど。
無教養な武人でも成人してから勉強して侮りを受けないようにした人物もいただろうな

420 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:21:19
>>419
張飛は同郡の出身者だよ
少與關羽倶事先主とあるように小さい頃から劉備に仕えてる
この少年ってのは15歳だがな
関羽は「劉備が旗揚げした時に護衛になった」と言う事で「その時から仕えてた」というわけではない

ここからは推論になるが人集めして集まった奴を護衛になんて普通するか?
普通は事前から知ってる信頼の置ける奴に任せるもんだと思うが

421 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:26:34
>>420
あーほんとだ。ごめん、適当言った

422 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:00:46
「少くして」というのは15歳ってことなの?

423 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:44:52
孫堅が王叡を殺してくれたおかげで劉表が後任として荊州に着任し、
落ち延びた劉備を受け入れた。
つまり孫堅のおかげで劉備は皇帝になれたのか。

424 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:47:13
>>422
まあ大体15歳前後って理解でいいと思うよ

425 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:10:13
>>423
わらしべ長者みたいな気の長い話だなw
それを言ったら誰しもが無数の人間の恩恵を受けてるぞ

426 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:32:22
>>423
劉表を刺史にした董卓のおかげでもあるな

427 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:04:42
トウタクを産んだお母さんのおかげ

428 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:10:10
>>422
中国語はよくわからんが、もっと若くして劉備に属して黄巾賊討伐に赴いた田豫の例もあるな。
でも劉備って少年兵が好きだったのかな。そういう性的嗜好が有ったとかw

429 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:39:57
>>428
劉備「哀帝は俺の心の師匠」

430 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:41:39
>>428
そうでなく郷里周辺で劉備を中心とした少年団的な物があったと考えるべきだろう

431 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:47:33
少年の引き締まった体はあはあ
敏感なてりんこを舐めたいお

432 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 12:26:23
>>418
王平さんは「若い頃に兵の中で育ったので」文字が読めなかった、と明記してある程なので、
その人の出自による教養を語る文脈でいえば明らかにそういった教育は受けていないと言える。

関羽さんも「かの人は長じてから学問を好み〜」とあるように、むしろ出世してからの教養と考えていいのでは?
そもそも当時の知識人としては「春秋左伝をあらかた諳んじ」た程度では誇るに値しないものだけど、
これを成人してから独学でやってのけたとすると、それは確かに特筆もの。
特に呂蒙にはその意味が判るのだと思う。

そして、そういった教育を受けていない人間が後から手にした教養でも十分に対応できているので、
翻って孫堅が「一定水準の教育は受けていた」とか「知識階層の出身だったと考える方が妥当」とは断言し難くなる、
という意味です。

433 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 12:53:02
それでも劉表があの時期に荊州の主になったのは決定的に重要な出来事だなー。
荊州が戦乱をよそにひと時の安寧を得て各地から名士が頼ってきたのは
ひとえに劉表のパーソナリティによるものが大きい。

劉表を荊州に派遣することに決めたのが董卓政権内の誰だったのか分からないが
もし董卓本人だったなら人を見る目がある男だったってことだな。

434 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:20:11
郭嘉曰く「劉備は虎のような男」。
その虎を6年間飼いならし、「脾肉の嘆」まで吐かせた劉表はまさに"猛獣使い"だ。
陳寿は袁紹と劉表は似たもの同士と断じてるが、後継者選びの点ではそうかもしれないが
実際は劉表のほうが政治的手腕も人間的にも上回ってたと思う。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:36:37
>>433
荊州が安定したのは劉表の人格のせいでもないだろ。
それなら劉ショウの益州だってそうだし。
和洽は「冀州は英雄たちの争奪戦になる」「荊州は土地が険阻」と地勢的なことを指摘してる。
その和洽は「劉表は人を愛し士を好み」というが
一方で毛カイは劉表の政令がいい加減だと聞いて引き返したし
劉望之なんかが殺されたりして、荊州へ避難した人間はほとんど劉表に仕えなかった(和洽さえも)。

436 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:37:23
どっちも曹操が直接倒した訳でもないのに格下扱いだけど
戦争以外は大して変わらない気がする

437 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 15:46:01
>>432
いや勉強してるから出自はともかく教養はある

438 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 16:13:18
どっちも曹操よりは下かと

439 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 16:26:29
>>436
曹操に徐州で不意討ちかけたけど負けてるよ>劉備

