2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

曹操アンチアンチスレ

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:18:48
ちょっと三国志をかじっただけの
不公平で理不尽な曹操アンチを叩くスレ

2 :具体的な例:2009/05/06(水) 19:19:58
786 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/06(水) 18:57:11 ID:5PRWWZFm0
つーか、この>>1の設定で、魏武つえーとか言ってるヤツはバカだろ。
10万以上の大軍で実績を残せない魏武は駄目。
スレ的には中の下のレベル。

宋までで考えるから、康熙とか洪武とかは×点×点w


787 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/06(水) 19:00:18 ID:5PRWWZFm0
あ、ルールは>>6ね。失礼。


3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:25:21
>>1
よう、劉備

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:36:14
>>2
いきなりホイホイきたな、曹操アンチがww、敗北より勝利をみろや低脳。
>>1
乙。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 19:47:03
783 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/06(水) 14:39:16 ID:Z8nxFxfW0
魏武帝は評価が高すぎ
1000人の兵を率いたら歴代皇帝でトップクラスかも知れないが
10万の軍勢率いたら長平で生き埋めにされて終わり

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:07:45
>>5
そんなに曹操は評価が高いか?青州で曹操が何十倍の軍を打ち破ったのに、
さほど評価されてねぇじゃん。それなのに過大評価されてるのは孔明じゃん、さほど
活躍もしてないのに天才縦横家扱いされてるだろ、北伐の失敗を見ろやボケ。


7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:15:40
蒼天航路は理不尽な儲と
それに反発する自己コントロールの未熟なアンチを量産した名作

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:25:17
>10万以上の大軍で実績を残せない魏武は駄目
事実じゃんw

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:28:25
>>6

某1?

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:33:02
793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 20:27:15 ID:5PRWWZFm0
曹操アンチアンチスレ
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1241605128/l50

馬鹿来ましたーw

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:35:45
ここの主体は曹操儲?
それとも蒼天航路儲?

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 20:56:16
201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/28(火) 19:54:27 ID:x+g8VyNU0
>>200
そこは流石に流すw

>>39的に曹操を考えてみる

武勇18 指揮19 知謀18 政治20 統率19

特殊能力
大軍を率いる時、参謀の進言をはねつけた場合、
武勇、指揮、統率に−10補正


曹操だとチートっ思わないのは気のせい?



これはアンチ?それとも儲?

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 21:00:54
あれだけ他二国を圧倒してたのに統一できなかったってのは
歴代皇帝よりかなり下の部類
士を好む、決断力 という部分で這い上がっただけ
それ+の能力を持っていなかったから評価が低いんだよ
なら高祖はどうなんだって言われそうだけど
張良らのような逸材を手に入れられるかどうかで大きな差がある

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 21:07:59
魏武儲は、魏武の何を評価してるんだ?
軍才ならそれ以上の人物は沢山いるし、政治にしたってそうだ。
人材は集めるだけ集めて、使いこなせていない。
極めつけは、中華を統一出来ていない。

魏武程度なら、五胡十六国時の皇帝の中に埋もれるんじゃない?

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 22:40:14
曹操=魏武帝

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 22:42:58
>>6
青州で黄巾の大軍を破るのは応劭にもできる事

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 22:58:11
青州黄巾って曹操のところいく前に一度劉備に追い散らされてるよね

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 23:39:31
中国を統一したけど運が良かっただけだよ組対実力はあったけど統一は出来なかったよ組。



19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 23:45:07
ギブゥゥゥゥゥゥゥゥゥァァァァァァァァ

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 00:21:29
曹操アンチというか統一厨なだけか
まあ馬鹿なのには変わりないが

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 00:41:39
珍しく騎馬民族を服属させてるからな
三国時代は中華の南限が広がったりしてて下手な統一王朝よりも強い中華文明の時期ではある

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 00:53:49
>>21
漢の時代の事、知らないんだな…

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 00:55:33
>>22
いや知ってるよ
漢帝国は「下手な統一王朝」かね?

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 01:08:49
>下手な統一王朝
宋?

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 06:27:36
個人的には政治家としては不世出としてかなり評価してるんだが、
軍事能力が、あくまでもメジャーで、かつ実力で中原を奪取した統一皇帝に
「若干」劣ると言うだけでたまにアンチ扱いされるのは困りもの。
そら統一にあたって失敗がほとんどないような手合いなんかと比べたら劣るっての。
数十倍を破ることを結構やってるし、よく比べると本当に抜け目ないんだよ>統一皇帝

まあ、不必要に関係無いところで比べて見下す酷いアンチは確かにたまにいるが。
正直曹操好きでも、他時代ファンでもある人間としては、
そういう奴は大抵引き合いに出してる時代好きでもなんでもなかったりするんで勘弁してくれと思う。

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 06:36:45
>>25
それはアンチでもなんでもないのでは。
実績を精査に検討すれば上下関係が出来るのは当然
問題はその落差をひいき全開で大袈裟に誇張したり、
自分のことのように自慢して人格攻撃を始めるようなのだろう

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 07:49:55
曹操=チャンスを不意にして統一出来なかった阿呆、ヒゲにびびって遷都言い出す臆病もんw

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 07:58:27
曹操は統一敗者

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 08:17:16
いくら統一皇帝でも、司馬炎は曹操に敵うまい

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 09:43:30
>>14
さすがにそれは曹操を馬鹿にしすぎ
異民族に対しては強いぞ



ただ慕容垂、慕容恪あたりと戦ったらフルボッコにされそう

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 10:45:05
曹操っていうか、基本的に後漢末の群雄みんな異民族に強い

ぶっちゃけ漢代よりも有利だろ、全体的に

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 10:49:32
青州黄巾は曹操以外は誰にも鎮圧出来てねーよ

劉備は救援に行ってゲリラ的に食い止めただけで、そのあとも青州黄巾の活動は続いてる

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 11:09:12
>>31
このコロの異民族が弱かったのかな?

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 12:10:27
公孫サンは蛮族には鬼畜で中原では雑魚という珍しい人

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 13:01:23
>>33
判断が難しい
確かに分裂やウイグル地方の寒冷化で弱体化してるとはいえるが
河北・中原も同じような状況の上、特に中原は飢饉や疫病で食糧難が著しい

相対的に見て異民族が弱いと言えるかどうか

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 13:16:52
>>33
そうではなく異民族に対する戦術が確立して来たのがこの時期
170年くらいから鮮卑にレイプされまくった漢が必死で対抗戦術を練って
それが一応の結果を出し始めたのが180年代
丁度それと同じタイミングで漢が崩壊してノウハウを持った群雄が異民族叩きで結果出してるんだな

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 13:45:10
>>33
それはある程度はあるだろうね。
漢代に東西南北の匈奴と鮮卑烏桓に分裂して匈奴がまともに統一した形をとってないし、
西匈奴は滅亡、東匈奴が南北分裂したあと南匈奴は漢に服属、
北匈奴は後漢代に放逐してしまって以降史書から消える。
檀石塊死後は鮮卑も酷く分裂してしまうし。

もしかして一部の人は冒頓や檀石塊のときの極めて異例な状態を中国と北方の関係の普通だと
思っていないかとちょっと心配。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 14:31:32
魏晉は統一王朝

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 15:03:36
>>37
後漢末だって国が分裂してたのは変わらないじゃねーか
そして司馬氏の時代になると再びレイプされるという謎の事態

そう言えば五胡の侵攻は曹操が同化政策を行ったせいだなんていう意見をたまに見るが
当時の連中の治世が失敗したのを棚に上げて50年以上前の為政者に転嫁するなんて馬鹿げてるよな
後漢末の政治腐敗は全部劉秀のせいだとでも言うつもりかよ、少なくとも曹氏三代の間は上手くやってたじゃねーか
アンチは限度ねぇわ

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 16:18:54
武帝、文帝、明帝・・・この三人が名君で無いのなら、三国志に名君は居ない。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 16:22:53
>>39
曹操のせいだよ
曹操「だけ」のせいではないけど
漢代から騎馬民族の分割移住政策はあったし後代の人も真似たからね

それでも曹操が槍玉に挙げられちゃうのはその移住政策をよりドラスティックに行ったから
中原の人口が落ちてる時期にそれをやり、後の王朝も同様に真似たのが
五胡の侵入という観点だけで見ると決定的にダメだった

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 17:25:07
確かに全て曹操の責任にするのはカワイソウ

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 18:00:07
でも曹操ってさほど失敗してなくね?曹操アンチはもっとゆとりを持ったら
どうだ?

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 18:37:50
曹操は好きなんだが、曹操ヲタが好きじゃないかな。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 19:08:36
>>43
いや毎回上手下手は置いといて何とか挽回してるだけで
決定的な失敗だけはしなかったという程度だよ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 19:15:25
昨今の曹操像は信長みたいな魔王型だしな。
そのくせ、徐州の失策を突かれると
「戦争では虐殺は日常茶飯事」とかしょっぱい援護が出る。
アンチヒーロー気取るなら
「数十万殺して何が悪い?それこそ曹操だろ」位言うべき。


47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 19:41:09
あのフォローは苦しいよな
正史にこのときの虐殺をフォローする記述は一切ないのに

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 19:52:50
アンチがいるってことはそれほどすごいてことじゃん。イチローだってアンチいないわけじゃないし
てか曹操アンチというより曹操信者アンチもいそうだ

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 19:57:27
>>39
光武帝は歴代の中では一番好感がもてるが、
廃后と宦官と孝廉の件で批判されるのは免れられないのではないだろうか?
東漢は四代目以降は首から下だけで動いてるようなのが惜しいな
まともに成人して一定期間働ける後継者が連綿と続いてれば、と思う

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:01:19
>>46
それを仕方なかった、って言う曹操信者は糞。
悪い所も認めて、いい所も認める、これが一番。それなのに演義の孔明
ときたら・・

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:01:32
>>39
後漢末は檀石塊死後は中原王朝の方が黄巾等でまるで機能しとらんがな。
あと晋は自滅して外と戦争出来る状況ではなかっただろう。
なんでそんなに喧嘩腰なん?
この時代の異民族が他の時代より弱いということは、ある程度はあると言っただけだろうに。
例えある程度でもあっちゃならんの?


