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【曹髦】魏末期の政治情勢を語る【賈充】

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:09:10
司馬家が実験を握り魏皇帝は傀儡政権に
その時の政治情勢・家臣たちの情勢を語るすれ

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:11:41


3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:13:42
何の実験をしたんだ?

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:14:27
4

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:14:42
高貴郷公の逆クーデターを密告した王沈というのは王昶の甥で、
魏書を編纂してるんだよな

晋の成立とともに栄達した人の1人

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 00:20:49
そんなことはどうでもいいが2と4は何の実験だ?

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 10:58:55


8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 16:00:12
荀は親父と違い保身に優れてる

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:39:43
>>5
だからこそ気兼ねなく自由に書けた。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:09:23
なぜ高貴郷公は実力のある陳泰に政変の援助を求めなかったんだろう

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:46:57
>>9
気兼ねなく自分たちの都合のいいように書けた、の間違いだろ

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 03:39:39
明帝が死ぬ間際に、燕王など一族近臣で固められてたら。また違ったのかも
わからんね。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 09:21:08
司 馬 炎

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 10:00:55
>>12
劉放と孫資のせい
こいつらも栄達組だなw

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 16:20:26
>>12
燕王とかどうなったんですか?

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 17:53:38
曹丕が死ぬ際に後を託した4人が曹叡期(226年〜239年)で辿った推移 

曹真  大将軍→大司馬 231年死去
曹休  大司馬 228年死去
陳羣  中護軍&鎮軍大将軍&司空/録尚書事 236年死去
司馬懿 驃騎将軍→大将軍&大都督→太尉/録尚書事

このように曹叡政権期に4人のうち3人が死んでいる。特に曹叡が信頼していた
荀ケ(ジュンイク)の娘婿である陳羣の死をきっかけにして、穎川地方の名士層の代表であった陳羣と、
河内地方の名士層の代表である司馬懿による政権内部でのパワーバランスが崩壊する。
結果的に初期から曹操政権を支えていた穎川の名士層は、
徐々に親司馬氏側の勢力へと変質していき、265年の晋王朝建国への道筋をつけることになる。
正史では、曹叡は司馬懿を有能だと認めつつも信用しておらず、魏王朝に対して忠義を尽くしているのか疑問を持っていた。
そのため234年に諸葛亮が死んで蜀漢からの脅威が去ると、翌年には大将軍&大都督を免じて太尉に降格させている。
しかし、対策を立てる前に曹叡は危篤状態となってしまう・・・。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 17:57:14
曹叡が死ぬ際に後を託そうとした5人

燕王 曹宇(曹操の9男)
曹爽(曹真の長男)
曹肇(曹休の長男)
夏侯献(夏侯覇の長男?)
秦朗(曹操の側室の連れ子)

曹叡は、曹宇を大将軍に任命して後事を託そうとするが、燕王曹宇は辞退してしまう。
ここで機密文書を扱う中書監の劉放と中書令の孫資が登場する。
(彼ら2人は曹魏政権が始まる221年から司馬一族が魏を乗っ取る249年までの約30年もの間
魏王朝の機密文書、つまり詔勅を作成する立場にいた人物である)
曹肇と夏侯献は彼ら2人が機密を任についていることを快く思っていなかった。
当時、司馬懿は遼東の公孫淵を征伐した帰りであったが、曹叡の命令により洛陽には戻らずに長安で守備につけと詔勅が出されていた。
孫資と劉放は詔勅を作成して、司馬懿を洛陽へ帰還させると、曹爽を味方に引き込むことに成功する。
孫資と劉放は詔勅を作成して、曹肇と夏侯献と秦朗が宮殿に入ることを禁止し、曹宇の大将軍職と共に3人とも官職を剥がされた。
燕王曹宇はこのあと魏が滅びるあたりまでの20年間、普通に暮らしている。

