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劉備が劉璋を裏切って蜀を奪った件について

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:33:54
こいつって呂布と同類じゃん

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:40:07
>>1
何を今さら

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:44:31
なのに何故か光栄だと義理の数値がMAX

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:50:14
だってコーエーは蜀マンセー会社だもん

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 09:53:12
戦国武将が同じことをすると称賛されるのに・・・。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 10:48:12
>>3
野望も高いからそれはそれで

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 11:16:44
>>4
『演義』がもとだからいいんじゃねぇの?

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:50:27
こんなスレ立ててお疲れさま。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 14:09:05
('A`)ウヘァ

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 14:58:40
40 :1:2009/04/21(火) 17:50:21
  俺は正史の魏書はもってないんだが

  孔明のライバル シバイ

  と

  キョウイのライバル トウガイ シバエン

  はどんなもんだったんだろうな。トウガイは基本的に
  キョウイ以外は相手にもならなかったんだよな。孔明の
  後継者であるショカツセンなんて簡単に負けちゃったし。
  リョフ並だったんだろうな。


ケ艾が呂布並とかほざくヤツよりは100倍マシだ。
>>1よ、気にするな。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 17:54:40
裏切る=恩を仇で返す

劉備は劉璋から恩をかけてもらってない

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 18:14:39
そこはイコールではない気が

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:46:45
そこはイコールではない気が俺もする

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:57:00
劉備って評価ひくいよな
なんで?

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:18:01
>>14
人による
というか持てる知識、見識によって変わる

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:46:02
三国志の人物評価って大体
初心者(演義だけ)蜀ファン
中級者(正史かじり)蜀アンチ
上級者(知悉)蜀評価
になってるような感じがする。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:48:44
にわかの正史かじりなんて初心者以下だろ

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 01:29:09
蜀評価とは劉ショウ軍を評価しているということですね。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 07:14:57
>>18みたいなのが中級者か

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 14:33:28
>>16
それはねぇよwww正史かじりの奴は、ただ単に「正史では〜」
って言うが、真の上級者は正史愛読者で蜀なんぞ評価しないだろ。(個人評価ぐらい)
蜀はどのみち糞だろ。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 14:58:22
>>20
三国志初心者:呉アンチ
正史初心者:蜀アンチ、曹操アンチ、孔明アンチ、関羽アンチ
中国史初心者:三国時代アンチ

という感じかな。
初心者というのは大抵感情が先走ったり反動的になるもんだ

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 15:01:36
>>20
真の上級者なら糞だの何だの言わない
そういうこと言ってる間は永遠に初心者だ

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 17:00:05
一般人:アンチシナ

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 17:05:01
真の上級者は中国へ渡って古い文献を探したり遺跡を発掘しているから
こんなところには来ない

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 21:49:59
今頃になってこんなスレを立てるのはレッドクリフで三国志に興味を持ち出したニワカだろ

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 22:10:16
劉備ってそもそもただの傭兵隊長なんでしょ?
呉と同盟とかそんなんじゃなくて 呉に雇われただけ。
そして食にそのまま攻め入って勝手に独立した。。。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 22:13:16
諸葛孔明はまともに就職できなかった
いまでいうニートフリータで、零細弱小のブラックに
さりげなくもぐりこんだだけの人。

演技のは全部でたらめ。何も芝居じみたことしてない。
しかし蜀の宰相となってからは良政をしいたので
後世の評価がたかい。しかし軍事に疎く魏に攻め入って
国力の衰退を招いた。



28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 23:06:31
>>20>>16に書いてある中級者そのものすぎてワロタ

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 23:09:16
まあ、そんなところが蜀アンチらしいけどね

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:13:35
じゃ劉備弁護。

劉焉は漢朝にとって謀反人も同然だった。
息子の劉障も同罪。
漢室復興を掲げる劉備がこの地を回復しても罪にはならない。

赤壁のとき劉障は曹操に兵を送った。
つまり劉備と劉障は敵対関係にあった。
戦後おそらく正式に和睦していない。
劉備が力をつけると劉障はその事を忘れ張魯から守ってくれと摺り寄ってきた。
敵を欺くのは別に不義ではない。

しかも劉障は劉備の援軍要請に対し半分の兵しか送らなかった。
キレられても仕方がない。
これでは矛先を向けられても劉備に一方的に非があるとは言えない。
充分に大義になる。

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 04:42:35
国を奪うのも攻め滅ぼすのも大して変わらん

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:48:00
>>30
なんてジャイアン
アルカイダと大差ないなw

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:54:44
劉備は皇族と血縁関係なかったって言う説が有力なんだぞ

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:01:26
>>33
全然そんなことないよ
山田勝芳とか知らんのか

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:03:47
>>33
そりゃお前の脳内では有力だろうけど
文献学的に見れば劉備の皇室との血縁を否定する材料は皆無

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:11:06
まじか。劉備は勝手に皇孫自称した無頼漢じゃないの?

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:13:08
>>36
当時の記録で今に残るものは、全て劉備が皇室と縁続きだと言ってるよ
誰の子孫かで意見が分かれてるけど、皇室の子孫じゃないと主張してるものは皆無

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:46:13
>>1
それ、いけないことなのか?

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:05:29
>>36
真偽はともかく、劉性であることが重要なんだよ。

あと、劉備がご先祖様としているのが、物凄くご落胤の数が多い人だった気が。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:47:30
>>36
無頼漢どころかボンボンだよ

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:24:00
劉備が裏切ったのではなくて、蜀の土着豪族が劉璋を見限っただけ。

暗君より名君を欲するのは誰だって同じだろう。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:02:52
むしろ売って生計立ててたんだし、没落豪族であって
ボンボンではないだろう

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 02:43:45
別に劉璋なんてどうでもいいだろ

蜀と言えば張任だろ
三国志演義で劉備軍が完全な悪役になる唯一の相手

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 08:16:23
張仁と息子は頑張ったようだが
まあ じいさんを恨むしかないわな あの基地外

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 08:20:04
張仁って誰?

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 10:03:38
>>36
自称を帝が容認するほど家系認識がザルだったと思ってんのか?

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 10:32:36
劉備の皇族の血筋は、日本の最近胡散臭い扱いの有栖川家よりも薄いからあまり意味ない。
胡散臭いがちょっと箔が付いたぐらいの効果。山賊まがいや異民族ですら劉姓が居るというのに。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 12:48:09
>>42
そうでもない
母親は劉備の学費を稼いでるし、叔父もポンと有名私塾への学費を出してくれてる
筵売りでそんな費用は普通作れない

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 12:49:20
>>48
筵販売業で財を成したんだよ

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 12:51:47
>>49
後に馬商人から出資して貰って義勇軍の資金を賄ってたりするし
案外筵売りからスタートして一端の商人みたくなってたのかもな

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 15:01:31
>>48
母親は息子の学費のために、
私塾の教師に体を捧げたんだよ。
そのことでいじめに遭っていた劉備を、
公孫賛が庇うんだけど、
じつは自分を庇ってくれた公孫賛も
母親と肉体関係があって、
というドラマが脳内で展開された。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 15:10:00
そもそも中国は血統主義じゃないからな。
血統によって威光が保たれるのは精々三親等(孫)までで、
後は、その人物が暗愚なら別な人間が取って代わってもいいみたいな感じだろう。

劉備本人が漢の皇帝の血筋を自称していたのはあまり関係ない気がする。
家康が源氏の子孫だから幕府を開けたとかその程度の話と受け止めている。

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 15:24:28
>>52
中国ほど血縁主義な地域もねーぞ
君の言いたい事は別にあるんだろうけどそこだけは訂正した方がいい
血縁を人の縁の中で最も重要視する文化を持ってるのが中国人

血縁主義とは別に天の思想があって天から受命した人が天下を治めるという事になってるだけで


54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 23:12:44
>>47
自称でどうにかなるわけないだろww血筋重視の中国だぞww脳内イメージで語るなww

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 23:36:05
>>54
血筋とか以前に「同姓であれば親戚」という(今でもある)考え方の影響も大きい。
皇帝の血筋、ってのが嘘でも、劉姓ってだけで皇帝とどこかで繋がっているとはみなされるんだから。
愛人作りまくりの昔の皇族の子孫、なんてのを本気で信じてる奴のほうが少ないだろ。
もともと蜀人で蜀びいきの陳寿ですら、血統については深い言及を避けてるくらいなのに。

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 23:39:52
>>55
逆じゃね?子孫がたくさんいた王の子孫なら「ありそうだ」って信用されたんじゃない?