後半は同意。
まぁ五胡の原因で遡るとしてら当然漢の武帝、宣帝あたりまで遡るべきだろう。
匈奴を服属させて中原付近に徙民したのは彼らが最初だ。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:38:40
>>41
人口がいないからこその人狩りだけどな
むしろ平時ならやらん
後世が真似たのもそれが現実的に人口対策として有効だったからであり、大々的に行ったのもそれだけ人口減少が顕著だったから

原因はあるが、責任はない。責任はやはり時の王朝に帰属されるべき

息子の代にすぐガタが来たような杜撰な体制ならそういう指摘もわかるが、7代も前の君主に責任を求めるのはちょっと無理がある

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:42:38
>>52
だから「五胡の侵入という観点だけ」ってことなのさ
他の面を合わせると曹操の移住策はやらんとどうしようもない政策だからね

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:45:36
>>37
別に喧嘩腰じゃないよ
ただ異民族が弱体化したのと同じように中国(特に中原以北)も弱まってるんだから異民族だけが中国に比べて弱いとは言えないと言ってるだけだ

55 :54:2009/05/07(木) 20:49:53
>>51
アンカミスッた

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:52:01
>原因はあるが責任はない

これ名言だな。
曹操に限らずそういう事例で非難される人大杉

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:11:50
魏があんなに早く滅びてなければ五胡の猛威をモロにかぶるのは魏だったわけだな
早く滅んだお陰で責任を問われずに済んだな

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:22:35
魏が滅ばない=曹氏政権で磐石体制
ということだから、
逆にそのまま取り込めたかもしれん

まあいつかは潰れるだろうが、晋のような潰れ方はしないだろうな

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:28:02
>>58
全国統一後、魏が常時戒厳令体制を敷き続けると思う?
それとも晋がやったように軍備縮小して泰平を謳歌すると思う?
それ次第だと思う

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:34:12
晋だって南風様が暴れなければもっともっただろう。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:48:04
>>54
>中国に比べて弱いとは言えない
話の発端が「この頃の」って話だから、対立してきた歴代の異民族と比較して、
ある程度は弱いって話をしているんだが。
ハナっから中国と比べてなどおらんよ。

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:53:47
>>59
魏っていうか、統一したばかりの不安定な時期にあれだけ急ピッチの軍縮は普通はしないだろう
どっちかってと司馬炎ら首脳陣の個々意識の問題な気がするぜ

確かに経費削減のため多少なりとも必要だろうが、統一したとたん後宮遊びに走るのは極端過ぎる
実際郭欽の上奏とかアクションはあったわけだし

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:59:16
>>62
魏にも統一する前から宮殿造営大好きだった皇帝がいたし、魏の皇帝の時代に統一しても似たり寄ったりだったんじゃねえかなあ
晋統一の頃には既に一朝一夕には動かしがたい社会問題化してたっぽいし
ま、晋に失政があったのは間違いないけど、そこだけで済む問題だったとも思わないな

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 22:06:21
>>59
それ次第ではないのではなかろうか。
魏のうちに統一できていれば長期政権の目もあったように思う。
少なくとも八王の乱のような方向には行かんだろうし、劉淵らが隙を見つけるのも難しくなる。

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 22:48:21
>>63
曹叡の宮殿造営大好きってのは不当に歪められた虚像だ

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 22:59:34
>>46
誰かに比べてマシって問題でもないしな>虐殺

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 14:00:27
>>49
宦官は当時最新の実績のある対策をやっただけだからなぁ。
むしろ光武帝の子が劉蒼以外夭逝してるのが…
あれで対外戚に用いざるを得なくなった。

あと孝廉もなぁ。
東晋次氏の著作でも、
>課試制は魏晋以降にも継承され、科挙の試験制度としての性格にも影響を与えたことは>福井氏の正確な実証によって明らかにされている。
>福井氏は、孝廉制が儒家的資質つまり孝の徳を重んずるとの理解を退け
>「孝廉による課試法は、儒学尊重の学者的官僚と法令重視の実務的能吏の選抜を主眼として、施行されたもの」
>と要約している。
とあるし、注釈でその根拠として永田英正氏の研究を引いて光武帝の詔の内容と、
包括された四科の内容からこの論は相対化されるとしているから、
国家構造の問題を直接孝廉に求めることは難しいでしょ。
察挙の問題と言うのはやはり中期以降の外戚、宦官の専横と豪族対策の不足にあるだろうし。
やはりみんな夭逝して有効な対策を打てなかったのが問題だろうね。

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 19:26:28
>>66
民衆が使い捨てだったあの当時の、同時代の人間にすら呆れられた所業だからな。
・・・擁護の仕様が無いよな。

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 19:33:00
>>67
孝廉については、光武帝が親しく登用していた者のほとんどが、都で儒学を修めた者ばっかりだったんじゃなかったっけ?
そう考えれば、名士や能力のあるものを挙げるのに、それほど不思議ではないはずなんだよな・・・推挙する者にも徳があれば。

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 21:52:25
虐殺なんて世界史ではよくあること
チンギスハーンやティムールのほうが残虐

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 21:56:11
虐殺と粛清はやればやるほど恐怖を他人に与えることができるからな
チビの曹操はそれくらいしないと舐められてしまう

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 21:57:25
よくあることだから悪くないなんてことにはならないよ

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:06:25
殺人、強姦、強盗なんて日常ではよくあること

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:07:40
戦さでは火計=放火だしな。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:14:35
だから誰かに比べてマシとか残虐とかそんな問題じゃないって>虐殺

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:16:58
白起の虐殺ぶりに比べれば韓信は人道的

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:18:10
古代の中国でも、民や一度降伏した兵を必要以上に殺すのは忌み嫌われる行為

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:42:04
>>76
白起の虐殺は兵糧の問題から必要だったこと、相手が兵士だったことがはっきりしてるし
本人も自害のとき「あんなことした俺は死んで当然だ」と言ってる
曹操オタにもこれくらいの潔さは欲しいな

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:42:51
白起の虐殺と根本的に違うのは白起は兵糧不足でどうしようもなかった
そして少年兵は逃がしている
曹操は感情にゆだねたただの殺戮

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:43:48
曰「我固當死。長平之戰,趙卒降者數十萬人,我詐而盡阬之,是足以死。」
遂自殺。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:44:28
>>79
失礼な
曹操は兵糧不足でのやむを得ない虐殺(穴埋)もやってるぞ
少年を逃がしたという記録はないけどな

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:46:06
>>81
曹操=穴埋めも腹癒せの虐殺もやる鬼畜

まあ張献忠みたいなマジキチより小物だが

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:46:13
そもそも本当に除州の虐殺があったのかというのもあるが

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:50:17
正史にあったと書いてあるからあったんだろう
規模とか相手が民間人だったかとかそういうのははっきりしないが

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 23:58:03
赤壁の戦いや徐州大虐殺は無かったなんて正史無視した発言するから、曹操信者は痛いって言われるんだよ。

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:02:45
曹操の虐殺に比べれば朱元璋の粛正など大したことはない。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:10:00
毛沢東のグレートさには誰も敵わない
人類史上の奇跡。ありがたくない方向で

88 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:11:03
虐殺ったって民を殺したとかは書いてないんだぜ?

普通に反乱分子を排除しただけかもしれない
実体が不明瞭なのに鬼畜だのと結論を出すのは早計だ

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:14:05
>>85
赤壁が無かったなんて誰も言ってないよ
ソレほどの被害でもないって言ってるだけで

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:18:02
毛沢東の凄さはほとんど自力で中国を制覇したあげく失政で失脚したにもかかわらず、
カリスマで復活したという点にある。
歴代創業皇帝と近代扇動型カリスマ政治家の面を合わせ持っていたと言えよう。


91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:23:15
>>88
他の交戦や反乱分子排除ではまず書かれていない「残戮多し」などという文を使われている
仮に反乱分子排除で被害者が全員兵士だとしても、何か尋常じゃない殺戮だったことは明らかだけどね

92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:23:47
>>88
正確には本伝には無いってだけで呉書には人民を多数殺害したと書かれてるし
曹瞞伝では男女数万人を川に投げ込んで殺害し川をせき止めたと散々な書かれよう

93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 09:31:07
「戮」とい字には単に「殺す」だけではなくて
さらに「死体を晒す」という意味があるわけで
その上に「残」がついていると言うことは・・・。

「所過多所残戮」

漢字の表現力ってホント凄まじいですね。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 09:45:32
曹操オタ的には
曹操の虐殺は良い虐殺
信長(中英の中の英雄でも可)の虐殺は悪い虐殺

と、なるのだろうねー。

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:09:06
>>94
逆だろ

曹操アンチ的には
曹操の虐殺は悪い虐殺
他(石勒とか)の虐殺は良い虐殺


96 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:18:18
虐殺に是非もクソもあるか
同じ事例がひいきの度合いで白にも黒にもなる

97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:31:11
同意
曹操信者も曹操アンチも分かってないと思うけど
虐殺に良いも悪いもないんだって

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:15:32
曹操好きでも、曹操の虐殺が良いなんて、口が裂けても言えねぇよ。
でもアンチは曹操のいい所も認めたらどうだ?いっぱいあるだろ。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:54:33
>>98
たまに
>曹操の虐殺が良いなんて、口が裂けても言えねぇ

「曹操が虐殺なんてするはずない」→「正史にはそんな事書いてない」って思い込む奴がいる
あと「親の敵討ちだからやっても良かった」って堂々と言う奴も
もちろん全員ではないが、そういう奴が少なからずいるのがちょっと怖い

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 12:57:54
>>99
頼むからさ、曹操信者がそんな事を思う人ばかりとは思わないでくれよ。
元に俺が(ry

101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:07:27
>>100
全員とは思わんよ
でも一人や二人の特殊事例ではないことは認めるだろ

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:41:47
>>101
曹操の帝位簒奪狙っていた説は否定する曹操信者の俺でも、曹操の虐殺は擁護できん。
ほかと比べて良い悪いじゃなくて、あれで曹操は名声を下げたのは事実なんだし。

実際、武帝記にも多数殺したとは書いている。
ただ・・・>>92の書いている『曹瞞伝』って、どれ位信憑性があるの?

103 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:51:35
>>102
>曹操の帝位簒奪狙っていた説は否定する曹操信者
悪いがそれも曹操信者のキモく感じるところだ
曹操を評価するなら、「簒奪が失敗しないように着々と準備を進め、自分は寿命が先に来たが息子がすぐに即位できるように万端の体制を整えていた」と賞賛すべきところだ

曹瞞伝の信憑性はかなり微妙なところだとは思うよ
だから殺戮の規模や内容が全て曹瞞伝どおりだったと考えるのは危険だけど、君も言ってるように武帝紀でも特筆するような悲惨な事件であったことは疑いようがないというところだろうね

104 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:53:10
だから民を殺害したことは曹瞞伝だけじゃなく呉書にもあるって

105 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:56:46
>>101
認めナイツ!>>102この伝はめちゃくちゃ微妙な所、というのが曹操のいい所も
書いてあるのに、逸話に近い話が多い(部下は死罪でも、曹操が軍律にそむいたら自分で髪を切ったって話は有名だよね、
それとか女に「起こして」、って言ったけれど、自分から目を覚ましたから女を殺す、という鬼畜ぶり。)。正史を少し演義で
薄めた感じジャマイカ?

