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漢から魏への禅譲を語る

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:04:47
後漢〜三国時代で一番大きな出来事なのにイマイチ影の薄い禅譲について語ろう

王莽が失敗し、曹丕が成功した理由とかも含めて

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:06:10
2

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:09:53
曹操が劉協を抱えて24年
色々あったが、なんだかんだ言って皇帝にならずに死んだ
これが王モウとの違い

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:15:15
漢帝国への失望感も以前より遥かに大きかったのもあるな
黄巾は確かに山賊とかも居ただろうが、もとは民衆だ

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:30:32
禅譲って三回断ってから受けたって知識しかない
何か儀式とかするのか?

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:33:37
禅譲自体は王莽は成功してる(その後の施政で失敗したけど)。




7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 19:39:21
王莽は帝になったのか?

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 20:00:41
220年禅譲までの記述の要約(献帝伝)

?月
李伏「王(曹丕)の即位は孔子の『玉版』の予言にも合致している」
曹丕「予言は徳薄い自分に対するものではなく、徳高き先王(曹操)の至徳が天に通じたものだ」
劉曄、陳羣ら8名「李伏の上書のごとく、天命は魏に在ることは間違いない」
曹丕「自分は不徳の人間で天命を承けるに値しない」

10月9日
許芝が色々な予言書や星の運行は全て魏が漢に代わる兆しを示している例を列挙

10月?日
曹丕「先王の事業を継承した自分の志は、魏国を保全することに在り、
兆しがあると聞いて心おののくだけである」
劉曄、陳羣ら9名「許芝が挙げた予言書には天命が魏に在ることを示し、魏王が拒み得る事ではない」
曹丕「人民の飢色と窮之ぶりを見ると兆しに引け目を感じ、士民に対して気恥ずかしい。
一地方の王たるにも及ばぬ自分がどうして帝と言えようか」

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 20:21:31
10月11日
司馬懿ら5名「許芝の記述によれば、過去の例から見ても天命は有徳者に下されるもの。
天下の十分の九が臣服しているというのに辞退されるのは過度な謙譲である」
曹丕「私はどうあっても自分の志を貫こうとしている(帝位にはつかない)」

10月13日
献帝「漢末の動乱によって漢は一尺四方の土地も領有出来ず、臣民も一人もいない有様になってしまった。
武王の力で皇業は保たれた。今、魏王はその後を継ぎ、教化と仁風は四海に及んでいる。
張音に捧げ持たせた玉璽を受けてもらいたい」

10月?日
桓階ら「劉氏は天子の位を陛下に譲られた。陛下は聖明の徳と暦数の順序によって漢の譲りを受け、
天の御心に従われよ。天命は辞退すべきものではないし、万民の希望に背くべきではない。
早速、天命に従う儀式を整えることを願う。」
曹丕「私が絶対に受けないという意向についてだけ論議してくれ。呉の征伐が終わってから改めて令を出す。」
桓階ら「このたび禅譲の命を受けたについては百官を地位に従って整列させ、
天命を目の当たりに見せるべきである。平坦な地に壇場を設け、我々は儀式について論議し、吉日を選び、
それが決まったならば上奏する。
曹丕「私は引き受けないのだから、そんな必要は無い」

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:00:49
10月?日
衛シンら「17日が吉日である。霊兆に従って速やかに帝位に登られるように。
直ちに壇を設け、その際に行うことについては別途上奏する」
曹丕「詔勅は受けぬが、儀礼は行う。だが壇を既に築いているのは何のつもりだ」

10月17日
曹丕(衛シンらに)「玉璽を返還し、辞退の文を書いてくれ。東海に入って死を選ぼうとも、
道義として漢朝の詔を奉ずるわけにはいかない。この私の気持ちを群官と天下に広く布告する」

10月?日
劉若ら120名「布告文を読んだところ、謙譲と至誠が表れているが、天意に反し民心に逆らおうとされる姿勢に対して、
私達は納得できない」
曹丕「皆は私の股肱の臣で、互いの心の内を理解しあっていたと思ったのだが。
上書して玉璽を返還し、これ以上あれこれ言わないでくれ」
劉若ら120名「陛下が受諾されないならば、それは上は天命に悖り、中は聖人の道理に叶う生き方を忘れ、
下は人民の期待を裏切ることになろう。臣はあえて逆鱗に触れるのを恐れない」
曹丕「孫権、劉備が未だに存在し、太平の世は到来しない。真の兆しが現れぬ今、どうして慌しく私に迫るのか。
玉璽を返還し、これ以上私に不徳を重ねさせないでもらいたい」
劉ヨクら「陛下は聖人の美徳を具え、天命の暦数に合致し、天象も図緯も示す所は同じである」
曹丕「昔、周の泰伯は三度天下を辞退し、これを孔子は至徳であると感嘆している。私を泰伯と異なる人間と見ているのか」

10月18日
曹丕(献帝に対し)「13日に賜った勅命に私の五体は驚き震え、魂はいずこかに飛び去る思いでした。
臣には天の受命を受ける徳はありません。とるに足らぬ身ではあるが、節義を忘れて大命を引き受けられようか。
毛宗を使者として謹んで玉璽をお返しする」

10月19日
蘇林、董巴「地上の地域を12星座に対応させると、魏は大梁に相当する。歳星(木星)が大梁に位置するたびに、
武王は大功を挙げられた。今また歳星が大梁に位置し、これは陛下に天命が授けられた事を表している。
また、北斗七星の柄も魏が天下を得る方角を示している。10月こそ漢の譲りを受ける月である」
曹丕「天の兆しは明らかであろうと、徳あってこそ初めて輝く。私は徳薄く譲りを受ける価値が無い。
これを内外に知らせてくれ」