それと、蜀、魏双方の系統の資料でどちらも劉備を皇族の子孫と認定してることを忘れずに
あからさまに怪しいなら魏側は否定にかかるだろうが、実際は逆なのだ

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 23:44:58
劉備のはったりだろう派はそんな気がするってだけで論じてるやつばっかだな
認定されてることや否定論がないってことからことごとく目を背けてるし

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 00:29:56
>>55
ふと思ったんだけどさ・・・漢の初代皇帝は田舎出身の農民だろ。
実は『劉さん』って、日本で言う『鈴木さん』ぐらいの扱いだったりして。

まぁ、日本の鈴木さんの大半が、お伊勢神道系の布教活動を行った信徒団体の末裔なんだが。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 00:50:21
孫堅が孫子の子孫を自称してたのだって
正史にもそれを否定するような文はないが、でもやっぱり嘘だろと皆が思っている。
劉備の場合も一緒。

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 01:01:35
>>58
田舎の農民じゃなくて役人
ちゃんとしてるわけじゃないけど知識階級の出身な

ちなみに劉氏は劉邦の台頭までレア氏で春秋戦国の辺りだとほとんど出てこない
もともとは劉の文字が示すように生贄を司る職にあったと思われる
生贄の儀式に参加できるのは商代には高位の人だったし
周〜春秋戦国の間に落ちぶれただけで結構いい家の出身だった可能性もある
一説には晋の士会の子孫だったりするしな

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 01:04:07
曹操が曹参や夏侯嬰の末裔っつーのと一緒や
劉備だけ特別信憑性の裏付けがあるわけでもあるまいに、眉唾の域を出ん

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 01:04:28
>>59
孫家に認定された記述がないんだが
否定されてないだけで同類ってw

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 19:49:19
士会はそんなに子供いなかったのに子孫やたらいるな
ハン氏の有名人は大体そうだし これで劉邦がもしもそうだとしたら
世界史上もっとも広まった精子だな

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 02:15:55
>>61
劉備には魏蜀両者からの肯定がある
曹操、夏侯惇にはそういうクロスチェックはない

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 05:49:39
劉備アンチは裏付けもなしに詐称呼ばわりするのが常
この流れを何度見たことだろうか

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 08:22:33
廬塾に行って公孫と交流ができた時点で推して量るべし だろ
北方異民族との交流も浅くなかったようだしな

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 09:24:27
レッドクリフ板で
「孫健って孫子の子孫なんですか?」という純真な問いに
「まあ劉備が漢室の後継だと言うのと同じ程度の信憑性だ」
と答えられていてワロタ。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 09:34:56
まあ今さらだけども、少なくとも史実においては劉備を漢室の後継と
本気にしていた人間なんて当時は誰もいなかったろう。

だいたい劉璋は当時疑う人など存在しない章帝の紛れもない子孫。
一方の劉備はというと「景帝の子孫」。おい!いつの時代の話だよ!
今で言えば明治天皇や昭和天皇どころじゃなく、一足飛びに江戸時代の
天皇の子孫だと言ってるようなもの。しかもその間の系譜は一切なし。
紀元前117年の景帝の息子から、何の説明もなく劉備の祖父まで
経歴がワープする。

江戸時代とかに「我こそは○○の子孫」と系図を捏造した人間の典型的な
詐欺方法じゃないかw そりゃ裴松之も「元祖はわからん」と否定するわけだ。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 10:42:21
>>68
史実においては本気にしてた人間ばっか

じゃなきゃ史書に載って「史実」にならんて

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 11:04:01
・・・本当ならば、劉表も裏切って荊州も手に入れとくべきだったんだよね。

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:10:43
つまり劉備は詐欺が上手い

魏書に劉備が皇室の末裔と書かれていたことなんて何の根拠にもならん
ただ劉備がそう名乗っていたというだけなんだから

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:42:15
血統なんてのは、事実か否かより
それを信じる人間がどれだけいるかだろ

ウソかホントかわからないけど、秦王政が秦王室の血を引いてない
というのが事実だとしても、彼の功績に変わりはないだろうに

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 13:03:11
光武帝の皇太子だった東海恭王の末裔=劉虞
光武帝の子の阜陵質王の子孫の成悳侯の子=劉曄
景帝の子の魯恭王の末裔=劉焉、劉表
高祖の孫の悼恵王の子の斉孝王の子の牟平共侯の直系子孫の劉本の孫の劉輿の息子=劉岱、劉繇
景帝の子の中山靖王の子孫の臨邑侯の末裔=劉備

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 13:08:49
中山靖王劉勝は子供が100人以上いたから劉備の時代には血筋は千人超えてるんじゃないだろうか
それに血筋で言えば光武帝直系の劉曄もいるしな

不思議なのは名士層が劉曄を担がなかったこと

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 15:46:00
>>68
必死すぎてワロタ
それらしく書くの上手っすねwww

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 15:46:44
>>74
劉曄を担ぐ度胸のある奴があの時代には居ないだろう。
御輿として担ぐには・・・切れ過ぎる(頭脳も精神も)

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:14:46
先主伝より

漢景帝子中山靖王勝之後也 勝子貞元狩六年封涿縣陸城亭侯 坐酎金失候 因家焉 
先主祖雄 父弘 世仕州郡 雄挙孝簾 官至東郡范令


一行目と二行目の間を省略したわけじゃない。本当に二百年の間の経歴が
何一つ書かれておらず「二百年前陸城亭侯の貞という人がいました。ところで
先主のおじいさんとお父さんは」と無理やりどころじゃない必死のつなぎだ。
 裴松之が蜀漢建国後の劉備の廟の記事について「ムチャクチャ離れてる世代の中の
名前も系譜も分からない人間のうち、一体誰を元祖として作った廟なんだ?」と
呆れているのも無理はない。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:16:53
劉備の家系否定したがってるやつって家系が正統だったらなんかまずいの?w

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:23:35
>>78
今となっちゃ、本当だったとしてもたいした意味は無いよな。
中山靖王・・・何それ美味しいの?・・・って感じだし。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:25:54
はっきり言える事は、劉備より劉璋のほうが明確に、
そして確実に漢王室の血筋を引いていたということ。
そしてその劉璋から国を奪った。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:26:46
>>77
劉表、劉曄、劉焉みんな怪しいってことでいいっすか?
全部間ないっすよ?

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:31:32
>>79
なんか昭和くさい言い回しだな

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:36:43
>>77
>>73にも詳しい突っ込みよろw
劉虞、劉曄でもかなりいいかげんだからw

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:39:37
マンガで知って蜀寄り→ネットでいろんな知識を得て反動でアンチ蜀に
みたいな感じなんだろうなぁ
正史はおろか演義すら読んだことなさそうなやつばっかだし

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:41:49
>>80
不勉強で申し訳ないんだが、あの時、劉璋は正式な益州吏刺とか成都太守だったの?

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:43:42
>>77
松の字は呆れてるんじゃなく「蜀の記録が残ってれば蜀が作った廟制が残って先祖の系譜もわかったのに残念だ」って言ってるんだから呆れてるわけではないと思うぞ

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:53:42
>>85
親子で官位の引継ぎが漢の制度で正式に行われてるとでも?
正式に位を親子で譲るなら曹操曹丕のように王位とかでやらんとダメ
漢の制度でも爵位はちゃんと親子で引き継がれるからな

88 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:55:57
>>87
じゃあ、劉備は『蜀を奪った』としても『国を奪った』といわれる所以は無いよな。
・・・・そういう発言していいのは、封土を貰った王か、献帝だけだもん。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 17:40:57
媚曹派
それが劉季玉たん

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 18:47:46
つか、ぶっちゃけた話
あの時代に高祖が先祖じゃない劉姓ってどれくらいいたんだろうな

91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 18:48:41
たくさんいるだろ。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 19:00:57
>>90
劉邦が皇帝になった時、功臣とかに気前よく劉をばら撒いてるから
物凄い人数いるよ

93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 20:16:58
>>92
嘘付くな
項羽の親族とロウ敬以外誰がいた?

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 20:39:58
>>93
名も残らぬ部下

封項伯等四人為列侯,賜姓劉氏

と言うように名前も残らない連中にまで劉氏を配ってる

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 21:29:41
>>94
だからそれが項羽の親族だし、史記、漢書の功臣表に名前が残ってる
適当なこと言うな

96 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 22:33:37
>>95
おいおい、項羽の親族なのは項伯だけだろ
適当なこと言うな

97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 22:44:04
>>96
諸項氏枝屬,漢王皆不誅.乃封項伯為射陽侯.桃侯、平皋侯、玄武侯皆項氏,賜姓劉
(史記項羽本紀)

94の「項伯等四人」がここの項羽の枝属つまり親族(射陽侯、桃侯、平皋侯、玄武侯)なのは分かるよね?
名前の残らない連中に配ったんじゃなく、項氏の一族に特に劉氏を与えたんだよ

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 23:15:57
おっと項羽本紀にそんな記述が
これは失敬したな

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 23:19:39
劉備批判者って知識浅い人が多い気がするな

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 07:39:20
劉邦って不思議な人だな
項羽との戦いで活躍した家臣は片っ端から粛清したのに、
宿敵項羽の親族は厚遇したのか

101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 07:46:38
項羽の一族って項荘も入っていたのかね?