106 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:47:59
三国志研究において重要な史料なのは確かだけど信憑性においては正史と比べられるもんじゃないって感じ

107 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:49:15
羅カンチュウは曹マン伝は書き手の批判とともに信憑性皆無としている

しかし結構曹マン伝から引用している


108 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:53:22
悪口を並べ立てたようなもんだからな
アンチとかうけとか関係無しにちょっと信用できない

109 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:07:38
曹瞞伝の信憑性は置いといて
大事なのはそれが後世まで生き延びた、という事だね。
曹操ならあり得る、と各時代の人々に思わせたからこそ
次代に受け継がれたわけだし。


110 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:17:11
曹瞞伝には曹操の魅力的なエピソードも含まれてるんで、曹瞞伝の信憑性を否定すると、
それらのエピソードも否定することになってしまうのが悩ましいところ。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:23:23
呉書にも近い話があるという話だが、それを無視して
曹瞞伝の信憑性の話ばかり持ってくるのはいかがなものかと。

>>103
曹操がそこそこ好き、程度のレベルの俺も個人的には漢の忠臣説は信じてもいいかなと思ってるが。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:24:34
>>109
基本的に有名人のバッシングは流行るもんなんだよ
お前みたいに性格悪いやつがいるからな

だから諸葛亮が正史では無能みたいなよくわからん意見があるわけだし、劉備は裏切り者の鬼畜野郎だ、という話も根強く残るわけだ

[他人の不幸は蜜の味」というように、人間は人を貶めるのが好きな動物なんだよ
だからお前のようにあらゆる曲解や詭弁を聾して人を貶めようとするんだな

113 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:28:58
帝位簒奪を狙っていたかはよく分からないが、伏皇后とその一族皆殺しの後、
自分の娘を皇后にしちゃったエピソード鑑みると、漢の忠臣とは言い難い気が…

114 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:37:30
>>112
自分はアンチ曹操じゃないぞ。
時代の雰囲気として、曹瞞伝が支持される事があったからこそ
范曄の後漢書等にも引用されたんだろうって事を言っただけ。
それに>>110が言及しているように
曹瞞伝は曹操を評価している面も多い。

人間は貶めるのが好きな動物なんだよ
と断言してる姿勢では歴史の考察以前の問題だと思うが。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:37:59
呉書と魏書で陶謙の評価がまるで違うのも面白い

ただ彼が皇帝を自称する閥宣と組んで略奪を働いたり、カルト教祖みたいなサク融を配下にして信者の布施を吸い上げてたのは事実らしいが

まあ魏にしてみれば、徐州侵攻に大義名分が欲しいから彼を悪く書くし、呉は曹操を攻撃できる材料だから彼を良く書こうとする
虐殺も結局これと同じだろ
本当に正道から外れたものだったのか、それとも何かやむを得ない事情があったのか……
「両方に書いてある」といっても中身は全く違うワケで、結局は藪の中なんだろう

116 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:06:26
曹操の根も葉もない悪評が残ったのは曹操が悪者だったからに決まってる
ってただのこじつけじゃね

特に実績が抜きん出てる訳でもない関羽が「万人敵」の評だけで当代随一の名将だと疑いなく考えるのと同じだと思う
そういう考え方は疑問だな

117 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:24:49
>関羽が「万人敵」の評だけで当代随一の名将だと疑いなく考えるのと

そんな観たこと無いやつ例に出されても

118 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:29:25
>万人の敵評だけで名将
演義のここが嫌スレに湧いた蜀オタだな
まあ自演かもしれんけど

119 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:58:03
疑いなく、という訳ではないがそういう異常な評価や
夷陵開戦前の魏臣の蜀への分析からそれに類するのでは?みたいなことは言ったことはあるが。
なんか意見の合わない相手にレッテルを貼りたくてうずうずしてるような感じなんだなあ。

大した実績がないと言われても中枢が動揺するほどやばかったのは219年の一度だけじゃん。
徐晃の予想外の活躍と借刀殺人で瞬殺されたからって過小評価しすぎじゃないの?

120 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 22:28:50
219年は曹操がいかに不安要素満載だったかを教えてくれるな。
関羽そのものは孫権と同盟して東西の全勢力を荊州に集結した時点で
徐晃関係なく消せるだろうけど。
赤壁なみの神コンボだったら魏が終わってたかもしれん

単純に戦争だけで考えるなら200年の官渡の方が曹操にとって危険。
東に劉備、南に孫策、西に張繍、北に袁紹とほぼ詰み状態。一手間違えば即あぼん
実際、劉備を消さなかったのは致命的なんだが速攻で片付けてるから大したことがないように見える
兵でも食でも下だったし許ユウが情報を持って来なければそのまま白旗だろう。
この時期の曹操は胃に穴が開いてもおかしくなさそう

121 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 22:52:53
曹操は虐殺をやった鬼畜

122 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:08:07

なんで三国統一も出来なかったクズの曹操がそんな完璧なんだよwwwwww
馬鹿丸出しだなwwwwwwww

ある程度恵まれたステータス(宦官の孫)に恵まれた部下
何もかも恵まれた状態だったにも関わらず、三国統一は出来ず、
弱小国に大敗だらけの曹操が何でそんなに完璧なんだよwwwwwwwwwww

冗談はお前らの顔だけにしとけwwwwwwwwwwwwwww

魏厨のクズ共とはまともな議論も出来ねーよなwwwwwwwwww




123 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:06:54
三国志は曹操に中原と華北押さえられた時点で他の武将が詰んでるなあ

124 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:12:23
袁紹に河北を抑えられた時点で曹操も詰みだった
覆せたのはマグレ

125 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:18:55
曹操アンチの傾向として正史の記述を勝手に解釈してさらに脳内補完をさせた奴が多いな
例えば帝位につかなかったことについて
「帝位につかなかったのは寿命がつきたせいで、本当は帝位になるつもりだった」なんて正史の何処に書いてあるんだ?
結局自分の妄想でしかないじゃん

126 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:21:12
>>125
帝位になるってなんだw
皇帝だろ

でも言ってる事は判る
演義の影響が入ってるよね

127 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:24:20
俺の記憶が確かなら演義でも皇帝になるとか、
寿命が尽きなければ帝位についてたとかって記述はなかった気がするんだが
誰が書いたかもよくわからん三国志解説本とかなる有るかもしれんが・・・

128 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:26:56
そもそも通俗小説なんだから正史と一緒にしちゃいかん

129 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:31:00
216年に曹操が魏王となり、217年には天子と同じ車や冠を使うことを許されたんだっけ?
死ぬまで3年か
正史には皇帝にならなかった理由なんて書いてないし、結局本人にしか真相はわからないんだよな

130 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:39:14
>>129
半分意地みたいなもんだったかもしれん
何せ異民族の族長が曹操の魏王就任の祝いに来るぐらいだし、一般大衆にとっては天子と変わらない立場だったはず
文帝が帝位につくまでの手回しの良さを考えると、部下達も曹操の頃から帝位につく事を望んでたと思う

まあこれも結局俺の推測にすぎんがなー

131 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:40:17
>>129
伏皇后死んだすぐ後に曹操の娘が皇后になるようなことがなかったり、
帝位に就くことを勧めた臣下を処分でもしたんだったら、
俺も曹操は忠臣だったと思うけどな

132 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:50:22
自ら皇帝にならなかった理由はなりたくなかったからだろ
それ以外の理由など存在しない

133 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:56:39
お前らの妄想なんて何の価値もねぇよ
曹操は皇帝にならずに死んだ
それだけだ

134 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 02:50:51
>>133
あな心無し言葉……
と言いたいが、KY過ぎる発言だろ、このスレだと。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:49:26
死んだ曹操より生きてるゆとりの方がずっと価値が……(ry

136 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:03:16
曹操が権力が欲しかったのは別に否定するつもりは無いよ
第一献帝だって曹操の暗殺を図ってるわけで、結局権力が欲しかっただけだ。不義の輩に蹂躙された哀れな君子じゃなく、単純に内部抗争に敗れて失脚した敗北者に過ぎない
孔融らに代表される名士達との対立も詰まる所王朝での生き残りを賭けた権力闘争なのさ

問題はその権力闘争の勝者である曹操が何故玉座に昇らなかったかということ
文帝が曹操死後1年かからず即位している事を考えれば体制は万全だったはずだ
そして曹氏の権勢をより完璧なものにするためにはその象徴であり、功績も実権も最高位にある曹操自身が帝位に就いたほうがいいに決まってる
だから重臣達もこぞってそれを進言してるわけだし 全く断る理由が無いのに何故帝位に就かなかったのか……

単に皇帝って立ち位置が嫌いだったとか、それくらいしか理由が浮かばないんだよなあ
それくらい謎だ


137 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:05:06
>>122が全て

138 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:08:51
さすがに、それはないw

139 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:17:28
彼はマルチだよ

140 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:22:49
>>131
>帝位に就く事を進言した部下を処分したり

お前の中の忠臣ってかなりの暴君だな
天命の有り様を説く進言は反乱教唆とは訳が違う
反逆と革命をない交ぜにすんなよ

141 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:30:58
>>136
>だから重臣達もこぞってそれを進言してるわけだし 全く断る理由が無いのに何故帝位に就かなかったのか
だってそのときはまだ戦陣にあったし荊州攻防が一段落してないから

142 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:40:39
>>140
前漢の時代、本人はいたって真面目に「漢の時代は終わりだから禅譲しなさい」って上奏した奴は処刑されてる

衷心から天命のありようを説いても、それが世に動揺をもたらしたりすれば(言い換えるとKYな進言であれば)処分されるということだ

曹操の場合だって、仮にその進言が自分の意志と真っ向から対立するものであれば処分や左遷をしてしかるべきだ
そうしないと曹操としても自分の意志を明確に出来ないし、次の代に実行されてしまうかもしれない

そういうことをしなかった以上、禅譲は曹操本人にとっても否定するようなものではなかったということ

143 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:51:08
周の文王たらん
って演義だっけ

144 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:09:50
>>142
当時、後漢に天命無しと考えるのはkyでも何でもないし、世論に反したものでもないだろ
お前の基準で行くと夏侯惇まで処罰しなきゃならないんだぜ
それを暴君と言わんで何という

問題はそれくらい革命の気風が高まってたのになんで曹操は皇帝にならなかったのか、だ

145 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:26:22
>夏侯惇

もう片方の目をくりぬいて盲夏侯2にしてやれ

146 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:35:58
悪名を残した新の王莽より
聖王として崇められた周の姫昌になりたいと思った。
人間最後に望むものは後世での評判。
簒奪者の汚名を避けたかった。

147 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:37:51
>>144
禅譲すべしという声が実際に聞こえてくるのは孫権が降伏を申し出、そこで即位を勧める言葉が出てから
つまり曹操が死ぬ前1年かそこらのことなんだ
そして曹操は陣中にあり、到底すぐに禅譲を受けるような状況ではく、皇帝の下に帰る前に曹操は死んでいる

つまり、なろうと思えばいつでもなれたのにスルーしてたんじゃなく、世論も認め始めてから死ぬまでの間には実際に禅譲を受けるタイミングはなかったのだ
だから「なりたかったがなる機会がなかった」のか「なる気が一切なかった」のかも明確ではない

しかし、公、九錫、皇帝の外戚と王莽と同じルートを伏皇后を死においやってまでなぞり、自分を息子が殷を滅ぼしている周の文王になぞらえ、周囲の禅譲待望論にも明確な答えはしないという状況からは、「なる気が一切なかった」とは正直言いがたい
ありえるのは、「やろうにも寿命が来そうだから息子に任せた」「自分が簒奪者呼ばわりはされたくないから禅譲は息子にやらせた」「王莽と全て同じにするのはカッコつかないから自分が即位するのは避けて息子に任せた」というあたりだろう
それは漢に対する忠臣とは到底言えない


148 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:38:57
姫昌も結局その子が商を倒したしね。
周の文王でありたいって言うのは要するに次代で譲れよという意思表明。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:41:33
>>148
ほんのちょっとでもその時代のことを知っていれば、誰でも武王のことを連想するだろうね
当時の人間ならなおさら

150 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:46:15
子桓「親父殿申し訳ない、俺は武王にはなれぬ……」

みたいな無念の死を遂げた文帝であった

151 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:03:44
どのレスも結局自分の妄想を書いてるじゃないかw

152 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:07:19
>>149
自分がその時代に居た訳でもないのに何故言い切れる?
妄想って言われても仕方ないな

153 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:11:19
>>151
正史も読んだことのないネット知識しかない奴が大半だからです

154 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:13:24
ま、曹操アンチによくあることだな

155 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:20:49
>>152
あるあるw
正史の記述をまるで見てきたように自分の妄想で補完するやつとかアレだよな

156 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:28:02
質問したいんだけど、正史にたびたび出てくる孫盛って人いるじゃん。
あの人は何故、魏と蜀をめさくさ批判してんのに、なんであまり呉を批判しない訳?
それと本当に長坂で張飛隊の二十騎は、曹操軍の二千騎を混乱出来たのかい?
すれ違いだったらメンゴ。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:29:30
陳寿の本文を抜き出してみるか
流石にこれを疑うようではそもそも三国志自体が成立しなくなるから皆疑わないだろ?