曹叡が後を託した?2人が曹芳期(239年〜254年)で辿った推移

曹爽   大将軍&都督中外&録尚書事 249年に司馬懿に殺される。
司馬懿  太傳                 251年に死ぬ。
劉放 中書監&驃騎将軍         250年に死ぬ、
孫資   中書令&衛将軍→驃騎将軍   251年に死ぬ。

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:33:03
すげー

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:50:30
>>17
夏侯献が夏侯覇の長男だなんて推測する余地も全然ないと思うけど

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:52:45
けど司馬懿を太尉に降格させるのは

21 :20:2009/06/17(水) 21:54:01
間違って書き込んでしまった

実績を作った司馬懿を太尉に降格させるのは
相当に大きい出来事じゃない?

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 21:54:08
そもそも降格と言えるのか?
太尉になってからも軍事的に主導的立場なのは変わりが無いし、実際に出征もしている

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 22:36:06
魏の大将軍
・夏侯惇 任命されてすぐ死去
・曹仁 任命されてすぐ大司馬に
・曹真 対蜀の司令官として、功績により司馬懿と交代して大司馬に
     昇殿時の特権付きでその後も対蜀戦に参加
・司馬懿 大司馬≒太尉

前例を見ると昇格なのだが太尉への名称変更に意味があるのか不明
品位は同じだが大将軍だと幕府を持てるだろうから実権重視派には降格に見えるかも

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 22:38:09
孔明に対する一時的な臨時職だったんじゃないの?

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 22:40:34
そうだね、後任も任命されていないようだし

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 10:47:24
信用も何も
親族でも外戚でもないやつが
一時的に大将軍だったというのが異常事態

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 19:54:32
一応、司馬懿は曹丕の義兄みたいなものだから

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/27(土) 19:19:49
>>16
曹氏自体が当時の名士層からするとアウトサイダーなのに、その名士層を
再生産する九品中正を採用せざるを得なかったものね。穎川の名士層も、
代表的な連中は陳羣を最後に、鍾氏や荀氏も若年層に世代交代しているし、
名士層が司馬懿に流れていくのは当然の流れなんだろうな。文帝・明帝のように
皇帝自身が意思を行使できるだけの、資質があればまた別なんだろうけど、
明帝が夭逝し、幼少の帝が立った時点で、魏に先は無かったんでしょうね。
しかも、皇族は殆ど「藩塀」としての役割を果たし得ないわけだし、
燕王らが政争に敗れた段階で魏の皇帝には、もはや出番は無いと言う感じかなあ。

>>17
燕王にせよ曹爽にせよ、今ひとつツメの甘さが目立つ印象があるな

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/30(火) 22:19:16
夏侯氏とかほとんど当てにならなかったか
曹仁などの一族は何をしてたのかと思うよ

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/30(火) 22:21:21
>>29
夏侯淵の一族は司馬氏に日和ったからなあ

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/30(火) 22:32:17
>>28
明帝は英君だっただけに長生きしてればね
あまりにも早すぎる死

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/30(火) 23:17:18
失敗したとはいえ当時絶大な権力を握っていた司馬氏に対し
直接手を下して解決を図ったのは曹髦のみ、彼の勇気は凄い

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 00:55:23
>>29
曹爽に近かった夏侯覇、玄あたりは亡命したり誅殺されたりしちゃったし、
夏侯威の子孫は司馬氏や羊氏とも縁戚にあたり、司馬氏側の人間という
感じかなあ。夏侯惇の子孫はパッとしないし・・・。

>>31
曹叡については、内政については結構無茶な政策も多いんだけど、
せめて50くらいまで生きる事が出来れば、魏が長続きしたかどうかは
別としても、ああもあっさり司馬氏に取って代わられることは
なかったろうね。
司馬懿に対抗しうるだけの実績のある権臣がいないというのも大きいかな。
曹爽だって司馬懿よりも若い世代だし、漢中遠征にも失敗している上、その
取り巻きも、名士層の支持を受けうるような連中じゃないわけだし。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 01:10:58
曹操と曹ヒが死ぬ時は5,6人ぐらい有力者がいたのに
曹叡の時は2人だけにしたのが失敗だったんじゃね