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 17:51:48
劉璋は英雄としての能力も無いのに、領土を占めて世の中を混乱させた。 柄にも無い地位につき、領地を狙われる羽目に陥ったのは、自然の道理である。 彼が土地や官位を奪い取られたのは不幸とは言えないであろう。

陳寿の評価、悲しいかなこれが常識的な意見なのよね

103 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 18:24:09
>>102
劉備は漢王朝から州牧位(益州じゃないけどな)と左将軍の地位を賜わっていたよね?
劉璋は”引き継いだ”とは書かれているけど、それって正式な州牧位じゃないよね?詐称じゃね?

そう考えたら、ある軍閥組織がある軍閥組織を放伐しただけじゃん。

そう言えば、劉璋の1700年後にね、領内の反乱組織を鎮圧するために犬猿の仲の二勢力を自国の領内に招くという、劉璋以上の阿呆をやらかした半島があるんよ。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:11:02
>>103
おいてめーイタリアさんをディスったな

105 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:14:08
>>104
東学党の乱のときの、朝鮮の連環の計のつもりだったんだけど・・・

・・・・ヘタさんもやらかしていたのかぁ

106 ::2009/04/30(木) 19:40:32
アホ晒し上げ

107 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:56:48

今更、アホ晒し上げ、とか死語だろw
何年前のバカ?

108 ::2009/04/30(木) 22:05:00
アホ晒し上げ

109 ::2009/04/30(木) 22:11:33
死語使いのバカ

110 ::2009/04/30(木) 22:19:12
アホ晒し上げ

111 ::2009/04/30(木) 23:01:25
死語使いのバカ

112 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 07:46:02
>>100
危険性で言ったら、そら有能な功臣の方が上でそ?
項氏は求心力失ってるし。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 08:03:17
>>76
つか担ごうとした相手を黙って斬り殺した前科があるからな>劉曄

114 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 12:12:56
>>113
ついでに魏の天下になった後は疑われないように気を遣ってビクビクしてた
処世術としては正しいんだろうがこんなノリの悪い奴は担ぎにくいだろうな
やっぱノリのいい奴じゃないとな神輿は

115 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 13:05:34
>>114
ノリ()笑
もう少し頑張れ()笑

116 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 13:19:08
のりのいいやつを担ぐメリットあるの?

117 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 14:21:20
ノリノリになるじゃないですか!

118 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 14:38:44
>>117
うわいらね
いいなりになるやつのがいいや

119 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 14:41:11
そんなことより姜維と諸葛亮の北伐を比較したりどっちが火力あったのか話し合おうぜ

120 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 19:01:11
それは専用スレあるからそっちでやれよアホ

121 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 22:12:30
>>117
曹操と劉備だったら、担ぎやすいのはノリが良くて軽い劉備だ!
って思って曹操を除こうとした外戚がいるじゃないか。

それと同じじゃね?

122 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 04:50:26
そういう事いうなよ

日本の方で考えられないような発言とか行動とか中国人はするんだなぁと思った
つーか。こいつら平然と嘘というか相手騙したりするし。


123 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:24:21
>>122
日本人嘘つかない!

んなわけねー。

124 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:35:05
ホント、北条早雲とか尼子経久とか宇喜多直家とか松永久秀とかなんかは誠実の極みだもんな。
日本人は実に誠実な人が多い。

125 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:42:01
日本史が嫌いなわけじゃないんだけど
藤原氏がひたすら娘を后に突っ込んで権力の取り合いしてるらへんで幻滅
権力争いはいいんだけどもっと剣もってみたりさぁ・・・・みたいな気分になる
あと平民の暮らしが見えてこない

126 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 10:05:10
中国史のどこに平民の暮らしがあるとでも
あれ基本的に文字できる知識階層の歴史なんで

それと日本は天皇の権威が強くて剣による騒乱よりも前に
天皇手に入れて威光で敵を黙らす方が速かった

127 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 12:22:08
後漢代は平民にも文字が広まっていて、
発掘された曹氏の墓跡に曹氏への恨み言が落書されているけどな。

後漢は最高学府の定員が三万人で、さらにその他に地方教育機関の充実がある。
だてに、日本の戦前右翼の系列の思想家に、
日本でいえば江戸に匹敵する史上最大の識字率増大時代と言わしめたわけではない。

まあ、平民の生活は大して変わらんというのは同意だが。

128 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 13:07:15
>>127
おいおいその落書きは当時のものであると証明されてたっけ?

129 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 19:57:21
日本史は戦争がしょぼいというかやっとあわただしくなった戦国時代は
途中から銃使いまくりの近代戦争になっちゃうから古きは去るのみって感じになっちゃうな
戦争が少なく絶対権力は無かったが連綿と続いてきた系譜があることは自国の歴史としては誇るべきだが
単純に興味や好奇心で読むなら紀元前から戦争しっぱなしの中国史の方が面白い
いつの時代においても膨大な武将 謀臣 君主 思想家の中に好きな人物が絶対いる

130 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 08:46:36
日本史に奴隷から秦の宰相になった男みたいなやついる?
もしくは少年兵のころに見いだされて農民から国を代表するような武将とか


131 :愛田みつお ◆85MGANnPJw :2009/05/03(日) 09:16:26
演技ではこの件は美談になってるしな



胸を痛めながら攻めたみたいな

132 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 09:29:22
>>130
木下は大出世じゃない?

133 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 09:35:36
>>132
おおよそ木下くらいだな。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 13:00:32
家臣の諫言を無視して劉備を蜀に招き入れた劉璋がお人よしのアホなだけ。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 15:02:24
范雎が魏の大臣に仕えていたとき 斉国への外交に付き添っていったのだが
彼は斉君に非常に見初められ 彼自身もまんざらでもなく今回の外遊が終わったら斉に仕えようと思っていた
しかし、事件は起こった
范雎が大臣とともに本国へ帰るとき、素晴らしい話を聞かせてくれたお礼として
范雎に大量の金銀を送った
これは隠して送ると誤解を招くから という斉君の配慮であった
しかし、范雎の上司である大臣は 自分の部下が金品を貰ったのが気に食わない
范雎にことわりを入れずにそれを全部彼以外の部下へ配ってしまった
本国へ帰ったある日酒宴でその大臣は宰相である魏斉にこう言った
「范雎という小物が斉と内通している」と
それを聞いた魏斉は酒宴の場に范雎を呼び寄せ
彼を鞭打たせた
体中の骨は砕け、瀕死となった彼をすのこで巻き、便所の下に捨てた
そしてその上から小便を書けあざ笑った

范雎はその後、生死の淵をさまよいながらも、便所掃除の役人に助けられ
命からがら逃げるのである

およそその十年後、西の大国秦に新たな宰相が立った
近きを攻め 遠きと盟う 近攻遠盟の戦略を秦公に献策し 宰相魏?と彼の一族に牛耳られた秦を
正常なものとした 彼の名は張禄 元の名を范雎という
巨大帝国秦の礎を作った男であった

136 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 10:08:45
>>130
日本で、そういう究極の逆転劇の人生はほとんどないような。
道鏡がそうかと思ったら、実は物部氏の末裔だったり。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 16:30:28
>>130
前田

138 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 18:44:21
戦国と幕末は成り上がり層が多いけどそれ以外の時代ではあまり起こらないよなあ…
…と思ったら田中角栄がいた

139 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 06:37:09
鈴木宗男も結構なもの。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:36:29
三国志で関羽の兵力(荊州軍)はどれぐらいいたのだろうか。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 05:55:46
アニメ三国志の玄徳殿の聖人君子ぶりはガチ
実際はチンピラの親分みたいな感じなんだろうな


142 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:02:50
やってる事は一緒だな
良い子ぶってた分印象も悪いな

143 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:04:24
>>140
3万

144 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:27:11
乞食から創業守成を一代でやった人を忘れるな!

145 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 11:27:47
>>144
乞食って大概落ちぶれた実力者だし
成り上がりじゃなくて返り咲いただけだから別になんてことはないよな

146 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 13:54:47
>>145
朱重八さんは落ちぶれるも何も根本的な貧民ですけどね

147 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 14:11:14
>>146
貧民は乞食じゃねえ

148 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 15:32:43
>>147
根源的に貧しかったから乞食坊主やってたってことだよ

149 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 19:10:53
>>142
劉備と呂布の根本的な違い
それは、領土を治める政治力(を持った家臣)が有るかどうかの差。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 20:02:24
>>149
領土はなかなか手に入らなかったんでは

151 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 20:54:03
でも呂布の支配領域の政治が乱れてたって話も特にないんだよな。
陳紀・陳羣親子も、呂布時代の徐州に避難してる。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 20:56:41
>>151
特に目立った悪政は布いてないよな

153 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 23:12:57
呂布の最大の失敗は外交だよなあ
徐州を曹操派に持って行きたい陳登親子と
出戻りなんかできるわけがない陳宮とを代表として
曹操派と袁術派に割れたのを御しきれずに両方と戦って戦力損耗した。
最終的には袁術に付くものの、曹操の攻撃に援軍を出してくれず
(出せるような状態ではなかったのだろう)

数々の裏切り云々ってのは風評としては大きかっただろうけど、
裏切り返しで捕縛されたのはジリ貧になった後だから、
敗北の決定的要素ではない

154 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:34:21
>>150
徐州で失敗してるしなぁ、劉備。
さっさとサイボウぶっ殺して、荊州取っちまえばよかったんだよ。
其の頃には、諸葛亮や徐庶も居たんだから。

・・・諸葛亮の推挙で荊州の優秀な文官も集まっただろうし

155 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:46:42
>>154
さいぼうって地味に名声あったんじゃなかったっけ?
大義名分用意できず都合で名士を殺したら名士社会形成できないでしょ

156 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:42:21
>>154
さいぼうと孔明は親戚だろ

157 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:14:41
おまえら、
劉障の立場なら
劉備を当てにするかね?