158 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:33:28
>>156
東晋の人だが、孫ってことで故郷は呉じゃないのかね
曹操の「たとえ自分が他人を裏切ろうとも、他人が自分を裏切ることは許さない」って台詞を創作した

159 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:39:19
>>156
先主聞曹公卒至,棄妻子走,使飛將二十騎拒後.
飛據水斷橋,瞋目矛曰:「身是張益コ也,可來共決死!」
敵皆無敢近者,故遂得免


先主は曹公が突然やってきたと聞くと、妻子を棄てて逃走し、張飛に二十騎を率いさせて拒後させた。
張飛は川を足がかりに橋を断ち切り、目を瞋らし矛を横たえて言うに、
「身どもはこれぞ張益徳である。来い、ともに死を決しようぞ!」
敵兵のうちあえて近付く者はいなかった。おかげで逃げ延びることができた。

これは註ではなく本文
つまり陳寿が書いた文だ
張飛と配下の20騎がある程度の足止めに成功したのは史実

160 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:42:38
みなさんありがとうございます。

161 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:44:00
確かに思いっきりスレ違いだね

162 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:44:51
>>159
武帝紀きぼん

163 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:44:58
無批判には信用できないけどな

一応正史も他の史料でクロスチェックできない場合、「正史ではこう書いてある」程度の信用度しかない

164 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:47:01
>>162
武帝紀長いからなあ
今貼った張飛伝なら短いから全部やれるけど・・・

165 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:49:26
蜀は孔明以外短いな

166 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:05:18
>>152
曹操のやって来たことは文王と全然違うよな。
どこが周の文王なんだ?
臣の身で王のために領土を拡大した名臣はいくらでもいるだろう?

なぜ古に詳しい曹操が自分とは似ても似つかぬ周の文王を挙げたのだろう?
こういうのを妄想とは言わない。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:05:52
カコートンの帝位につけ発言も本文だっけか?

168 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:18:08
曹操アンチアンチは孫盛が孫資の子孫ということも知らないのか

169 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:18:58
>>166
そもそも周の文王〜って魏氏春秋からの引用で、陳寿の本文じゃない件
それを丸っきり信じるのはなあ
>>167
本文ではない
魏氏春秋は周の文王たれば〜の流れ
曹瞞伝、世語では統一後に皇帝になるべきと進言している
しかし、結局どっちも註でしかない
特に世語なんて曹瞞伝の記述が面白そうだから採用してるだけ
陳寿の本文とは比べ物にならん

170 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:22:04
>>169
そうなのか
サンクス

171 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:28:40
夏侯惇発言のまとめ

陳寿・・・記述無し
魏氏春秋・・・帝位につくよう進言するが、曹操は周の文王たれば良いと返す
曹瞞伝・・・呉と蜀を倒し、天下統一なったなら皇帝になるべきと言い、曹操もうなずく
世語・・・曹瞞伝を採用

テストに出るから覚えておくように

172 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:42:50
>>171
魏氏春秋も曹瞞伝もネタとしか思えん
100歩譲って曹操と夏侯惇がこんな会話したとして、
それを他人が聞いていて、しかも書物に残るとかありえねーだろw
そんなんだから陳寿に勝てず、正史になれなかったんだよw

173 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:00:29
>>168
曹操アンチアンチじゃ無くても、知らない人は多いわ。

174 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:09:18
>>172
たしかに

175 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 19:39:34
>>172
そういう密談って、奴婢や家人は結構聞いてる。人は対等な人間扱いしていない相手には無防備になるものだ
禅譲が成った後に夏侯惇が親近者に悔いを語ることもありえる

だからといって、魏氏春秋か曹瞞伝が信用できるとは言えない。こういう談話は創作される率が高いという
といって、有り得ない話というわけでもない

176 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:41:52
それも多分に妄想じゃねぇか

177 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:47:11
密談は奴婢が聞いてるってのは史記の秦始皇絡みで、れっきとした学者の意見としてあったような

178 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:51:20
妄想ってのは魏の孫資の子孫である孫盛を
>孫ってことで故郷は呉じゃないのかね
とか言い出すことを言うんだよ

資料からはどうにも断定しがたい部分を当時の情勢や他の時代の事例などから類推することと、孫盛のことを調べもせずに適当なことを言い散らかすことは全然レベルが違う

179 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:54:50
両方とも頼むからちゃんとレスつけて喋ってくれ。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:57:00
どっちも同レベルだな
正史の原文でも貼れればともかく

181 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 20:58:18
いいからスレタイ読めない曹操アンチはどっかいけよ

182 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:02:48
曹操アンチはスレ違いじゃないだろ

183 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:03:38
ん?
上で文王がどうのこうの言ってたやつは陳寿の記述だと思い込んで自説を展開してたのか
笑えるな

184 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:06:03
曹操アンチはネット知識しかないのバレバレだよなあ
このスレでもちょっと詳しい奴に本当の事書かれると黙るし

185 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:10:43
>>183
それって妄想だろ

186 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:11:42
馬鹿が多すぎるな
>>159のように正史の原文貼り付けて意見述べろ
現代の三国志専門家の意見を引用するなら、その名前と著作ぐらい書け

誰が名無しの妄想を相手にするかよ

187 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:15:16
曹操アンチが狙ってやってるとしか思えないくらい凄まじいな>>186とか

188 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:16:08
この板って意外にちくま版正史読んだ人って少ないよな

189 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:16:19
正史にびっくりマークついてるの?

190 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:17:48
>>187
何か間違ったこと言ったか?

191 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:18:53
ついてる
感嘆符な

192 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:20:16
いいから武帝紀全部貼れよ
陳寿だけでいいから

193 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:21:36
めんどくせー

194 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:23:30
>>188
ちくま正史って誤訳多いから原文読む方がいい

195 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:23:34
陳寿の段だけなら貼ってもいいよ
訳は誰かやってくれ

196 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:25:27
曹操アンチアンチのレベルがよくわかったので有意義なスレだった

197 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:26:52
>>190
言ってない
本来三国志研究はそれが正しいから

198 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:31:07
武 帝 紀 第 一

太 祖 武 皇 帝 , 沛 國 ? 人 也 , 姓 曹 , 諱 操 , 字 孟 コ , 漢 相 國 參 之 後 .
[一]桓 帝 世 , 曹 騰 為 中 常 侍 大 長 秋 , 封 費 亭 侯 .
[二]養 子 嵩 嗣 , 官 至 太 尉 , 莫 能 審 其 生 出 本 末 .
[三]嵩 生 太 祖 .

太 祖 少 機 警 , 有 權 數 , 而 任 ? 放 蕩 , 不 治 行 業 , 故 世 人 未 之 奇 也 ;
[一]惟 梁 國 橋 玄 ? 南 陽 何 ? 異 焉 . 玄 謂 太 祖 曰 : 「 天 下 將 亂 , 非 命 世 之 才 不 能 濟 也 , 能 安 之 者 , 其 在 君 乎 ! 」
[二]年 二 十 , 舉 孝 廉 為 郎 , 除 洛 陽 北 部 尉 , 遷 頓 丘 令 ,[三]? 拜 議 郎 .[四]

光 和 末 , ? 巾 起 . 拜 騎 都 尉 , 討 潁 川 賊 . 遷 為 濟 南 相 , 國 有 十 餘 縣 , 長 吏 多 阿 附 貴 戚 ,
贓 ? 狼 藉 , 於 是 奏 免 其 八 ; 禁 斷 淫 祀 , 姦 ? 逃 竄 , 郡 界 肅 然 .[一]久 之 , ? 還 為 東 郡 太 守 ; 不 就 , 稱 疾 歸 ? 里 .[二]

199 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:33:15
>>192
張るまでもなくここ読めばいい
ttp://dbo.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

200 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:33:40
訳はわかるとこまで

太祖武皇帝は沛国?の人で、姓を曹、諱を操、字を孟徳といい、漢の相国曹参の子孫である。
[一]桓帝の御代、曹騰が中常侍・大長秋となり、費亭侯に封ぜられた。
[二]養子の曹嵩が跡を嗣ぎ、官位は太尉にまで昇った。彼の出生は明らかにできない。
[三]曹嵩が太祖を生んだ。

太祖は若いころから機転が利き、権謀術数があったが、任?放蕩で、振る舞いを慎もうとはしなかった。
そのため世の人々で彼を評価する者はなかった。[一]ただ梁国の橋玄、南陽の何?だけが評価していた。
橋玄は太祖に告げた。「天下は乱れんとしておるが、一世超絶の才でなければ収めることはできまい。
これをよく安定させる、それは君次第であろうか!」
[二]二十歳のとき孝廉に推挙されて郎となり、洛陽北部尉に叙任され、頓丘の県令に昇進し、[三]中央に徴し出されて議郎を拝命した。[四]

光和年間(一七八〜一八四)の末、黄巾賊が蜂起すると、騎都尉を拝命して潁川の賊を討伐した。昇進して済南国の相になった。
国には十県余りがあったが、長吏(県令・県長)の多くは貴族外戚に阿諛迎合し、賄賂狼藉を働いていたので、そこで八割方を奏上して罷免した。
淫祠を禁止すると、姦悪な者は逃げ去って息を潜め、郡の境界内は粛然とした。[一]長らく在任したのち、徴し返されて東郡太守とされたが、
就任せず、病気と称して郷里に帰った。[二]

201 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:35:12
とりあえず、このスレで曹操アンチの人でも、
献帝が其の生をまっとう出来たのは曹操の庇護下にあったから・・・と言うのは否定しないよね?
・・・蒼天既に・・・と言われつつも、永らえて黄天が久しく訪れなかったのは曹操のおかげである事は否定しないよね?

・・・・本当に曹操アンチならば、
『奴がチンタラしていたから、乱世が伸びたんだ、とっとと帝位につけよ馬鹿!!』
ぐらい言って欲しい

202 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:35:12
>>198
>>200
乙です
>彼の出生は明らかにできない。

正史だと曹嵩って正体不明なんだな

203 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:36:40
>>202
昔読んだ三国志の専門書(著者は忘れた)には生まれの身分が低い人物なのでこういう書き方になったとかなんとか

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:39:02
>>201
別に献帝に忠義の心持ってないから、献帝が生きながらえたことはどうでもいいです
あんたは3世紀人ですか?