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:21:32
10月20日
献帝「漢の天運は既に尽きた。聖徳ある者に帝位は与えられるべきで、衆の願いに違うのは不順であり、
天に逆らうのは不吉である。舜も禹も帝位を譲られて辞退しなかった。王よ、天の御心を奉戴せよ」

10月?日
桓階ら「天命の実現は滞らせてはならず、神聖な帝位は汚してはなりません。臣たちは死を賭けて請う、
壇を整えて吉日に禅譲の命を受けられんことを」
曹丕「三度固辞しているのに、何で君たちはこれに拘るのか」

10月22日
曹丕(献帝に対し)「20日の詔勅を拝読し、震え慄いています。臣は頑迷固陋で二聖の素質はなく、
どうして帝統を受けられよう。隠遁したいという大願を抑えきれません」

10月?日
劉ヨクら「天意と民心が望むものを拒まれるのは何の礼に拠っておられるのか。
人民にとっては1日も君主が居ない訳にはゆかず、帝位は継承者が居なくてはならない。
臣たちは死を憚らず即位を請願する」
曹丕「天下は重器で、王者は正しい血統を必要とする。それに献帝がおられるのだから、
君達に君主が居ない訳ではない。固辞した結果がどうなるかを見てから、改めて論議すればよい」

10月25日
献帝「漢の命運が尽きたことは天文事象に明確に示されている。これを朕は幾度も王に説明し、
帝位を受けるよう説得してきた。大業を立てる者は小節に拘らない。張音に捧げ持たせた玉璽を納め、
天下の期待に応えよ」

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:47:06
10月?日
華キン、賈ク、王朗及び九卿「臣たちは予言書や天文の兆しについての説明を拝読した。
漢朝は速やかに禅譲の儀礼を執行するのを望んでいる。陛下には謙遜なさらず、天と人の意向にそって、
どうか内外の願いを満たされるように」
曹丕「私は徳が不足し、外敵もまだ滅んでいない。賢人たちの力で生命を全うし、
魏国の君主として終われれば十分である。私如きが何で天下の支配者になれようか。
予言や天の兆しは、先王が遺された聖徳によるもので、私の力ではない」

10月27日
曹丕(献帝に対し)「舜は功業があって大業を継承したが、臣は愚昧で徳はありません。
それ故、王統を継げとの御命令に従えません。しかし私の願いは届かず、張音は詔勅を盾に、
これを復命しようとしない。陛下にはどうか駅馬を走らせて彼を召還していただきたい」
華キン、賈ク、王朗及び九卿「漢は天命に従って堯が舜に譲った道を踏み行おうとするのに、
陛下は謙譲を重ねてこれを拒まれる。舜や禹や先王は、あるいは怒り、
あるいは心塞がる思いをされているに違いない。民の命は魏に懸かり、民の心は魏に繋がっている。
自らの使命と度量を明らかにし、速やかに壇を築き、天の神々に報告した上で、
元号・正月・服色を論議し、献帝に上奏されたい」

10月?日
曹丕「舜のごとく簡素な生活を送りたいというのが私の希望だったが、舜は天命に従って堯の禅譲を受けた。
群公卿子がまことに天命拒むべからず、民望違うべからずと考えるならば、
私もどうして辞退しようか」

10月28日
献帝「天の眼は漢を去って魏に向けられており、帝王の事業は魏が担うべきである。
王は三度も辞退し、朕はそれを懸念する。王よ、速やかに帝位につき、天と人の心に従ってくれ」
桓階ら「天命が大魏の上に臨んでいるのはここ数年のことではない。
天命に応えて禅譲を受け、億兆の民の願いを叶えていただきたい。今月20日は天命を受けるに相応しい日である。
王公群卿に詔勅を下し、この旨を知らせてほしい」
曹丕「よろしい」


こうして漢は滅び、魏が生まれたのでした。
めでたし、めでたし。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 21:48:27
このやり取りを陳寿は全てカットというのは作為を感じるよね

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:10:04
ソウヒの断り方の所々にファザコンの匂いがする

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:18:42
この一連の中で注目すべきは魏国の臣だけでなく、漢王朝の臣も禅譲を受けるべきと言ってるところだな
曹操が帝位につかなかったのが不思議なぐらいだよ

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:25:39
>>7
西暦8年〜23年まで新の初代皇帝だった

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:32:25
>>15
建安23年に長安へ出征して以降、曹操には帝位を譲られるような暇が無かったからじゃない?

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:35:12
桓階のセリフ多いなあ

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:41:28
漢が滅亡しても民は動揺しなかったし、反乱も特になかった
曹操の周公になるというのは実現したわけだ

曹操が自ら禅譲を受けたりしたら多少は反発があっただろうな

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 22:42:47
>>19
周の文王のことか?

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 23:03:33
上の中に逆鱗に触れることを恐れないってあるけど、どういう意味だろ?

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/16(火) 23:20:36
あんまり駄々をこねると曹植を担ぎ上げちゃうぞという脅迫

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 00:08:15
やっぱ帝位につくのって物凄いプレッシャーなんだろうなあ

と思った

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 01:00:58
ぬるぽ

25 :神ツコツ ◆TMF1L69tQo :2009/06/17(水) 02:31:05
>>24
ガッ!突骨

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 11:04:49
民衆にとっては国の名前より為政者の方が重要

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/06/17(水) 15:31:48
>>23
皇帝になってから「親父の威光で皆から敬われるのは肩がこって仕方ない」とか言ってたような

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