158 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:18:40
自分の統率力に自信がないならありなんじゃねーの?

劉璋は張魯を恐れたのではなく、張魯が曹操に帰服して漢中が大征伐の兵站拠点になることを恐れたのだから。
それに先んじて漢中を落とせる人材が益州にいなかったのなら、劉備は選択肢の一つに見えるだろう。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 19:49:11
まあ、俺が劉障なら無いけどな

強くたって劉備じゃニトロをベニヤの木箱に入れて使うようなもんだっつーの
劉備の節操の無さは略歴見れば十分わかるし

160 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:03:41
裏切ったのは、曹操から離反して徐州刺史車胄を殺した一度だけだけどね

161 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:28:04
劉備アンチには家来と客分の違いが分からない奴が多いよね。

>>160
それも勅命で曹操を除こうとしたのであって、裏切りじゃないと思うけど。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:40:15
>>161
その勅命って本当に受けていたのかな。発覚してからの後乗りだったりしないか?
まあといっても、当時の袁紹・曹操対決の情勢では鞍替えはいくらでもあったわけだし
名分は立つし、どちらにしても信用を落とすような行為には当たらなかったのだろうけど

163 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:24:51
密勅自体は存在しただろう。
実際董承らが皆殺しされ、献帝の后も処刑されている。
問題はそれに劉備が加わっていたかどうか。

自分は加わっていたか、もしくは計画を事前に知っていたと思う。
なぜなら劉備の行動がこれを境に反曹操で一貫しているからな。
それこそ人生を掛けて曹操打倒のため戦い続けている。
それをさせるだけの決定的な何かが許にいたときにあったと見るべきだろう。

164 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 02:53:35
ただ、密勅があったことを蜀側は喧伝してないのが気になる。
まぁ密勅だし、献帝存命時はぺらぺら喋るわけにもいかなかったろうが。
結果的に劉備の行動は漢への忠義を示すものになったけど
密勅があったから反曹操になったわけでもないのじゃないか。
やはり陳寿の言うとおり、両雄並び立たずということじゃないか?
少なくとも劉備の方はそう思っていたと。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 04:30:53
曹操に警戒される程度の英雄が一応は皇族の劉姓だった

それだけで十分
光武帝系の血筋の劉虞は死に、劉協は大したことない状況じゃ
劉備に輿望が集まるのは当然

166 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:28:54
劉備を頼るか?というより、
そもそも他人をあてにして
なにを期待できるというのか
ということだよ

だれを頼るにしろ、代償は高くつくぜ?
乱世だからな!

そして当然の代償を払う羽目になったわけだ

167 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 11:49:43
>>157>>166

168 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 12:16:56
>>166
劉しょうに同情してるやつはいないだろ
なにを主張したいのかわからん

169 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:37:27
劉備は劉表からは決して土地を奪うことはなかったが
劉璋からは躊躇なく土地を奪った。
劉備の中では劉表>>>>>>>>>>>>>>>劉璋だったことが分かる。

170 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:39:20
>>169
それは劉備の中だけではない

171 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 14:22:15
劉備は劉表の世話になったが
劉ショウの世話にはなっていない、というか
そもそも国を奪うつもりで乗り込んでるからな。

172 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 14:43:33
劉表の時は国を奪う前に曹操に横からやられただけだろ

173 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 15:13:47
劉備は劉表死後の、国を乗っ取れという進言を退けてるよ。

174 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 15:44:40
つーかもうちょっと考えろ、な
劉璋は親曹操だった
赤壁の時に兵を送った

つまり明確な敵なんだっての

175 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 15:47:22
なんか急にレベル下がったな
漫画の知識で背伸びしてますって感じがするな

176 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:11:03
頼る相手が劉備だろうが曹操だろうが誰だろうが
そもそも他人を頼りにするようじゃいずれ結果は一緒だろ
劉備がどうこう以前の問題だ

177 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:31:14
>>176
リュウショウがリュウビを頼ったのことを正しいって言ってるやつはいないだろ
チンジュも同情できないみたいだしそんなことは語る価値もなくねえ?

178 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:39:31
そもそも、『蜀を奪って何が悪いんだよ』と俺が劉備なら言いたいがね。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:44:47
戦って獲るならさして問題ないが、
支援すると見せかけて蜀に入ってから態度を翻して軍を進めたというのが問題。
しかも最初からの計画。これはいけない。

劉備の「他の問題行為」はほとんど誰もがやってる程度のこと、
ていうかわざわざ辞去を告げたり、戦って負けてから落ち延びたり結構律儀なんだけど、
蜀取りが劉備の最大の汚点であることは間違いないな。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:52:52
>>179
どこがいけないんだよw見せかけてがいけないなら埋伏なんかもだめだなww

181 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:55:36
埋伏の毒に該当する行いなんてこの時代には殆ど出てこないぞ

182 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:59:38
>>181
論点のすりかえか?
欺いちゃらめぇだったら計略禁止ってことじゃねえか

183 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:01:17
実例を出してくれないと比較しようがないんだから、
埋伏とか言われてもどうしようもないという意味

184 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:02:56
それ以前に卑劣じゃないものを卑劣とする根拠を出す方が先だろ

185 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:07:16
えー…
二人の人間がある行為を卑劣に当たるかどうかを話し合っているのに、
一方が論拠も示さずに一方的に「卑劣じゃない」と決定してから、
他方がそれに一つずつ反証を示していかなけりゃならないの?
なにそれ?

186 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:08:20
向こうの配下が裏切った
劉焉は逆賊
息子は役立たず

これだけそろってりゃ攻めても大して言われない

187 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:09:47
>>185
逆だろw先に卑劣だといいだしてんだからそれの論拠は?って話だよ

188 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:13:39
あの時代にはほとんどなかったなんてのが反証になるなら奇策奇計は全部卑怯ってことになるよな

189 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:24:04
劉備が入蜀してか萌関に駐屯するまで攻撃は行っていない
劉備が関から成都に侵攻する際にはすでに張松の内応が露見していて抗戦の構えをとっていた

宴の席で首をとったってのならまだしもこれを卑怯というのはなあ

190 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:26:51
ちなみに演義で劉備が躊躇したのは「劉姓だからしのびない」
正史で劉備が断ったのは「宴会中に殺害する行為」

演義で劉備が迷ったから悪い行為してるような錯覚する人は多いかもしれないね

191 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:29:53
曹操と董昭が大嘘ついて献帝を楊奉たちから強奪した件とどっちが卑怯?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:31:12
>>189
萌関・・・素敵な響きだな。

そして、張松の内応が露見していなければ、鳳雛は地に堕ちずに済んだのかなぁ。

193 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:32:14
>>185
論拠だされてるぞ
卑怯の論拠早くだしてやれよ

194 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:34:18
>>191
卑怯かどうかは解らんが、結果から見れば両方とも手段は正当化されても良いと思うぞ。
・・・と、マキャべりさんなら言ってくれるはず。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:36:05
>>187
そこからはじめるのか。信義を失う行為だったというのは裴松之注三国志の基本論調であって、
それに反対する方が先に反論を行うべきだと思うんだけどね。まあいいけど
・張飛伝 厳顔曰く
「卿らは状(名分か)無くして我が州を侵した」
・ホウ統伝注九州春秋
蜀を取れと言ったいったホウ統に対し、劉備ははじめ「天下に対し信義を失うことはできない」と言った
・同本伝
ホウ統「他人の国を征伐して喜んでいるのは仁者ではありません」
・同伝注習鑿歯曰く「非常の手段によって功を成したのは信義に背き情に反する行いである(中略)
功成ったとしても大いに背徳を悼むべきである」
・同伝注裴松之曰く「この策は本来ホウ統の提案したものだが、義に違えて功を成し、本来は詭道である」

まだ何人かいたかもだけど、とりあえず。
後世の評も含まれる。当事者の言も創られたものかも知れない。
だがこれらの証言は、少なくとも蜀を取った後に残った非難に対してエクスキューズが必要だったことを
示してはいるだろう(特にホウ統とその子孫にとっては)、
裴松之ら後代の史家は彼らの価値観として蜀取りを義に反するものと見なしたと判断できる。

結果的には、劉備は武事のみに頼ることなく非常にうまくことを運んだので、
その後の巴蜀経営は概ね成功している。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:41:17
>>195
敗戦の将が
ずるいっていったから
卑怯記念日

197 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:42:26
>>196
ホウ統が?