205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:42:04
頃 之 , 冀 州 刺 史 王 芬 ? 南 陽 許 攸 ? 沛 國 周 旌 等 連 結 豪 傑 , 謀 廢 靈 帝 ,
立 合 肥 侯 , 以 告 太 祖 , 太 祖 拒 之 . 芬 等 遂 敗 .[一]

金 城 邊 章 、 韓 遂 殺 刺 史 郡 守 以 叛 , ? 十 餘 萬 , 天 下 騷 動 . ? 太 祖 為 典 軍 校 尉 .
會 靈 帝 崩 , 太 子 即 位 , 太 后 臨 朝 . 大 將 軍 何 進 與 袁 紹 謀 誅 宦 官 , 太 后 不 聽 .
進 乃 召 董 卓 , 欲 以 脅 太 后 ,[一]卓 未 至 而 進 見 殺 . 卓 到 , 廢 帝 為 弘 農 王 而 立 獻 帝 , 京 都 大 亂 .
卓 表 太 祖 為 驍 騎 校 尉 , 欲 與 計 事 . 太 祖 乃 變 易 姓 名 , 間 行 東 歸 .
[二]出 關 , 過 中 牟 , 為 亭 長 所 疑 , 執 詣 縣 , 邑 中 或 竊 識 之 , 為 請 得 解 .
[三]卓 遂 殺 太 后 及 弘 農 王 . 太 祖 至 陳 留 , 散 家 財 , 合 義 兵 , 將 以 誅 卓 .
冬 十 二 月 , 始 起 兵 於 己 吾 ,[四]是 ? 中 平 六 年 也 .

206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:42:18
>>201
曹操アンチっていうか曹操信者アンチだと思うな。
あんまりよくわかってない曹操信者が騒ぐのを見て
苦々しく思う人が「曹操なんか大した事ねぇよ」と返して
泥沼化ってのがいつものパターン。


207 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:42:49
しばらくすると、冀州刺史王芬・南陽の許攸・沛国の周旌らが豪傑たちと連結し、霊帝を廃して合肥侯を擁立せんと謀議した。
それを太祖に告げたが、太祖はそれを拒んだ。王芬らは結局失敗してしまった。[一]

金城の辺章・韓遂が刺史・郡守を殺して叛逆し、軍勢十万人余りを集めたので、天下は騒然となった。
太祖は徴し出されて典軍校尉になった。ちょうどそのころ霊帝が崩御したので、太子が即位し、太后が朝政に臨んだ。
大将軍何進は袁紹とともに宦官誅殺を計画したが、太后は許可しなかった。
何進はそこで董卓を召し寄せ、太后を脅迫しようと思ったが、[一]董卓が到着せぬうちに何進は殺されてしまった。
董卓は到着すると、帝を廃して弘農王とし、献帝を即位させたので京都は大混乱になった。
董卓は上表して太祖を驍騎校尉とし、ともに事業を計画しようとしたが、太祖は姓名を変え、間道を縫って東方に帰っていった。
[二]関所を出たものの、中牟を通過しようとしたとき、亭長に嫌疑を懸けられ、捕縛されて県まで護送された。
邑の中に密かに彼を見分けた者がおり、(その人が)請願したので解放された。
[三]董卓はついに太后および弘農王を殺害してしまった。
太祖は陳留に到着すると、家財をなげうって義兵を糾合し、それで董卓を誅殺しようとした。
冬十二月、初めて己吾において挙兵した。[四]この歳は中平六年(一八九)である。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:44:24
>董卓は上表して太祖を驍騎校尉とし、ともに事業を計画しようとしたが

ここが演義だと七星剣の話になってるのか

209 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:48:59
初 平 元 年 春 正 月 , 後 將 軍 袁 術 ? 冀 州 牧 韓 馥 ?[一]豫 州 刺 史 孔 ? ?[二]? 州 刺 史 劉 岱 ?[三]河 ? 太 守 王 匡 ?
[四]勃 海 太 守 袁 紹 ? 陳 留 太 守 張 ? ? 東 郡 太 守 橋 瑁 ?[五]山 陽 太 守 袁 遺 ?[六]濟 北 相 鮑 信
[七]同 時 ? 起 兵 , ? 各 數 萬 , 推 紹 為 盟 主 . 太 祖 行 奮 武 將 軍

二 月 , 卓 聞 兵 起 , 乃 徙 天 子 都 長 安 . 卓 留 屯 洛 陽 , 遂 焚 宮 室 . 是 時 紹 屯 河 ? , ? ? 岱 ? 瑁 ? 遺 屯 酸 棗 ,
術 屯 南 陽 , ? 屯 潁 川 , 馥 在 ? . 卓 兵 彊 , 紹 等 莫 敢 先 進 .
太 祖 曰 : 「 舉 義 兵 以 誅 暴 亂 , 大 ? 已 合 , 諸 君 何 疑 ? 向 使 董 卓 聞 山 東 兵 起 , 倚 王 室 之 重 ,
據 二 周 之 險 , 東 向 以 臨 天 下 ; 雖 以 無 道 行 之 , 猶 足 為 患 . 今 焚 燒 宮 室 , 劫 遷 天 子 , 海 ? 震 動 ,
不 知 所 歸 , 此 天 亡 之 時 也 . 一 戰 而 天 下 定 矣 , 不 可 失 也 . 」
遂 引 兵 西 , 將 據 成 皋 . ? 遣 將 ? 茲 分 兵 隨 太 祖 . 到 ? 陽 ? 水 , 遇 卓 將 徐 榮 , 與 戰 不 利 , 士 卒 死 傷 甚 多 .
太 祖 為 流 矢 所 中 , 所 乘 馬 被 創 , 從 弟 洪 以 馬 與 太 祖 , 得 夜 遁 去 . 榮 見 太 祖 所 將 兵 少 , 力 戰 盡 日 ,
謂 酸 棗 未 易 攻 也 , 亦 引 兵 還

210 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:51:17
初平元年(一九〇)春正月、後将軍袁術・冀州牧韓馥・[一]予州刺史孔?・[二]?州刺史劉岱・[三]河内太守王匡・
[四]勃海太守袁紹・陳留太守張?・東郡太守橋瑁・[五]山陽太守袁遺・[六]済北国の相鮑信は[七]時を同じくして挙兵し、
軍勢はおのおの数万人、袁紹を盟主に擁立した。太祖は奮武将軍を(臨時に)行った。

二月、董卓は挙兵のことを聞き、天子を遷して長安を都にした。董卓は洛陽に駐留し、とうとう宮殿を燃してしまった。
このとき袁紹は河内に屯し、張?・劉岱・橋瑁・袁遺は酸棗に屯し、袁術は南陽に屯し、孔?は潁川に屯し、韓馥は?にあった。
董卓の軍勢は強力で、袁紹らのうちあえて率先して進む者はなかった。
太祖は言った。「義兵を挙げたのは乱暴者を誅するためであった。大軍がすでに集合したというのに、諸君らは何を逡巡するのか?
以前、董卓は山東の軍勢が起こったことを聞いて、王室の権威に依りかかり、二周の険阻に拠りかかり、東に向いて天下を見下ろしたが、
それが無道に行われたとしても、なお憂慮するに足るものであった。今や宮殿を燃焼し、天子を奪ってお遷ししたのだ。
海内は震えおののき、落ち着くよすがも知らない。これこそ天が彼を亡ぼさんとする時である。一戦にして天下は平定できよう。
(この好機を)失ってはならない。」こうして軍勢を引率して西進し、成皋を拠点にしようとした。
張?は部将衛茲を派遣し、軍勢を分割して太祖に随行させた。?陽の?水に到達したとき、董卓の武将徐栄と遭遇し、これと戦闘になって敗北し、
士卒の死傷する者は非常に多かった。太祖は流れ矢に中ってしまい、乗っていた馬も創を被った。
従弟曹洪が馬を太祖に献じたので、夜間、脱走することができた。
徐栄は太祖の率いる軍勢が少なく、(にも関わらず)一日中奮戦し続けたのを見て、
「酸棗はまだ容易に攻められないぞ」と言い、やはり軍勢を引率して帰還した。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:55:07
太 祖 到 酸 棗 , 諸 軍 兵 十 餘 萬 , 日 置 酒 高 會 , 不 圖 進 取 . 太 祖 責 讓 之 , 因 為 謀 曰 :
「 諸 君 聽 吾 計 , 使 勃 海 引 河 ? 之 ? 臨 孟 津 , 酸 棗 諸 將 守 成 皋 , 據 敖 倉 , 塞 ? 轅 ? 太 谷 ,
全 制 其 險 ; 使 袁 將 軍 率 南 陽 之 軍 軍 丹 ? 析 , 入 武 關 ,
以 震 三 輔 : 皆 高 壘 深 壁 , 勿 與 戰 , 益 為 疑 兵 , 示 天 下 形 勢 ,

以 順 誅 逆 , 可 立 定 也 . 今 兵 以 義 動 , 持 疑 而 不 進 , 失 天 下 之 望 , 竊 為 諸 君 恥 之 ! 」 ? 等 不 能 用 .


太祖が酸棗に到着すると、諸軍の軍勢十万人余りは、連日酒を伴う豪勢な宴会を催しており、進軍攻略のことなど計画さえしていなかった。
太祖は彼らを難詰し、さらに(彼らの)ために計略を立ててやった。「諸君よ、吾が計略を聞きたまえ。
渤海は河内の軍勢を引率して孟津で対陣し、酸棗の諸将は成皋を守りつつ、敖倉を占拠し、?轅・太谷を封鎖し、それらの要害を完全征圧する。
袁将軍は南陽の軍を統率して丹・析に布陣して武関に入り、それによって三輔地方を震動させるのだ。
みな城塁を高く防壁を深くして戦わないようにする。次々に疑兵を増やしていって天下の形勢を示し、
順をもって逆を誅すれば即座に平定できよう。いま軍勢は道義によって動員されたのだから、
疑心を抱いて進軍しないのであれば、天下の希望を失うことになる。密かに諸君らのために恥ずかしく思うぞ!」
張?らは採用することができなかった。

太祖の軍勢は少なくなったので、夏侯惇らとともに揚州に赴いて募兵した。刺史陳温・丹楊太守周マは軍勢四千人余りを与えた。
引き揚げて龍亢まで行ったとき、士卒の多くが叛逆した。[一]?・建平まで行き、ふたたび募兵をかけて千人余りを手に入れ、進軍して河内に駐屯した。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:56:45
上の原文に追加

太 祖 兵 少 , 乃 與 夏 侯 惇 等 詣 揚 州 募 兵 , 刺 史 陳 ? ? 丹 楊 太 守 周 マ 與 兵 四 千 餘 人 .
還 到 龍 亢 , 士 卒 多 叛 .[一]至 ? ? 建 平 , 復 收 兵 得 千 餘 人 , 進 屯 河 ? .

213 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:58:14
正史にも廃した後の天子を殺したことがはっきり書いてあるな

214 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:59:48
つーか疲れた
休憩

215 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:03:18
同盟軍の奮武将軍だったのか
初めて知ったよ

216 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:11:03
魏ヲタは陳寿砦に籠もったか。

陳寿著は晋代のもの。
晋は魏から禅譲で帝位を受けたから魏が漢から禅譲をうけた正統な王朝にしないと困るわけ。
一方、裴松之はその縛りを受けない。
厨信者でもない限り普通総合的に正史を見るよ。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:16:07
え?