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 07:19:35
>夏侯威の子孫は司馬氏や羊氏とも縁戚にあたり、司馬氏側の人間という
感じかなあ。夏侯惇の子孫はパッとしないし・・・。
司馬師の妻だった夏侯微は夏侯玄の妹(毒で殺された説あり
羊祜の妻は夏侯覇の娘(他の人たちは離縁していた
どう見ても婚縁を結んだ方が失脚しています

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 19:29:01
>>35
夏侯威の倅(荘)の妻が羊氏の出身で、司馬師の妻や羊祜と兄弟姉妹に
あたる。その子が夏侯湛と、東晋の元帝の母親で、夏侯氏の中だと、
威の子孫は比較的動向が詳しく伝わっている。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/04(土) 02:30:50
曹爽は若すぎたからね

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/04(土) 22:55:49
司馬師の妻(3回目)は羊祜の姉でしたね…夏侯覇の娘と結婚してても大丈夫ってか?

そういや司馬師の妻だった夏侯微が亡くなった年は、孔明も亡くなり対蜀に一区切りついたところで、そのすぐ後に太尉落ちと考えると
王族と親戚になって自家の安泰を図っていたが失敗に終わったという感じかも
曹叡は司馬師に近かったと思われる夏侯玄や諸葛誕(息子と司馬炎が親しかった)らを左遷、免職にしているし
曹叡が司馬一族が権力を継承することを阻止しようとして、結果的に曹家と司馬家が対立関係に陥ってしまった…

ように見えなくもない

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/04(土) 23:34:40
微妙にスレ違いかもだが、賈南風が賈充の娘だと知ったときは、すげー納得したな…
正にこの親にして、この子あり、って感じだもんな
まあ、司馬一族にも同じ事が言えるが

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/06(月) 13:33:07
>>37
若い上に、甘ちゃんという印象が強いな。

>>38
曹爽に近い連中(何晏や李勝)や、夏侯玄や諸葛誕など、曹叡死後に
羽振りをきかせてた連中って、曹叡の生前に「軽佻浮薄だ」などという
理由で免職されたり、疎まれたりしている連中が結構いるよなそういえば。
曹叡自身が、盧毓とのやりとりにあるように、当時の人材登用の風潮に
あまり好印象をもっていないようだし、彼が体制を固める前に死んでしまった
時点で、どのみち魏は長続きしえなかったんだろう。

>>39
賈逵の子孫とは思えんよな。
司馬氏は司馬氏で、八王なんかをみてると、狡猾さのみが自身の力量に
先立っている感じがする。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/07(火) 16:05:35
仮に曹爽が司馬懿のクーデターに対して日和らなかったとしたら、勝ち目はあったのだろうか。
一応曹芳は曹爽側なんだろうし、全く勝算が無かった訳でもなさそうだが。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 13:41:09
>>41
曹芳と一緒だったし、桓範が駆けつけたのでその助言を聞いていれば勝ててたカモ
勅を出せば下記程度の援軍は期待できたんじゃね
雍涼諸軍事:夏侯玄(妻が曹真の妹)−夏侯覇ライン
揚州刺史:諸葛誕−王基(このあと一時免職)、文欽(曹爽派)ライン
あと毌丘倹も司馬懿と仲が悪かったらしい

それと曹爽に採り上げられた武官がこのとき向かってなかったっけ?名前忘れたケド

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 13:57:45
>>42
これで全面戦争になったら姜維大喜びだったな

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 14:37:58
曹爽は降伏するだろう、って確信があってのクーデターだったみたいだしなー(桓範が洛陽脱出した時に司馬懿が言ってる)
結局曹爽じゃ司馬懿を倒すには役不足だったって事じゃね