198 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:45:23
>>197
暖冬将軍じゃね?

199 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:52:21
賊を騙して宴会に誘ってぶった斬るとかアリだったこの時代、
軍事行動に纏わる倫理について、三国志中ホウ統伝ほど言及されている
箇所は少ないんだよな。入蜀の経緯が関心事だったことがわかる。
他には曹操の徐州虐殺とか、陸遜の市場虐殺…は裴松之が非難してるだけか。

200 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:30:59
厳顔が言ってるのは「なんで侵略すんの!やめてよね!」ってことだろ?割拠してる時代でうちはそっとしといてなんて通用しなくね?

201 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:36:37
袁紹が名前度忘れしたんだけどキ州の大守を騙したことも大して批判されてないのに
この程度でそこまで世間から批判されるとは思わない
あの太守 確か足切られた挙句 身を寄せた先で袁紹の使者来たときにパニック起こして自殺したんだっけ

202 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:49:23
>>201
韓ぷく(復のぎょうにんべんが香編のやつ)

203 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:59:39
韓馥

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:21:57
董卓討伐に州郡が蜂起したが、この時太傅袁瑰らが誅殺されたため、
袁氏のために報復を言う者が多かった
冀州牧韓馥はその名声を忌み恐れた
韓馥は董卓討伐に出た袁紹の輜重を供給したが、それを減らして軍の離散を図った
翌年、韓馥の将麹義が叛乱し、韓馥は戦ったが利を失った
袁紹は韓馥を恨みに思っていたので麹義と手を結んだ
袁紹の客逢紀が、公孫サンを南下させて韓馥を脅し冀州牧を譲らせましょうと進言した
袁紹は荀シンと高幹を遣わして
「公孫サンが南下し、諸郡が応じようとしています。袁車騎も軍を率いて向かっていますが、
その心はまだ知れません。あなたはピンチです。ぶっちゃけ袁さんに地位を譲った方が安泰ですよ」
と言わせ、冀州牧の地位を自ら譲らせた
沮授らが「袁軍は所詮孤軍。冀州には蓄えがあり、攻め寄せてきても十分守れます」
と諌めたが駄目だった
韓馥は以前、田豊・審配を配下にしていたが、彼らが正直なため尊重しなかった
袁紹が彼らを厚遇するのを見て不安になり、辞去して張バクを頼った
のちに、袁紹の使者が来て張バクに耳打ちするのを見て、殺されるのだと思い込み、
厠で自殺した。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:21:50
>>197

>厳顔
厳顔はその時そう思ってたかもしれないが
思い返せば、劉備を招くことに反対した厳顔は劉備を信じていなかったということ。
相手が信じていないなら信義は成立しない。
厳顔に限らず反対だろうと黙認だろうと信じていなかった人間との間に信義は成立していない。
「天下」が対象なら不義といえる。

>九州春秋
天下は裏事情を知らない。

>仁者
お相撲さんが勝利後ガッツポーズをしたらいけないのと同じ。
仁は「思いやり」。敗者を思いやって喜んでいる素振りを見せてはいけません。の意。


「天下」をどう扱うかだけど、これは難しい。
だから名文が要る。名文は体裁。真相とは別。
劉備の人間性が卑怯だというのは真相面を語っているのであり
体裁面ではない。よって天下の知らない真相が中心となる。
真相はといえば赤壁からの敵対状態と向こうの臣からの誘い。それに劉障政権の正当性の無さ。

習鑿歯・裴松之らは治世の文官。好きなように言える。
しかし劉備は乱世の棟梁。臣民に対して多大な責任を負っている。
孫子曰く「兵は詭道なり」。つまり、わざわざガチで大きな犠牲を出すのは良くないということ。
他に方法があるのに、馬鹿正直に正面からぶつかって被害を大きくする事は、
軍を率いる者として、兵やその家族に対して責任を軽視する事に繋がるが、
果たしてこれが兵らとの間に交わされる信義に則っているであろうかと疑問に思う。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:26:12
よって劉備“無罪” かな?

207 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:38:21
無罪ではないが特筆されて叩かれるほどのことはしてない、くらいじゃん
まあ卒塔婆に叩かれてるけど

208 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:47:13
無罪か有罪かなんて話をしてないんだけど。そんなもの誰が裁判するんだ。俺ら? 何の権利があって?
当時信望を失う行為だったか否か。論点はこれだけ。
>天下は裏事情を知らない。
これが全てだね。裏事情を知らない人間に義にもとる行為だと「見える」のであれば、
それは当時の人間にとって信義を失う卑怯な振る舞いだったってことだ。認めてくれる?

兵士との契約だけに律儀でいれば良いのだったら、兵士を放任略奪で養っても構わない、ということになる。
しかし、そんな人間は嫌われた。呂布のようにね。
軍閥という政治集団の長である以上、彼には官吏一般は無論、負けた人間や外交相手への
反感を買わずに経営する必要がある。「卑怯だ」などと判断するのは、当時生きた彼らなんだから。
勿論、現実的に可能な限りのバランスを取って経営するわけだけど。
だからこそ、劉備はあの手この手で益州人の態度を和らげる方針を取り、じっくり時間を掛けて
攻略したわけだね。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:52:58
>兵士との契約だけに律儀でいれば良いのだったら、兵士を放任略奪で養っても構わない、ということになる。
青州兵だな、それ

210 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 02:01:11
てか、今さらだが前漢の王の血つながってるの??

普通の農民だったら詐欺師もいいとこだがw

211 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 02:18:47
詐欺師の方がネタとしてはおもしろいけどな
俺が嫌いだから詐称、というのがアンチ臭い

212 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 02:50:35
>>210
文献上否定する要素は皆無

213 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 07:02:12
>>208
してないんだけどってそんなスレだろここ

214 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 17:48:27
>>210
そもそも劉備自身がそういう話を自分からしてたのかも分からない
諸葛亮が孫権を挑発するときに「我が主は漢王朝の端くれだから曹操に屈することはしない」という台詞は残ってるが
よってwikiの記事は間違い、若しくは劉備は漢王朝の血を引くと「他称される」というのが正しい

215 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 23:15:25
>>214
自陣営の人間の発言なのに他称はないだろ
違うのならそういう発言はさせないしな

216 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 14:50:28
文献上否定できない、という理由だが、信用できるか、となるとまた別。

実はオレ、父方が劉備の子孫で母方が曹操の子孫なんだ。
文献上否定はされてないけど、信じる?
そういう話。


なお、三国志演義で、献帝に拝謁して系譜が読み上げられる、あのシーンは大嘘なのは間違いない。
そこで、17代かなんか、それくらい先の末裔というのも、数字的に見て辻褄が合わない出鱈目。

もちろん、このことで、皇統に連なる者ではない、という断言には至らないが、
確認しようがない以上、鵜呑みに信用するのは、オレオレ詐欺に引っかかるのと同じレベルの素直さだ。


ただ、劉備が漢朝の末裔とされたことは、その真偽にかかわらず、後世に大きな影響を与えた。
それは間違いない。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 15:24:31
>>216は詭弁でいい気分になるタイプだなw
おまえが否定されてる文献はないが肯定されてる文献もない
まったく違うだろ

218 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 15:59:27
いや、この場合重要なのは「同時代の敵方からも詐称だと攻撃されていない」ことだろ?
魏からしてみれば劉備の素性攻撃するのが一番手っ取り早い嫌がらせだろう。

仮に魏、晋で劉備は偽皇族だとする見解が一般的であったなら、
そこを完璧にスルーしたままの状態で三国志が正史として晋に認められると思うか?

219 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 16:15:34
>>216
漢景帝子中山靖王勝之後也って本文に書いてあるのだが
>>216が劉備と曹操の子孫だという話はどこの歴史書に載ってるの?

220 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 16:25:17
>>216には「自称した」「否定されていない」しか見えてないのか?
「正史として記録された」って部分を軽視する理由がわからん

221 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 16:25:29
>>73を見て分かるように間を飛ばしてるのは別に他意はなく
陳寿も>>216みたいな物分かりの悪い馬鹿にあの世で呆れているに違いない
他意があるときは曹操みたいにもっと分かりやすく陳寿は書く

222 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 17:26:09
中山靖王劉勝って何者?