218 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:17:46
>>216
これが曹操アンチか・・・
確かにレベル低いな

219 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:22:28
>>215
いや自称だから…

220 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:22:49
劉 岱 與 橋 瑁 相 惡 , 岱 殺 瑁 , 以 王 肱 領 東 郡 太 守 .
袁 紹 與 韓 馥 謀 立 幽 州 牧 劉 虞 為 帝 , 太 祖 拒 之 .[一]紹 又 嘗 得 一 玉 印 , 於 太 祖 坐 中 舉 向 其 肘 , 太 祖 由 是 笑 而 惡 焉 .[二]
二 年 春 , 紹 ? 馥 遂 立 虞 為 帝 , 虞 終 不 敢 當 .
夏 四 月 , 卓 還 長 安 .
秋 七 月 , 袁 紹 脅 韓 馥 , 取 冀 州 .
K 山 賊 于 毒 ? 白 繞 ? ? 固 等? , 申 隨 反 .十 餘 萬 ? 略 魏 郡 ? 東 郡 , 王 肱 不 能 禦 , 太 祖 引 兵 入
東 郡 , ? 白 繞 于 濮 陽 , 破 之 . 袁 紹 因 表 太 祖 為 東 郡 太 守 , 治 東 武 陽 .
三 年 春 , 太 祖 軍 頓 丘 , 毒 等 攻 東 武 陽 . 太 祖 乃 引 兵 西 入 山 , 攻 毒 等 本 屯 .
[一]毒 聞 之 , 棄 武 陽 還 . 太 祖 要 ? ? 固 , 又 ? 匈 奴 於 夫 羅 於 ? ? , 皆 大 破 之 .[二]
夏 四 月 , 司 徒 王 允 與 呂 布 共 殺 卓 . 卓 將 李 ? ? 郭 等 殺 允 攻 布 , 布 敗 , 東 出 武 關 . ? 等 擅 朝 政 .

221 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:24:20
劉岱と橋瑁は憎しみあい、劉岱が橋瑁を殺し、王肱に東郡太守を領させた。
袁紹と韓馥は幽州牧劉虞を皇帝に擁立せんと計画したが、太祖はそれを拒否した。
[一]袁紹はまた一つの玉印を手に入れ、集会の席で太祖に向かって自分の肘を掲げたことがあった。太祖はそれを見て笑っていたが、(内心では)憎らしく思った。[二]
二年(一九一)春、袁紹・韓馥はついに劉虞を擁立して皇帝としたが、劉虞は最後まで承知しなかった。
夏四月、董卓は長安に引き揚げた。
秋七月、袁紹は韓馥を脅迫して冀州を奪った。
黒山賊の于毒・白繞・?固らの十万人余りの軍勢が魏郡・東郡を攻略したが、王肱は防ぐことができなかった。
太祖は軍勢を引率して東郡に入り、濮陽において白繞を攻撃し、これを破った。袁紹はそこで上表して太祖を東郡太守とし、東武陽で統治させた。
三年(一九二)春、太祖が頓丘に布陣したところ、于毒らは東武陽を攻撃した。太祖はそこで軍勢を引率して西進して山に入り、于毒らの本拠地を攻撃した。
[一]于毒はそれを聞いて、武陽を棄てて撤退した。太祖は?固を待ち伏せし、また匈奴の於夫羅を内黄において撃ち、いずれも大破した。[二]
夏四月、司徒王允と呂布が一緒になって董卓を殺した。董卓の将軍李?・郭氾らが王允を殺し、呂布を攻めた。
呂布は敗北し、武関から東へ出た。李?らは朝政を欲しいままにした。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:25:16
>>217
ん?

223 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:25:44
>袁紹はまた一つの玉印を手に入れ、集会の席で太祖に向かって自分の肘を掲げたことがあった。
>太祖はそれを見て笑っていたが、(内心では)憎らしく思った。

なんか・・・どっちもらしいですね

224 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:26:02
>>218
・・・なぁ、>>216の言う正史ってどれを指しているんだろうか?

俺には理解できないんだが。

225 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:29:06
青 州 ? 巾 ? 百 萬 入 ? 州 , 殺 任 城 相 鄭 遂 , 轉 入 東 平 . 劉 岱 欲 ? 之 , 鮑 信 諫 曰 :
「 今 賊 ? 百 萬 , 百 姓 皆 震 恐 , 士 卒 無 ? 志 , 不 可 敵 也 . 觀 賊 ? 群 輩 相 隨 , 軍 無 輜 重 , 唯 以 鈔 略 為 資 ,
今 不 若 畜 士 ? 之 力 , 先 為 固 守 . 彼 欲 戰 不 得 , 攻 又 不 能 , 其 勢 必 離 散 , 後 選 精 ? , 據 其 要 害 , ? 之 可 破 也 . 」
岱 不 從 , 遂 與 戰 , 果 為 所 殺 .[一]信 乃 與 州 吏 萬 潛 等 至 東 郡 迎 太 祖 領 ? 州 牧 . 遂 進 兵 ? ? 巾 于 壽 張 東 .
信 力 戰 ? 死 , 僅 而 破 之 .[二]購 求 信 喪 不 得 , ? 乃 刻 木 如 信 形 ? , 祭 而 哭 焉 . 追 ? 巾 至 濟 北 .
乞 降 . 冬 , 受 降 卒 三 十 餘 萬 , 男 女 百 餘 萬 口 , 收 其 精 ? 者 , 號 為 青 州 兵

袁 術 與 紹 有 隙 , 術 求 援 於 公 孫 ? , ? 使 劉 備 屯 高 唐 , 單 經 屯 平 原 , 陶 謙 屯 發 干 , 以 逼 紹 . 太 祖 與 紹 會 ? , 皆 破 之 .

四 年 春 , 軍 ? 城 . 荊 州 牧 劉 表 斷 術 糧 道 , 術 引 軍 入 陳 留 , 屯 封 丘 , K 山 餘 賊 及 於 夫 羅 等 佐 之 .
術 使 將 劉 詳 屯 匡 亭 . 太 祖 ? 詳 , 術 救 之 , 與 戰 , 大 破 之 . 術 退 保 封 丘 , 遂 圍 之 , 未 合 , 術 走 襄 邑 , 追 到 太 壽 ,
決 渠 水 灌 城 . 走 寧 陵 , 又 追 之 , 走 九 江 . 夏 , 太 祖 還 軍 定 陶

226 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:30:40
>>224
きっと後漢書や晋書だろう。西晋の政治的な制約は受けていないから
いや別の制約は色々受けてるけど

227 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:31:06
青州黄巾賊の軍勢百万人が?州に侵入し、任城国の相鄭遂を殺害し、転進して東平に入った。劉岱はこれを攻撃しようとしたが、鮑信が諫めて言った。
「いま賊の軍勢は百万人にもなり、百姓らはみな恐れおののき、士卒には闘志がございません。敵いますまい。
賊軍を観察したところ、群れをなして人々が寄り添い合っているだけで(統率者がおらず)、軍中には輜重もなく、ただ略奪だけに食糧を頼っております。
今は軍勢の気力を養い、まずは固守するのが最上。彼らは戦おうと思ってもできず、攻撃しようと思ってもやはりできず、その勢力はきっと離散するでしょう。
そののち精鋭を選抜し、要害を占拠して彼らを撃てば、撃破することもできましょう。」劉岱は聞き入れず、そのまま彼らと戦い、案の定殺されてしまった。
[一]鮑信はそこで州吏の万潜らとともに東郡へ赴き、太祖を領?州牧に迎えた。(太祖は)そのまま軍勢を進め、寿張の東において黄巾賊を攻撃した。
鮑信が奮戦のすえ討死し、やっとのことで撃ち破ることができた。
[二]鮑信の亡骸を買い求めたが見付けられず、人々はそこで木を刻んで鮑信の姿に似せ、祭礼を行って哭泣した。
黄巾賊を済北まで追撃すると、(賊は)投降を願い出た。
冬、投降兵三十万人余り、男女百万人余りを受け入れ、彼らのうち精鋭を選りすぐって「青州兵」と名付けた。

袁術と袁紹は仲違いしていたので、袁術は公孫?に救援を求めた。公孫?は劉備を高唐に屯させた。
単経は平原に屯し、陶謙は発干に屯して袁紹を圧迫した。太祖は袁紹と会同し、それらを全て撃ち破った。

四年(一九三)春、?城に進駐した。荊州牧劉表が袁術の糧道を遮断すると、袁術は軍勢を引率して陳留に進入し、封丘に屯した。
黒山賊の残党および於夫羅らがそれを支援した。袁術は将軍劉詳を匡亭に屯させた。
太祖は劉詳を攻撃したが、袁術が彼に救援を出したので合戦となり、彼らを大破した。袁術が撤退して封丘に楯籠ったので、そのままこれを包囲した。
まだ(包囲軍が)集合しないうちに袁術は襄邑に逃走したので、太寿まで追撃し、運河を決壊させて(太寿)城を水没させた。
(袁術が)寧陵に逃走したので、さらに彼を追撃すると、(袁術は)九江に逃走した。夏、太祖は帰還して定陶に駐留した。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:33:03
>祭礼を行って哭泣した。

曹操は正史の中でも泣いてる記述が多い
豆知識な

229 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:36:31
下 ? 闕 宣 聚 ? 數 千 人 , 自 稱 天 子 ; 徐 州 牧 陶 謙 與 共 舉 兵 , 取 泰 山 華 ? 費 , 略 任 城 .
秋 , 太 祖 征 陶 謙 , 下 十 餘 城 , 謙 守 城 不 敢 出 .
是 ? , 孫 策 受 袁 術 使 渡 江 , 數 年 遂 有 江 東 .

興 平 元 年 春 , 太 祖 自 徐 州 還 , 初 , 太 祖 父 嵩 , 去 官 後 還 ? , 董 卓 之 亂 , 避 難 瑯 邪 ,
為 陶 謙 所 害 , 故 太 祖 志 在 復 讎 東 伐 .[一]夏 , 使 荀 ケ ? 程 c 守 ? 城 , 復 征 陶 謙 , 拔 五 城 , 遂 略 地 至 東 海 .
還 過 ? , 謙 將 曹 豹 與 劉 備 屯 ? 東 , 要 太 祖 . 太 祖 ? 破 之 , 遂 攻 拔 襄 賁 , 所 過 多 所 殘 戮 .[二

會 張 ? 與 陳 宮 叛 迎 呂 布 , 郡 縣 皆 應 . 荀 ケ ? 程 c 保 ? 城 , 范 ? 東 阿 二 縣 固 守 , 太 祖 乃 引 軍 還 .
布 到 , 攻 ? 城 不 能 下 , 西 屯 濮 陽 . 太 祖 曰 : 「 布 一 旦 得 一 州 , 不 能 據 東 平 ,
斷 亢 父 ? 泰 山 之 道 乘 險 要 我 , 而 乃 屯 濮 陽 , 吾 知 其 無 能 為 也 . 」 遂 進 軍 攻 之 .
布 出 兵 戰 , 先 以 騎 犯 青 州 兵 . 青 州 兵 奔 , 太 祖 陳 亂 , 馳 突 火 出 , 墜 馬 , 燒 左 手 掌 .
司 馬 樓 異 扶 太 祖 上 馬 , 遂 引 去 .[一]

230 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:38:04
下?の闕宣が軍勢数千人を集め、天子を自称した。徐州牧陶謙は一緒に軍勢を催し、泰山の華・費を奪取し、任城で略奪を働いた。
秋、太祖は陶謙を征討して十城余りを下したが、陶謙は城に楯籠り、出てこようとはしなかった。
この歳、孫策が袁術の指示を受けて長江を渡り、数年のあいだで、とうとう江東を領有してしまった。

興平元年(一九四)春、太祖は徐州から帰還した。
むかし太祖の父曹嵩は、官職を去ったのち?に帰郷し、董卓の乱が起こったので琅邪に避難したが、陶謙に殺害されてしまった。
そのため太祖は復讐を志して東征したのである。
[一]夏、荀ケ・程cに?城を守らせ、再び陶謙を征伐し、五つの城を陥落させ、そのまま各地を攻略しつつ東海まで到達した。
引き返して?を通過したが、陶謙の将軍曹豹と劉備が?の東に屯し、太祖を迎撃した。太祖は彼らを撃破し、そのまま襄賁を攻撃して陥落させた。
(太祖の軍の)通過した場所では多くの人が殺戮された。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:40:13
お、ようやく面白そうな場面が来たな

>闕宣が軍勢数千人を集め、天子を自称
自称天子は袁術だけじゃないんですよねえ

>故 太 祖 志 在 復 讎 東 伐
はっきり親の仇の為の討伐と書いてある

232 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:42:55
>>226
後漢書や晋書に、ちゃんと蜀や呉の列伝って立てられてたっけ?
正直、三国時代の列伝が後漢書に重なっている人物は居るけど、これをこの時代の正史と言うのは・・・

・・・と言うか、ヘタすると曹操の本記や列伝すら立てられて無いんじゃね?