440 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 18:35:16
>>432
いや、逆だろう。漢や三国で官吏になってる人間というのは、
王平のような特殊な事情が明記されていない限り、
それ相応の学があったという認識をを基本にすべきだろう。
「孫権は県吏になるくらいの教養はあった」。でいい。
ましてや、代々官吏で父親が壮健だと明記されているのに
子供のころ教育を受けていないというのは余程特別の事情がないといけない。劉備のような。
もっとも、県吏というのは最末端で、名士などと呼ばれる「教養人」達には及びも付かない
程度の学識でしかなかっただろうけどね。
(ただ、県尉というのは県内での高官だから、それをどう評価するかにもよる)
甘寧のように、若い頃官吏になったけどそのあとさらに勉強して「すこぶる諸子を読んだ」という
人物もいる。

乱世になってから軍事で功を立てて出世した武人らになると、
これがちょっと疑問になってくるけど。

441 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 18:46:25
孫堅は県の丞を歴任してるし、無学とは思えないな。
いまで言えば、人様に発表できるような論文は書いていないが
一応単位取得した大卒、くらいじゃない?
劉備はそれよりは格上かな。

442 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 18:50:32
劉備は学歴だけなら曹操より上なんだが
もっぱら勉強しないで男の子引き連れて遊び回ってたらしいからなぁ


443 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 18:56:37
劉備は陳紀にも教えを受けたらしいが、それって若い時分なのか
それとも陳羣を召した頃に交流あったのかな?

444 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 19:48:33
>>442
特に明記されてないけど曹操の学問の士は蔡ヨウだろう
曹操自身が蔡ヨウと交友があり、その学問を好んでたからな
万能ぶりも蔡ヨウとそっくりだし

445 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 19:54:09
曹操と蔡エンはヤッたのかやらなかったのか。
俺はヤッたと思う。 

446 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:17:37
曹操は太学出じゃねーの?学歴で言えばこれに勝る水準はねーぞ

蔡エンは漢土に帰ってきたとき子持ちだったが、歳はいくつくらいだったんだろうか

447 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:46:24
太学は定員で三万人いるから微妙。
人数比的に武帝時代が東大文なら、桓帝時代は首都圏の大学ってぐらい。
師匠によってピンキリ。
だから、師匠が重要になってくるんだろうね。

448 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:19:00
廬植の塾に入ってたってだけで劉備は鄭玄に弟子紹介してもらってたりしてるしな

449 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 09:32:50
その人員の中身は皆官僚の息子ばっか
その中でも袁紹ら一流豪族と面識があった曹操はやはりエリートだよ

450 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 10:01:15
劉備は他にコネがないから廬植門下との関係を強調されてるが
曹操は普通に朝廷内にコネあるもんな

451 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 12:25:36
曹操がエリートなのは間違いないが
当時を代表する名儒廬植のもとで学んだって言うのは
他の人間と一線を隔てたステータス

452 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 12:33:33
廬植は本人より子孫の方が繁栄してる

453 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 12:42:56
蔡ヨウや喬玄らを師に持つ曹操


454 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 17:52:54
サイヨウと喬玄が師匠なんて書いてあったっけ?
喬玄が曹操を高く評価したってのは見たことあるけど

455 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 20:24:08
決定版三国志って漫画読んでるけど
若い時の劉備は動揺せず頼りがいがある雰囲気だけど
歳をとってからは、動揺しまくるわ焦るわ
ただの気さくなおっさんなんだよね〜
蒼天航路の劉備は歳をとってからがかっこよかった


456 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 20:28:47
劉備は口数が少なくよく人にへりくだったことでカリスマになったのであって
蒼天の劉備は嘘っぱちもいいところ

457 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 20:35:50
うん。
また漫画の話になって申し訳ないが蒼天以外の三国志漫画
諸葛亮でてきてからの劉備は威厳を感じない。そこがまた劉備なんだろうが

458 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 20:39:06
画本三国志以外の漫画は作者の主観が入りまくりなので読む必要無し。

459 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 15:50:17
趙雲とか陸遜とかおなご人気の高い人たちと並べた上で
女子たちに取り合いさせて劉備と孫権どっちが売れ残るか、という趣旨のスレじゃないんだな

460 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 19:24:05
どうっ当時の感覚で言うとかなり劉備はイケメンだったようだから
ルックスは劉備のほうが上かも

461 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 04:52:17
曹操孟徳正伝の劉備がぴったしだな
関張がてきとーすぎだが

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