223 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 17:37:00
>>222
第六代皇帝景帝の第八子

224 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 17:43:22
武帝の丞相だった劉屈氂の父

225 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 17:44:23
曹氏の系譜もすっとばしているのに劉備の系譜を本伝に書くのはいくらなんでも陳寿にはヤバすぎるな
魏呉蜀いずれも、当時の礼に則って宗廟を立てたはずだが、
陳寿は無論、「魏書」などからの裴松之の引用もないとなると当時の紀伝体や編年体の史書には
そこまで詳しく書く慣わしがなかったのかもしれない

226 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 17:57:47
>>216
>実はオレ、父方が劉備の子孫で母方が曹操の子孫なんだ
という文献上の根拠がないのでお前の主張は無意味

227 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 18:12:01
>>216ふるぼっこワロタ

228 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 19:35:26
まあ本当に馬鹿だからしょうがない

229 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 19:42:16
>>216がまたインテリぶった言い回しをしてるとこが哀れすぎて泣けるw

230 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 19:53:07
>>216はオレオレ詐欺にはひっかからないが給付金詐欺にはひっかかるタイプ

231 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 20:16:23
>>216
反論ないの?
またご高説披露しろよw

232 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:08:13
>>216
自尊心回復運動で逆に大火傷w
間違いない、は二度と使わない方がいいよ

233 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:20:03
>>216
十七代って辻褄合わないの?
ちなみに劉勝が中山王になってから劉備が生まれるまでの間は310年ちょいくらい

234 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:36:39
仮に即位の歳に生まれた子を二代目と数えた場合、平均19.5歳で次の子を生んでいればちょうど161年に17代目が生まれる計算になるな

235 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:00:12
>>233
20で子供生んで50で死ぬと仮定すると
親子の1世代経過で30年
15で生んで40で死ぬと25年

まあ実際はそれに満たない期間での家督相続だろうし
幼い当主が夭逝したらその弟が継いだりする事もしばしばあるだろうし
300年20代くらいならちょっと多いかも、程度

236 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:07:13
>>235
A(10代目)の長子B(11代目)が早世して次男C(12代目)が継いだらAからAの子の二代だけで三代進むって意味か

あの17代って家督って意味の代なの?
世代の意味かと思ってたわ

237 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:37:00
普通に世代じゃないの?
家督だったら(演義では)劉備は劉勝(あるいはその息子の家の)直系ってことになるじゃん。
そんなだったっけ?

238 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:57:47
>>237
直系って劉勝自体が家督じゃないぞ

239 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:58:30
乱世なんだから、劉備が天下を狙う事自体はなにもおかしくない。
まぁ劉備の知恵ではないと思うけど

240 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:00:16
>>239
劉備は天下をねらったわけじゃないぞwww

241 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:03:29
>>239
劉備の知恵じゃないって何を指してるの?蜀をとるって案件?
あれはりゅうしょうの配下からの提案で端っから劉備発案じゃないってわかってるけど

242 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:32:23
・法正張松の提案でほうとうも案を飲むよう進言
・宴で劉王章を捕らえるようにほうとうは進言するが却下
・かぼう関に駐屯しているときに内応露見

思惑はいろいろあっただろうが実質は開戦以前に攻撃は行ってない

漢の碌をはみながら曹操を迎合する行為は逆臣といえるんじゃないのかな

243 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:33:55
×碌 ○禄
とんでもない間違いスマン

244 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:38:00
>>238
?どういうこっちゃ。劉勝は中山王だからして、
中山王家という括りで見たら家督保持者だろ?

で、そっから17代、が家督だとしたら劉備が劉勝の家の家督相続者になっちゃうじゃん。
普通に世代で17ってことじゃないの?演義の該当部分直接読んだことないから断言できないけど。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:47:08
>>244
演義じゃ家督っぽいけどな

246 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:54:01
>>244
家督を相続していようといまいと
途中で没落して爵位手放してるから、どーでもいいな

247 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 23:57:00
>>246
数えかたの話だろ
世代で17なら平均19.5で子を生んでる
家督で17ならそれより上でもあり得る
って話

まあなんにせよありえるってのは覆らないけどな

248 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 10:20:13
演義では皇叔にしなきゃいけないから世代を少なめにしたんじゃないかなあ
「なーんだ、系図調べてみたら予の方が世代上じゃん。お前なんか皇帝の甥、つまり皇甥だな。敬意を払う必要なんかないねっ!」
ってなったら曹操をニヤニヤさせるだけでストーリーが締まらないことおびただしい

249 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 10:36:20
劉勝は前漢の景帝の子で武帝の兄弟

劉備のが何代の裔であれば妥当かなんて
献帝の系譜と比較すればだいたいの当たりはすぐにつくんじゃネ?
若干の誤差はあるだろうけど

個人的には一世代か20年に満たないのは、
献帝あたりと比較したら、ちょっとペースが早すぎる気はする

正史には17なんて数字がないので
恐らく、この数字はどこかの好男子が
一世代=20年
くらいで計算して出した値ではないかと

もちろん、劉備の出自そのものをひっくり返すようなものじゃない

劉備には学費を援助してくれる宗族がいたわけだし、
その有力者が劉勝の子孫なら、劉備も間違いなく劉勝の子孫になる

250 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 10:54:54
>>249
早世して代替わりしたやつがいればその分他が延びるぞ
17にしたわけは>>248の理由なんじゃね?

251 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 14:52:34
>>248
いや、むしろ、とんでもなく世代が多めになっているんだが?
そういう理由なら、絶対二世代を伸ばさずに、むしろ世代の申告を縮めた方がいいと思うんだ。
どのようにカウントしても、献帝の叔父にも甥にもならない。
見当はずれといっていいくらい大きくずれている。

献帝は、後漢の皇帝で、初代後漢皇帝光武帝こと劉秀の7代先の子孫にあたる。
そして、劉秀は、中山靖王劉勝の兄弟である、長沙定王劉発の5代先の子孫だ。

劉備が、中山靖王劉勝の17代先の末裔なら、
献帝は、劉勝の兄弟の12代先の末裔だ。
世代的には。5代ほど、劉協の方が先になってしまうわけだ。

2代ほどのズレならともかく、5代のズレはどうにもならないだろう。
おそらく、17代というのは、かなり、適当にでっち上げた数字だろう。

おそらくそれは、劉備たちや同時代の関係者のあずかり知らぬところで、
羅漢中あたりが適当なことを書いたものと思われる。
たしか、「皇叔」という肩書き自体、演技にはあっても史書には無いんじゃなかったろうか?

252 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 16:21:07
>>251
家督と親等は別でしょ
たとえば

いうえ


って相続していって(い、うが早世)かが六代目だとしても親子の世代は四代だから五代の位置の子より叔父にあたることはありうる

253 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 18:26:07
劉備が景帝から数えて18代目の劉氏傍流ならば、
献帝は景帝から19代目の劉氏宗族の長(皇帝)だから、
皇叔でよい。>>248でおk。

と、いう設定で、演義成立に関わる作者の誰かが劉備の系譜を作ったんだろう。
系図が読み上げられる下りでは、劉備に到るまで18代全員実子が受け継いでいった
とされており、しかも曽祖父の代まで別々の侯に封じられているから、
かなり適当な設定ではある。

254 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:16:59
>>253
なんという華麗なターンw

255 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 00:47:01
>>252
まて、それはおかしい
問題は、系図上、叔父にならない、ということだろ。

叔父、というのは、血縁上の世代での長幼の順で決まる序列だから、
家督とか相続順とかは、全く関係ない。
系図上の血縁関係こそが肝心

256 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 02:01:36
>>255
なにいってるんだおまえわ

257 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 02:48:49
つか演義にしかみえない17代の話はもういいだろ
劉備の行為について語ろうぜ

258 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 10:38:32
益州征服は、
仁義・道義にのっとった行為ではありえないが、
手際は良かったと思う

259 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 14:09:49
>>257
同意。血筋なんてどうでもいいじゃん


260 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 14:57:09
>>258
道義について詳しく

261 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 17:41:17
十八代も離れて親戚を名乗れるのなら
俺は眞鍋かをりの親戚だぜい
全く自慢にもならんのが悲しいがorz

262 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 19:24:34
熊沢天皇もアリだな

263 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 20:57:36
>>261
帝の親戚を名乗ってるんじゃなくて中山王の子孫を名乗ってるんだよ
似てるようだが全然違う
お前とまなべの共通の祖先に知名度がないなら同じ話ではない

264 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 21:36:22
でもスレタイの話に戻すとそんな程度の関係でも劉璋は頼ろうとした
同族としての厚意を期待してたってことだよね?当時の中国人の感覚としては

265 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 22:19:46
というか曹操以外でまともに頼りになるのが劉備以外いなかったんだろ

266 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 22:26:31
景帝の子の中山靖王の子孫の臨邑侯の末裔=劉備
景帝の子の魯恭王の末裔の劉焉の子=劉璋

これってほとんど他人のレベルじゃね?
それとも景帝系というのが鍵なのか…劉表も景帝の子孫だし

267 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 22:29:55
中国では、姓が同じってのがそれだけで鍵。
しかも高祖の裔ともなれば十分挨拶代わりになる
実力がなければ挨拶で終わりだけどね

268 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 23:03:34
>>265
つか劉王章って曹操迎合してたよな?