233 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:44:36
上の訳にこれを追加

ちょうどそのとき張?が陳宮とともに叛逆し、呂布を迎え入れた。郡県はみな呼応した。荀ケ・程cは?城に楯籠り、范・東阿の二県も固守した。
太祖はそこで軍勢を引率して帰還した。呂布がやってきて?城を攻撃したが、陥落させられず、西進して濮陽に屯した。
太祖は言った。「呂布は一日にして一州を得たものだが、東平を占拠して亢父・泰山の道を遮断し、要害を利用して我を迎え撃つことができず、
とうとう濮陽に屯してしまった。吾は彼の無能が分かったよ。」こうして進軍して彼を攻撃した。
呂布は軍勢を押し出して戦い、真っ先に騎兵でもって青州兵を襲った。青州兵が逃げ去り、太祖の布陣は混乱してしまった。
(太祖は)馬を走らせて火炎から脱出したが、落馬し、左手の手のひらに火傷を負った。司馬楼異が太祖の手を引いて馬に乗せ、そのまま撤退した。

234 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:48:05
未 至 營 止 , 諸 將 未 與 太 祖 相 見 , 皆 怖 . 太 祖 乃 自 力 勞 軍 , 令 軍 中 促 為 攻 具 , 進 復 攻 之 , 與 布 相 守 百 餘 日 .
蝗 蟲 起 , 百 姓 大 餓 , 布 糧 食 亦 盡 , 各 引 去 .
秋 九 月 , 太 祖 還 ? 城 . 布 到 乘 氏 , 為 其 縣 人 李 進 所 破 , 東 屯 山 陽 . 於 是 紹 使 人 ? 太 祖 , 欲 連 和 .
太 祖 新 失 ? 州 , 軍 食 盡 , 將 許 之 . 程 c 止 太 祖 , 太 祖 從 之 . 冬 十 月 , 太 祖 至 東 阿 .
是 ? 穀 一 斛 五 十 餘 萬 錢 , 人 相 食 , 乃 罷 吏 兵 新 募 者 . 陶 謙 死 , 劉 備 代 之 .

二 年 春 , 襲 定 陶 . 濟 陰 太 守 ? 資 保 南 城 , 未 拔 . 會 呂 布 至 , 又 ? 破 之 .
夏 , 布 將 薛 蘭 ? 李 封 屯 鉅 野 , 太 祖 攻 之 , 布 救 蘭 , 蘭 敗 , 布 走 , 遂 斬 蘭 等 .
布 復 從 東 緡 與 陳 宮 將 萬 餘 人 來 戰 , 時 太 祖 兵 少 , 設 伏 , 縱 奇 兵 ? , 大 破 之 .
[一]布 夜 走 , 太 祖 復 攻 , 拔 定 陶 , 分 兵 平 諸 縣 . 布 東 奔 劉 備 , 張 ? 從 布 , 使 其 弟 超 將 家 屬 保 雍 丘 .
秋 八 月 , 圍 雍 丘 . 冬 十 月 , 天 子 拜 太 祖 ? 州 牧 . 十 二 月 , 雍 丘 潰 , 超 自 殺 . 夷 ? 三 族 .
? 詣 袁 術 請 救 , 為 其 ? 所 殺 , ? 州 平 , 遂 東 略 陳 地 .
是 ? , 長 安 亂 , 天 子 東 遷 , 敗 于 曹 陽 , 渡 河 幸 安 邑 .
建 安 元 年 春 正 月 , 太 祖 軍 臨 武 平 , 袁 術 所 置 陳 相 袁 嗣 降 .

235 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:50:17
。[一](太祖が)陣営に到着する以前、諸将は太祖の姿が見えないため、みな恐れを抱いた。
太祖はそこで自ら励んで軍勢を慰労し、軍中に攻城用兵器を作って進軍し、復び彼を攻撃するようにと督促した。
呂布と対峙すること百日余りになった。蝗虫が発生して百姓は大いに餓え、呂布の糧食もやはり底をついたので、おのおの撤退した。
秋九月、太祖は?城に帰還した。呂布は乗氏に着陣したが、その県の人李進に撃破され、東進して山陽に屯した。
ここにおいて、袁紹は人をやって曹操を説得し、和睦しようと望んだ。
太祖は?州を失ったばかりで、軍勢も食糧が底を突いており、それを承知しようとした。
程cが太祖を諫止したので、太祖はそれを聞き入れ(取り止め)た。冬十月、太祖は東阿に着陣した。
この歳、穀物が一斛あたり五十万銭余りに上り、人々は互いの肉を食らい合った。
そこで官吏・兵士の新たな募集は中止した。陶謙が死去し、劉備が彼に交代した。

二年(一九五)春、定陶を襲撃した。済陰太守呉資は南城に楯籠り、陥落させられなかった。
ちょうどそこへ呂布が着陣したので、また彼を撃破した。夏、呂布の将軍薛蘭・李封が鉅野に屯していたので、太祖はこれを攻撃した。
呂布は薛蘭を救援したが、薛蘭が敗北すると呂布も逃走した。かくて薛蘭らを斬った。
呂布は再び東緡から陳宮に合流し、一万人余りを率いて来襲してきた。
当時、太祖の軍勢は少なかったので、伏兵を設け、奇兵を放って攻撃し、彼らを大破した。
[一]呂布が夜間逃走すると、太祖はまた攻勢に出て定陶を陥落させ、軍勢を分けて諸県を平定した。
呂布は東方へ行き劉備のもとに出奔した。張?は呂布に随従し、その弟張超に家族を率いさせて雍丘に楯籠らせた。
秋八月、雍丘を包囲した。冬十月、天子は太祖を?州牧に任命した。十二月、雍丘は潰滅し、張超は自殺した。
張?の三族を夷にした。張?は袁術に救援を求めに行ったが、彼の人数に殺されてしまった。?州が平定されたので、そのまま東進して陳の地を攻略した。

236 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:54:03
太 祖 將 迎 天 子 , 諸 將 或 疑 , 荀 ケ 、 程 c 勸 之 , 乃 遣 曹 洪 將 兵 西 迎 ,
? 將 軍 董 承 與 袁 術 將 萇 奴 拒 險 , 洪 不 得 進 .
汝 南 ? 潁 川 ? 巾 何 儀 ? 劉 辟 ? ? 邵 ? 何 曼 等 , ? 各 數 萬 , 初 應 袁 術 , 又 附 孫 堅 .
二 月 , 太 祖 進 軍 討 破 之 , 斬 辟 ? 邵 等 , 儀 及 其 ? 皆 降 . 天 子 拜 太 祖 建 コ 將 軍 , 夏 六 月 , 遷 鎮 東 將 軍 , 封 費 亭 侯 .
秋 七 月 , 楊 奉 ? 韓 暹 以 天 子 還 洛 陽 ,[一]奉 別 屯 梁 . 太 祖 遂 至 洛 陽 , ? 京 都 , 暹 遁 走 . 天 子 假 太 祖 節 鉞 , ? 尚 書 事 .
[二]洛 陽 殘 破 , 董 昭 等 勸 太 祖 都 許 . 九 月 , 車 駕 出 ? 轅 而 東 , 以 太 祖 為 大 將 軍 , 封 武 平 侯 .
自 天 子 西 遷 , 朝 廷 日 亂 , 至 是 宗 廟 社 稷 制 度 始 立 .[三]

天 子 之 東 也 , 奉 自 梁 欲 要 之 , 不 及 . 冬 十 月 , 公 征 奉 , 奉 南 奔 袁 術 , 遂 攻 其 梁 屯 , 拔 之 .
於 是 以 袁 紹 為 太 尉 , 紹 恥 班 在 公 下 , 不 肯 受 . 公 乃 固 辭 , 以 大 將 軍 讓 紹 . 天 子 拜 公 司 空 , 行 車 騎 將 軍 .
是 ? 用 棗 祗 ? 韓 浩 等 議 , 始 興 屯 田 .[一]

呂 布 襲 劉 備 , 取 下 ? . 備 來 奔 . 程 c ? 公 曰 : 「 觀 劉 備 有 雄 才 而 甚 得 ? 心 , 終 不 為 人 下 , 不 如 早 圖 之 . 」
公 曰 : 「 方 今 收 英 雄 時 也 , 殺 一 人 而 失 天 下 之 心 , 不 可 . 」

張 濟 自 關 中 走 南 陽 . 濟 死 , 從 子 ? 領 其 ? . 二 年 春 正 月 , 公 到 宛 . 張 ? 降 , 既 而 悔 之 , 復 反 .
公 與 戰 , 軍 敗 , 為 流 矢 所 中 , 長 子 昂 ? 弟 子 安 民 遇 害 .[一]公 乃 引 兵 還 舞 陰 , ? 將 騎 來 鈔 , 公 ? 破 之 .
? 奔 穰 , 與 劉 表 合 . 公 謂 諸 將 曰 : 「 吾 降 張 ? 等 , 失 不 便 取 其 質 , 以 至 於 此 .