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 17:55:56
力不足じゃね?
役不足だと曹爽は有能ってことになるぞ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 18:14:37
家族は司馬の手にあるから降伏せざるを得ないよな
徹底的に戦える準備もないし

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/12(日) 22:25:24
>>44
その発言は干宝の晋書では蒋済がしたということになってるが…

あと軟禁レベルで処刑まで2ヶ月ぐらいあいだ開いてなかったけ

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 07:11:19
軟禁後、謀反の疑いで処刑された事になってるね

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/14(火) 21:34:48
>>21-27
当時の魏の官位から見れば
大将軍≒大司馬>三公(太尉)
で太尉が格落ちに見えるのは間違いないが大事なことを忘れている

司馬懿が太尉になった時の大司馬は『公孫淵』だから空いてなかった
でオk?

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/15(水) 03:41:23
>>44
そういう確信が持てる上で事を起こすあたり、司馬懿らしい気がする。

>>46
皇帝を曹爽が擁している状況で、いくら郭皇太后の名を借りたとはいえ
司馬懿が手中にある曹爽の縁者を簡単に殺せるものなのかな。いずれにせよ、
「俺は富貴の旦那でいられるのだ」みたいな事を宣っちゃうあたり、曹爽って
坊ちゃん育ちの甘ちゃんだなあという印象が拭えないな。


曹爽のもとで栄達した連中はわりと、明帝に疎まれていたり、免職されたり
していた連中が中心になっているんだが、そこらへんの背景って何だろう。


51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/16(木) 03:08:17
>>42の面子も、明帝時代には重宝されなかった連中が多いんだよな
そいつらが結託して、曹爽を担ぎ上げる働きでもあったのだろうか
司馬懿自身、皇族の身内でもないのに随分出世して結構嫌われてただろうし

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/17(金) 06:51:57
曹操のころは夏侯惇・淵と曹仁・純兄弟や曹洪の親戚
文帝時代には曹操が養育した孤児とかで同居していた曹真、曹休、秦朗
および四友(司馬懿、陳羣、呉質、朱鑠)が信頼されていたように見える

曹真と曹休の間では功績争いがあって上手くは行ってなかった模様
曹休の後見みたいな曹洪は文帝に罰せられて、曹真が一歩リード
その後曹休が対呉で功績上げて大司馬になって逆転、が最後に失敗して鬱々と病死
で、残った曹真が特例まで認められて最終的に勝者となった
その息子の曹爽が特例まで引き継げたのは曹真が施ししまくっていたお陰もあろう

四友でも朱鑠だけは情報が少ないが呉質との逸話から曹真の側近だったと思え
曹真の話には若死した朱讃の遺児に所領を分け与えたようなのでその縁者かも
司馬師が呉質の娘を嫁にしたのは曹爽による呉一族への意趣返しを予防という面があると私は見るがどうだろう

で、曹爽に中央から左遷された代表者の孫礼は曹休配下だった
ついでに彼と一時左遷で中央に戻れたが盧毓の二人は崔琰に推薦された
崔琰は司馬朗の友人で、朗に「君より弟の懿の方が優秀だね」とぶっちゃけるような直言の人
…曹休を絡めて曹操養育組の権力闘争に触れようとしていつの間にか司馬ネタになってしまったのでここでやめておく

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/23(木) 22:12:20
曹操が献帝を操り徐々に弱らせ最期には国を奪った様に
曹操が築き上げてきた魏の皇族が同じ様に司馬一族に操られ衰退していき、最期には乗っ取られるのはなんか皮肉だな。
結局自分がした事は自分に返ってくるって事なんかね。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/23(木) 22:46:20
桓範が明帝時代に免職になって理由って救いようがないのだが…
曹真と同郷だからってこんなの復職させる曹爽は権力を乱用しすぎ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/27(月) 12:53:26
桓範は曹爽のおかげでいい思いさせてもらったのに、
最後にはあんな事言っちゃうような人間だからな〜
こんな奴は身を滅ぼして当然だろ。

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