269 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 23:13:57
赤壁まではへいこらしようとしてた(使者が張松)
ところが、曹操は江陵まで制覇して敵無しだと思っていたんで、
応援を申し出た張松をすげなく扱った。
その後、曹操は赤壁で負けて長江流域から叩き出された。
風向きが変わり曹操に吸収されなくとも既得権益が維持できると
見た張松は、軽侮された恨みも込めて劉璋を動かし、
荊州(中南部)を掌握した劉備との同盟を薦めた。

270 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 23:17:46
>>269
ああそっか配下の進言で劉備に鞍替えしようってなったんだったな

271 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 23:51:32
最初の使者は荊州攻めの前に張松の兄・張粛が行って
優遇され丞相掾・広漢太守に任命されたので代わりに張松が派遣された

張松が冷遇されたのは荊州占領後というのもあるかもしれないが、
もともと張松は既得権益と呼べるほど優遇されていないから
他所から来た冷遇組の法正と一発逆転を狙ったんでしょ
前述の太守になった兄貴に密告されて捕まったけど

…あと、同盟というより張魯討伐を頼んだんじゃなかったっけ?

272 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 01:53:58
なにこれ
ニカワ・初心者の集まりじゃん

273 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 02:39:48
>>272
膠?膠なの?

274 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 09:15:48
初心者はともかく接着剤が集まるスレは古今東西ここだけだろうな

275 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 11:18:19
俺はニカワを使い手なんだが残念なことに相手が木工用ボンドを使ってきたので

276 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 11:24:20
>>275はニカワとボンドを両方持っているから光と闇がそなわって最強にみえる

277 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 11:24:42
は?何接着剤が勝手に話しかけてきてんの?

278 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 12:23:09
どうやって俺がニカワって証拠だよ?

279 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 13:33:53
ニカウさんは?

280 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 16:53:27
ニカワ・初心者って、
接着剤道に入門したばっかりのにわかにかわファンって意味なのかな?

281 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 21:37:27
>>279
コーラの瓶をリサイクルする旅に出たよ

282 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 23:47:54
接着剤スレがあるときいて

283 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/20(水) 00:01:02
空気読まず言うけど
ニカワじゃなくニワカだよな?

284 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/20(水) 00:39:48
は?どうやって272が言い間違えたって証拠だよ

272さんディスってんじゃねーぞ!

285 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/20(水) 01:41:13
にかわブロンティストのすくつですね

286 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 02:35:48
当時の皇族って有名どころはこんな感じかな?

劉焉・劉璋
劉表
劉虞
劉繇
劉岱(曹操の部下じゃないほうの)
劉曄

彼ら有力豪族が帝位を名乗れなかったのに、劉備はそれをやり遂げたんだから、そりゃ実力の賜物だと思うよ

287 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 02:38:45
劉虞なんかはもろに「名乗らなかった」クチじゃん

288 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 04:25:38
劉曄モナー

289 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 10:25:02
>>286
下4名はそもそも名乗る気がなかっただけ。
いずれも藩屏として期待された優秀な人材たち。
野心があったかどうかだけだと思うがな。

290 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 10:50:01
生まれがいいからそれなりにいい暮らしできるし天下に対する欲望も薄いかも知れないね

291 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 12:17:30
>>286
つ陳王・劉寵

292 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 12:24:23
百銭齎送
後漢の劉寵は字を祖榮といい、會稽の太守を命じられた。
劉寵は煩雑な法律を廃止し、簡単な物とした。
そのため、郡中は大いに感化され治安が良くなった。
その後朝廷に入るにあたったときに、若耶山の谷間から五六人の老人が、各々百銭を送って来た。
劉寵が「どうしたのだ」と聞くと、老人達は「私たちは深い山の中で生まれ未だに郡朝がどういう物か知りません。
他の太守の時は、役人が取り立てに来て人々は夜も安心できない有り様でした。
劉寵様がいらっしゃってから、犬が夜吠える事もなくなり、
村里で役人を見る事もなくなりました。
年取ってからこの様な聖明な方に会うことができました。
聞く所によれば、この度、この郡を捨ててどこかに去るとか。
そこで、ここに劉寵様のために餞別を持ってきたのです」と言った。
劉寵は、その中から一銭だけを受け取り、多くは受け取らなかった。

ttp://www.moroo.com/uzokusou/nikki/130.html

293 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 13:35:04
劉安、は違うかw

294 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 20:09:24
>>293
前漢の人だからな

295 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/23(土) 13:35:55
>>293
演義にはちょっとアレな役で出てきたよな

296 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 21:39:34
陶謙や劉表、劉キみたいに劉璋も病死→劉備に譲るってことにしたらよかったのにな。

297 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/06(土) 16:12:01
>>296
それだと、鳳雛死亡イベントが起こらないじゃん。

298 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 17:56:02
素人でスマンが
他のスレで劉備ほど卑怯な男はいないって聞いたけど本当?

299 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 18:20:03


300 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 18:52:54
群雄はみんな仁道的に見たら外道です

301 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 19:13:38
>>298
劉備が卑怯で薄情なのは確か
聖人君主ならお友達の呉巨を見殺しにしない

302 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 20:43:26
>>301 kwsk

303 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 07:00:58
日本の教育現場では、
身長150センチの女子生徒イコール劉備玄徳の熱狂的ファンと決まっていた。
母子家庭たちは、いつも、曹操ファンの女子生徒たちとウィンクしていた。
学生時代から曹操ファンである女子生徒、という事は、彼女たちは、過去世で玄奘三蔵の法相宗信徒である事は間違いない。
玄奘三蔵の味方は劉璋の意味だから、身長が低いと劉備玄徳にされてしまう。

日教組は、何故、曹操ファンたちの肩を持つのか?
劉備玄徳の共産党はロシア共産党に当たり、曹操の共産党は、中国共産党に相当する。


304 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 20:58:29
乱世だな

305 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 22:48:23
長坂の戦いも、本当に民を思ってるなら別行動するよな。
民が狙われてるんじゃなくて劉備自身が狙われてるんだし
物理的・道徳的に民を盾にしたとしか思えん。

306 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 23:26:09
>>301
長坂の敗戦後、「呉巨を頼る」と言った劉備だが、210年に呉巨が弑されても何の反応もない。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 23:53:27
>>306
もし自分が社長で、取引先の会社に高校時代の同級生が社員として働いていたとして
その昔の同級生がクビになったらどうする?っていう問題。
抗議したり取引やめたりするかい?

308 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 07:54:18
>>307
例えにしては落第点。呉巨は会社をクビになったのではなく、消された訳だしな。
で、劉備は呉巨と喧嘩した元交州刺史を後に重職に就けている。明らかに呉巨を見殺し。

309 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 16:11:33
公孫さん(袁紹と敵対)、陶謙(曹操と敵対)、呂布(曹操と敵対)、曹操(陶謙袁紹呂布と敵対)
袁紹(曹操と敵対)、劉表、劉璋、呉と同盟
と色んな人のもとを転々としてきた劉備に何を今更。

310 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 22:27:54
>>308
いや要件は満たしてる
その前に見殺しという言葉を辞書で調べるべき

311 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 22:30:29
>>309
乱世の常識

312 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 22:39:03
>>309
張バク(袁術)→袁紹→楊奉(騙す)→献帝を傀儡にして独立
曹操だって同じくらい華麗な転身だよ

313 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 23:00:18
>>310
確かに『見殺し』という言葉は不適切に思える。
実際は劉備は孫権とグルになって呉巨を陥れた『同じ穴の狢』。

314 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 23:07:12
>劉備は孫権とグルになって呉巨を陥れた
何伝に載っているお話?

315 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 06:44:32
状況証拠

316 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 20:27:50
根も葉もない妄想かよ 

317 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 21:37:49
曹操好きじゃないから「曹操と同じくらい」と言われても悪いイメージの方が強い。

318 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 22:18:48
>>305
道徳的に… 盾にはならない。 足手まといにしかなっていない。

>本当に民を思ってるなら別行動するよな
それが正しいなら、関羽と一緒に行くだろうね。

住民が付いてきたのは劉備にとって予定外のことだった。

関羽船団の動きが遅すぎる謎が解けた。
劉備の一行がかなり遅い動きで南下しているのに、足の速いはずの船団が
長坂から80qも真東へ逃れて来た劉備らと丁度出会うなんておかしいと思っていた。


関羽も共に陸路を南下していたが、集まってくる住民の所為で人数が膨れ上がり
このままでは長江を渡す船が足りないと劉備らは判断した。
だから関羽に別行動をとらせ船を集めさせた。これで辻褄が合う。

319 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/20(土) 13:01:20
それでも、辻褄は、合うね

320 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 03:40:37
軽い女とモテる女をはっきりと分けるのは難しいし、劉備だって卑怯だ。いいやつだ。とわけるのは難しいわ


321 :神ツコツ ◆hsM5cuRuF6jy :2009/07/01(水) 23:52:10
321ゴッドォオオゥ!