吾 知 所 以 敗 . 諸 卿 觀 之 , 自 今 已 後 不 復 敗 矣 . 」 遂 還 許 .[二]

237 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:59:41
この歳、長安が混乱し、天子は東方に遷したが、曹陽において敗北した。黄河を渡って安邑に行幸した。
建安元年(一九六)春正月、太祖が進軍して武平に臨むと、袁術の配置した陳国の相袁嗣は降服した。

太祖が天子を迎え入れようとしたとき、諸将の中には疑う者もあったが、荀ケ・程cはそれを勧めた。
そこで曹洪に軍勢を率いさせて西に迎えさせたが、衛将軍董承が袁術の将軍萇奴とともに険阻に拒んだため、曹洪は進むことができなかった。

汝南・潁川の黄巾賊の何儀・劉辟・黄邵・何曼らは、軍勢おのおの数万人であり、かつては袁術に呼応したり、また孫堅に附属したりしていた。
二月、太祖は進軍して彼らを討ち破り、劉辟・黄邵らを斬首すると、何儀および彼らの軍勢はみな降服した。
天子は太祖を建徳将軍に任命し、夏六月、鎮東将軍に昇進させ、費亭侯に封じた。
秋七月、楊奉・韓暹が天子を奉じて洛陽に帰還し、[一]楊奉は別途、梁に屯した。太祖がそのまま洛陽へ赴いて京都を守護すると、韓暹は遁走した。
天子は太祖に節鉞を仮し、録尚書事とした。[二]洛陽は破滅しており、董昭らは太祖に許への遷都を勧めた。
九月、御車は?轅を出て東下し、太祖を大将軍とし、武平侯に封じた。天子が西方に遷都してからというもの、朝廷は日ごとに混乱していたが、
このときになって宗廟・社稷の制度が初めて確立された。[三]

天子が東下したとき、楊奉は梁を出てそれを待ち構えようとしたが、追い付けなかった。
冬十月、公は楊奉を征伐し、楊奉が南に袁術のもとへと出奔したので、そのまま彼の梁の屯所を攻撃し、それを陥落させた。
ここにおいて袁紹を太尉としたが、袁紹は席次が公の下になることを恥じ、拝命を承諾しなかった。
公はそこで固辞して、大将軍(の官職)を袁紹に譲った。天子は公を司空に任命し、車騎将軍(の職務)を行わせた。
この歳、棗祗・韓浩らの建議を採用し、初めて屯田を興した。[一]

呂布が劉備を襲撃して下?を奪い取ったので、劉備が脱走して来降してきた。
程cが公を説得して「劉備を観察してみるに、英雄の才覚を持ち、はなはだ人々の心をつかんでおります。
最後まで人の下についていないでしょう。早々にもこれを図るのが最上です」と言った。
公は「いまは英雄を迎え入れたいときである。一個の人間を殺して天下の心を失ってはならんのだ」と言った。

張済は関中から南陽に走っていたが、張済が死ぬと、従子の張?がその軍勢を宰領した。
二年(一九七)春正月、公は宛に着陣した。張?は降服したが、あとになってそれを後悔し、再び反抗した。
公はそれと戦ったが軍勢は敗北し、流れ矢に当たり、長子曹昂や弟の子曹安民が殺害された。
[一]公はそこで軍勢を引き払って舞陰に帰還し、張?が騎兵を率いて略奪に来ると、公はそれを撃破した。
張?は穣に遁走し、劉表と合流した。公は諸将に言った。
「吾は張?らを降しながら、すぐさま人質を取らぬ失敗を犯し、かような羽目になってしまった。吾はどうして敗北したのか分かった。
諸卿はこれを見ていてくれ。今後はもう失敗しないぞ。」かくて許に帰還した。[二]

238 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:00:55
ここまででやっと3割ってとこか
武帝紀なげーんだよ
疲れたのでまた明日

239 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:01:41
マジで武帝紀全文貼るのか…

240 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:02:08
>>238

ここまでは親の復讐の虐殺以外はまんまヒーローっすね

241 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:08:04
>「いまは英雄を迎え入れたいときである。一個の人間を殺して天下の心を失ってはならんのだ」

テラカッコヨス

242 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:10:47
206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:42:18
>>201
曹操アンチっていうか曹操信者アンチだと思うな。
あんまりよくわかってない曹操信者が騒ぐのを見て
苦々しく思う人が「曹操なんか大した事ねぇよ」と返して
泥沼化ってのがいつものパターン。

↑まず「大したことない」というのがただのアンチ。
「曹操よりすごいのはいる」と具体例を挙げて主張するならまだ儲アンチと言えるけど

この時代では十分化け物じみてるし通史的にみても非凡
アンチがよくわかってるとは到底思えない。
正史初心者が小説や漫画を叩くのと同レベルで高CQ。中国史初心者って感じだ

上のレベルを知ってるからって
曹操より上になった訳じゃないのだが
そんなことも分からず調子こいて馬鹿馬鹿言い出すのが曹操アンチ

243 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:16:41
もうその話題いいよ
原文で盛り上がろうぜ

244 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:27:22
いいとこばっか好きになるんじゃなくてダメなとこも含めて好きにならんとね


245 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:30:17
ダメなところは武帝紀にのってないからなあ
崔エン伝とか朱霊伝、張粛伝とかか。
喜怒哀楽が激しい激情家のところは結構好き

246 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:53:17
世説新語って本当かどうか知らんが
自分の正体が見破られて殺しちゃうエピソードがなぜか好きだわ

247 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:30:22
すごいとほめられたより
容姿に自信のない自分を見透かされたのがムカみたいな感じなのかな?

248 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:11:20
マルチな才能がうまくいくと李世民や劉秀
うまくはまらないと曹操



249 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:54:34
曹操の場合その二人より、ちょっと実務的ではない方向に手を出しすぎかもわからんな。
それが長所でもあるが。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 08:57:40
曹操の方がより芸術家で思想家
そっちの二人は政治家成分でギトギト

よって曹操は統一出来なかった無能ということでFA

251 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 09:03:30
結論が飛躍しすぎているw

252 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:15:50
長々と正史貼るまでもなく曹操が三国志において一番優秀な人物なのはわかる

253 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:30:00
つか他の時代の人物との比較なんて出来ないよ

だから曹操アンチはネット知識しかないって言われるのさ

254 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:39:57
活躍度でおおーすげーというのは出来るだろ
三戦板の比較なんてそんなもんだ

255 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:43:17
すげーなこのスレ
まともなレスは原文そのまま貼ってあるやつぐらいしかないw

256 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:47:52
>>255の目は節穴じゃないのか
スレタイの割に比較的マシな進行

257 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:54:05
このスレに限らないけど、自分の思い込みを正史と思ってる人多いね

258 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 11:06:26
思い込みをどぴゅどぴゅ吐き出すのはきもちい

259 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 14:58:14
結局、アンチって奴は蒼天か、もしくは横山をどちらか最初に見て、漫画で脚色された
武将に感情移入する。これはただの三国志オタク、でも度が入りすぎるとネットで得た情報で「孔明は凄くねぇよ」
とか「曹操のどこが凄い?」とか馬鹿にする。最終的には正史を読んで、好きな武将の欠点は見逃しても、アンチをしたい
武将の欠点は見逃さない、だろ?


260 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 19:11:58
正史読んでる人は少ないでしょ

261 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:05:08
>>259
それは曹操信者にも言える

262 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:25:18
>>260
原文から読んでいる奴はほとんど居ないだろうけど、ちくま文庫版ぐらいは読んでるだろ・・・このスレに来るぐらいなら。

263 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:38:32
ただ、スレタイ見たときにアンチホイホイになるかと思ったが、
思ったより健全な感じだな。

264 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:44:03
史的曹操の実態について語りたい人が多いってことだろうな

265 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 22:52:00
曹操って教科書では殆んど取り上げられないよね。

266 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 23:04:39
漢文の教科書には必ず一回出てくるけど
歴史ではそもそも南北朝の方にスポットが当たって漢魏の端境になる漢末は
黄巾賊乱から一気に魏初の禅譲まで飛ばされるから
曹操の出番はほぼないね

267 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 04:54:41
歴史教科書くらいマクロな捉え方だとやっぱカットされるな。
ぶっちゃけ制度史としても唯才令は科挙の系譜からは外れるし。
せいぜい郷挙里選→九品官人法→科挙の流れがわかればいい仕様になってるから。
屯田制は微妙なラインだけど、井田制もまずあまりでない現状だと、
細かい系譜の一つとして省かれてるかも。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 09:25:12
それだけに高校の頃魏朝に置いて武帝と謚された東漢末期最大の軍事指導者は?って問題でた時はびびった

ぜってー担当教員の趣味だよ

269 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 10:07:26
>>268
良い趣味した匡胤だw

270 :269:2009/05/15(金) 10:08:21
ってどういう誤変換だよw

271 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 17:45:08
>>265
世界史の教科書では、王安石と司馬光の方がよっぽど扱いが大きいもんな。
・・・(結局は)何もしていないのに。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 18:33:50
またまたご冗談を。

273 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 19:22:38
王安石の政策後に連年赤字から一発抜け出してるぞ
それと司馬光は重要な歴史書(正史ではないけれど)資治通鑑書いてる

あと王安石は唐宋八大家の一人でもある

2人の死後は 法律を作ってはやめて作ってはやめてのただの意地の張り合いになって
宋滅亡の最も大きな原因となった

とまあ 高校生レベルでもこのくらいは解るのだが

274 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 22:16:53
張居正て教科書に載ってる?

275 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 22:24:48
教科書は手元にないので知らんが、参考書なら張居正は赤太字で載ってたな。
曹操は黒太字。

276 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 10:54:18
張居正は明だけじゃなくて中国屈指の政治家だしな

277 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 10:59:41
奸臣だけど超がつくほど有能

278 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 19:14:17
張居正が生きているうちに国に溜め込んだ金を
万暦帝が数年で全部使い果たしちゃってさあ大変

279 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 01:03:00
黄巾の乱ぐらいしか乗っていなかったイメージ

280 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/05(金) 02:14:27
曹操アンチはなんで曹操が嫌いなの?

281 :貂蝉:2009/06/05(金) 02:22:38
曹操が、徐州大虐殺で、民間人に多大な被害を与えたから、あんまり好きになれない。自分を診察した、華陀を逮捕して寿命を縮めた。

282 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/05(金) 10:52:40
出身者の諸葛亮から虐殺にたいする言及ないし、劉備が民を虐殺した曹操軍に徐州の援軍を求めたり滑稽。
大虐殺なんて呉の捏造に決まってる

283 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/05(金) 17:43:27
虐殺の記述は武帝紀にもあるし
程度の問題はともかく虐殺自体捏造は言いすぎ

284 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/11(木) 08:31:24
>>280
信者が嫌いなんじゃないの

285 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 06:25:59
曹操アンチは曹操に嫉妬してるだけ

286 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 07:42:45
そういや、曹操スレや魏スレが無いのはどうしてなんだ?
アンチがくるから?

287 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 09:37:36
>>286
だいたい正解
曹操はネタスレは多いけどね

288 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 12:42:02
真面目に語っても
アンチが沸いたり否定意見とかも多いからな
曹操ファンならあんまりいい気持ちしないだろうな

289 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 12:57:41
曹操アンチは曹操がらみがちょっとでも目につくと荒らしに来る
あの粘着ぶりには脱帽

290 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 16:34:58
文句言うだけなら全然意味ないじゃん。
せっかくスレ立てたんだから、曹操について語ってみれば?



291 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/12(金) 16:54:28
曹操=正史

292 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 07:11:25
>>290
ここ曹操アンチのアンチスレだろ?

293 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/01(土) 10:22:19
曹操って歴史研究家の間ではどういう評価なの?

294 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/01(土) 10:49:44
易中天曰く「愛すべき奸雄」だそうな。

悪役は悪役なんだけど、強大であるが故に
主役勢のも際立つ

的な評価だったと思う。
DBのフリーザやセル、仮面ライダーのショッカー首領みたいなポジションなんじゃないかな。

295 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/01(土) 12:53:36
曹操アンチとかいなくないか?
今まで見たことないけど。


296 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/01(土) 14:02:17
曹操の描写に付いて
三国演義やレッドクリフでの扱いに不満がなく
正史との記述ともさほど差異のないもの

と曹操信者全員が思うようになれば
「アンチ」という括りはなくなるだろうね。

297 :無名武将@お腹せっぷく:2009/08/01(土) 21:56:56
>>296
「作品の描写」に全体性を見、
その全体性に不満をもつという信者がアブノーマルなだけ

88 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)