322 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/07(火) 19:52:20
季玉って字かっこいいな

323 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/17(金) 00:09:34
劉璋ってそんなに無能だったのか?
劉備に侵略されるまで蜀は戦に巻き込まれず平和だったみたいだし。
その割に蜀は戦もそれなりに強く人材も結構豊富だったし。
劉備の侵略を正当化するためにぼろくそに言われてかわいそうな気がする。


324 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 01:07:36
劉璋に限らず劉備陣営正当化のために犠牲になった人は多数いる
曹操なんか演義では一貫して悪者扱いだからな

325 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 02:20:39
史書と小説を混同しないこと。
征服者の正当化のために犠牲になった人物なんて数えたらきりないぞ
曹操の犠牲になった人間なんて腐るほどいる。
>>323の意見はある程度正当だと思うが、曹操を引き合いに出したら台無しだ

326 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 06:42:39
張松や法正が劉備に蜀を奪うよう薦めてきたのは、劉璋に替わってから。
少なくとも劉焉>劉璋だったのは間違いないと思う。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 06:57:02
まあ劉焉は牧の設置とかで自分の権力固める事を上手くやったりしてて一代の傑物であるしな

ただ劉璋が無能かっていうと結構別問題だが
>蜀は戦に巻き込まれず平和だったみたいだし
というのは勘違いでは?

もう少し調べると蜀は結構戦争してる

328 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 07:16:44
内乱やら異民族絡みでかなりカオスな土地だぞ蜀は
あと劉焉はもともと劉璋を後継ぎにするつもりはなく、兄貴が病死したから劉璋に回ってきただけ。
だから劉璋がイマイチなのは仕方無い。

329 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 09:41:54
中原とは道自体を切ってて、そこの戦乱とは無縁でいられただろうけど

劉焉のころは制御できていた漢中の張魯や東州兵が、ぶっちゃけ劉璋には従わない
ということから劉備に鎮圧を依頼したわけで平和じゃないよね

330 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 21:50:36
劉焉は漢から益州を切り取り我が物にしようとした大逆人であり、その意志を継ぐ劉璋も当然同罪。
劉備が蜀を奪い取ったのは漢の忠臣として当然の行為であり、やましい事など有ろう筈も無い。
また劉備が蜀を本拠地として魏と呉を滅ぼした後に献帝に返還する事は、皇族に連なる身である事からも明白であり、劉備こそ真の忠義者と言えよう。


こんな感じでよろしいでしょうか

331 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 22:47:46
うーん…

332 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 23:21:16
そこまでずうずうしいことは陳寿も言ってないな
劉備自身も劉璋父子を厚く遇したわけだから悪人扱いなどしていない

333 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/20(月) 01:59:57
劉璋の息子は蜀の将軍になってるし。
ちなみに継承権争いの種になりかねないと関羽殺害の責任を取らされて処刑された劉封の息子もその後将軍位を貰ってる


334 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/21(火) 00:04:29
俺ナムコ三国志の性格診断で劉璋タイプだったんだ・・・

335 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/25(土) 04:52:33
あれ?なんか俺もそうだった記憶があるw

336 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 16:46:13
劉備の僭称は綺麗な僭称

袁術の僭称は汚い僭称

337 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 16:56:17
184 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/12(日) 05:08:34
甄厨がウザイ


185 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/12(日) 09:08:11
ぷらっと族の横暴が酷い


186 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/15(水) 17:44:28
糞スレ上げ厨自粛汁!


187 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 12:28:18
自治以外のスレ多すぎ



188 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 15:54:12
ここで愚痴っても、誰も目を通してくれない


189 名前:神ツコツ@兀突骨 ◆l5uYUz79nM :2009/07/30(木) 15:55:15
見るようにがむばる


190 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 16:26:33
クソルトと突破厨くたばれ


191 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 16:53:18
孔明厨がウザ過ぎる

338 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:01:17
劉備の凄さをまとめると・・・
戦が意外と上手い。裏切りの神(民、友人、恩人、を踏み台に)決断力が羽生以上。
(だめだと思ったらすぐ逃げる)逃げ足が尋常じゃないほど早い(史記には書いてないが陸上選手だった
らしい。)為政者であるため、政治力が福田以上。


339 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:23:28
>>338
凄いところってのは、当時から見てって事だろ?
戦は三流の雑魚には勝てるが、一流の奴が出てくるとぼろぼろに負ける程度だし、
政治力も当時の他の君主に比べて勝っているという記述も無い。
決断力はあるが、羽生以上は無いw

340 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:25:04
>>339
だが劉禅よりは凄い!

341 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:37:47
上位……甄姫様

中位……祝融たん、尚香たん

その次…大喬小喬


342 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:52:02
>>330
劉備が漢王朝の忠臣? ご冗談をw
漢中をぶんどった勢いに乗じて、漢での官位である左将軍の印を返還して自ら漢中王を自称している
いわば漢に三行半をつきつけて、独立宣言に等しい
また、漢王朝において漢中王の僭称は、オレは皇帝になるって宣言していることに等しく
いわば皇帝を僭称したも同罪、漢王朝にとって見れば反逆者中の反逆者です

343 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 18:51:30
因みに劉邦がなったのは漢王な
漢中王じゃない

344 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 19:26:41
>>34
より相応しい血統の人間がいるうちから独立宣言なら
光武帝もやってるがな
バカタレ

345 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 19:50:57
>>343
漢王と漢中王は同じじゃ

>>344
光武帝がいつ漢王朝に弓を引いた?
滅んでから乱世になり独立したのと、滅ぶ前に決別して独立したのを一緒くたにすな

346 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 20:41:24
南朝の天皇は北朝の天皇にとってみれば反逆者であり、
北朝の天皇にとっては南朝の天皇は反逆者
だがどっちの天皇も日本にたいしての不忠者とは言えない
劉備も漢を滅ぼそうとしてるのではなく自分による漢の再興をしたいだけであり、漢王朝にとっての不忠者とは言えない
傀儡皇帝献帝にとっての反逆者ではあるけど

347 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 20:47:42
>>345
滅んでいないといっても既に乱世であるわけだが

348 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 20:53:35
というか>>344が言ってるのは更始帝のことだと思うけど
反王莽の諸軍が立てた漢朝の皇帝で、劉秀もその臣下だった。
のちに劉秀が独立して王朝を立てるに及んで、
後漢からは皇帝と認められなくなった。

349 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 21:53:31
日本の天皇になれるのは天照大神の子孫だけ
中華の皇帝は強ければ誰でもなれる

350 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/31(金) 09:04:14
スレタイが間違ってる件
裏切って×
だまして○
だましあいは群雄の常だろ

351 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/31(金) 14:35:49
>>307
曹操は庇ったね
>>344
そもそも劉秀だって誰がどう見たって僭称だろ
文帝の禅譲が実質上の簒奪と同じで、劉備の皇帝僭称に対しての免罪符にはなりえん

352 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 19:45:07
>>339
つ赤壁
つ漢中

353 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 20:12:59
>>1
呂布は奪い方がヘタクソ
劉備は奪い方が上手かった

それだけの差。
暴れるだけのゴリラに過ぎない呂布と
計算高い劉備の決定的違い。

354 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 22:15:31
劉備もそんなに上手いとは思えないけどなあ…
蜀を取った事により呉と完全に決裂した訳だし。

355 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 22:21:45
納得できる大義名分があったかなかったの違いだろ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 23:34:02
侵攻に弱い荊州の半分に留まって孫権の子分扱いよりも
益州一つの方が国力も立場も遙かに強い

357 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/05(水) 01:12:31
>>353
劉備は逃げ方(見限り方)が上手かっただけで奪い方は下手、そもそもが戦略や政略に欠ける人物
後半生は、その欠けていた戦略や政略を諸葛亮らが補ったから上手く事を運べた
そして、諸葛亮らの手綱から外れたとたんに大敗している

しかし、逃げ方(見限り方)の点では、当代随一といえる
一度見限ったら、受けた恩義・温情をすべて忘れ捨て去り、実にあっさりと逃亡する
それにより乱世を生抜き、皇帝までのし上がれたのであろう

358 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/05(水) 01:31:25
劉備はイメージほど思い切りよく逃げてもいないし、
逆に敗勢で勢力を維持するのが下手(曹操と比べてだが)な面が目立つな。
諸葛亮は主君を補佐して手綱を握るタイプじゃないし
劉備は政治・軍事の実務レベルならともかく、
戦略決断と行動を人任せにするタイプじゃない。
戦歴の最初から最後まで、自分で動いて失敗し、成功している。

359 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/05(水) 08:14:14
入蜀の政略、戦略ならホウ統、法正、張松にお任せ下さい。
諸葛亮は荊州を宜しく。
ホウ統と張松が死ななければなあ。

360 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/05(水) 12:16:21
益州奪取は内部からの招聘があってだから今の目で見るとそんなに悪いとは思わんな
儒教的にはこの件で孔明が叩かれたりしたそうだけど

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